「人生に疲れた人は私のもとに来なさい。休ませてあげよう、あなたを」

これは、聖書に出てくるイエス・キリストの言葉である。

イエスは常に、人の悲しみに寄り添い、そして一度人生を横切った人の苦しみは、生涯背負い続けた。

今度は仏教に目を転じてみよう。

菩薩とは、どんな人のことを言うのだろうか?

経典に説いている。「生きとし生けるものを、自らの荷物のように背負う。(群生を荷負し、己れが重担と為す)者が菩薩である」、と。

人は菩薩やイエスのような、慈しみの心を示す行為に、心打たれる。

なぜなら、自らの損得を超えて、他者を思いやる慈しみの心の背後に、神や仏が存在していることを感じ取るからだ。

“何としてでも神・仏の存在に気づいて欲しい。”

そう思う僕は、菩薩的生き方を志すのがタオサンガだ、と思っている。

そして生きている内に、一人でも多くの菩薩たちに出会いたい。

そう、心から願っている。

自らを犠牲にしてでも、人の為に生きたいという欲求。

イエス・菩薩のような利他の欲求を、人は必ず内在していると信じているからだ。

ただ、時々思う。

どうして、他のために尽くしたいと思う、イエス的/菩薩的な利他の欲求が明確な人と、そうでない人がいるのだろう?、と。

もちろん一般的な風潮は違う。

自己犠牲を厭い、自らの安楽を選ぶのは、普通の生き方なのかも知れない。

もちろん、自分が楽する方を選んだ人は、得したように見える。

しかし、そんな行為に感動する人はいるだろうか?

それはかっこいい生き方だろうか?

それは美しいだろうか?

その行為の背後に、宇宙大霊の実在を予感する人はいるだろうか?

私たちは、得をするより、楽をするよりも、

かっこよく、気高く、そして美しく、ありたいと思うべきではないのか?

見てくれなんかどうでも良い。

だって、生き方を、行為を、いくらでも美しくすることはできるんだから。

存在そのものをアートにすることができるんだから。

迷わず、みんなの喜びのために、自らの心身の苦を厭わないイエス的、菩薩的な行為。

それは、殺伐としたこの世に生きる人の心のどこかを、必ずや温かいものにしている、はずなんだよ。

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容姿に自信がなく、「自分は太っていて醜い」と信じている女性が、男性から、「ぽっちゃりしているね」と言われたらどうだろう?

 おそらく、その言葉で傷つくだろう。

この場合、言った人に対して、”デリカシーがない”とか、”私は傷ついた!”と言って、相手を非難すべきだろうか?

 では、もし言った人が、「そんなつもりは毛頭なかった」としたら、どうだろう?

おそらく「私は傷ついた!」と主張する人は、「そんなはずない! だって私は傷ついたんだから」と言うだろう。

 では、このような事実を知っているだろうか?

これは、「デブ専の風俗店」についての話だ。(ちなみにこの話をしてくれたのは、親戚がその店の経営者ということで、僕が行ったわけではない)

 何でも、デブ専風俗店では、女の子が続かないらしい。

その原因は、”客とすぐに結婚してしまうから”、だそうだ。

 ということは、もしかしたら「ぽっちゃりしているね」を言ったのは、褒め言葉のつもりで、プロポーズだったかもしれないじゃないか?

 そもそも、「ぽっちゃりしている私は、魅力的だ」と思っていたら、「傷ついた!」なんて騒がないだろう。

むしろ褒め言葉と受け取って、「そんなあ〜」とか言って、照れるかも知れない。

 それで、その話を聞いて以来(もう十年以上前に聞いた話だが)、時々、僕は言いたくなることがある。

 『“人にネガティブな言葉を言われた”と思う前に立ち止まれ。

自分に自信がないのは、相手のせいじゃないよ。親のせいでもないよ。「傷ついた!」と騒ぐ前に、まずは自分の”自信”を点検したまえ。

 もしかしたら、相手の言動は、自分が思っていることとは、全然別の意味かも知れないんだから、さ。』

 心理学的にいえば、「自分に自信がないと、相手の善意すらネガティブなものに見える」。

そこで相手を非難したら、ますます自分の「自信のなさに、自信を持ってしまう」ようになる。

 そんな負のスパイラルにだけは、絶対に陥らないようにしないとならない。

 48歳の現役サッカー選手のカズ。

元プロ野球の張本勲に、「もうやめなさい」とラジオで言われ、それを激励(褒め言葉)と受け取った。

そして、それを次の試合でみごとに実証してみせたそうだ。

 だから僕は言いたくなる

『神対応していたら、自信がついて、さらに神対応がうまくなる。

そしたら、人生に好循環が生まれるんだよ。』、と。

 相手に対する非難が少しでもあれば、神対応は生まれない。

神対応は、人生への愛から生まれる。

 

 

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2016/09/04

1)

一ヶ月と一週間ぶりに京都の自宅に帰って来た。
こうなると、家も宿の1つという感じである。

その翌々日は、夏休み最後の日(8月31日なので、そう思ったのだ)。なので、友人の昇一郎くんと「シン・ゴジラ」を観に行った。

僕はゴジラフリーク。ゴジラものは必ず観に行く。だから日本出発前から行くつもりで、昇一郎くんと約束していたのである。

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映画の後は、本屋に行ったり、まずは滅多に行かない寿司屋に行ったりする。(昇一郎くんの好物なので)

昇一郎くんはチャトランガ仲間でもある。
イベントの時などは、チャトランガ・ブースを担当してもらったりしている。

僕としては友人のつもりではあるが、実は昇一郎くんは小学生である。なので僕には、“彼の無意識にポジティブな思い出を上げたい”という気持がある。

2)
子どもにとって、「自分のことを気にかけてくれる大人がいる」というのは、心強いと思う。

無条件で自分に関心を持ってくれ、一緒に楽しんでくれる大人がいることは、きっとその子の心を温めるだろう。

そしてたとえ将来、大人になって、子どもの頃に自分につき合ってくれた大人が誰だったかを忘れてしまっても、その体験は、いつまでもその子の「無意識」の支えになると思う。

だから彼が大人になって、僕のことを忘れてしまっても構わない。

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3)
一日が終わり、駅で見送る時、帰って行く昇一郎くんの背中に手を振りながら、ふと僕は考える。

”いつまで彼の背中が見られるかな?”、と。
小学生の友人との付き合いでは、「一期一会」の潔さを楽しむ、、、。

 

 

 

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”これはもう戦場だな、、、”というのが、あらためて観たときの感想だった。

ドキュメンタリー映画、「五つの壊れたカメラ」である。
パレスチナ人とイスラエル人が共同制作し、オスカーにノミネートされた作品だ。

監督たちの来日をNPOアースキャラバンが支援したその縁で、監督とも知り合いになり、その後もずっと交流を続けて来た。

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この映画の舞台は、パレスチナのビリン村。
イスラエルによって村の中に分離壁が建設され、パレスチナ人の村なのに、多くの土地が奪われてた。

当然、生活手段である畑やオリーブの樹にはもう行けない家族らもいる。

非暴力抵抗運動が始まった。

毎週金曜日の礼拝のあと、奪われた土地を取り戻すため、村を上げて行う抗議行動。分離壁へ向かうデモである。

これは途絶えることなく続き、イスラエル人活動家や、海外からのパレスチナ支援の活動家も参加するようになった。

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僕が、ビリン村のデモに参加したのは、はじめてパレスチナに足を踏み入れた時だった。7年ぐらい前のことである。

それまで、9回もイスラエルに行っていながら、イスラエルの占領地であるパレスチナに入ることが、諸般の事情からできなかった。(これは僕にあとで非常に恥ずかしい想いを抱かせた)

デモと聞いたら、日本の平和的なデモを思い浮かべる人がほとんどだろう。

でも、パレスチナでデモに参加することとは違う。(高江は、また少し違うかも知れないが)


イスラエル兵は、パレスチナ人のデモ隊に対して、当然のように催涙弾やゴム弾を撃つのだ。

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高速催涙弾に胸を直撃され、フィールという心優しいパレスチナ人の青年が死んだ。

その数年後には、彼のお姉さんまでが、催涙ガスによって呼吸困難に陥り、死んだ。

催涙弾の破片で目をケガした人もいる。

ゴム弾の威力もまた、恐ろしい。

 アメリカ人の女性が失明したという話も聞いた。

パレスチナ人監督のイマッドも、ゴム弾で大怪我をして、病院で手術までした。


さらに7年前、僕がビリン村に行く直前には、「イスラエルはビリン村のデモ隊に化学兵器を使っている」という噂話まであった。

その時、僕は、かなりの覚悟でバスに乗り、 ビリン村に向かったのを憶えている。


ところで2、3年前から、ビリン村の写真家のハイサムともFacebook上で交流を始めた。

毎週のデモの様子は、彼の投稿記事で読んでいた。今日は誰もケガしなかった、とか、、、。誰それが逮捕された、という報告がある日もある。

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 <ハイサム>

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<デモの出発。写真は七年前のもの。一番、手前にいるのは、東エルサレムで友だちになったイタリア人の女性ジャーナリストのアンドレア。

後で、先頭集団にいるお互いを発見。催涙弾の煙の中で、「おお! お前もいたのか!」と合図しあった。こうなりゃ、戦友である>

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<催涙弾の煙>

僕は、今年のアースキャラバン中東には、希望者を募って、ビリン村のデモ参加に行きたい、と思っていた。

ところが、だ。

「五つの壊れたカメラ」を見直し、”こりゃもう戦場だな、、、。”と思った。

そして僕は、やっぱり希望者を募るなんてよそう、と思った。

”こんなん、とても人には勧められんわ、、、(ちょっと関西弁ね)”というのが本音であった。

だって、もう戦場なんだもん。参加者をケガさせるわけにはいかないじゃないですか。

出発前には、”みんなには黙って、独りでひっそりと行こう”と、まで考えていた。


”それでも、自分は行かないわけにはいかない、けど、、、。”

この「自分は行かないわけにはいかない、けど、、、」という、僕の心理を説明するのはとても難しい。

うーん、例えばあるところに、人間の尊厳や自由を守るために闘っている人たちがいる。

そして、それに共感していながら、「自分の身が危険になるから」と言って、安全なところに自分の身を置く。

これ、僕的には、かっこ悪くて、とてもできないのである。

「何もそんな危険なところに、わざわざ行かなくったって良いではないか」


、、、そんなことは重々わかっている。

「行かなくたって別に恥じゃない。誰も文句言いやしないよ」

、、、それだってわかっている。

「あんた一人が行かなかったところで何が変わるっているんだい?」

、、、そんなことは百も承知だ。

これは、あくまでも自分的な「人生の美学」の問題なのである。

で、最後に「けど、、、」とつくのは何か?

「オレだって恐いさ。世間一般の人みたいに保身に走りたいよ。でも、どうしてもできないんだよ〜ん!」というのが、入っているのである。


<続く>

「五つの壊れたカメラ」について

映画「五つの壊れたカメラ」は、You-tube でも観れます。
https://www.youtube.com/watch?v=6UP-D_MtZt0

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今年の中東アースキャラバンで、どうしても自分が成し遂げたかったことがある。

それは、イスラエル占領下にあるパレスチナ人たちの苦しみを直接見聞するプログラムを組みたかったことだ。

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<難民キャンプの入り口>

 現地にいない状態で、そのプログラムをどうやって組んだら良いのか? 最初は、皆目、見当もつかなかった。

まずは去年世話になった東エルサレムにあるキリスト教系の人権団体の人間に連絡した。

 

メールでもやり取りしたし、スカイプ(パソコンの無料電話)でも随分やり取りした。

でも、何ヶ月かのやり取りの末、いろんな事情から、最終的にその線はなくなった。

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<ヘブロンには、イスラエルがいたるところに建てた壁が、人々の生活を困難にしている>

 

そこで僕は、去年、エルサレムにいるときに、「広島の芝居をヘブロンでやるから見に来て下さい」と僕を招いてくれた、YES 劇場のスタッフ、スライマに連絡した。

 

 僕はスライマーに自分の考えを伝えた。

「アースキャラバンで来る人たちに、占領下の実態をぜひ体験してもらいたい。そのコーディネートをぜひお願いしたい。」、と。

 

お金で頼んだのではない。ボランティアを頼んだのである。

嬉しいことに、スライマは快諾してくれた。率先して、いろんな団体と連絡を取り、いくつかの施設などを巡るスケジュールを作ってくれた。

 

もちろん、一回のやり取りではない。何度も何度もいろいろなことを打ち合わせた。

そして、僕やローレンスがグループ電話を切るとき「ありがとう」と言うと、「それは言わないで」といつも言っていた。

 

子供たちが刑務所に入れられている

占領下にある人々の苦しみの体験を語ってもらうのは、そう簡単なことではない。

 そして、実際に現地に行って僕たちが聞いたのは、例えば、あるパレスチナ人のおばさんの話である。

 

彼女は、ある日、理由なく逮捕され、それから6年間投獄された。

棒で殴られた。どんな拷問だったのかは語りたくない、と言った。

 

人間扱いされない日々が延々と続いた。いつ終わるのかもわからなかった。身体の痛みよりも、人間としての誇りが奪われたのが一番辛かった、と話していた。

 

また、別のところでは、お母さんたちの話を聞いた。

10ー15歳の子供たちが、石を投げた、という理由で(たとえ何もしていなくても)逮捕され、何年も勾留されていた。

 (その数は、現在、数百人にも及んでいる)帰って来た子供達は、口も聞けないほどの状態になっていたりする、という。

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<子供が勾留されているお母さん>

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もちろんこんな話や映像は、どこのメデイアでも放送しない。

YES 劇場は、そういう家族のトラウマを癒すために、演劇セラピーを施している。

スライマがベツレヘム大学の学生だというのは、後で知った。

国境なき医師団の報告

   ↓

http://www.msf.or.jp/news/detail/voice_2396.html

 

 

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1)

中東アースキャラバンが終わり、アジアの片すみで、しばし引きこもり生活を送っている。

たまっている宿題(法話ライブの書き起こしの編集)をやろうと頑張るのだが、一つの法話のリライトに4時間はかかってしまい、ため息が出る。

 

プールサイドで寝っころがって空を見ていると、いろんなアイデアが湧いて来て、それが次のイノベーションになることが多いので、本当は何もしないでいる方が良いのかも知れないなぁ、、、。(←とは思うんだけど)

 

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<まるで木像の人形のような老婆。ことばの通じない屋台で僕はひっそりと料理を待ち、

アジアの片隅で引きこもって過ごしている>

 

2)

10日ほど前までいたパレスチナ。

僕はこの地は、微笑みと涙、そして未来への希望なくして旅できない。

 

そんなパレスチナに来る度に、僕はかつて大日本帝国が植民地支配していた朝鮮半島の人々のことを想う。

朝鮮の人々の苦しみと、そしてそれを日本人はどう感じていたのか、を、、、、。

 

さて、もちろん、純粋無垢に見える被害者にしても、エゴなき人はいない。

暗黒面だってたくさんある。

これはアウシュビッツの生き残りだろうと原爆の生存者であろうと、パレスチナ人であろうとそうだろう。(←という話を現地でしていた)

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だけど、それを差し引いても、僕はパレスチナに来るとなぜかほっと安堵のため息をもらす。

それは、アジアのまったりした空気感ともまた異なる。

おそらく人が人をどうケアするか、ということが基本的に成立してしている地域だからなんだと思う。

 

それにしても胸が痛むのは、彼らがイスラエル占領下で筆舌に尽くし難い屈辱の日々を受けていることを目の当たりにするときだ。

だが、彼らがお互い同士や、子供達や、また私たち旅人にする接し方には、警戒心も計算もなく、柔和で気前が良く、ホッとさせられるばかりである。

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彼らがテロリストだって? はぁ、、、?  メディアはウソをつくのがヘタだなぁ、、、。

 

せめて、「パレスチナ人は、一見優しい人に見えるし、つき合ってしばらくは良いけど、何年かすると本性を表すぞ。気をつけろ」とでも言ってくれれば、“もしかしたら、、、、”と思うかも知れないけどなあ。

 

でもねぇ、、、ヘブロン在住のアクラムとの付き合いは、もう13年に及ぶ。

理学療法士をやっている彼ががテロリストの正体を表すまで、一体何年待ったらいいんだよ。(←とメディアを信じている人に言いたい)

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理学療法士のアクラムは、南アフリカに留学していたそうだ。

 他のことは知らないが、中東に関してはメデイアのウソは多いなあ、、、。

まあ、都合次第でウソは他にもいろいろあるんだろう。

 

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1)

昨夜、居酒屋でカナダからの電話を受けた僕は、酔いもあって躍り上がらんばかりに喜んでしまった。

ローレンスからの朗報だったのだ。

「イスラエル人とパレスチナ人が合同で行進する平和活動をしているラビ(ユダヤ教聖職者)と連絡がついた。

それで、8日にエルサレムで一緒にイベントしよう、ということになった」と。

イスラエル人とパレスチナ人、それに日本や海外からの参加者が加わり、エルサレムで一緒に「広島原爆の残り火」を持って合同のお祈りをしたり、音楽を演ったりすること。

これらは、僕らが最初から抱いていた念願だったのだ。

*平和の火は、原爆が落ちた日から70年間、絶やされることなく燃え続けて来たもの。

イスラエル人もパレスチナ人もいろいろ呼んで来てくれるらしい。

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<実際にはどんな感じになるのだろうか?>

 最初は9日(長崎の日)にイベントがしたかった。

だが、その日に帰国してしまう日本人も多い。(日本、カナダ、イタリアから30人ほどが参加の予定)

このため、やむなく8日になったのだ。

 

2)

街を上げてのお祭り、ベツレヘム・フェスティバルで演奏することになっているので、その練習も欠かせない。

しかし、中東アースキャラバン・プログラムについて現地との話しも詰めていかなければならない。

幸いヘブロンの「YES シアター」スタッフのスライマ女史が、献身的に協力してくれている。

昨年の8月初旬、エルサレムにいた僕に突然このスライマからメールが入った。

“8月6日の広島の日に、「広島の犠牲者を描いた劇」の上映をするので来賓として来て下さい”、と。

僕は、”なぜ僕のことを知ったのだろう???”とハテナ状態だった。

まあ、何か新しい展開があるかも知れないからね、と原爆の残り火が灯っているランプを持ってヘブロンに向かった。

劇のあと、パレスチナの子供達が、「日本は原爆被害から立ち直って、復興して凄い!」と次々に手を上げて発表していたのが印象的だった。

スライマ女史とは、それ以来の付き合いである。

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<YES 劇場>

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<劇の上映後、みんなが意見を述べる>

一昨日は、スライマ、ローレンス、とSkype(コンピューター電話)会議を行なった。

難民キャンプ訪問や、中東の真の現実を体験するツアーなどもまとまって来た。

でも、5日のデモ参加は?(これは個人的な行動だけど) 6日は?

これから考えて、現地に連絡して、話し合って、という作業がまだ続く。

しかも! 今年はローレンスは、アースキャラバン・ケベック(インディアン居留地を巡る)の準備があるため、中東には来れない。

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<ローレンスと劇場に向かった時のタクシー>

もともと中東ツアーは、僕とローレンスとオリバー(オーストリア)の3人で立ち上げたものだった。

しかし、今年の中東ツアーにオリバーは来ない。昨年のアースキャラバン・ヨーロッパと中東の準備で、「燃え尽き症候群」になってしまったのだ!

その上、これ以上、パレスチナ人が味わっている理不尽な苦難を見るのは耐えられない、とのこと。

否応なしに僕に重圧がかかって来ている。うぅ、、、。

なんか今日のブログには、笑いがあんましなかったな、とちょっと反省。←ま、考えたら、重圧がかかるなんて、アースキャラバンではよくあることだったよね。^ ^

とにかく朗報バンザイ! 実にメデタイ日であった。

 

 

 

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アースキャラバン・カナダ/トロントでの演奏とスピーチ→3日間の念仏ワークショップ(朝から夜まで)→2日間のタオ指圧ワークショップ(朝から夜まで)

カナダで予定していたすべてのプログラムが終わった日の夕方、空を見上げて雲を見ていたら、なんだか泣きたいような気持になった。

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なぜだろう?

トロントに集まった気持の純粋な人たちと1週間をともに過ごした後、彼らのこれまでの人生をふと思ったからではないかと思う。

タオサンガをやり続けて来た人は、大人になっても純粋な部分を失わなかった人たちだ、と僕は思っている。

だからきっと、今まで傷つくことが多かったと思う。

孤独だったろうし、ボロボロになったことも一度や二度ではなかったと思う。

それがこうして、タオ指圧や念仏またアースキャラバンを縁として北アメリカ各地から集まり、みんなで出逢うことができた。

人生でいたわり合うことができる人と出逢えるのは奇跡みたいなことだ、と僕は思っている。

純粋な彼らにそんなことが起こって良かったな、と。そして、彼らのこれからが良かれ、という、何だか胸が痛くなるような想いが、風のように切なく僕の内をそよいだ。

その時僕は、きっとそんなことを想って、空を見上げていたんだと思う。

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人生で絶対に避けなければいけないことは、人が自分に対して抱いている感情やイメージの影響を受けて、自分が自分に対して抱く感情やイメージが変化することだ、と僕は思っている。

僕は子供の頃から二十代前半まで、良しにつけ悪しにつけ、人から抱かれたり期待されるイメージで散々苦しんだ。

結局、自分の価値が認められない高校をやめてしまったし、実家からも家出して帰らなかった。(精神的負荷は、こちらの方が大きかった)

二十歳代の半ばに、十代後半から修行していた道場をやめてしまったのは、それまでの人間関係から自分を隔絶したかったからだ。実はそれも、自分が人から抱かれているイメージに苦しんでのことだった。

今の僕は、人が自分をどう思うかと、自分が自分や人をどう思うかが、まったく重ならない、もしかしたら、世間から撤退することで、心を純粋培養することができたのかも知れない。

だから、たとえ僕がやっていることを人が、「下らねー」と思っていたとしても、僕自身は「けっこう面白いぜ」と思っていられる。(←戦争ゲームを創ってこれたのはこのためである)

そして、たとえ人が僕のことを嫌いでも、僕はその人のことを好きなままでいられる。

ついでに言うと、人に「偉い」と思われたり言われたりしても、それは僕には、まるで聞こえないのと一緖である。(←だって、人にエラいと思われたって、エラくない自分のことを一番知っているのは僕なんだから)

僕は、何かの団体のリーダーだと思われたりすることがある。しかしそれは、まったくの誤解に過ぎない。

僕はただ一人わが道を歩いているに過ぎないし、リーダーというイメージをご期待されても、それに沿う気はまったくない、というか断固拒否する。

人のイメージに合わせて、自己イメージや自分の生き方を変えることは、たましいの自殺だと僕は思っているからだ。何がなんでも、それだけは避けなければならないのである。

僕は、人が自分をどう思うかと自分が自分をどう思うかを完全に切り離すことで生き延びてきた。だからこれは、僕の一種の精神的なサバイバル術なのである。

「相手が自分をどう思っているかで、感情や自己イメージを変えるなんて冗談じゃないぜ。世間に魂を売り渡してたまるもんか。」というのが本音。

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アースキャラバンが、原爆で生き残った被爆樹の種をトロントに植えるので、そのポスターを市役所に貼ることになった。当日、イベントに来てくれた市長と。

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地球巡礼って何だ? なんていうことはない。アースキャラバンを翻訳したものである。^ ^

 ところで前回のブログで述べたように、アースキャラバンには、「平和の火」や「被爆樹」の苗を持って日本を自転車で横断する、ピースサイクリングというプロジェクトがある。

1.

 このプロジェクトは後でいろいろと大変なことが起こって来るのだが(←と聞くとわくわくするでしょ)、、、。

その一番の原因は、僕が「ピースサイクリング」とは何か?を、十分に言語化して人に伝えられなかったことにあった(と思う)。

 いや、自分としては、最初は一生懸命伝えようとした。しかしまるで、ゴジラを知らない大人に子どもがゴジラの説明するみたいなことになってしまい(←なんのこっちゃ?)、僕の考えはまったく浸透しなかったのである。

 僕にとっては自明のことが、他の人にはまったく別物として捉えられているというのは、実はよくある。

 その他、ピースサイクリングに「サイクリング」という言葉が入っているのも原因だった。このため、既製概念に囚われた人もいるようだ。僕も、それを壊すまでには至らなかった(←と、後で気づいた次第)。

2.

 そもそもアースキャラバンでは、面白そうなことは何でもやることにしていた。それで昨年、ピースサイクリングもやることにしたのだ。

で、誰が走ったら良いか? ということを考えた結果、ひらめいたのがイギリス人のスーだった。

 スーは空手五段だし、何と言ったって念仏者だ。(ひらめいてスーに電話をかけたのは広島からだった。その頃は、アースキャラバン広島ができるなんていう見通しは、まったく立っていなかった)

 実はスーに声をかけたのは、スーが修行者であることが、その最大の理由だった。

なぜだかおわかり頂けるだろうか?

 このブログを読んで下さっているあなた。まず、これはあくまでも僕の個人的見解である、ということを明記しておきたい。

 それを前提に述べるのだが、最初に、キャラバン=巡礼である、と翻訳を書いた。CARAVANと英語になったからと言って、意味が変わるわけではない。

で、巡礼というからにはご理解頂きたいのだ。巡礼とは、四国遍路のように、宗教文化的な行為なのである。

それは、フェスティバル=祭りが、本来は五穀豊穣を祈る行為から始まったように、神さま抜きではあり得ない、というのと同じだ。繰り返しになって申し訳ないが、英語になったからといって、突然その意味が変わるわけではない。

ピースサイクリングでは、平和の火を持って各地で祈りながら、自転車で日本を横断し、巡礼する。

これを宗教的文化と言わずして何と言おう? 修業と言わずして、何と言おう? 僕的には、これが巡礼(キャラバン)のイメージだった。それは当初、スーの無意識も同じ想いだったように思う。

 3.

ところで僕が尊敬してやまない、明治大正時代に活躍した、山崎弁栄上人という僧侶がいいる。

その弁栄上人が、熊野好月というお弟子の女性に、行乞しながらの遍路を命じた。

 好月さんは熱心な念仏修行者だったが、別に尼僧さんというわけではなかった。

高貴な家のご令嬢で、しかも極端に人見知りであった。

 その好月さんに弁栄上人は、、なんと物乞いしながら巡礼することを厳命したのである。

 それを聞いたとき、好月さんは顔面蒼白。卒倒しそうになったという。

が、尊敬する弁栄上人に、実行しないと弟子としては認めない、とまで言われ、最初は泣く泣く敢行された。

 一ヶ月とかだったかな? ともかく行乞の巡礼修行を見事をやり抜いた。そして教師になり、やがて僧侶と結婚して、ついには女性念仏修行者のための道場を建立するに至るのである。

そして後の述懐では、行乞巡礼の体験によって、自分は本当の人生を歩むことができるようになった、と。

 僕がスーにピースサイクリングをやらないか、と持ちかけたとき、実はこんなイメージがおぼろげにあった。(誤解のないように述べておくが、別に僕は、弁栄上人のような立派な人間ではない)

 だから、スーが平和の火のカイロを持ち、必要なものは自転車にくくりつけて、1人で行く、というのがその構想だったのだ。

 巡礼だから1夜の宿を誰かに提供してもらいながらだし、それが得られないときは野宿でもしながら行くんだぞ、と思っていた。だから、伴走車がつくなんていう発想は、まるで僕にはなかった。

 でもスーが、自分は日本の道がわからないから、迷子にならないか不安だ。誰か他の人で一緒に走ってくれる人がいたら助かる、という。

まあ僕も、方向音痴だけは飛び抜けて才能がある方なので(よく道に迷う)、その気持はわからないでもない。

 お遍路では、同行2人(弘法大師と2人という意味)だが、誰かと連れ立って行くこともある。それで、まあ、それもありかな? と思って広島在住の人に、「ピースサイクリングでスーと一緒に京都に向かって走りませんか?」と持ちかけた。

4.

 ところが、である。彼は伴走車ならやってもいい、と言う。僕は、驚いた。(だってお遍路に伴走車が付くなんて、いくらなんでもあり得ないでしょ?←と思ったのである)

 「そんなものいらないじゃないですか?」と言ったら、「でもスーに荷物だってあるでしょうし、平和の火を運ぶなら、いろいろ道具もいるんじゃないですか? そういうのって、伴走車が付くもんでしょ?」と返され、一瞬僕は、あわわわ、となってしまった。

 これは「ピースサイクリングは修行である」というイメージしかない僕と、ピースサイクリング=サイクリングという一般常識とが向かい合った瞬間であった。

 お互いに、”こいつが言っていること、全然意味わかんないよ~”状態だが、 この闘いは、“あわわわ〜”となってしまった僕には、どうも”分”が悪かった。

何せ相手は社会一般常識者様だから、世間全体が味方である。対するこっちは1人。

 なぜ僕が、“あわわわ〜”、となったか?

自分の中の常識では、巡礼修行=ピースサイクリング。でも自分の常識は相手にまったく通じていない。その事実に一瞬、頭がフリーズしたためである。

 自分が常識だと信じていることがまるで通じないことに気づいたとき、人って一瞬、あわわ、ってなるでしょ。

 インドなんか旅すると、そんなことってよくある。例えば日本では、ものの値段というのは決まっている。でもその常識が通じないとき、最初はどうして良いかわからない。

 その他、問題が起きているのに、”ノープロブレム!”って返されたときなんかも、頭が「?」になる。

 そんなわけで僕は一瞬、まるで落とし穴に落ちたときのような、“肩すかしくった感覚”になってしまった。

 これでは、相手の認識との違いを説明することなどできやしない。そもそも僕が、世間の常識を理解していなかったことが、最大の原因かも知れないけど(笑)。

 そこで譲歩することにした。じゃあ、自動車で伴走車やって下さいよ、と。

お遍路の巡礼者を自動車で助けることだって、功徳を積むことになるんだから、それもいいか、と自分的に思ったのである。

 ところが、次にかえって来た返事を聞いて、僕は絶句した。

「自動車はレンタカーを借りた方が良いですよ。何かあって、平和の火が会場に着かなかったら困るでしょうから」

 とんでもない。平和の火が予定通り会場に着かなくたって、僕的には別に、何の問題もないのである。(「だって巡礼修行であって、ツアーバスじゃないんですよ。巡礼の遍路にレンタカーなんて借りますか?」←とは、言えなかったけど)

何かあったら、そのことに対処すること自体が修業なんだから、そんな「何かあったときに困らないようにする」なんて、修業の機会を失わせるようなものじゃないですか? というのが僕の見解だった。しかし僕の考えは、どうも理解を得られそうになかった。

5.

 ところで、、、。

千日回峰行というのがある。これは1000日間、五穀断ちをしながら、毎日山を40km走り抜けるように歩くという、比叡山の修行である。

 しかも最後の9日間は、飲まず食わず眠らずに行をする。当然、中には死ぬ人もいただろうし、これまで、数えるほどしかやった人がいないという厳しいものだ。

 「千日回峰行に臨む行者が、しっかり保険をかけて入山しました。これで何があっても安心です!」なんて生命保険のCMに出て来たらどうしよう?

ネタとしては面白いけど、それって、実際にあったら、ちょっとマヌケっぽいかなー、なんて、ちょっと思ったりしてしまった。

 だってさ。千日回峰行の行者は、短刀と1万円を懐に忍ばせて修行に入るんですよ。(もしかしたらこれ、10年間の1人籠山修行の方だったかも知れないけど)

短刀は、修行を続けられなくなった時に自害するためのもので、1万円は葬式代というわけ。

 「保険」とは、何か大変なことがあったときのための備えだが、行を続けられなくなったときこそが、修行者にとって「何かあったとき」。というわけで、その2つこそが、回峰行者にとっての「保険」なのである。

 だから、今にして思えば、どうりで両者の話が噛み合ないはずだった、、、。

6.

そもそも巡礼ピースサイクリングは、「平和の火」(原爆の残り火)を持って祈り巡ることであって、サイクリング自体が目的ではない。

だから、自転車が壊れたら電車に乗って運んだって良い。

それに修行とはそもそも、自分がする、と決めたことを実践することだ。

だから、“たとえみんなに見捨てられたって、誰にも顧みられなくたって、1人になったって、歩いてだって、這ってだって、オレは「平和の火」を運んで行くのさ”という気概があれば、立派に修行として成立するのである。

7.

 さて、今年は僕自身、ピースサイクリングも担当することにもなり、自分でも自転車で走った。

 それは、誰かがやらなきゃならないことだったし、人を当てにしていては、ものごとは成就しないからね。

 ブッダが「サイの角のようにただ1人歩め」って説いたように、修行は1人だってやるもんだ。

 たとえ自分1人でもアースキャラバンをやる、という人が集まってこその地球巡礼、アースキャラバンなのである。

、、、以上、個人的見解の独り言でした。

 

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