‘旅’

仏式結婚 at ベツレヘムの謎

2017/04/04 Categories:

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<ベツレヘムの街並み>

さて前回のプログで書いた「とっても個人的なことだけど、歴史的な出来事について」述べることにする。

それは今回、イエス様が生まれたパレスチナのベツレヘムで、仏教式の結婚式の司祭を勤めたことだ。

式を行ったのは、キリスト教の人権団体、「ホリーランド・トラスト」というところである。

実は、この件に関しては、いつもの自分からは想像もつかないほど強引だった。

別段、パレスチナのキリスト教の施設で仏教式の結婚式を行うに当たって強引だった、というわけではない。

この物語を創られるプロセス自体が、である。自分的には、ほとんど強制に近いようなものだった気すらするのである。

一体、この物語の真の始まりを、どの時点だと考えることが適切なのかは、わからない。

もしかしたら9年前なのかもわからないし、1昨年の11月なのかも知れない。

 

<物語その1>

とりあえずわかりやすい所から始めることにしよう。

「去年の夏、浄土宗僧侶の教師資格を得る修行に入るため、カナダ在住の日本人タオサンガ・メンバーが京都にやって来た」

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 <カナダの夕暮れ>

彼を迎えたのは、京都センターの面々だった。

そしてその中に、最近、念仏修行に来るようになったEさんがいた。

 

実は、彼女と僕との因縁は、どうやら9年前に遡(さかのぼ)るらしい。

、、、らしい、というのは僕が全く覚えていなかったからだ。

 

彼女によると、僕はその時、彼女が抱えていた霊的な諸問題を解決した、ということだった。

ちょっとここで、誤解のないように述べておきたいのだが、僕は普段、そんな拝み屋さんのような真似をしてはいない。

 

だから最初に聞いた時、それは人違いのではないか、と思った。

(後になってうっすらと記憶が戻って来た。それでも、彼女の帰り際に、”縁がありそうな人だから、道場にくれば良いのにな”と思った、というのを思い出した程度である)

とにかく彼の京都滞在中、仲間内でワイワイとやっていた。その内に、「何だかお互い好意を持っている」的な雰囲気が漂って来た。

それはおそらく、無意識的なものだったのかも知れない、と思う。

 僕としては、その好意が何とか現実的な形で実らないかなぁ、という思うばかりだった。

というのは、1昨年(だったかな)カナダでタオサンガ・ワークショップをやった際、願いを実現するワークというのをやった。

 

その時、彼がグループに語っていた、良いパートナーに出逢いたい、という願いを聞いていたからだ。

ところで僕は、人の願いを1度聞くと、なかなか忘れないという、良いんだか悪いんだかわからない癖がある。

 

実は、30年以上前に、友人の結婚パーティーに来ていた花嫁の友人が、「良い出会いを求めている私に誰か救いの手をください〜」なんて言っていることがあった。

 

僕は未だにそれを憶えていて、あの女性には良い人が見つかったんだろうか?

誰かいないかな、なんて考えることがあるのだ。

 

なので結構、さりげない心配りのようなものを、自分なりに必死にしていた。

それは例えば、僕のCDを欲しがっていた彼女に、彼から渡してもらったり、屋台のおでん屋に二人を呼んだり、道場でデメ野球をやった際、痛みが出てしまった彼女を指圧して、途中から彼に代わってもらい、自分はいつの間にか消えるようにしたり、などである。

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 <アミリタという僕の6枚目のCD>

 

やがて時は来て、彼はカナダに帰って行った。

どうやら、やがてお互い、ほのかにあった好意を伝えあったらしい。(という報告を彼から受けた)

しばらくして師走になり、気を揉んだ僕は彼に伝えた。

 

「カナダに彼女を呼ばないんですか?」

「えっ? いやそれは、、、来て頂けたらありがたいですけど、彼女も忙しそうだし、、、」(←やけに丁寧語だな、と僕的には不満)

 

「何言ってんですか! 呼んだら絶対来ますよ!

このクリスマスに呼ばなきゃダメですよ!。」と、僕はいつになく強引だった。

 

数日後、「で、どうでした?」と聞いたら「来てくれるそうです」との返事。

「ああ、良かったじゃないですかぁ!」

 

さらに数日後、

「で、どこに泊めるんですか?」

「アレックスにセンターに泊めて良いかを聞いたら「イイよ」っていってくれたんで、センターです」

 

実は、僕が強引になったのは、さらにここからである。

「何言っているんですか! ダメすよ。なに言っているんですか。そんなのダメダメ。ちゃんとロマンチックなところを予約しなくちゃ!」

 

数日後、「ナイヤガラのホテルを予約しました」と聞いた。

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僕の強引さはさらにエスカレートした。

「イイですか? 絶対に次のことをやってください。まず、空港には、必ず花束を持って迎えに行くこと。そして、空港で花束を渡して、その場で結婚を申し込むんですよ」

 

「えーっ!? 結婚ですかあ!? いや、だって僕、彼女の手すら握っていないんですよ、、、」

 

いやいや、となぜか僕はひるまなかった。

「それがイイんです。人生はサプライズです。だから空港で驚かすのが良いんです。サプライズ・アタックです」と、わけのわからない強引な論理を展開したのである。

 

理論的には、驚かすと相手はびっくりして頭が空白になり、わけが分からないままその気になるだろう、という考えである。

カップルになりたかったら、遊園地のジェットコースターに乗ったりお化け屋敷に入ると良い、と言われている。

それは、びっくりすると思考が停止するからである。恋愛に思考など余計なだけだ。

 

今から考えると、何であんな強引なことができたんだろう? 

、、、、そう思うから不思議である。

 

霊的云々の件といい、この強引さといい、わけのわからないカップル理論の展開といい、

いつもなら、さりげない行動しかしないのに、今回は、全くイレギュラーなことの連続である。

 

その後、「報告することがあります」というメールをもらった僕は、

その一言で意味を諒解し、「おめでとうございます」と、一言だけ返信した。

 

もっとも、僕が相当強く言った「 空港に必ず花束を持って行くように!」等を、彼がちゃんとしたかどうかの真偽は不明である。

もし、してなかったら許さんぞ! と言いたいところだけど(←大きなお世話)、まあ良いや♩^ ^とにかく成立したんだから。

 

<物語その2>

前回のブログで述べたように、アースキャラバン中東の準備と、パレスチナの飲料水浄化プロジェクトの調査、そしてイスラエル・タオサンガ再建ワークショップのために、3月18日から、イスラエル/パレスチナに向かった。

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その際、水調査など、様々な因縁からその2人も同行することになった。

そして僕の強引さが本領発揮したのは、ここでの出来事だったのだ。

 

まず前回のブログで書いた、「ホリーランド」というキリスト教系人権団体(ベツレヘム/パレスチナ)のサミーに、「仏教式の結婚式をやりたいんだけど、施設貸してくれませんか? でも難しいようだったら、他を探すから気にしないで」とメールした。

キリスト教徒だし、あるいは無理かも知れないな、と思ってはいたのだ。(←この辺は冷静)ところが彼の返事に僕は驚いた。

「聞いた瞬間、僕の顔に笑みが広がりました。僕らの施設で仏式の結婚式をやってくれるなんて、とても名誉なことです」というものだったからだ。

 

これで場所は決まった。

本人たちに伝えたら、Eさんの方は絶句状態。

 

というのは、そもそも結婚なんて、まるで自分の人生計画の中にはなかった彼女だったからである。もしかしたら、誰かと付き合うこと自体、考えていなかったのかも知れない。

 

というのは去年の1月、彼女曰く9年ぶりに僕と再会した際、”日本にいても何も夢はないし、いつか将来、かつてボランティアをしていたアフリカに戻って人生を終える”というような感じの話をしていたからである。

 

そのとき僕は、”アースキャラバン(というかタオサンガ)に関わっていたら、人生変わりますよー”なんて陽気に言っていたのである。(人にそう言うことが時おりあるが、僕にそう言われてタオサンガに来る人は、極めてまれである)

 

Eさんとしては、”まさか、こんなことが自分の人生で起こるなんて、、、!。これは自分なのか? いや、うそ、うそだ。うそだあ! うぅ、どうしよう、どうしよう〜”状態である。

 

内心まるで尻尾に花火をつけられた犬のように、うろたえまくっている。

しかし、人生はドラマティックであるほど良い。

 

サミーは了承し、場所は決まった。よって、この選択からは逃げられない。(←オレは、どこまで強引なんだ)

 

あとは参列者を呼ぶことにした。「仏式結婚をホリーランドでやります。良かったらご参列くださいね。」と現地の知り合いにメールを出したのである。

 

まずパレスチナ側からは、昨年、アースキャラバン中東でお世話になったスライマー女史。

 

彼女は、難民キャンプでの障害のある子供たちや孤児院を案内してくれた。

さらに、子供をイスラエル軍に連れて行かれて返してもらえない、パレスチナのお母さんたちとの交流などをセッティングしてくれたのだ。

 

その上、無償でみんなをベツレヘム観光に連れて行ってくれた。

”それは、ぜひとも祝福に行きたい”との返事。

 

そしてマージン教授。世界各地で講演している人である。

彼からも、「仏式結婚にお招きいただき、名誉に思います」との返事。

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その他、ホリーランドの面々。皆さん、反応は良い。皆さん、優しい、、。

Eさんが、どれほど恥ずかしくてパニックっても、ますます逃げられない状況である。

わはははは。(←と、黄金バットのような笑い)

 

次にイスラエル側からは、MさんとAさんを呼んだ。

二人とも驚いたのなんのって!

 

何せこんなことになるなど、まるで気配がなかったEさんである。

Aさんなどは、気絶した自分の写真を送って来たほどである。(爆笑!)

 

僕は、” Anything could happen in Tao Sangha (どんなことでも起こり得るのだタオサンガだよ〜ん)” と書いて返信。

 

実は、イスラエル人がA地区であるベツレヘムに入るのは違法で、捕まったら約50万円もの罰金を取られる。(だから写真もなく、彼らを匿名にした)

 

<注※>

これはおそらく、両者が交流して仲良くならないための措置だろう。

例えば、第一次世界大戦でもフランス人とドイツ人の兵士たちが部隊レベルで仲良くなったことがあった。

家族に「戦争が終わったらお互い遊びに行く」なんて書いていたので、やがて司令部にばれた。

仲良くなるきっかけは、両軍部隊で共同ミサを行ったためであった。そしてこれを行った従軍牧師は解任され、部隊は遠くの戦線に追いやられた。

いくら役所の決まりごとだと言っても、このような非人間的なことを支持すると、人間性が腐るぞ。

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<実話は後に映画化された>

さて、MさんとAさん二人とも、もちろん参列した。さらに当日、パレスチナ人の人権にいのちをかけているようなイスラエル平和団体のリーダーであるGさんも、友達を連れてやって来てくれた。

2人ともイスラエルの世間からは白眼視されている。それは彼らが、朝鮮半島を支配していた日帝時代、朝鮮独立に手を貸す日本人のようなものだからだ。

しかし、どちらが人間として高貴かは一目瞭然だろう。

さらに写真家ハイサムも、遠くビリン村からやって来てくれた。ハイサムは、イタリアで大きな写真賞を取っている人である。

彼は、イスラエルが不法にパレスチナ人から奪った土地返還の要求デモなどの活動をしている。

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<ハイサムは、めちゃくちゃ人が良い>

 

気恥ずかしさにうろたえ、ほぼパニック状態にあるEさんを尻目に、こうして僕は、仏式結婚をパレスチナで行う企画を強引に進めて行った。

 

だが、妙なことにふと気づいた。

これではまるで自分が、両親を失くした姪か、いとこのために奔走する、親代わりになった親戚のような振る舞いではないかぁ、、、。

 

通常はあり得ないような、ドラマティックなことをやっているつもりで、実は一番自分に不向きな、極めて”世間的な親戚”のような役割を、いつの間にか僕はやっていたのだ。

 

今度は、”「長い間、お世話になりました」(と、まるで父親代わりのように)なんて言われちゃったらどうしよう、うぅ”と、自分がうろたえる番だった。

 

とまあ、そんな自虐的逆パンチの反撃もあったが、不測の事態にうろたえパニックっているEさんに対して、僕はつい自分の趣味に走った。

 

それは、”Eさん、結婚式にNHK呼びましょうよー”とかなんとか言って、冷やかして、からかいまくったことである。

 

僕に今回のことにまつわる何か(”結婚”とかその手の言葉)を言われる度に、両眉毛が「ハの字」状態になったり、顔が引きつったり、パニック反応を起こしてうずくまったりしているEさんを見ては、僕は楽しく笑っていた。

 

”当日まで、ずっとその顔の写真を撮って行って、あとで、写真のペラペラ漫画を作りましょうよ! きっと面白いすよ。”などと言って、さらに笑っていたのだ。(←こうして書くと、まるでいじめっ子である) 

 

それにしても、手元にi-phoneがなく、写真を撮れないのが、残念至極だったなー。

いつもならこういう時、僕を止めにかかる、まゆさんという女性がいるが、

今回に限っていない!

 

したがって僕は、やり放題であった。わっははは!(←あっワリいぞ、お前)

 

このため当然、テルアビブについてからも続行した。

そしたらアビも参加し、一緒になって色々言い出したのだ。

そこで僕は、TEC(Eさん、からかいクラブ=Teasing E-san Clubの略)を結成した。

 

これが面白かったのは、ベツレヘムに行ってサミーと会ったら、彼もクラブに参加したことである。

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<右がサミー。広島原爆の火を届けたところ>

 

サミーは僕よりすごい。「いやーEさん、結婚式は大きなステージでやって、CNNとかBBCとかの世界メディア呼びましょうよ」である。日本NHK負けたぞ、、、。

それにしても、ホリーランドの主宰であり、世界的有名人のサミーが、あんなにノリが良いとは知らなかった。

それに、彼が仏教に惚れ込んでいることも、今回じっくり話し合うことで、初めてわかった。


<物語その3>

とうとう当日になった。いよいよ結婚式である。

本人はパニックを通り越して、すでに表情がなくなり、”ここはどこ? わたしは誰?”状態である。

(これがまた、見ているとますます楽しいのだが、一方ではまるで親戚がやるような自分の行動に、我ながら面食らってもいた)

 

パレスチナ人のサミーとイスラエル人のMさんの2人には、それぞれの付添人の役をやってもらった。

仏式結婚式だから、イスラエル人、パレスチナ人、日本人みんなで念仏を唱えるのだ。

平和の象徴として、ますますドラマティックではないか。ふふふ。

 

では、ここで当日の写真を公開することにしよう。

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祭壇を準備中

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<準備は整った>

 

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<式の開始に木魚を鳴らして宣布>

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 <15名の列席者は、皆、粉のお香をする作法をしてから入堂。>

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 <仏式なのでお華を授けているところ>

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 <この辺は結構、厳粛ムード>

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 <やっと少し顔を上げたぞ>

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<こうして式は終わった>

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<サミーのスピーチが素晴らしかった>

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 <サミーの話を聞き終わって>

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< その後は、ビートルズなどをみんなで歌う>

要するに僕は、結婚式の戒師兼、司会兼、友人代表で音楽する人兼、にわか親戚のおじさんという

わけのわからない、極めてマヌケな役回りなのである。

 

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 みんなで歌っているから、ようやくリラックスして来たのかな?

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 <その後は、乾杯! ランチだけどビールやワインなどを飲みながら。日本から持参の酒も出た>

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ところで、人生をどこまでもドラマティックにするのがタオサンガである。

先ほど僕は、「アースキャラバン(というかタオサンガ)に関わっていたら、人生変わりますよー、なんて陽気に言っていた」と書いた。

 

だって、”幸せになることを願われる所がタオサンガ”だからだ。

だけど人間は、なかなか幸せを選択できない。

 

なぜなら、幸せとエゴは反比例するからだ。

幸せを選択することは、エゴを乗り越えることとイコールなのだ。

 

臨床心理カウンセリングなどで、「自分の嫌な性格を変えるぐらいなら、精神症状が治らなくてもイイ」ということになり、治療を中断することは、ままあることだ。

 

これと同じように、人はタオサンガでも、今までの自分を取るか、より良き未来に生きる自分を取るか、という厳しい選択を迫られることになる。

 

カウンセリングのクライエントと同じように、「自分のエゴに直面して乗り越えるぐらいなら、不幸のままでイイ」と言う人は多い。

 

人がタオサンガの修行を放棄するとしたら、このためである。

今回、物語3まで行くことができたのは、ご本人たちが、それまでの自分を頑固に死守せず、素直に行動できたからだと思う。

 

幸せの願いに対する反応としての「即座の素直な行動」。

法華経ではこれを「質直柔軟」というが、これこそは幸福の種だ。

 

物語その1の時点で、ためらいや素直な行動がなかったら、1の成立もなく、物語その3まではとても行かなかっただろう。

ましてや「仏式結婚をイエス様の生まれたベツレヘムで行う」というドラマは、決して起きなかった。

 

えい子さんと謙知さんの幸せを祈ります。

このブログを読んでくれた人も、同じような気持ちになってくれたら(随喜)、とても嬉しいです。見ず知らずのハイサムの友人たち250人以上も、良いね!と随喜してくれました。

 

キリスト教施設での仏式結婚を快く承諾してくれたサミーに、ホリーランドの面々。

彼らはサプライズでウエディング・ケーキまで用意してくれた。

式後のサミーのスピーチも素晴らしかった。

 

イスラエルの法律を乗り超えてまでお祝いに参列してくれた4人。

マージン教授などは、「妻とあらためて第二の結婚式を、この仏式結婚でしたい!」と言い出し、みんなから拍手喝采を浴びた。

 

皆さんのおかげで、本人的には人生であり得ないはずだったことを、見事えいこさんに「強制(^ ^)」できました。

 

そしておそらく歴史的には初めてだったことであろう、「仏式結婚 at ベツレヘム」を無事に終えることができました。皆さん、本当にありがとう。

 

それから彼女をよくご存知のアースキャラバンやタオサンガの方々には、事後報告になり大変申し訳なく思っています。

 

何せ、ただでさえ本人は気恥ずかしさで顔面蒼白であり、前もって公表すると気絶する可能性があったのです。

気絶している人を飛行機に乗せるのも大変だし、逃げると追っかけるのも面倒なので、まずは実現することを最優先にしました。

 

このブログをもって、お詫びがてら報告させていただきます。

 

<最後に公案を>

さて、物語その4以降はどうなるのだろう?

もしかしたらそれは、本人らが「自分を優先させるか、仏法僧の三宝を優先させるか」の選択によるのかも知れない。

 

どこまで行っても常に選択を迫られるのが人生なのだ。

 

しかし、僕が強引だったのは、物語その3まで。

後のことは、「当局は一切関知しない」(←これ、数年前に映画化された昔のアメリカのテレビドラマ、“ミッション・インポッシブル”のセリフね)

 

本当の物語が始まるのはこれからである。楽なことよりも、むしろ大変なことの方が多いはずだ。そう覚悟しているぐらいの方が良い。

できれば、どこまでもドラマティックに、周りが楽しめる未来を創って頂けると、観客としてはありがたいのだけれど。

 

*Most of Photos  are  taken by  Haitham  (記事のほとんどの写真は、ハイサムの撮影によるもの)

<おまけ>空港に送りに来てくれたマガリ(左)、アビ(右)と

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ヨーロッパ・中東の旅から帰国して(4)

2016/01/25 Categories:

バングラデシュ出発の3日前は、東京の書泉グランデという書店で、ワークショップ&LIVEだった。このため京都から自動車で出発した。

アミナダブ(←バンドの名前)は3人しかいないバンド。なのに使用楽器がいろいろとあり、LIVEしようと思ったら、いろいろな機材を運ばなくてはならない。

というわけで15時には、山のような楽器を神保町にある会場「書泉グランデ」の前に下ろした。

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書泉グランデ

イベント会場は7階。えっちらおっちら、重い楽器を運ぶ。ようするに僕は、ワークショップの講師、LIVE演奏者であり、かつ運び屋もやっているのである。

もしかしたら中には、僕のことを“華やかに多方面で活躍している人”なんて、ちょっと僕にとっては嬉しい誤解をしてくれている人もいるかも知れない。

でも何を隠そう、99%がえっちらおっちら重い楽器を運ぶように地味な、まるで地を這うようなワークの連続なのである。

書泉グランデは趣味人のための大型書店ということで、僕の好きな戦史ものからオタク系のものまで、きめ細かい品揃えをしている。

その上、タオ指圧関連書籍コーナーも作ってくれている。だから僕にしてみたら、実に「ありがとうございます!」という感じなのだ。

 「タオ指圧&氣心道」というDVDがある。5年の歳月と大変な予算をかけて創ったものだ。

実は書泉グランデで、自由価格(買う人が価格を決める)で置いてある。なので、東京の方はよろしければ、ぜひどうぞお立寄り下さい、と思う次第である。

 DVD「タオ指圧&氣心道」予告編 (さて、どんなんでしょう? クリックすると動画に飛びます)

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 ワークショップ。時間は1時間半しかない。元来、タオ関連ワークショップは、10数時間やって深部に至る、というディープなもの。

これを1時間半でやるには、電話帳を素手で断ち割るほどの集中力を必要とする。(やったことないけど、一応まあ想像で)しかもユーモアたっぷりでないと、自分もつまんない。

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<書泉グランデ・ワークショップ会場>

しかもワークショップ終了15分後には、LIVE演奏。先ほどの自分とはまったく違う存在にならなくてはならない。

ひぇー! まるで自分を根っこまでひっぺがして、別の自分を身に纏うような感じ。始めるまで、精神的にはヒィヒィだ。

 終了後、来てくれたアースキャラバンの仲間に楽器の収納を手伝ってもらう。(感謝、TT )書泉グランデの渋谷さんに良い店を教えてもらい、みんなで楽しく摂る遅い夕食。 いや実に安くて良い店でした。渋谷さん、ありがとう!

 翌日からは2日間のタオ指圧クラス(10am-5pm)。土曜日の夜は音楽念仏と法話なので、この日は9pmまで続く。

もっとも9pmからは、海外向けの英語の法話をUstreamで放映する。よって、この日のワークが終了するのは、10pm近く。なので、この日もまた居酒屋で遅い夕食を摂る。(←まったく生活なんて、あってないようなもんだな)

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アミナダブ・アースキャラバンツアー映像(写真はベツレヘム)

火曜日に成田から出発。タイ航空なので、僕の大好きなバンコクに寄港できるのは魅力である。

バングラデシュまで行くと、12万円ぐらいはするのだが今回は違う!タイ航空のマイルが貯まっていたので、燃料代の4万ぐらいで行けるのだ。やった! 正直助かりますねー。

バンコクで数日でも休養できるのがありがたいなー。ふふふ、まさに極楽である。






















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ヨーロッパ・中東の旅から帰国して(3)

2016/01/18 Categories:

京都に帰ったら、もうバングラデシュに向かって出発する日が迫っていた。(←まったく忙しい奴だ)

でも、その前に東京の書店「書泉グランデ」での「ワークショップ&音楽LIVE」がある。さらにその翌日から、東京で2日間のタオ指圧クラスもある。(クラスは、一日中である)

リハーサルを再開し、数日後には楽器をすべて車に積み込み、バンドでアコースティック・ギターを弾く高山ほうきと一緒に、東京に向かって出発した。

 出発と言っても、岐阜と浜松に寄っていくので、すぐに東京に着けるわけではないんだな、これが。

寄ると言っても温泉にでも浸かりに寄るのならサイコーだが、そういうわけでもない。

まずは岐阜に寄って、シモンとミーティング。

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 <彼がなぜシモンというかについては後述>

何のミーティングかと言うと、今僕らは新しいSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を立ち上げようとしている。

既存の文化に属さないカウンターカルチャーなもの。そして、自然農法、平和活動や福祉などを応援するオールタナティブなもの。 

人々が善意を与え合うことを可能とするもの。99%の世界民衆のための世界規模のSNSを目指している。(よって、協力してくれるプログラマーを募集中である)

夢が現実になるまで、もちろん笑う人もいる。これは、僕が今まで繰り返し経験した来たパターンだ。(だから僕は、人が夢を語ったときには絶対に笑わない。そして、夢を笑わない人とだけ、僕は夢を語り合うことにしている)

いずれにしても、現実になったら誰も笑わなくなる。(当たり前だけど)そして、「最初に聞いた時は、まさか本当にそんなことができるのだろうか? と思ったよ」とか言うのだ。

 「みんな大きな夢を持ちたまえ! そして自分の夢を信じたまえ!」(、、、と独り言)

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まあいいや。ところで先ほどのシモンというのは、NPO・アースキャラバンのメンバーだ。僕がつけたニックネームである。(シモンは八画で、字画も良いしね)

聖書に出てくるシモンは、十字架を背負って歩くイエスに水を飲ませた人である。

本名は、「西」が付いている苗字。 なので、「西→西方浄土→さい→さいもん→シモン(SIMONは、サイモンともシモンとも読む)」という訳の分からない流れでついたのだ。

かつて伊藤忠でシステム・エンジニアをやっていたそうだが、ドロップアウトして整体師になり、タオ指圧をやっている。僕のまわりは、なぜかこういう人ばっかりだ。

岐阜ミーティングの後は、浜松に向けて出発。

浜松でアースキャラバンをしたいと言われている、みさとさん、アースキャラバンのパンフレットをデザインされた童規(とうみ)さんと会うためである。

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パンフレットのデザインをした童規(とうみ)さん

浜松ミーティングを終え、ようやく東京に向けて車を走らせた。夜、9時半ごろだったろうか?車の中で、必死にワークショップの内容を考えようとする。

だが、明日は演奏もある。このため、音楽が頭の中を巡りに巡っており、揺れに揺れるので(頭の中が)、ついに途中で諦める、、、。

 深夜に着いた東京。

居酒屋で遅い夕食を摂った。(、、、ような気がするが、忘れてしまった)

 

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ヨーロッパ・中東の旅から帰国して(2)

2016/01/13 Categories:

帰京して5日後には、アースキャラバンのため広島、長崎へと動いた。

かと言って派手なことなど何一つない。

人と会って話を聴く、夢を語る。

 

共有できるもの、相手と共感し合える何かを求めて、

電車に乗り、遠くへ行き、人を待ち、遇い、そしてまた1人になって歩く。

それだけ、だ。

 

中東でやっていることも、日本でやっていることも何一つ変わらない。

日本人だという意識も特にないし、そもそも自分は何か? というアイデンティティが、僕にはあまりない。 

 

正直言って、自分のレッテルを考えただけで、うっとおしいような気がするのだ。

だから本音を言えば、透明にんげんとか、風のような気分でいたいのです。  

 

長崎

広島で2、3日動いた後は長崎に移動。

長崎では、越智さんという、伝説のレインボーコンサートを始めた人に会った。

越智さんとは、原爆の残り火をリヤカーに積んで全国を巡ったという、山田和尚(バウ)さんの「偲ぶ会」で知り合った。

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<山田和尚=バウさん>

 

 越智さんは、浄土真宗の僧侶をしていた時期もあるということで、何だか気が合うように感じて、また会いたいと思っていたのだ。

 僕が長崎に行ったちょうどその日、越智さんはデニスバンクスというアメリカインディアンの活動家の長崎イベントをオルガナイズしていた。

そこに行った僕は、デニスと25年ぶりぐらいで会った。

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 <デニスの長崎イベント>

 

そのときに、ぼんやりと思い出した。

あれは25年ぐらい前のことだったと思う。

 

デニスはアメリカを横断するサークレッドランというイベントを企画していた。

僕はそれにミュージシャンとして参加するという話があって、参加呼びかけの集まりに行ったのだった。

 

それでここからが面白い。(←自分的にはね)

実はアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」は、サークレッド・ランにミュージシャンとして参加した際、テーマ曲にしようと思って創った曲だったからだ。https://www.youtube.com/watch?v=EiXX-bWemRw  

 

理由は忘れたが、結局いろいろあって、サークレッドランへの参加はしなかった。

だから歌詞はできなかったが、曲は残った。

そして、アースキャラバンのテーマ曲として復活したのだった。

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<18カ国のミュージシャンが16言語で歌うCD『SHARE!』>

 

歌詞を書いたのは、2014年の夏だからずいぶんたってからの話だな。

それは、ガザ空爆で足を失ったパレスチナ人の子どもを見舞ったことがきっかけだった。

http://www.earthcaravan.jp/share_lnotes.html

歌詞ができた時、これはアースキャラバンのテーマ曲として復活させようと思いたったのだ。

、、、ふとそんなことを思い出した長崎のデニス・イベントだった。

 

<追記>

上の写真の左側に映っている山田圓尚さんは、デニスと行動を共にしている人で、比叡山で僧侶をやっていたという。

LJという雑誌に僕のインタビューが掲載された時、彼のインタビューも同時掲載されいて、それで知っていた。

アースキャラバンの話をしたら、すでにご存知とのこと。

あらためてまた会うことを約して別れたが、何か一緒にできたら良いな。

 

、、、その翌日、僕は、越智さんの家に厄介になった。

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ーそれでも希望は捨てないー中東活動記ー

2015/12/05 Categories:

パレスチナ西岸地区、ヘブロンの劇場でのイベント終了後、以前から知り合いのアリという人に、最近事件があった病院に連れて行ってもらった。

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<左がアリ。右が事件現場に居合わせた看護師>

 

その事件というのは、何ともやり切れない話である。

イスラエルの武装警察20人が、変装してヘブロンの病院に潜入した。入院していた反イスラエル政府活動の容疑者を拘束しに行ったのである。

(もちろんイスラエルのTVなどのマスコミは、その人物を「テロリスト」と表現していた)

 

ここで理解して頂きたいのは、戦前は日本でも共産主義者を赤狩りして刑務所に入れた。

対ナチのレジスタンスも、テロリストとして刑務所に入れられていたのである。

その反イスラエル政府活動家を拘束しに行って、けが人を守ろうと止めに入った民間人のいとこを含めて2人を射殺した。(これって、イスラエルによるテロではないのか?)

案内されて行った病室の天井には、血しぶきの跡まであった。さらにそれは、同室の14才の少年の目の前で行われたのである。

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<病院の中>

現場に居合わせた看護師からも詳しい話を聞いた我々は病院を後にした。

やり切れない想いが残った。僕はしばらくの間、笑えなかったし、口をきくのも億劫だった。

 

それでもパレスチナ人たちは希望を失わず、未来に希望をつないで生きている。

世界の人々が現実を知り、声を上げてくれる日を待っている。

そして、私たち海外から来た人間を精一杯歓迎してくれる。

 

だから僕も目をそむけてはいけないと思う。

そして世界で最も人権がないがしろにされている場所の1つであるこの地を、平和な場所にするという夢を捨ててはいけないと思う。

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<地中海>

 

今日は最後の活動日だった。

朝、まずはパレスチナのラマラでニッキーさん、れいなさんと別れ、

エルサレムまで戻る。

エルサレムまではマガリが迎えに来てくれた。

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<マガリ>

 

今日も、ハードスケジュール。なにせテルアヴィブで、ミーティングが7つも入っているのだ。

1人目は、軍事行為やテロで子どもを失くしたイスラエル人/パレスチナ人の親の会の会長。近く大本教の招きで、日本に行くという話だった。

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<女性反戦グループとのミーティング>

2つ目は、あれ? 何だったけ?

とにかく、次から次へとミーティングだった。

途中、映画監督のガイ・ダビディとも会った。

「五つの壊れたカメラ」という、ビリン村のパレスチナの平和的抵抗運動を描いたドキュメンタリー作品でオスカー賞にノミネートされ、ハリウッドまで行って来た人である。

TIMEというアメリカの雑誌の表紙にまでなっていたが、イスラエルでは妨害を受け、その後は大変らしく、とうとうニューヨークに引っ越すことにしたという。

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<映画監督のガイ>

 そして夕方には、女性運動家たちともミーティングしたが、こちらはテルアビブでやるアースキャラバン・イベントに関心を持ってくれた。

さらに引き続き、ミーティングを行い、具体的な話を詰めていくことになった。

 最後は、タオサンガ・ミーティング。まずは定期的に修行の会を行っていくことになった。

どうやらアヴィとエリシェバは、日本に来てしばらく(1年とか)修行したいらしい。

ああ日本に、タオサンガ・ビレッジができていたらな、と思う。

できるはずだったリトリート・センターを、やっぱり創らなくては、、、。

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<タオサンガ中東・再建メンバー/みんなハッピーそうだ。それにしても、不思議なものである。タオサンガをやめてしまう日本人がいるかと思うと、”来世でも良いから”と何年も待っていたイスラエル人がいるのだから>

 

、、、すべてのスケジュールが終わったのは21時半。出発は朝6時だから、朝3時には空港に行かなくてはならない。、、、となると夜中の1時起きかぁ。(←寝る時間じゃないか)

 

以前に比べたら出入りはスムーズになったものの、テルアビブの空港に行くには、まだ相当の緊張が残る。マガリは、朝2時に迎えに来てくれる、とのこと。

 

ホテルでなくゲストハウスなので、チェックアウトするにはややこしいものがあった。

(「誰もいなくなってしまうので、1度出たら忘れ物があっても戻れないよ」と言われた)

それでも1、2時間うっすらと寝た後、なんとか暗い宿を後にした。

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ヘブロンの劇場でライブ演奏

2015/11/19 Categories: 未分類

11月15日夜

 オマールの家からの帰り道、イスラエル占領軍の検問所を通る。パスポートを出せと兵士が言い、運転手のジョセフが焦って「出して!」と怒鳴るように言う。

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<写真はネットからのイメージ>*検問所で写真を撮って、ややこしいことになったことが2回ほどあるので。

ムリもない。先日、カバンの中身を見せなかっただけで、17才の女の子が射殺されている。 毎日2人ずつ殺されている、という。すべて近所と言って良いほど、この狭い地域で。

イスラエル政府は高さ8メートルの壁を各地に延々と建てている。そして、イスラエル占領軍による検問所を設け、パレスチナ人の生活全般を困難にしている。

何のために? テロリストを発見逮捕するためという名目。だが、違う。パレスチナ人の生活を困難にするために、だ。(その意図に世界の問題が凝縮されている)

これでは石の1つもぶつけてやりたくなるのはムリもない。しかしその報復は逮捕拘留、催涙弾。最近は耐え切れず、中にはナイフで向かっていく人も出て来たというが、結果射殺される。

一体、誰のせいなのか。本当の敵は誰なのか? 人間の目覚めが待たれる。

11月16日

エルサレムを出発し、ベツレヘムに向かう。ベツレヘム・フェスティバルを主催するホリーランドトラストというキリスト教系の人権団体の実行委員会とミーティングするためだ。

意外だったのが、エリヤスたちが超日本大好きだったことだ。

来年のベツレヘム・フェスでは、大きな日本コーナーを設けて日本文化を紹介したい、と。

 どんなもの? と聞いたら「指圧、着物、お茶、サムライ、寿司(かっぱ巻とか)とのこと。

 なんとサイードは、マントラ瞑想をやりたいとまで言い出した。うん、それなら念仏ヒーリングをやろう。

8月6日は、広島原爆慰霊祭をやろうよ、異宗教合同で。いろんな国の大使も呼ぼう、と話はどんどん盛り上がる。着物を来たくてたまらないというララは、すでに興奮気味であった。

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 <今回、サミーは海外だかどこかに行っているので、エリヤス、ララ、サイードと。日本女性は増山麗奈さん>

次のミーティングは、ベツレヘム大学のマージン教授とである。マージンは、世界中で講演していて、日本にも呼ばれて広島と長崎でも講演している。また奥さんは満州人で、アメリカの大学留学中に知り合った、という。

 パレスチナの環境教育のために特別なガーデンを造っており、案内してくれたのだが、しばらく歩いている内に目がチカチカし、吐き気もして気分が悪くなった。

 何年か前、ビリン村の非暴力抵抗運動のデモに参加し、イスラエル兵の放つ催涙弾を浴びた時の感覚に似ている。マージン教授も、「ダメだこれは、室内に入ろう」と促した。

 中で話を聞いたら、イスラエル兵が住宅地に催涙弾を蒔いている、とのこと。イスラエル軍がパレスチナ人に対して化学物質の入った黄色い液体を放射しているのは知っていたが、催涙弾の中身の物質まで蒔いているというのは知らなかった。

 他のパレスチナ人は、「これに耐えたら健康に良いよ」なんて冗談を飛ばしていたが、そうでも思わなければやってられないだろう。子供達はどうなるんだ!?

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 奥さんがお昼を買いに行ってくれたが、数分で行けるところなのにいつまでも帰れない。途中で尋問にあった車があって渋滞したり、検問所があったりと、まったく日々の生活が脅かされている。

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 武器を持たないパレスチナ人と、機関銃を持って武装しているイスラエル兵(そして入植者たち)。

 「テロリストだ!」とニュースで流されている被害者と、「パレスチナ人はテロリストだ」と教育&マスコミによって思い込まされ、すっかりその氣になっているイスラエル兵。(そして世界の人たち)

 日本人だって、つい70年前まではほとんどの人が「鬼畜米英」を本気で信じていただろうけど、、、。教育とマスコミによる洗脳は恐ろしい。

 

11月17日

朝、オマールと2ミーティング。

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来るなりショッキングなことを聞く。彼の近所に住んでいる友人が、昨夜イスラエル軍に殺されたという。明るくてとっても良い奴だった。イスラエル当局に、抵抗運動によって投獄されている友人と通じていると疑われた。

そしてイスラエル軍の一個小隊が、家族の自宅を夜中に襲い、家中をめちゃくちゃにしに来た。それを止めようと、近所の人が一丸となって守ろうとしたが、友人を含めて2人が殺され、11人が重軽傷を負った、という。

それから、いろいろと突っ込んだ話をした。

その後、来年のプログラムについて、アースキャラバンについていろんなアイデアを出し合った。

別れ際には、2人とも泣きそうになり、お互い泣き顔がばれないように顔をそむけ合った。

その後、現在危険地域と言われ、日本大使館にも来ないように言われている、というヘブロンへ向かう。(イスラエル兵が1500人展開しているという話もあった)

しかし、実際に来てみたら何ということはない。日々の生活を営む、世界のどこにでもいる普通の人々がいるだけだ。

僕はパレスチナで恐ろしい思いをしたことはない。それどころか、皆人懐っこく、気前が良く、お茶をごちそうになったりする。むしろ恐ろしいのはイスラエル兵であって、パレスチナ人ではない。

そしてイスラエル兵は、こちらが普通のことをしている限り、外国人に手を出すことはない。(また、外国人が近くにいれば、イスラエル兵によるパレスチナ人への暴力が減るそうだ)

要するに、パレスチナは安全なのである。

パレスチナ人はテロリストというのは、マスコミが流しているデマなのである。原発の放射能が安全だ、健康被害などない、というのと同じように。

いやむしろ、欧米や日本よりもよほど人々に温かみがあって居心地が良い。これは現地に行った誰もが感じることである。

何と言っても、パレスチナで観光客が死んだことは一度もないのだ。(これはパレスチナ観光庁のお役人が言っていたそうだ)

 

ヘブロン LIVE

 今回のイベント会場は、 夏にアースキャラバンで来たとき、8月6日に広島原爆をテーマにした芝居をやった劇場である。

 どうやって知ったのかわからないが、エルサレムにいた時にメールをもらい、広島原爆の残り火を持って、芝居の後に挨拶したのだった。

 その縁で、今回のイベントを取りもった。

劇場では、まずLIVE演奏した。パレスチナの人たちはノリが良いので、ライブは凄く盛り上がった。

 そしてニッキーさんのソロ演奏(これも大盛り上がり)のあと、2人でアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」 を、Be Free Parestine !(パレスチナに自由を!)という歌詞で、みんなで歌った。

 その後、麗奈さんがプロデュースした映画、「サダコの鶴」(SADAKO’s CRANE)を上映。

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 イベント終了後に後片付けをしていると、「ぜひお話ししたい」とやって来た女性がいた。何でも、ムスリムだけど仏教の大ファンで、内なる平和のために瞑想なりマントラを学びたい、と。バングラデシュに留学していたこともあり、その時にヨガも習ったと言う。

来年に、ベツレヘムでワークショップをやるから、と伝え、その後はメールでやり取りしましょう、ということになった。どうやらパレスチナにも仏教ブームがやって来そうな感じである。

***

ところで 2003年、第一回目のタオ指圧世界大会を2週間に亘ってタイでやった。120人ぐらい参加者がいたが、4人のパレスチナ人を招待した。ヘブロン在住のアクラムもその内の1人で、その後も交流は続いていた。

 今回、連絡したら、スエーデンにいるということで、代わりにアリという友人が来てくれた。彼に頼んで、1週間前にあった衝撃的な事件が起きた病院に連れて行ってもらった。その事件とは、、、。(続く)















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テルアビブからエルサレムへ

2015/11/16 Categories:

11月12日

テルアビブではワークショップがあるにも関わらず、アースキャラバンの準備を怠るわけにはいかなかった。

前日も、イスラエル人平和活動家のアダムケリー(グッシュ・シャロームという平和団体)とミーティング。

実を言うと、こうした活動家とのミーティングというのはそんなに楽な仕事ではない。

まずは礼儀として彼らの活動についての話を聞き、その後アースキャラバンとの接点を探す。だが、その彼らの話がいつも果てしなく長く続くのである。

へたをすれば話を聞くだけで終わりそうになるぐらい。

そこで、お互いに協力し合えるポイントを探すように、話を持って行くのに必死になる。つまりは、超人的な集中力と忍耐を必要とするのである。

そうしたミーティングを終え、その後は、タマールの旦那さんとも合流して夕食に行く。(ごちそうしてくれた彼の心遣いがありがたかった)

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 (左から、ノアム、タマル、マガリ、ニッキーさん)

思えば、パレスチナの現実をまだ何も知らない頃、毎年来ていたイスラエルのワークショップには50人から80人もの参加者がいた。

僕といえば、地中海ビーチの前の4つ星ホテルに泊まり、美味しいものを食べ、リゾートまで楽しんでいた。

でも真実を知ってしまった今、もう前と同じようにはできない。

なるべく安い宿に泊まり、主に時間は活動家たちとのミーティングに費やし、この占領をどうやって終わらせるかについて話し合う。テルアビブのビーチでリゾートなど遠い夢の話である。

そしてもちろん、今の方が、生きているという確かな実感がある。

11月13日

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<もう2度とイスラエルでワークショップすることはない、と思っていたが>

朝9時から5時まで続いた1日目のワークショップが終わり、マガリたちと夕食を取り終わった頃、突然ニッキーさんから電話が入る。

なんでも、イスラエルのサイエントロジーの知り合いにアースキャラバンの話をしたら、ぜひ会いたいと言っているとのこと。

アースキャラバンの未来につながるわずかな可能性でもあれば行動するという主義なので、早速マガリと一緒に彼らのいるところに向かう、、、。


11月14日

ワークショップ2日目が終わる。

実を言うと、中東でのワークショップなんて、悪夢のように大変になることを覚悟していた。

それは、かつて9年間に亘り、毎年イスラエルでワークショップやって来た経験からだ。(今年アースキャラバンでやった、イスラエル人パレスチナ人合同のワークショップもちょっと大変だったしなぁ、、、)

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ところが、だ。

最初からタイトルを堂々と「氣の悟り ー願いを実現するタオ指圧&念仏ワークショップ」にしたせいだろうか? これがまた、信じられないほどスムーズに行ったのである!

もっとも、参加者のほとんどが身体に痛みを抱えており、次から次へとデモンストレーションで症状を取っていかなければならなかったのではあるけれど、、、。

それでも、そのかいはあった。

中東のタオサンガが復活することになった、という確かな手応えがあった。

ワークショップ参加者の氣の悟り体験は、深いものになり、これから続けて修行して行く人たちが生まれたのだ。(このワークショップの結果は、東京の時よりもよほど良かったのではないか!? )

願わくばこのイスラエル人たちが、占領され苦しんでいるパレスチナ人のために立ち上がって欲しい。そう心から願うばかりだ。

15日

日本を出て以来、2時や3時に起きてしまう。(このところ肩の痛みがあるせいかどうかはわからないが)今日は4時半だったので少し良くなってきたかな。

もっとも、10時ごろには寝てしまっているので、案外、健康的ということかも知れない。

テルアビブのゲストハウスを出て、エルサレムに向かう。

それにしても、毎度のことながらアラブ側に来るとホッとして気持ちがくつろぐのが不思議、、、。

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エルサレムではニッキーさん、麗奈さんと合流。11時には、ニッキーさんがセットしてくれた南アフリカ出身でパレスチナ在住のイギリス人活動家と会った。(やはりちょっと話が長かったけど、、、)

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夕方は、サビールというキリスト教系の人権団体のオマールの家に招かれミーティング。オマールは、今年のアースキャラバンでも世話になった。

オマール夫妻は、凄いきれいなマンションに住んでおり、パレスチナの美味しいビールと手間ひまかけたアラブ料理で、われわれをもてなしてくれた。

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オマールは、来年のアースキャラバンのプログラムについて、彼なりにいろいろと考えてくれていた。

例えば、「エルサレム旧市街の城壁を、人間の鎖で取り囲もう。広島原爆の残り火を灯したキャンドルナイトで!」という案。

また「海外参加者、イスラエル人、パレスチナ人で一緒に、深夜に村々を巡礼して歩こう!」などの僕がまさに願っていたようなことを言い出してくれて驚いた。

そしてオマールは、パレスチナ側の実行委員長になってくれることになった。シュクラン(ありがとう)! オマール。

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ヨーロッパから中東へーアリスとタマールー

2015/11/12 Categories: 未分類
洗濯物までしてくれた(涙)オーストリア人の霊感女性アリスが中東に向かう僕を空港まで送ってくれた。
 
アリスは医者でタオ指圧をやっている念仏行者。霊感が強いので、その体験話はとても興味深い。(和田寺タオサンガ発行の「寺がーる」というフリペにインタビュー記事が連載されているので、興味のある人は読んで下さい)
 
世界の裏で操っている勢力の正体について僕が講義(今回のウィーンの)で言わなかったことが何であるかまで言い当て、かつ内容を理解していたのには驚いた。
 
この柔軟さ、ノリの良さ。アリスが僕と一番気が合うのは、何と言っても彼女がチャトランガ大好き人間のところである。
 
アリス
 
 
さて空港に着いたら、以前あった、テルアビブ行きの飛行機の乗客全員に面接尋問というのがなかったので驚いた。
パレスチナの外交官も言っていたそうだけど、イスラエルは評判の悪かった入国の際の鉄壁の構えを緩めたようだ。
 
テルアビブの入国審査でも「どこでワークショップするのか?」、とか「あなた坊さん? そう見えないけどね」と言われたぐらいで、あっさり通された。
 
迎えに来てくれたのは、イスラエルのタオサンガメンバーのタマールである。
 
 (タマールの写真は取り忘れたので、後で追加掲載します)
 
タマールとアリスには微妙に共通点がある。
 
3人の子持ち、旦那は弁護士言わばエリート。(アリスの旦那は医者) 
 
タマールは、大学で数学を教えているぐらいだから、きっとアリスと同じように子供の頃から優等生だったのだろう。
(関係ないけど僕は名誉ある高校中退)
 
そして2人とも念仏には熱心だ。
 
僕はアリスには人生への憂いを、タマールには悲しさを感じる。
 
どちらも霊性の土壌となる大切な肥料である。
 
心が飢えている自分に気づいてこそ、人は物質を超えた世界を求め修行する。
 
いや逆かぁ。
物質を超えた浄土世界を予感するからこそ、人として生きることへの憂いや悲しみをより多く感じるのだ。

 

 

 

 

 

 

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東京→ウィーン、そして中東へ

2015/11/11 Categories: 未分類

東京で、「氣の悟りータオ指圧&念仏・願望実現ワークショップー」というタイトルのものをやった後、翌日成田に向かいウィーンへ。

こんなテーマでワークショップをやるなど初めてのことなので、始まる前はとっても緊張した。

実は、氣と経絡で症状を取る、というのは願望実現と同じ宇宙のメカニズムが「働いている。それから念仏修行は、願望実現を可能とする気と心を創っているようなもの。

 

それで、タオ指圧&念仏ワークショップというタイトルになったわけ。

「氣の悟り」という副題がついているのは、「そんな、まさか、、、」と思われてしまうので、ちょっと言葉で説明が長くなるので省略。

 

簡単に言えば、実は「悟りというのがどんな素晴らしい体感のものであるかを、誰でもその場で実際に体験できてしまう」メソッドを発見したからなんだけど、、、。(これまでこんな表現は避けていたんだけど、最近はまあいっかという気になったので言ってしまった。へへへ、^ ^;)

 

そんなのをやって、最後はその場で痛みの症状がある3人ほどの人の施術デモンストレーション。数分で「痛みが取れた!」というのを観てもらって、終わりである。

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で、性懲りもなく、ウィーンでも同じテーマで行った。金曜日の夜と土日は一日中である。それでめっちゃ驚いたのは、念仏体験が初めての人が数名いたのにも関わらず(参加者は30人ほど)、全員がとても高度な仏教的体感をその場で体験したからである。

 

ああこれは新しい時代が来たんだな、と思った。

 

そしてここが本当に面白いところなんだけど、僕が教える内容は、最初は西洋人の方が受け入れ易いのである。(表面か深いかは別として)きっと過去の仏教のイメージにとらわれないで済むからだろうなあ。

 

ところで今日から中東。テルアビブでワークショップをやった後、来年のアースキャラバンの準備のためにパレスチナ各地も回る。

 

ヘブロンにも行くことになっているけど、イスラエル軍による主要道路封鎖の可能性もあるかも、とのことで、その場合はえらく時間がかかることになるらしい。

大使館も、今の時期旅行はおススメしない、とのこと。まあそれは来月に行くことになっているバングラデシュだってそうだろう。

 

パレスチナから送られて来る記事で、毎日のように各地で出ている負傷者や死者がいることを知っている。

 

だから、イスラエルのネタニヤフ首相と会談しているオバマ大統がマスコミを通じて一方的に語る、パレスチナ側への一方的な非難を聞くと、まるで与太話だったり作り話に聴こえる。(ノーベル平和賞もらったんだから、ちっとは仕事して欲しい)


もちろん、この目で見ても、あきれるほどそうなんだけどな。

とにかく、ああなんかまた行くことになっちゃった、、、。

 

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アースキャラバン・テーマ曲”SHARE!”のCD制作にまつわる話

2015/08/27 Categories: 未分類

アースキャラバン準備・テーマ曲篇

あとで振り返ると、「一体、どうしてこんなことができたんだろう?」と思うようなことが、アースキャラバンの準備中によく起こった。

例えば、テーマ曲のCD。

テーマソングがあった方が良いだろう、ということになった。

それで、誰に歌ってもらおうか? と考えていた。そしたら何となく、世界各地の音楽家たちに歌ってもらおう、という話になった。

当てなど全くない。

しかも基本、手弁当やってもらおう、という考え。

にもかかわらず、1、2ヶ月の内にやっちゃおう、と安易に考えてからが、まあ大変。

曲そのものは、以前からできていたが、歌詞は、昨年夏にパレスチナで、イスラエル軍の爆撃で足を失った少年を前にした時の体験をもとに書いた。(話はライナーノートになっている。興味のある方は→ http://www.earthcaravan.jp/share_lnotes.html )

 

中東での準備から帰って来て9月も中旬を過ぎてから、CD作成の準備を始めた。

まずはサンプルを作ろうということで、スタジオでレコーディングした。あとはもう死に物狂いだった。

 

何せCD作成が終わらないことには、広島で動けないのだ。

中東のイベント準備も、手がかりがまったくないところから始めたが、その時点では広島でイベントやる可能性などないに等しかった。

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アースキャラバンに、「広島からエルサレムまで」という副題をつけてはみたものの、最初はどちらも当てなどなかったのだ。

 無謀といえば無謀だが、それはテーマ曲のCDを創るというプロジェクトだって、まったく同じだったのだ。

振り返ってみれば、18か国の音源が集まっていく過程の1つ1つには、物語があった。

 

カミーロとの出会い 

例えば、台湾、、、。

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<カナダ在住のカミーロは台湾出身>

2年と少し前、トロントのタオサンガ・センターのオープニングで出かけたことがあった。

 

セレモニーの合間に控え室で休んでいた時だ。突然、部屋を尋ねて来た人がいた。

モンテリオール在住で台湾出身のカミーロという人だった。

 

タオ指圧を学び、センターで念仏修行もしているようだったが、僕は会うのは初めてだった。

 

カミーロは青黒く深刻な顔で、「悩んでいることがあります。」と話し始めた。悲痛な声だった。

、、、「数年前にモンテリオールの漢方医に”あなたの耳の形では長生きできない。あと数年前だろう”と言われたのです、、、。

 

その時は、聞き飛ばしたのですが、最近、夜眠れないようになり、何だか体調も悪くなって来ました。」さらに話は続いた。

 

「やがて僕は、彼の言う通り自分が死ぬのではないかと思い始めました。今は毎日、心身ともに苦しくて苦しくて仕方がありません。僕は一体どうなってしまったのでしょう? 彼の言う通りの状態になって来てしまいました。僕は死ぬんでしょうか。」と訴え始めた。

 

僕は、いろいろと話を聞いた上で、自分の直感に耳を澄ました。

、、、やがて僕の直感は、彼が死なないことを告げた。

 

しかし万が一、ということもある。

実は僕も、自分が口を開く前に一瞬考えた。その人の言ったことが万が一本当なら、どうしよう?、と。

 

最悪の場合のことだって、考えておかなくてはならない。

僕には覚悟を決めておく必要があった。

 

僕は腹を決めた。もし彼が本格的に病気になった時は、僕はモンテリオールに行こう。そして彼が治るまで彼の家に泊まり込んで、ずっと治療しよう。最悪の場合だって、僕は責任を持とう、と。

 

その上で彼に伝えた。「あなたは死なない。病気にもならない。僕が絶対の保証をする。」、と。

 

すると彼は、泣き出した。「ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、」、と。嗚咽する彼の背中を僕はずっとさすっていた。

カミーロはしばらくすると、「すっかり気持ちが楽になりました」と微笑んだ。そして、部屋を後にした。

 

その後、「夜も眠れるようになり、すっかり体調も良くなりました」とメールをくれた。

 

、、、1年後、そのカミーロに僕は相談した。アースキャラバンのテーマ曲を歌ってくれる台湾のミュージシャンを知らないか、と。

 

そしていろんなやり取りのあげく、彼の子どもの頃の同級生に、グロリアという中学校の音楽の先生がいること。

 

またそこの合唱部は、コンクールに優勝するような子供達であることなどがわかった。

 

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<左がグロリア、右が台湾在住のともこさん>

さらに、ちょうどその頃、タオサンガのまさとさん&まひろさんカップルが台湾に行くことにもなっていた。

 

それで、カミーロには歌詞を英語から中国語に翻訳してもらい(もともと歌詞は英語で作っていた)、急遽、そこの子供達に歌ってもらうのを、まさとさんたちに録音してもらうことになった。

 

台湾には、それに合わせてカミーロも行くことになった。

僕は、彼のその心意気に応じななかったら、かっこ悪いな、と思った。

それで僕も台湾に行くことになったのである。飛行機を予約したのは、前々日だった。 

 

台湾では、後ですっごくお世話になることになる、ともこさんと出会ったりなど、いろいろ素晴らしいことがあった。

 しかし台湾のホテルでも、僕は何時間パソコンの前で過ごしていたかわからない。それは、ただひたすらいろんな国へ、テーマ曲の録音と録画依頼のやり取りをしていたのである。、、、

延々と朝早くから、深夜も尚。何時間も何時間も続いた。(そして何日も何日も)

歌ってくれた台湾の子供達の動画。

http://www.earthcaravan.jp/share01.html

<続きは、「アースキャラバンのテーマ曲に、いかにワンダのバージョンが入ったか?」>

追記:.SHARE! のアルバムは、ほとんどがプロのミュージシャンたちの手によって本格的にレコーディングしたもの。

台湾など、そうでないところもあったが、それはそれでとても素朴な良さがあった。最終的には誰に対しても、自信を持ってお勧めすることができる、クオリティーの高いCD作品になったと思う。

e0401_01cd

興味のある方はこちらだが、映像は素人の方が歌っているもの。プロが演奏しているのはCDの方なので、ご注意を!

    ↓

http://www.earthcaravan.jp/share_cd.html

 

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