‘旅’

ヨーロッパ・中東の旅から帰国して(4)

2016/01/25 Categories:

バングラデシュ出発の3日前は、東京の書泉グランデという書店で、ワークショップ&LIVEだった。このため京都から自動車で出発した。

アミナダブ(←バンドの名前)は3人しかいないバンド。なのに使用楽器がいろいろとあり、LIVEしようと思ったら、いろいろな機材を運ばなくてはならない。

というわけで15時には、山のような楽器を神保町にある会場「書泉グランデ」の前に下ろした。

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書泉グランデ

イベント会場は7階。えっちらおっちら、重い楽器を運ぶ。ようするに僕は、ワークショップの講師、LIVE演奏者であり、かつ運び屋もやっているのである。

もしかしたら中には、僕のことを“華やかに多方面で活躍している人”なんて、ちょっと僕にとっては嬉しい誤解をしてくれている人もいるかも知れない。

でも何を隠そう、99%がえっちらおっちら重い楽器を運ぶように地味な、まるで地を這うようなワークの連続なのである。

書泉グランデは趣味人のための大型書店ということで、僕の好きな戦史ものからオタク系のものまで、きめ細かい品揃えをしている。

その上、タオ指圧関連書籍コーナーも作ってくれている。だから僕にしてみたら、実に「ありがとうございます!」という感じなのだ。

 「タオ指圧&氣心道」というDVDがある。5年の歳月と大変な予算をかけて創ったものだ。

実は書泉グランデで、自由価格(買う人が価格を決める)で置いてある。なので、東京の方はよろしければ、ぜひどうぞお立寄り下さい、と思う次第である。

 DVD「タオ指圧&氣心道」予告編 (さて、どんなんでしょう? クリックすると動画に飛びます)

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 ワークショップ。時間は1時間半しかない。元来、タオ関連ワークショップは、10数時間やって深部に至る、というディープなもの。

これを1時間半でやるには、電話帳を素手で断ち割るほどの集中力を必要とする。(やったことないけど、一応まあ想像で)しかもユーモアたっぷりでないと、自分もつまんない。

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<書泉グランデ・ワークショップ会場>

しかもワークショップ終了15分後には、LIVE演奏。先ほどの自分とはまったく違う存在にならなくてはならない。

ひぇー! まるで自分を根っこまでひっぺがして、別の自分を身に纏うような感じ。始めるまで、精神的にはヒィヒィだ。

 終了後、来てくれたアースキャラバンの仲間に楽器の収納を手伝ってもらう。(感謝、TT )書泉グランデの渋谷さんに良い店を教えてもらい、みんなで楽しく摂る遅い夕食。 いや実に安くて良い店でした。渋谷さん、ありがとう!

 翌日からは2日間のタオ指圧クラス(10am-5pm)。土曜日の夜は音楽念仏と法話なので、この日は9pmまで続く。

もっとも9pmからは、海外向けの英語の法話をUstreamで放映する。よって、この日のワークが終了するのは、10pm近く。なので、この日もまた居酒屋で遅い夕食を摂る。(←まったく生活なんて、あってないようなもんだな)

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アミナダブ・アースキャラバンツアー映像(写真はベツレヘム)

火曜日に成田から出発。タイ航空なので、僕の大好きなバンコクに寄港できるのは魅力である。

バングラデシュまで行くと、12万円ぐらいはするのだが今回は違う!タイ航空のマイルが貯まっていたので、燃料代の4万ぐらいで行けるのだ。やった! 正直助かりますねー。

バンコクで数日でも休養できるのがありがたいなー。ふふふ、まさに極楽である。






















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ヨーロッパ・中東の旅から帰国して(3)

2016/01/18 Categories:

京都に帰ったら、もうバングラデシュに向かって出発する日が迫っていた。(←まったく忙しい奴だ)

でも、その前に東京の書店「書泉グランデ」での「ワークショップ&音楽LIVE」がある。さらにその翌日から、東京で2日間のタオ指圧クラスもある。(クラスは、一日中である)

リハーサルを再開し、数日後には楽器をすべて車に積み込み、バンドでアコースティック・ギターを弾く高山ほうきと一緒に、東京に向かって出発した。

 出発と言っても、岐阜と浜松に寄っていくので、すぐに東京に着けるわけではないんだな、これが。

寄ると言っても温泉にでも浸かりに寄るのならサイコーだが、そういうわけでもない。

まずは岐阜に寄って、シモンとミーティング。

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 <彼がなぜシモンというかについては後述>

何のミーティングかと言うと、今僕らは新しいSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を立ち上げようとしている。

既存の文化に属さないカウンターカルチャーなもの。そして、自然農法、平和活動や福祉などを応援するオールタナティブなもの。 

人々が善意を与え合うことを可能とするもの。99%の世界民衆のための世界規模のSNSを目指している。(よって、協力してくれるプログラマーを募集中である)

夢が現実になるまで、もちろん笑う人もいる。これは、僕が今まで繰り返し経験した来たパターンだ。(だから僕は、人が夢を語ったときには絶対に笑わない。そして、夢を笑わない人とだけ、僕は夢を語り合うことにしている)

いずれにしても、現実になったら誰も笑わなくなる。(当たり前だけど)そして、「最初に聞いた時は、まさか本当にそんなことができるのだろうか? と思ったよ」とか言うのだ。

 「みんな大きな夢を持ちたまえ! そして自分の夢を信じたまえ!」(、、、と独り言)

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まあいいや。ところで先ほどのシモンというのは、NPO・アースキャラバンのメンバーだ。僕がつけたニックネームである。(シモンは八画で、字画も良いしね)

聖書に出てくるシモンは、十字架を背負って歩くイエスに水を飲ませた人である。

本名は、「西」が付いている苗字。 なので、「西→西方浄土→さい→さいもん→シモン(SIMONは、サイモンともシモンとも読む)」という訳の分からない流れでついたのだ。

かつて伊藤忠でシステム・エンジニアをやっていたそうだが、ドロップアウトして整体師になり、タオ指圧をやっている。僕のまわりは、なぜかこういう人ばっかりだ。

岐阜ミーティングの後は、浜松に向けて出発。

浜松でアースキャラバンをしたいと言われている、みさとさん、アースキャラバンのパンフレットをデザインされた童規(とうみ)さんと会うためである。

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パンフレットのデザインをした童規(とうみ)さん

浜松ミーティングを終え、ようやく東京に向けて車を走らせた。夜、9時半ごろだったろうか?車の中で、必死にワークショップの内容を考えようとする。

だが、明日は演奏もある。このため、音楽が頭の中を巡りに巡っており、揺れに揺れるので(頭の中が)、ついに途中で諦める、、、。

 深夜に着いた東京。

居酒屋で遅い夕食を摂った。(、、、ような気がするが、忘れてしまった)

 

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ヨーロッパ・中東の旅から帰国して(2)

2016/01/13 Categories:

帰京して5日後には、アースキャラバンのため広島、長崎へと動いた。

かと言って派手なことなど何一つない。

人と会って話を聴く、夢を語る。

 

共有できるもの、相手と共感し合える何かを求めて、

電車に乗り、遠くへ行き、人を待ち、遇い、そしてまた1人になって歩く。

それだけ、だ。

 

中東でやっていることも、日本でやっていることも何一つ変わらない。

日本人だという意識も特にないし、そもそも自分は何か? というアイデンティティが、僕にはあまりない。 

 

正直言って、自分のレッテルを考えただけで、うっとおしいような気がするのだ。

だから本音を言えば、透明にんげんとか、風のような気分でいたいのです。  

 

長崎

広島で2、3日動いた後は長崎に移動。

長崎では、越智さんという、伝説のレインボーコンサートを始めた人に会った。

越智さんとは、原爆の残り火をリヤカーに積んで全国を巡ったという、山田和尚(バウ)さんの「偲ぶ会」で知り合った。

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<山田和尚=バウさん>

 

 越智さんは、浄土真宗の僧侶をしていた時期もあるということで、何だか気が合うように感じて、また会いたいと思っていたのだ。

 僕が長崎に行ったちょうどその日、越智さんはデニスバンクスというアメリカインディアンの活動家の長崎イベントをオルガナイズしていた。

そこに行った僕は、デニスと25年ぶりぐらいで会った。

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 <デニスの長崎イベント>

 

そのときに、ぼんやりと思い出した。

あれは25年ぐらい前のことだったと思う。

 

デニスはアメリカを横断するサークレッドランというイベントを企画していた。

僕はそれにミュージシャンとして参加するという話があって、参加呼びかけの集まりに行ったのだった。

 

それでここからが面白い。(←自分的にはね)

実はアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」は、サークレッド・ランにミュージシャンとして参加した際、テーマ曲にしようと思って創った曲だったからだ。https://www.youtube.com/watch?v=EiXX-bWemRw  

 

理由は忘れたが、結局いろいろあって、サークレッドランへの参加はしなかった。

だから歌詞はできなかったが、曲は残った。

そして、アースキャラバンのテーマ曲として復活したのだった。

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<18カ国のミュージシャンが16言語で歌うCD『SHARE!』>

 

歌詞を書いたのは、2014年の夏だからずいぶんたってからの話だな。

それは、ガザ空爆で足を失ったパレスチナ人の子どもを見舞ったことがきっかけだった。

http://www.earthcaravan.jp/share_lnotes.html

歌詞ができた時、これはアースキャラバンのテーマ曲として復活させようと思いたったのだ。

、、、ふとそんなことを思い出した長崎のデニス・イベントだった。

 

<追記>

上の写真の左側に映っている山田圓尚さんは、デニスと行動を共にしている人で、比叡山で僧侶をやっていたという。

LJという雑誌に僕のインタビューが掲載された時、彼のインタビューも同時掲載されいて、それで知っていた。

アースキャラバンの話をしたら、すでにご存知とのこと。

あらためてまた会うことを約して別れたが、何か一緒にできたら良いな。

 

、、、その翌日、僕は、越智さんの家に厄介になった。

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ーそれでも希望は捨てないー中東活動記ー

2015/12/05 Categories:

パレスチナ西岸地区、ヘブロンの劇場でのイベント終了後、以前から知り合いのアリという人に、最近事件があった病院に連れて行ってもらった。

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<左がアリ。右が事件現場に居合わせた看護師>

 

その事件というのは、何ともやり切れない話である。

イスラエルの武装警察20人が、変装してヘブロンの病院に潜入した。入院していた反イスラエル政府活動の容疑者を拘束しに行ったのである。

(もちろんイスラエルのTVなどのマスコミは、その人物を「テロリスト」と表現していた)

 

ここで理解して頂きたいのは、戦前は日本でも共産主義者を赤狩りして刑務所に入れた。

対ナチのレジスタンスも、テロリストとして刑務所に入れられていたのである。

その反イスラエル政府活動家を拘束しに行って、けが人を守ろうと止めに入った民間人のいとこを含めて2人を射殺した。(これって、イスラエルによるテロではないのか?)

案内されて行った病室の天井には、血しぶきの跡まであった。さらにそれは、同室の14才の少年の目の前で行われたのである。

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<病院の中>

現場に居合わせた看護師からも詳しい話を聞いた我々は病院を後にした。

やり切れない想いが残った。僕はしばらくの間、笑えなかったし、口をきくのも億劫だった。

 

それでもパレスチナ人たちは希望を失わず、未来に希望をつないで生きている。

世界の人々が現実を知り、声を上げてくれる日を待っている。

そして、私たち海外から来た人間を精一杯歓迎してくれる。

 

だから僕も目をそむけてはいけないと思う。

そして世界で最も人権がないがしろにされている場所の1つであるこの地を、平和な場所にするという夢を捨ててはいけないと思う。

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<地中海>

 

今日は最後の活動日だった。

朝、まずはパレスチナのラマラでニッキーさん、れいなさんと別れ、

エルサレムまで戻る。

エルサレムまではマガリが迎えに来てくれた。

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<マガリ>

 

今日も、ハードスケジュール。なにせテルアヴィブで、ミーティングが7つも入っているのだ。

1人目は、軍事行為やテロで子どもを失くしたイスラエル人/パレスチナ人の親の会の会長。近く大本教の招きで、日本に行くという話だった。

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<女性反戦グループとのミーティング>

2つ目は、あれ? 何だったけ?

とにかく、次から次へとミーティングだった。

途中、映画監督のガイ・ダビディとも会った。

「五つの壊れたカメラ」という、ビリン村のパレスチナの平和的抵抗運動を描いたドキュメンタリー作品でオスカー賞にノミネートされ、ハリウッドまで行って来た人である。

TIMEというアメリカの雑誌の表紙にまでなっていたが、イスラエルでは妨害を受け、その後は大変らしく、とうとうニューヨークに引っ越すことにしたという。

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<映画監督のガイ>

 そして夕方には、女性運動家たちともミーティングしたが、こちらはテルアビブでやるアースキャラバン・イベントに関心を持ってくれた。

さらに引き続き、ミーティングを行い、具体的な話を詰めていくことになった。

 最後は、タオサンガ・ミーティング。まずは定期的に修行の会を行っていくことになった。

どうやらアヴィとエリシェバは、日本に来てしばらく(1年とか)修行したいらしい。

ああ日本に、タオサンガ・ビレッジができていたらな、と思う。

できるはずだったリトリート・センターを、やっぱり創らなくては、、、。

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<タオサンガ中東・再建メンバー/みんなハッピーそうだ。それにしても、不思議なものである。タオサンガをやめてしまう日本人がいるかと思うと、”来世でも良いから”と何年も待っていたイスラエル人がいるのだから>

 

、、、すべてのスケジュールが終わったのは21時半。出発は朝6時だから、朝3時には空港に行かなくてはならない。、、、となると夜中の1時起きかぁ。(←寝る時間じゃないか)

 

以前に比べたら出入りはスムーズになったものの、テルアビブの空港に行くには、まだ相当の緊張が残る。マガリは、朝2時に迎えに来てくれる、とのこと。

 

ホテルでなくゲストハウスなので、チェックアウトするにはややこしいものがあった。

(「誰もいなくなってしまうので、1度出たら忘れ物があっても戻れないよ」と言われた)

それでも1、2時間うっすらと寝た後、なんとか暗い宿を後にした。

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ヘブロンの劇場でライブ演奏

2015/11/19 Categories: 未分類

11月15日夜

 オマールの家からの帰り道、イスラエル占領軍の検問所を通る。パスポートを出せと兵士が言い、運転手のジョセフが焦って「出して!」と怒鳴るように言う。

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<写真はネットからのイメージ>*検問所で写真を撮って、ややこしいことになったことが2回ほどあるので。

ムリもない。先日、カバンの中身を見せなかっただけで、17才の女の子が射殺されている。 毎日2人ずつ殺されている、という。すべて近所と言って良いほど、この狭い地域で。

イスラエル政府は高さ8メートルの壁を各地に延々と建てている。そして、イスラエル占領軍による検問所を設け、パレスチナ人の生活全般を困難にしている。

何のために? テロリストを発見逮捕するためという名目。だが、違う。パレスチナ人の生活を困難にするために、だ。(その意図に世界の問題が凝縮されている)

これでは石の1つもぶつけてやりたくなるのはムリもない。しかしその報復は逮捕拘留、催涙弾。最近は耐え切れず、中にはナイフで向かっていく人も出て来たというが、結果射殺される。

一体、誰のせいなのか。本当の敵は誰なのか? 人間の目覚めが待たれる。

11月16日

エルサレムを出発し、ベツレヘムに向かう。ベツレヘム・フェスティバルを主催するホリーランドトラストというキリスト教系の人権団体の実行委員会とミーティングするためだ。

意外だったのが、エリヤスたちが超日本大好きだったことだ。

来年のベツレヘム・フェスでは、大きな日本コーナーを設けて日本文化を紹介したい、と。

 どんなもの? と聞いたら「指圧、着物、お茶、サムライ、寿司(かっぱ巻とか)とのこと。

 なんとサイードは、マントラ瞑想をやりたいとまで言い出した。うん、それなら念仏ヒーリングをやろう。

8月6日は、広島原爆慰霊祭をやろうよ、異宗教合同で。いろんな国の大使も呼ぼう、と話はどんどん盛り上がる。着物を来たくてたまらないというララは、すでに興奮気味であった。

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 <今回、サミーは海外だかどこかに行っているので、エリヤス、ララ、サイードと。日本女性は増山麗奈さん>

次のミーティングは、ベツレヘム大学のマージン教授とである。マージンは、世界中で講演していて、日本にも呼ばれて広島と長崎でも講演している。また奥さんは満州人で、アメリカの大学留学中に知り合った、という。

 パレスチナの環境教育のために特別なガーデンを造っており、案内してくれたのだが、しばらく歩いている内に目がチカチカし、吐き気もして気分が悪くなった。

 何年か前、ビリン村の非暴力抵抗運動のデモに参加し、イスラエル兵の放つ催涙弾を浴びた時の感覚に似ている。マージン教授も、「ダメだこれは、室内に入ろう」と促した。

 中で話を聞いたら、イスラエル兵が住宅地に催涙弾を蒔いている、とのこと。イスラエル軍がパレスチナ人に対して化学物質の入った黄色い液体を放射しているのは知っていたが、催涙弾の中身の物質まで蒔いているというのは知らなかった。

 他のパレスチナ人は、「これに耐えたら健康に良いよ」なんて冗談を飛ばしていたが、そうでも思わなければやってられないだろう。子供達はどうなるんだ!?

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 奥さんがお昼を買いに行ってくれたが、数分で行けるところなのにいつまでも帰れない。途中で尋問にあった車があって渋滞したり、検問所があったりと、まったく日々の生活が脅かされている。

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 武器を持たないパレスチナ人と、機関銃を持って武装しているイスラエル兵(そして入植者たち)。

 「テロリストだ!」とニュースで流されている被害者と、「パレスチナ人はテロリストだ」と教育&マスコミによって思い込まされ、すっかりその氣になっているイスラエル兵。(そして世界の人たち)

 日本人だって、つい70年前まではほとんどの人が「鬼畜米英」を本気で信じていただろうけど、、、。教育とマスコミによる洗脳は恐ろしい。

 

11月17日

朝、オマールと2ミーティング。

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来るなりショッキングなことを聞く。彼の近所に住んでいる友人が、昨夜イスラエル軍に殺されたという。明るくてとっても良い奴だった。イスラエル当局に、抵抗運動によって投獄されている友人と通じていると疑われた。

そしてイスラエル軍の一個小隊が、家族の自宅を夜中に襲い、家中をめちゃくちゃにしに来た。それを止めようと、近所の人が一丸となって守ろうとしたが、友人を含めて2人が殺され、11人が重軽傷を負った、という。

それから、いろいろと突っ込んだ話をした。

その後、来年のプログラムについて、アースキャラバンについていろんなアイデアを出し合った。

別れ際には、2人とも泣きそうになり、お互い泣き顔がばれないように顔をそむけ合った。

その後、現在危険地域と言われ、日本大使館にも来ないように言われている、というヘブロンへ向かう。(イスラエル兵が1500人展開しているという話もあった)

しかし、実際に来てみたら何ということはない。日々の生活を営む、世界のどこにでもいる普通の人々がいるだけだ。

僕はパレスチナで恐ろしい思いをしたことはない。それどころか、皆人懐っこく、気前が良く、お茶をごちそうになったりする。むしろ恐ろしいのはイスラエル兵であって、パレスチナ人ではない。

そしてイスラエル兵は、こちらが普通のことをしている限り、外国人に手を出すことはない。(また、外国人が近くにいれば、イスラエル兵によるパレスチナ人への暴力が減るそうだ)

要するに、パレスチナは安全なのである。

パレスチナ人はテロリストというのは、マスコミが流しているデマなのである。原発の放射能が安全だ、健康被害などない、というのと同じように。

いやむしろ、欧米や日本よりもよほど人々に温かみがあって居心地が良い。これは現地に行った誰もが感じることである。

何と言っても、パレスチナで観光客が死んだことは一度もないのだ。(これはパレスチナ観光庁のお役人が言っていたそうだ)

 

ヘブロン LIVE

 今回のイベント会場は、 夏にアースキャラバンで来たとき、8月6日に広島原爆をテーマにした芝居をやった劇場である。

 どうやって知ったのかわからないが、エルサレムにいた時にメールをもらい、広島原爆の残り火を持って、芝居の後に挨拶したのだった。

 その縁で、今回のイベントを取りもった。

劇場では、まずLIVE演奏した。パレスチナの人たちはノリが良いので、ライブは凄く盛り上がった。

 そしてニッキーさんのソロ演奏(これも大盛り上がり)のあと、2人でアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」 を、Be Free Parestine !(パレスチナに自由を!)という歌詞で、みんなで歌った。

 その後、麗奈さんがプロデュースした映画、「サダコの鶴」(SADAKO’s CRANE)を上映。

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 イベント終了後に後片付けをしていると、「ぜひお話ししたい」とやって来た女性がいた。何でも、ムスリムだけど仏教の大ファンで、内なる平和のために瞑想なりマントラを学びたい、と。バングラデシュに留学していたこともあり、その時にヨガも習ったと言う。

来年に、ベツレヘムでワークショップをやるから、と伝え、その後はメールでやり取りしましょう、ということになった。どうやらパレスチナにも仏教ブームがやって来そうな感じである。

***

ところで 2003年、第一回目のタオ指圧世界大会を2週間に亘ってタイでやった。120人ぐらい参加者がいたが、4人のパレスチナ人を招待した。ヘブロン在住のアクラムもその内の1人で、その後も交流は続いていた。

 今回、連絡したら、スエーデンにいるということで、代わりにアリという友人が来てくれた。彼に頼んで、1週間前にあった衝撃的な事件が起きた病院に連れて行ってもらった。その事件とは、、、。(続く)















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テルアビブからエルサレムへ

2015/11/16 Categories:

11月12日

テルアビブではワークショップがあるにも関わらず、アースキャラバンの準備を怠るわけにはいかなかった。

前日も、イスラエル人平和活動家のアダムケリー(グッシュ・シャロームという平和団体)とミーティング。

実を言うと、こうした活動家とのミーティングというのはそんなに楽な仕事ではない。

まずは礼儀として彼らの活動についての話を聞き、その後アースキャラバンとの接点を探す。だが、その彼らの話がいつも果てしなく長く続くのである。

へたをすれば話を聞くだけで終わりそうになるぐらい。

そこで、お互いに協力し合えるポイントを探すように、話を持って行くのに必死になる。つまりは、超人的な集中力と忍耐を必要とするのである。

そうしたミーティングを終え、その後は、タマールの旦那さんとも合流して夕食に行く。(ごちそうしてくれた彼の心遣いがありがたかった)

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 (左から、ノアム、タマル、マガリ、ニッキーさん)

思えば、パレスチナの現実をまだ何も知らない頃、毎年来ていたイスラエルのワークショップには50人から80人もの参加者がいた。

僕といえば、地中海ビーチの前の4つ星ホテルに泊まり、美味しいものを食べ、リゾートまで楽しんでいた。

でも真実を知ってしまった今、もう前と同じようにはできない。

なるべく安い宿に泊まり、主に時間は活動家たちとのミーティングに費やし、この占領をどうやって終わらせるかについて話し合う。テルアビブのビーチでリゾートなど遠い夢の話である。

そしてもちろん、今の方が、生きているという確かな実感がある。

11月13日

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<もう2度とイスラエルでワークショップすることはない、と思っていたが>

朝9時から5時まで続いた1日目のワークショップが終わり、マガリたちと夕食を取り終わった頃、突然ニッキーさんから電話が入る。

なんでも、イスラエルのサイエントロジーの知り合いにアースキャラバンの話をしたら、ぜひ会いたいと言っているとのこと。

アースキャラバンの未来につながるわずかな可能性でもあれば行動するという主義なので、早速マガリと一緒に彼らのいるところに向かう、、、。


11月14日

ワークショップ2日目が終わる。

実を言うと、中東でのワークショップなんて、悪夢のように大変になることを覚悟していた。

それは、かつて9年間に亘り、毎年イスラエルでワークショップやって来た経験からだ。(今年アースキャラバンでやった、イスラエル人パレスチナ人合同のワークショップもちょっと大変だったしなぁ、、、)

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ところが、だ。

最初からタイトルを堂々と「氣の悟り ー願いを実現するタオ指圧&念仏ワークショップ」にしたせいだろうか? これがまた、信じられないほどスムーズに行ったのである!

もっとも、参加者のほとんどが身体に痛みを抱えており、次から次へとデモンストレーションで症状を取っていかなければならなかったのではあるけれど、、、。

それでも、そのかいはあった。

中東のタオサンガが復活することになった、という確かな手応えがあった。

ワークショップ参加者の氣の悟り体験は、深いものになり、これから続けて修行して行く人たちが生まれたのだ。(このワークショップの結果は、東京の時よりもよほど良かったのではないか!? )

願わくばこのイスラエル人たちが、占領され苦しんでいるパレスチナ人のために立ち上がって欲しい。そう心から願うばかりだ。

15日

日本を出て以来、2時や3時に起きてしまう。(このところ肩の痛みがあるせいかどうかはわからないが)今日は4時半だったので少し良くなってきたかな。

もっとも、10時ごろには寝てしまっているので、案外、健康的ということかも知れない。

テルアビブのゲストハウスを出て、エルサレムに向かう。

それにしても、毎度のことながらアラブ側に来るとホッとして気持ちがくつろぐのが不思議、、、。

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エルサレムではニッキーさん、麗奈さんと合流。11時には、ニッキーさんがセットしてくれた南アフリカ出身でパレスチナ在住のイギリス人活動家と会った。(やはりちょっと話が長かったけど、、、)

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夕方は、サビールというキリスト教系の人権団体のオマールの家に招かれミーティング。オマールは、今年のアースキャラバンでも世話になった。

オマール夫妻は、凄いきれいなマンションに住んでおり、パレスチナの美味しいビールと手間ひまかけたアラブ料理で、われわれをもてなしてくれた。

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オマールは、来年のアースキャラバンのプログラムについて、彼なりにいろいろと考えてくれていた。

例えば、「エルサレム旧市街の城壁を、人間の鎖で取り囲もう。広島原爆の残り火を灯したキャンドルナイトで!」という案。

また「海外参加者、イスラエル人、パレスチナ人で一緒に、深夜に村々を巡礼して歩こう!」などの僕がまさに願っていたようなことを言い出してくれて驚いた。

そしてオマールは、パレスチナ側の実行委員長になってくれることになった。シュクラン(ありがとう)! オマール。

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ヨーロッパから中東へーアリスとタマールー

2015/11/12 Categories: 未分類
洗濯物までしてくれた(涙)オーストリア人の霊感女性アリスが中東に向かう僕を空港まで送ってくれた。
 
アリスは医者でタオ指圧をやっている念仏行者。霊感が強いので、その体験話はとても興味深い。(和田寺タオサンガ発行の「寺がーる」というフリペにインタビュー記事が連載されているので、興味のある人は読んで下さい)
 
世界の裏で操っている勢力の正体について僕が講義(今回のウィーンの)で言わなかったことが何であるかまで言い当て、かつ内容を理解していたのには驚いた。
 
この柔軟さ、ノリの良さ。アリスが僕と一番気が合うのは、何と言っても彼女がチャトランガ大好き人間のところである。
 
アリス
 
 
さて空港に着いたら、以前あった、テルアビブ行きの飛行機の乗客全員に面接尋問というのがなかったので驚いた。
パレスチナの外交官も言っていたそうだけど、イスラエルは評判の悪かった入国の際の鉄壁の構えを緩めたようだ。
 
テルアビブの入国審査でも「どこでワークショップするのか?」、とか「あなた坊さん? そう見えないけどね」と言われたぐらいで、あっさり通された。
 
迎えに来てくれたのは、イスラエルのタオサンガメンバーのタマールである。
 
 (タマールの写真は取り忘れたので、後で追加掲載します)
 
タマールとアリスには微妙に共通点がある。
 
3人の子持ち、旦那は弁護士言わばエリート。(アリスの旦那は医者) 
 
タマールは、大学で数学を教えているぐらいだから、きっとアリスと同じように子供の頃から優等生だったのだろう。
(関係ないけど僕は名誉ある高校中退)
 
そして2人とも念仏には熱心だ。
 
僕はアリスには人生への憂いを、タマールには悲しさを感じる。
 
どちらも霊性の土壌となる大切な肥料である。
 
心が飢えている自分に気づいてこそ、人は物質を超えた世界を求め修行する。
 
いや逆かぁ。
物質を超えた浄土世界を予感するからこそ、人として生きることへの憂いや悲しみをより多く感じるのだ。

 

 

 

 

 

 

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東京→ウィーン、そして中東へ

2015/11/11 Categories: 未分類

東京で、「氣の悟りータオ指圧&念仏・願望実現ワークショップー」というタイトルのものをやった後、翌日成田に向かいウィーンへ。

こんなテーマでワークショップをやるなど初めてのことなので、始まる前はとっても緊張した。

実は、氣と経絡で症状を取る、というのは願望実現と同じ宇宙のメカニズムが「働いている。それから念仏修行は、願望実現を可能とする気と心を創っているようなもの。

 

それで、タオ指圧&念仏ワークショップというタイトルになったわけ。

「氣の悟り」という副題がついているのは、「そんな、まさか、、、」と思われてしまうので、ちょっと言葉で説明が長くなるので省略。

 

簡単に言えば、実は「悟りというのがどんな素晴らしい体感のものであるかを、誰でもその場で実際に体験できてしまう」メソッドを発見したからなんだけど、、、。(これまでこんな表現は避けていたんだけど、最近はまあいっかという気になったので言ってしまった。へへへ、^ ^;)

 

そんなのをやって、最後はその場で痛みの症状がある3人ほどの人の施術デモンストレーション。数分で「痛みが取れた!」というのを観てもらって、終わりである。

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で、性懲りもなく、ウィーンでも同じテーマで行った。金曜日の夜と土日は一日中である。それでめっちゃ驚いたのは、念仏体験が初めての人が数名いたのにも関わらず(参加者は30人ほど)、全員がとても高度な仏教的体感をその場で体験したからである。

 

ああこれは新しい時代が来たんだな、と思った。

 

そしてここが本当に面白いところなんだけど、僕が教える内容は、最初は西洋人の方が受け入れ易いのである。(表面か深いかは別として)きっと過去の仏教のイメージにとらわれないで済むからだろうなあ。

 

ところで今日から中東。テルアビブでワークショップをやった後、来年のアースキャラバンの準備のためにパレスチナ各地も回る。

 

ヘブロンにも行くことになっているけど、イスラエル軍による主要道路封鎖の可能性もあるかも、とのことで、その場合はえらく時間がかかることになるらしい。

大使館も、今の時期旅行はおススメしない、とのこと。まあそれは来月に行くことになっているバングラデシュだってそうだろう。

 

パレスチナから送られて来る記事で、毎日のように各地で出ている負傷者や死者がいることを知っている。

 

だから、イスラエルのネタニヤフ首相と会談しているオバマ大統がマスコミを通じて一方的に語る、パレスチナ側への一方的な非難を聞くと、まるで与太話だったり作り話に聴こえる。(ノーベル平和賞もらったんだから、ちっとは仕事して欲しい)


もちろん、この目で見ても、あきれるほどそうなんだけどな。

とにかく、ああなんかまた行くことになっちゃった、、、。

 

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仲間探しの旅が始まった、東エルサレムで

2014/09/24 Categories:

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イスラエル軍の路上封鎖によって金曜礼拝に行けないパレスチナ人たちの痛みを背中に感じながら、僕たちはバスターミナルに向かった。 

 

そして、ホコリにまみれたバスに飛び乗ったのだった。

最も荒れているという難民キャンプに視察に行くためだ。

 

物珍しげにこちらを見るパレスチナ人たちに囲まれてバスに乗っていると、僕は心の中からくつろぎを感じ始めた。

 

「どこへ行ってもお互い知った者同士」という、このアジア的雰囲気が、僕はたまらなく好きなのだ。

 

その上、パレスチナ人は、ボラない。適正の料金しか受け取らない。

しかも、お茶やパンなどのお店の売り物でも、ただでくれたりするぐらいだ。

だからゼンゼン緊張しなくて良い。

 

僕はバスの中で、周囲の人に笑ったり、「マハバ!(アラビア語で“こんにちは”)」とか、「キーファク(まあこんな感じの発音?)」(元気?)なんて言って遊んでいた。

 

しばらくすると、僕と笑い合っていた客の中の1人のおじさんが、M女史に何やら挨拶し始めた。そしてM女史も、ああっ! と大きく反応し、僕を振り返って言った。

 

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<このおじさんがUN(国連)診療所の所長>

 

「この人、私たちが行こうとしている難民キャンプのUN(国連)診療所の責任者なのよー!」

ラマダン中のため、もしかしたら、誰とも会えずに視察だけになるかも、と覚悟を決めていた僕は、一瞬キョトンとした。

 

M女史は2年ほど前に、この難民キャンプで日本の医師団のボランティア診療をコーディネートしたことがあり、その時の縁で、この人と知り合ったという。

 

タオ指圧のボランティア治療を企画している僕らが、ラマダン中であるにも関わらず彼に出会えたのは、実にラッキーなことだった。

 

でなければ、キャンプ内の視察で終わっている公算が大だったからだ。

 

難民キャンプに着くと、僕らはすぐに、国連診療所の事務長室に案内された。

そこで僕はキャラバンについて説明し、来年にはグループで来て、“ボランティア指圧”を行う件について話した。

 

でも彼は、タオ指圧がどういうものであるかを知らなかった。そこで事務長に、「どこか痛いなどの症状はありますか?」と聞いた。

すると、事務長は上腕に痛みがあり、もう1人の補佐官みたいな人は、慢性頭痛で、とのことだった。

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<まずは痛みのある部位を確認する>

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<上腕の痛みを頸部のツボで取る>

そこで、事務長はオリバーが、そして補佐官(?)を僕が施術することになった。

約10分後、事務長の上腕の痛みはすっかり取れ、すっかりご満悦な様子だった。

(オリバー、エラい!)

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<英語が話せないので通訳してもらう>

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補佐官(ということにしておく)の慢性頭痛は、数十年前、インティファーダ(パレスチナ独立のための総決起行動)の時に、イスラエル兵に銃の台尻で殴られ、頭蓋骨陥没の重傷を負ったための後遺症だった。

(実を言うと僕も、ビリン村などのパレスチナ人のデモに参加して、万が一、イスラエル兵に銃の台尻で殴られてメガネが壊れた時のためにと、日本から替えのメガネを、前回に続いて今回も用意していた。)

彼はそれからずっと、慢性頭痛に悩まされ続けて来たという。

恐らく16歳とかそのぐらいの頃のことだろう。

 

イスラエル軍への憎しみを煽るつもりはない。

だが、インティファーダの時にも多くの人が殺された。

また少年でも、2度と投石できないように腕を折られたという。

(その映像を見たことがある)

 

補佐官の頭痛も取れ、何とか面目を施したものの、完治するには1度の施療では足りない。多少、予後が気になりながらも、僕は治療を終えなければならなかった。

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来年の再会を約して、僕らは難民キャンプを後にした。

キャンプの視察はできなかった。

 

それは、シェイクジャラの「金曜デモ」の時間(4時)が迫っていたからだ。これは、イスラエル政府の土地収奪に反対するパレスチナ人・イスラエル人合同の活動でで毎週行われているとのことであった。

 

2日間、ほぼ寝ずの状態でやっと入国したのは、つい先ほどのことだった。

にも関わらず、まるで休むことなく、こうして僕は歩き回っている。

何だか不思議だった。

 

でも、イスラエル人がパレスチナ人と合同でやるデモならば、

絶対に外せなかった。

これは、アースキャラバン運動を一緒にやる、中東の仲間を探す旅なのだ。

 

もしかしたら、海の中に潜って真珠を探すような、幻のような行為かも知れなかった。

、、、でも、やるしかないのだ。

 

そして僕らは、まず最初の2人とそこで出会ったのだった。

見つけた、、、。

奇跡は、起きたのだ。

 

<続く>

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入国を果たした僕を待っていたスケジュールは?

2014/08/26 Categories:

(1)

入国できたんだ、、、、。

ちょっとまだ、信じられないような気持ちだった、、、。

だから入国ゲートをくぐった時は、まるで白昼夢でも見ているようだった。

 

果たして、オリバーはどうしたのか? と、携帯を開きオリバーに電話する。

 

おお! なんと、つながるではないか!

「オリバー! 一体今どこにいるの!!?」、「うん、テルアビブ」。えーっ、信じられない!

「イランの家から、あと30分で空港に着くから待ってて」。うひゃー!


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<お互い入国を果たし、満面の笑みで再開!>

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<エルサレム直行乗り合いバスは、正確に行く先を伝えないとならないので、ドライバーに場所を説明する>

 

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<バスが出るまで、路上でオリバーが持って来てくれた朝ご飯を食べる。オリバーはなかなか用意の良い男である>

これはずいぶん後になって気づいたのだが、どうやら僕もオリバーも、能天気でがむしゃらな楽天家のようだ。(タオサンガの特徴かも)

とにかくパレスチナの自由と中東平和を願う人ならば、どんな人でも、ひたすら会っていこうと思っていた。

 誠意を持って話をすれば、必ずキャラバン・プロジェクトの道は開ける。2人とも、そう信じてまるで疑わない。だから、どんな縁でも話があれば、つながろうとしていたのだ。

 

(2) 

僕には、オーストラリアにアランという心の友がいる。ガレージセールから始めて、海外にいくつか支店を持つほどの企業にした人だ。

僕が彼に、「次はこんなことをやるよ」と知らせると、いつも彼に「あなたの楽天性は素晴らしい!」と言われる。

 

??? 僕は彼の言っている意味がよくわからなかった。

だが今回の自分らの無鉄砲さ、がむしゃらさ、そして誠意をもってやれば必ず実現する、と信じて疑わない能天気さ、、、。

それらを考えると、“なるほどな〜。アランが言っていたのはそういう意味だったのか、、、”とやっと理解できた気がした。

 

でもな、アラン。他にどんな方法があるっていうんだよ。^ ^)/


(3)

この日、日本人活動家のM女史には、いくつかコーディネートしてもらうことになっていた。

 

-今日の予定リスト- 

1. 東エルサレムの難民キャンプ訪問

ラマダン中だが、可能ならばボランティア施術する。また来年のキャラバンで、タオ指圧のメンバーがグループで施術する前準備としての視察。

※ラマダンというのは、イスラム教徒の習慣。炎天下でも、1ヶ月間日の出から日の入りまで、一切の食べ物飲み物を口にしない。貧しい人の気持ちを理解するためだそうだ。

 

2. 活動家が先生をやっている小学校でのワークショップの打ち合わせ

教育関係者とはぜひともつながりたかった。

というのは、世界への夢を子どもたちに語ってもらったり、絵を描いてもらったりして、キャラバンのサイト載せたかったからだ。

またイスラエルの別の学校で、碁の授業をやったという話を聞いた。それで僕は、GAMEチャリティックスの大会を、イスラエルとパレスチナの小学生合同でやるという夢を持つようにも、なっていた。

 

3. 合同デモへの参加

占領反対、パレスチナ人の人権を守れ! のデモ。パレスチナ人 / イスラエル人活動家合同。

 場所はシェイク・ジャラというところで、この地区にある多くのパレスチナ人家屋が、イスラエル政府によって破壊されたり追い出されたりしている。

 

前回のパレスチナ訪問の際も、40年住んでいた家から追い出されて路上生活を強いられていた家族のところに通った。そしてローレンスと2人でボランティア指圧をやっていた。http://endo-ryokyu.com/past_blog/?p=428

 

この合同デモで活動家たちとつながり、来年のキャラバンの話を持ちかけるんだ。

 

ところで毎週金曜日は、有名なビリン村でデモのある日だった。

ビリンは村を上げて非暴力抵抗運動を行っており、そこにはインターナショナルな活動家も、イスラエル人活動家もやってくる。

 

オスカーにノミネートされた「五つの壊れたカメラ」も、ビリン村を描いたドキュメンタリー映画。

 

そこの写真家や村のリーダーともつながりがあるので、最初はビリンに行くつもりだった。しかしせっかく頂いたご縁だ。僕は、シェイクジャラのデモに参加することにした。

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<ビリン村の写真家 ハイサム>

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<彼は、すごく良い写真を撮る>

 

(4)

さあ! 1日遅れの入国なので、空港から直接、エルサレムに向かう必要がある。

 

M女史からは、いろいろスケジュールがあるから、遅くとも12時までにはエルサレムのダマスカス門まで来るように、というお達しを何度も受けていた。

 

やばい、急がねば!

苦労の果てに、やっとたどり着いたのだが、文句は言えない。早々に僕はけっこう焦っていた。

果たして間に合うのか?

 続く

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