アースキャラバンでは、ピースサイクリングというプロジェクトを平行して行っている。
これは原爆の残り火である「平和の火」と、長崎で被爆しても尚生き残った「被爆樹の苗」を持って、自転車で日本を横断する、というものである。
今回のブログでは、これの体験の一部を書いてみようって思ったけど、その前に写真で説明。
※ただし写真はいろんなところのが混じっているので、時系列はテキトーなのをお許し頂きたい。
実は僕は尾道から自転車で走り始めたのだが、5kmほどでなんと新品の自転車がパンク!
みんなで呆然とする中、自転車屋に運ぶための作業が始まる。(今回は、2台の自転車が合計3回もパンクした)
こちらは迷子になったスーを発見した後の写真。「困難を克服するのが人生!」と、スーも含めてみんなで笑った後、パンク車の運搬にはちょっと真剣になる。
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<アースキャラバン加古川>
さて、加古川ピースキャンドルLIVEの会場だったのは酒蔵。
その岡田本家さんのご主人に神戸に向かう道をお聞きして、元気よく自転車を走らせた。
途中、自転車屋によってスーの自転車の空気を入れていくことになっていた。
元気よくスタートを切ったのは良いが、僕もスーも超方向音痴。
さっそく迷ってしまった。
音響機材一式を満載した自動車に乗っている高山ほうきと連絡を取った。
しかし場所は、チンプンカンプンである。たはは、、、。
結局、時間と距離をずいぶん回り道をした結果、ようやく自転車屋に到着。
まあ、こんなこともあるさ、と陽気に再出発。そもそも、ハプニングや困難そのものがピースサイクリング。何も順調に行く必要などまるでない。
あとは、バイパスに引っかかったり、スーと自転車を担いで階段をおりたりして、そのときは自転車かつぎ屋にでもなった気分。時には、亀のようにノロノロ進んだりもした。
サイクリストと言われる人たちが一緒だったら叱られそうなことばかりである。
でも、自転車をこいでいるのは僕らだけなので、まったく気楽なものである。
まるで高校の屋上で授業をさぼって、日向ぼっこしながらのんびりタバコを吸って、空を眺めているような気分である。(←おおこれぞピースフル!)
というわけで、僕的にはこれぞまさしく、ピースなサイクリングであった。
20kmほど進んだところでランチタイム。もちろんファミレスなど行かず、地元の良心的な洋食レストランで、安くてとびきり美味しいランチを頂き、ランチ後は、高山ほうきと選手交代。自転車をゆずった。
アースキャラバン広島実行委員長、われらが伊藤憲正(けんしょう)さん
<順番変わったら、山越えになってしまった高山ほうき。ふふふ>
その後、20kmぐらい離れたところまで自動車を走らせ、ファミレスの駐車場に停めて、お茶をのみに1人で入る。山ほどたまっている作業をするためである。
被爆樹の種か苗を、トロント(カナダ)とベツレヘム(パレスチナ)に運ぶための算段についてはかなり山場を迎えていた。本来なら、ピースサイクリングをしている時間などはなかった。
しかし尾道から、僕自身がやらなければならない状況になってしまった。それでまあ、楽しくやらせてもらっている次第で、他の作業は夜に持ち込んだ。
ファミレスでは、ずいぶんと作業に時間を費やした、、、。ふと手を休めると、スーと高山ほうきの到着が、あまりにも遅いことに気づいた。
そこで電話を入れてみる。すると、何と彼らはこのファミレスの駐車場まで来たけど、車が見つからないのでさらに進んで行ったとのこと。
オーマイガッ! 慌てて自動車に乗ったが、連休の渋滞で自転車の方が早い!
とうとう彼らに追いつかず、自転車の方が先に神戸のホームステイ先に着いてしまった。うぅ、面目ない。
今日のホームステイ先は、サラシャンティという健康道場を運営している清水さんである。
清水さん宅には、茨城からミクさんも到着していた。彼は、「神戸から京都までの自転車を」走り、スーのゴールを見届けるために来てくれたのである。
ミクさんは、ピースサイクリングの司令官としてリーダー的役割を担ってくださった人である。
それは僕がピースサイクリングのことまでやらなければならないことになり、あまりに大変な状況になって四苦八苦しているのを見かねたためだった。
捨てる神ありゃ拾う神あり、だ。僕としては、何だか戦友に遇ったような気分だった。
前日に突然、彼から「神戸でスーを見送り、京都でゴールをお迎えしようと想います」というメールをもらった。
その時、その献身的な無私の心に僕は感動して涙が出そうになった。
この言葉を聞いただけでも、アースキャラバン2016をやったかいがあった、と思ったほどである。
僕が求めているのは、そんな、人の温かい心だったんだ。
ところで、ピースサイクリングを実際にやってみて、わかったことが沢山あった。
その内の1つ、、、。
自転車はこいでいれば進むし、それ以上でも以下でもない、ということだ。(←当たり前過ぎて申し訳ないけど。^ ^)/
<雨の中を50km走りとおした後藤わかさん。僕は彼を「お坊ちゃま!」と呼んでからかっていたのだが、、、、>
<僕は最後まで「制服」を着るのを抵抗していたが、2人とも着るのに抵抗はないらしい。僕は幼稚園のときから制服がキライだったので、不思議である。>
<誰かが自転車で走っているときは、車の中で和気あいあいと楽しむのがサンガ流のピースサイクリングである。だって、オレたちはオレたちらしくやればいいじゃん、というのが結論。 ^ ^)>