果たして自分がやって来たことには、どれほどの意味があったのだろうか?
そんなことを思うことが、最近ある。
、、、なのでこれは、オフィシャルなものではなく、問わず語りの独り言のようなもの。
あくまでも個人的な日記だと思って頂きたい。
渡されてしまった精神的文化遺産のバトン
昔の話で申し訳ないが、ある日を境に経絡の診断ができるようになって、指圧治療を始めるようになった。
それは、僕がまだ二十代半ば過ぎの頃だった。
思いがけず、増永靜人師が遺して下さった精神的文化遺産のバトンを、たった一人渡されてしまったのだ。
そのことに対する重責を感じないわけはなかった。
これを他に渡せるなら死んでも悔いはない、とまで思いつめていた時期もあった。
そのために人数の多少に関わらず、そっと呼吸するように、ずっと指圧を教え続けて来た。
他に選択肢はなかった
やがて経絡の診断治療には、どうしても心の転換が必要であることに気づいた。
それで「利他の実践」を、「道への献身」を説くようになった。
こうして、単に教室で教えているだけでは済まなくなった。
このため僕がそれまで一人でやっていた、スリランカの井戸建設事業の寄付や、募金活動をすることを提案した。また、道を伝えるためのワークの実践を呼びかけた。
それは当初、人によっては大きな反発を持って迎えられた。
「金集めか?」と疑われ、影で「卑怯!」と言われた。「人集めをただで手伝わせるのか?」とまで思われたこともあった。
もちろん、それによって辞めていく人は少なからずいた。
しかし、僕は引かなかった。それは経絡を診断し治療ができるようになるには、利他や献身なくしてはあり得ないことが、自明だったからだ。
あくまでも僕は、増永先生の文化遺産の引き継ぎ人として教えていた。
だから、それ以外に伝える方法がないのであれば、他に選択肢はなかった。
いつでも問題はエゴにある
タオ指圧を教える一方で、僕は念仏の修行を一人で続けていた。
二十代前半、阿弥陀如来の大愛に心身のすべてが摂め取られ、救われるという体験をした。
このため僕は、”いつかこれを他の人と分かち合いたい”という願いを持ち続けていた。
ただし、指圧と念仏を同居させるという気はなかった。
しかし、それもやがては不可能になった。
なぜなら、経絡診断には「自他相対を超えた心の地平に立つ」必要があった。そのためには、念仏修行を説くしかなかったのだ。
もちろんこれに対しても、「そんなことしたくない」とか、「他の修行法でも良いではないか?」と反発する人がいた。
僕はこう答えるしかなかった。
「修行しなくても、あるいは他の修行法で、”自他相対の意識を超えることはできるかも知れません”。
しかし僕には、修行せずして、あるいは他の修行法で自他相対を超えた体験はありません。
自分が確証できないことは、お勧めすることはできません。」
しかし何よりも問題は、他の修行法を真剣に修行しているというわけでもないのに、それを理由に反発する、というエゴにあった。
そのエゴを指摘すると、その人は去って行った。
エゴが常にネックであった。
そして僕は、ここ十数年は、利他を勧め念仏を勧進し、ただ闇雲にそれに専念していた。
”それさえやっていれば、必ず経絡治療ができるようになるはずだ。”
そう願い、そう信じ、そう自分に言い聞かせつつ、ひたすら進めていたのだ。
みんなが他の人々に対して責任を持つこと
しかし何かが違った。
僕は何か大事なことを見落としていたのだ。
自分が願っていたことは、そこではなかったのだ。
それだけで真の経絡治療ができるようになる、というわけではなかった。
繰り返しになるが、僕が本当の意味でタオ指圧を学ぶ人に実践してもらいたかったのは、単にワークをし、念仏修行するだけではなかった。
それなのに、「それで十分なはずだ」と思い込んでいたのは、完全な誤解だった。
僕がセンターに来る人に願っていたのは、「他の人々に対して責任を持つこと」だったのだ。
一体、他の人々の何に責任を持つことなのか?
幸せに、喜びに、明るい未来に、だ。
そうなれば、責任を持った本人にも幸せが、喜びが、明るい未来が来るのだ。
表現がややこしくて恐縮だが、さらに言うならば、僕は道場の修行者には、
「”道場の みんなが、他の人の喜びに責任を持つ”ようになることに対する責任」を持ってもらいたかったのだ。
これは先ほどのとは、精神的にはさらに一段上ハードルが上がることだろう。
でも、そうなれば幸せ、喜び、明るい未来の「無限連鎖」が生まれるのだ。
そこには、誰が上でも下でもない世界が開かれるんだ。
僕が本当に願っていたのはそこだった。
そのため僕は、そのモデルとなるべく行動をして来た、、、つもりだった。
モデルとなるべく行動で出していたメッセージ
だから、みんなが楽しくあるように、喜んでいるように、と願って実践して来たのは、それを与えること自体が目的ではなかった。
それを与える人になってもらいたい、がためだった。
もっと言えば、「それらを与える人を育てる人」になってもらうことが目的だったのだ。
僕はモデルとしての行動をすることで、無意識に、ずっとそのメッセージを出し続けて来たつもりだった。
ほら、こんな風に人には接してくださいね。
こんな風に人を大事にしてくださいね。
こんな風に人を気遣ってくださいね。
こんな風に人の幸せに責任を持ってくださいね。
一人一人に、そう無意識に話しかけながら接して来た、つもりだった。
しかし果たして、それがちゃんと伝わっているのかが、甚だ心もとなくなって来た。
僕のメッセージが伝らなかった人(行動が変わらない人)に、
これから僕はどう接して行ったらいいのだろう、、、。
心の中で言い続けていた
繰り返しになって申し訳ないが、僕は、サンガの場が楽しく有意義になることに責任を持ってきたつもりだった。
それは、みんなも同じような気持ちになり、同じような行動をするように、責任を持って人を大事にしてもらうことが目的だった。
しかし、自分が大事にされることの楽さに慣れてしまう人がいる。
そして、自分は無責任でも良いとしてしまう。
再び繰り返しになるのだが、僕は単に、サンガの場に責任を持て、と言っているのではなかった。
これよりもさらに、一段ハードルが上のことだった。
「みんなが責任を持って、サンガの場を楽しく有意義にすること」、
このことに対しての責任を持って欲しい、とそう心の中で言い続けていたのだ。
道や法には、献身か利用か? そのどちらかしかない
これまで幾多の精神運動は、一人とその周囲のわずか人たちだけが人々に責任を持ち、
その他、大勢の人たちは、そのエネルギーを利用することで成り立たせて来た。
そして精神的なムーブメントは、例外なく、精神的支柱の人たちがなくなったら汚れた。
それは当たり前だ。
純粋で献身的に受持する数名に、みんながエネルギーをタカっていたに過ぎないからである。
これはタオサンガも例外ではない。
だから受持し、献身する人がいなくなれば、たちどころに砂漠となる。
それは想像するだけで、吐き気のするような気の状態であろう。
それはそうだ。
道や法には、献身か利用か? そのどちらかしかないのだ。
だから責任を持って受持すれば、宇宙大霊の光が宿り、
責任を持たず、受持しなければカルマ(邪気)が宿る。
受持する人がいなければ、タオサンガには邪気が宿ることは間違いない。
というよりは、タオサンガは如来の光は、受持する人の中にしか存在しない。
そんなことを考えると、一体自分は何をピエロみたいなことをやって来たんだろう?
こんなこといつまでも続けていても、果たして意味があるんだろうか?
受持している些少な人にも、大変な役割を負わせてしまって申し訳ない、、。
などと、一瞬思ったりもする。
一体、何人の人が場を受持するようになったんだろう
「<気と経絡>癒しの指圧法」で僕は、共感的想像について説いた。
これは指圧というより、日常の心のあり方だ。何よりも、コミュニケーションの場においてのことだ。
だからタオ指圧を学ぶ人は、コミュニケーションの場では、いつも共感的想像の心境になってお互いを思いやるものだ、と思っていた。
”みんながそうなることに責任を持つものだよね。だって普通そうでしょ?”と思っていた。
しかしよくよく見回してみたら、一体、何人の人が、コミュニケーションの場を受持するようになったんだろう、、、。
PS.
いつでもすべてを捨てられるように生きていることは、常に僕の矜持であり、また安らぎでもある。
りょうきゅう先生、私は、りょうきゅう先生を利用してました。気づかせていただきありがとうございます。私も道に対して、献身するようになりたいです。