帰国した翌日は、もうバンドの練習が一日中あった。でも日本に帰っても、異界から帰って来たような気分というか、異界にまぎれ込んだというか、何だか「いま浦島太郎」のような気分が続いた。
その原因のーつは、海外メディアの報道と日本の報道とのギャップである。
海外の報道は日本全土が放射能汚染の危険にさらされているという感じだった。
報道では、もう日本はどうなるかわからない(というよりは明日がない)という感じ。”それなのに、一体なぜ日本人はパニックにもならず、平然としていられるんだろう?” というのが、オーストリアのテレビレポーターの話である。 僕は、日本ではパニックを防ぐために報道を抑えているのだろうと思った。それで覚悟して帰って来た。
その覚悟が、半ば本気だったのは、帰ってみたら、自分が終戦を迎えた特攻兵のような気分になったことで気がついたのである。(当たり前のことだけど、この気分を日本で言っても、あまり理解されない) まあ確かに、国内外の報道のギャップは実に大きい。でも実際のところ、被災地の悲惨な状況と、原発事故による放射能汚染の恐怖というストレスそれ自体は、何も変わらないのだけど。
それにしても、思い返せば、ヨーロッパでは多くの温かい気遣いがあった。いつも陽気なイタリアのアントニオさんが、日本の被災地の人々のことを思って泣き崩れていた。 また、ヨーロッパの多くの人から寄せられた義援金は3055ユーロ(30万円以上)。そして、これには、オーストリアのメンバーであるバーベルさんの高校の生徒さんたちの募金活動によるものまで含まれている。(この話は、4月1日の京都新聞の朝刊に掲載された)
写真はウィーンのセンターで、バーバルさんから子供たちからのメッセージと義援金を受け取ったところ。 すでに日本のNPOユニでは、街頭募金を開始。気仙沼にいるメンバーの避難所に向けて物資を送り始めた。(NPOユニHP/募金活動報告を見る)
また、新潟の震災の時もそうだったように、東京のタオ指圧では、組織的に皆さんで定期的に施術ボランティアに行くことになったようだ。 土曜日には、まず、ハセさんたち二人が出発する。