容姿に自信がなく、「自分は太っていて醜い」と信じている女性が、男性から、「ぽっちゃりしているね」と言われたらどうだろう?
おそらく、その言葉で傷つくだろう。
この場合、言った人に対して、”デリカシーがない”とか、”私は傷ついた!”と言って、相手を非難すべきだろうか?
では、もし言った人が、「そんなつもりは毛頭なかった」としたら、どうだろう?
おそらく「私は傷ついた!」と主張する人は、「そんなはずない! だって私は傷ついたんだから」と言うだろう。
では、このような事実を知っているだろうか?
これは、「デブ専の風俗店」についての話だ。(ちなみにこの話をしてくれたのは、親戚がその店の経営者ということで、僕が行ったわけではない)
何でも、デブ専風俗店では、女の子が続かないらしい。
その原因は、”客とすぐに結婚してしまうから”、だそうだ。
ということは、もしかしたら「ぽっちゃりしているね」を言ったのは、褒め言葉のつもりで、プロポーズだったかもしれないじゃないか?
そもそも、「ぽっちゃりしている私は、魅力的だ」と思っていたら、「傷ついた!」なんて騒がないだろう。
むしろ褒め言葉と受け取って、「そんなあ〜」とか言って、照れるかも知れない。
それで、その話を聞いて以来(もう十年以上前に聞いた話だが)、時々、僕は言いたくなることがある。
『“人にネガティブな言葉を言われた”と思う前に立ち止まれ。
自分に自信がないのは、相手のせいじゃないよ。親のせいでもないよ。「傷ついた!」と騒ぐ前に、まずは自分の”自信”を点検したまえ。
もしかしたら、相手の言動は、自分が思っていることとは、全然別の意味かも知れないんだから、さ。』
心理学的にいえば、「自分に自信がないと、相手の善意すらネガティブなものに見える」。
そこで相手を非難したら、ますます自分の「自信のなさに、自信を持ってしまう」ようになる。
そんな負のスパイラルにだけは、絶対に陥らないようにしないとならない。
48歳の現役サッカー選手のカズ。
元プロ野球の張本勲に、「もうやめなさい」とラジオで言われ、それを激励(褒め言葉)と受け取った。
そして、それを次の試合でみごとに実証してみせたそうだ。
だから僕は言いたくなる
『神対応していたら、自信がついて、さらに神対応がうまくなる。
そしたら、人生に好循環が生まれるんだよ。』、と。
相手に対する非難が少しでもあれば、神対応は生まれない。
神対応は、人生への愛から生まれる。