1)
中東アースキャラバンが終わり、アジアの片すみで、しばし引きこもり生活を送っている。
たまっている宿題(法話ライブの書き起こしの編集)をやろうと頑張るのだが、一つの法話のリライトに4時間はかかってしまい、ため息が出る。
プールサイドで寝っころがって空を見ていると、いろんなアイデアが湧いて来て、それが次のイノベーションになることが多いので、本当は何もしないでいる方が良いのかも知れないなぁ、、、。(←とは思うんだけど)
<まるで木像の人形のような老婆。ことばの通じない屋台で僕はひっそりと料理を待ち、
アジアの片隅で引きこもって過ごしている>
2)
10日ほど前までいたパレスチナ。
僕はこの地は、微笑みと涙、そして未来への希望なくして旅できない。
そんなパレスチナに来る度に、僕はかつて大日本帝国が植民地支配していた朝鮮半島の人々のことを想う。
朝鮮の人々の苦しみと、そしてそれを日本人はどう感じていたのか、を、、、、。
さて、もちろん、純粋無垢に見える被害者にしても、エゴなき人はいない。
暗黒面だってたくさんある。
これはアウシュビッツの生き残りだろうと原爆の生存者であろうと、パレスチナ人であろうとそうだろう。(←という話を現地でしていた)
だけど、それを差し引いても、僕はパレスチナに来るとなぜかほっと安堵のため息をもらす。
それは、アジアのまったりした空気感ともまた異なる。
おそらく人が人をどうケアするか、ということが基本的に成立してしている地域だからなんだと思う。
それにしても胸が痛むのは、彼らがイスラエル占領下で筆舌に尽くし難い屈辱の日々を受けていることを目の当たりにするときだ。
だが、彼らがお互い同士や、子供達や、また私たち旅人にする接し方には、警戒心も計算もなく、柔和で気前が良く、ホッとさせられるばかりである。
彼らがテロリストだって? はぁ、、、? メディアはウソをつくのがヘタだなぁ、、、。
せめて、「パレスチナ人は、一見優しい人に見えるし、つき合ってしばらくは良いけど、何年かすると本性を表すぞ。気をつけろ」とでも言ってくれれば、“もしかしたら、、、、”と思うかも知れないけどなあ。
でもねぇ、、、ヘブロン在住のアクラムとの付き合いは、もう13年に及ぶ。
理学療法士をやっている彼ががテロリストの正体を表すまで、一体何年待ったらいいんだよ。(←とメディアを信じている人に言いたい)
理学療法士のアクラムは、南アフリカに留学していたそうだ。
他のことは知らないが、中東に関してはメデイアのウソは多いなあ、、、。
まあ、都合次第でウソは他にもいろいろあるんだろう。