‘バングラデッシュ支援’

新しい小学校の開校に向けて

2014/03/06 Categories: バングラデッシュ支援

クルスクル村の学校でも同じように活動した。子どもたちと会い、聞き取り調査をし、先生たちとミーティングを行うのだ。

DSC_0506

しかしミーティングをしていても、ラカインの人たちは慎み深いというか遠慮しいである。こちらから要望を聞いても、なかなか返事をしてもらえない。

僕は強く訴えなければならなかった。「僕たちの目的は同じです。それは、ラカインの子どもたちの将来のためです。そのために、お互いここミーティングしているんです。だから遠慮していないで、ちゃんと要望を出して下さい」

その結果、ようやく以下のようなものが出された。

1)親が助かるし、アイデンティティー形成にも良いので、学校の制服が欲しい。

2)独立記念日に運動会をやるので、賞品を買いたい。

3)卒業生だが、家が貧しいために上の学校の学費に苦慮している。サポートをして上げたいが、何とかならないか?

僕らは以下のように答えた。

1)制服については、予算を組みすので、見積もりをお願いします。

2)運動会の賞品は、ラジョーさんと一緒に買い物にいって下さい。

3)その子の写真、プロフィール等の詳細なデータを下さい。ラジョーさんが面接した上で、NPOユニが支援してくれる里親を探します。

その後、ラジョーさんが定期的にチャリティックスと念仏を教えに来ることなどや、今後のいろいろなことについても話し合った。

 DSC_0548

<教室で、日本から持って来た“はちみつキャンディ”を配る>

DSC_0540

 <おみやげを喜ぶ子ども>

DSC_0570

<うあ、おいしい!>

DSC_0572

<いろんな年齢の子が通っている>

DSC_0580

 <実は校長もチャリティックス大好き!>

DSC_0585

 

次にチョコロンギー村を回った。クルスクル村から、さらに河を越えて行ったところだ。昨年は、ボートで渡った。でも、今年になってようやく橋が完成。思ったより短い時間で着いた。

ここは昨年、ラカイン仏教福祉協会の長老たちにサポートを要請され、調査に訪れていたところだ。

そのとき、村の主だった人たちが集まり、かなり具体的な話までした。しかしその後、進展がないままだった。僕は今年こそ、実現に向けて動きたいと思っていた。

DSC_0617

<この村には、河を越えて行く>

昨年、僕らは村のリーダーたちに、村の孤児たちのリストを集めることを依頼していた。今年行ってみると、それらのリストはすでにできていた。17人の孤児(片親のいない子も含む)がいるという。

学校として使う建物の候補を見に行く。でも、うーん、ちょっと狭いなあ。という感じだった。その場でずい分議論した。しかし、最適な学校候補地についての結論は出なかった。(後日、仏教福祉協会を通してお寺と交渉。その結果、お寺に併設された建物を学校として使うことになった)

村でのミーティングのとき、村のリーダーの言葉が僕の心をついた。

「10年以上前まで、ワールド・ビジョンという団体の援助で、学校を開けていたこともあった。でも期限が来て打ち切られてしまったんだ。ワールドビジョンって、キリスト教の団体だろ。でもNPOユニは仏教の団体だ。ユニがラカインの仏舎利塔を修復してくれたことは、村のみんなも知っている。仏教の団体からの援助なら、たとえ1円だってオレたちは嬉しいんだ」

 チョコロンギー村。新しいラカイン・ユニ小学校の開校だ。

 

DSC_0606

<とことん話し合う>

DSC_0613

 <最初の話し合いで出た候補地>

DSC_0611

<これではちょっと、狭いですねー>

DSC_0610

 <仏教の支援団体が来てくれたのは初めて、と語る村長>

DSC_0527

 <孤児の1人。この子も里親が現れるのを待っている>

1

ミャンマー国境に近い村へ

2014/03/05 Categories: バングラデッシュ支援

ほんの1年前までは、毎朝5時に街中に鳴り響くコーランの大音響に起こされていた。それが今年からはすっかり静かな響きになった。

おかげで眠れるようになった。そんなところにも、バングラデッシュの最近の変化が感じ取れた。

 さて、朝起きて居間に行くと必ず見る光景は何か? ラジョーさんの息子セナ君(7才)が、熱心に研究している姿である。夜も寝るまで研究し、学校からから帰ったらまず研究。ひたすら研究の日々なのである。

研究って何を? ゲーム・チャリティックスの戦法である。一人で黙々と研究している様は、まるで将棋のプロ養成所、奨励会の少年のようである。そして実際、普通の大人ならまず勝てないほど強い。デフェンスなどは、チャンピオン・レベルである。

DSC_0169

<セナ君(左)は、朝から晩まで熱心にチャリティックスを研究している>

朝は居間で、ラジョー一家と日本からの一行の4人、総勢8人で念仏のお勤めを行う。(子どもたち2人も参加している)そして、簡単な朝食を済ませると出発である。 今日からは村をいくつか回り始める。

ガタガタと砂埃を上げて走って行く車の中で、まだかな? 着くのはもうじきかな? といろいろ思うのを諦めた頃。やっと着くのが、チョドリパラという村。

NPOユニが運営しているラカイン小学校があるところだ。片道3時間半の道行き。道が良いわけではないから、まあ楽な道程というわけではない。

子どもたちのお出迎えを受け、挨拶やお話しをしたり、お土産を渡した。またチャリティックスで遊んだりした。

その後は、新しく赴任した僧侶を交えて先生たちと懇談。そして、17人の孤児(両親、または片親のいない子どもたち)一人一人と会って、将来の夢などの聞き取り調査を行った。

このファイリングを元に、帰国後、この子たちの里親(月3000円+NPOユニの月会費500円)になってくれる人たちを日本、北米、ヨーロッパで募るのだ。

DSC_0322

 <車はただひたすら走る>

DSC_0324

<諦めた頃にやっと着く>

DSC_0325

<歓迎の花を差し出してくれる子どもたち>

DSC_0329

 

DSC_0330

 

DSC_0339

DSC_0341

NPOユニは、2007年から、バングラデッシュの少数民族・仏教徒であるラカイン人のための小学校を支援している。

里親からの支援は、孤児たちの学費や食費の他、今後開校する新しい村の小学校の先生たちの給料(政府から援助はない)にも当てるなど、学校の運営費になる。

ユニセフなどの大きな団体だと、経費の占める割合が極めて大きいようだ。(まあ無理もないのかも知れないが)その点、NPOユニは違う。里親からの3000円は、そのまま孤児とラカインの小学校のために使われるのだ。

そしてここはさらに自信持っちゃうところだが、里親には3ヶ月ごとに子どもからの手紙、写真、先生からの簡単な報告等が届く。

ラカインの村は、全部で17。しかしその内、ラカイン小学校が開校しているのは、NPOユニが支援している2つの村だけ。

こんな辺鄙なところには、海外からの支援もあまり届かない。でも、NPOユニは、今後他の全部の村の小学校も開校していくつもりだ。

ミャンマーから来たという新しい若いお坊さんはマジメそうな人で、僕はとても好感を持った。今後、学校の運営にも積極的に関わって欲しいと思う。

僕は先生たちに、「必ず、子どもたちが英語を普通に話せるようにして欲しい」と要求した。そして、英語の先生をもう1人増やすことを提案し、以前いた年輩の先生を呼び戻して欲しい、とも伝えた。

村でお昼を頂いた後は、少し休み、家路に着く。再び3時間半の道行き。途中、ミスター演説ことカリム氏の事務所に寄って大歓迎を受ける。

DSC_0464

 <新規赴任のお坊さんを交えてミーティングする。僕は先生たちに、子どもたちにはぜひ夢を与えて欲しい、と熱心に伝える>

DSC_0462

<“NPOユニの皆さんには、心から感謝しています”と新しいお坊さんは語る>

DSC_0432

DSC_0423

DSC_0422

その後、孤児たちにも1人1人会って、夢を聞いたりなどのお話しする。以下は孤児たちの一部の写真。

DSC_0393

<“夢に向かって、走れ少年!”>

DSC_0371

 <この子らの“未来に幸あれ!”と願わずには、、、>

DSC_0396

<“この子たちの里親になって、夢を与えてくれる人を探そう”と思う>

DSC_0365

 <彼が裸足なのを見て、“靴のプレゼントを持って来て良かったな”と思った>

DSC_0480

<見送りに来てくれた子どもたちと、”また遊ぼうね!”>

DSC_0478

夜は、今後の展開についてのミーティングで話し込んだ。そのとき、まったく新しい発想が閃いた。

 それは、“ラジョーさんが定期的にラカインの小学校に、チャリティックスと念仏を教えに行ったらどうだろうか?”というものである。

 というのは、今後、コックスバザールの2つの小学校では、学校の課外プログラムとして、チャリティックスが始まる。ラジョーさんはそれの指導にも行くようになる。“ならば、ラカインの小学校でも同じことをすれば良いではないか!”と、僕は思ったのだ。

ベンガル人系の小学校では、チャリティックスの指導はできても、イスラム教徒だから念仏は無理だ。だが、仏教徒ラカインの小学校なら、念仏やその他、タオサンガでやっていることをいろいろ教えることが可能だ。

ちょっとイメージしてみたら、“きっと面白いだろうな!”と思った。それでラジョーさんに提案したのである。もちろん、彼も大賛成である。

 実はこれ、今までは全然考えつかなかった。というのは、僕には「キリスト教は、援助しながら布教する」というイメージがあった。(もちろん、そうじゃない人もいるだろうし、もしかしたら僕の偏見なのかも知れないが)

いずれにしても、そのようなやり方に僕は違和感を持っていた。援助者は、その土地の文化を尊重し、それ以上は立ち入るべきではない、という思いを強く持っていたのだ。

しかし、そう思ってずっと接して来たラジョーさんが、いつの間にかタオサンガの念仏者になっていた。僕からは一言もいわなかったのにも関わらず、、、。

そして今やコックスバザールで念仏を広め、「念仏していると幸せだ」という人たちまで生まれているのである。

 ならばいっその事、ラジョーさんが念仏の坊さんになって、この地で念仏を広めたらいいやん、僕はそう思ったのだ。(ラジョーさん、すでにラカインの坊さんを一度やっているし)

※ところでラカインの子どもたちを援助する里親になってくださる人がいらしたら、ありがたい! ぜひご連絡下さい。僕のFacebookメッセージでもいいし、NPOユニのウエブサイトを通じてでも。

 

0

大ごとだった!大学でのゲーム大会

2014/02/23 Categories: ゲームCHATRANGA バングラデッシュ支援

  こんなに大ごとになるとは思っていなかった、というのが最初の僕の感想である。会場には何百人といる上、花や壇上まで用意されている。

そして学長、教頭先生など主だった大学関係者たちと一緒に、僕は壇上に上げられた。その上、スピーチまで求められたのだ。

 

DSC_0235

<来賓の祝辞>

 

DSC_0230

<学生たち>

 

DSC_0237

<学長のあいさつ>

 

これでは、“ねぇ、面白いからみんなで遊ぼうよ〜”なんて、言ってられない。

さて、開会式が始まり、来賓は次々と祝辞を述べる。

 

学部主任は、“これはかつてないイベントです”というようなことを英語でスピーチした。さらに、“GAMEチャリティックスは数理をイメージ化するゲームであり、これの哲学的な世界云々”と語る。    

僕を、“そこまでチャリティックスについての理解が進んでいるのか!”と驚いた。 

それにしても、冷や汗どころの騒ぎではない。いつまでも終わらないのは、カリムの延々と続くチャリティックス論の演説だった。    

そしてそれに耐えている自分は、何だかインドのコメディ映画の役者にでもなったような気分になって来た。今にもダンサーたちがまぎれ込んで来て、みんなで一緒に踊り出すのではないか、と思ったほどである。

 

DSC_0226

<チャリティックスとは〜、というカリム氏の演説が止まらない>

 

やがて指名を受け、僕がしたスピーチは、カリムの100分の1にも満たない短いものだが、それは以下のようなものだった。

 

“人生は目標に向かって戦略を立て、選択を決断していくことで成り立っています。僕が、このゲームを創ったのは、人々に、人生で成功するための戦略や決断のスキルを磨いて欲しいと思ったからです。さらに人と人が、国境を超えて友だちになって欲しいと思ったからです。

 

僕は皆さんに、このゲームを通して、国境を超えてたくさんの人と友だちになって欲しいと思います。また、自己実現に必要な、戦略や決断力を磨き、ぜひ良き未来を創って頂きたい。そう心から思っています。今日は参加してくれてありがとう”

 

DSC_0232

<ラジョーさんがベンガル語に通訳>

 

DSC_0227

<開会式に立ち上がって拍手する人>

 

DSC_0238

<さあ、いよいよか?>

 

DSC_0244

<始まるぞ〜!>

 

いやはや大変な1日になった。300人以上もの学生たちが入り乱れての対戦である。勝った回数での順位戦なので、誰が勝ったかなどの統計も取らなくてはならない。もう、“わいわい、ガヤガヤ”どころの音量ではない。

 

講堂の半分は、もはやマイクの声だって聴こえやしない。にも関わらず、マイクを使って演説をがなり立てているカリムと、その部下。講堂は、僕たちに“バングラデシュの選挙って、きっとこんな感じなんじゃないかな〜”と思わせるほどの騒然ぶりであった。

 

1779356_592540927507173_202866642_n

<講堂全体が熱気に包まれている>

 

DSC_0242

<女子学生も負けていない>

 

DSC_0240

<一見地味だが熱気はすごい>

 

DSC_0278

<数理をイメージ化しての読み合い>

 

DSC_0276

<哲学的理解をしていそうな女子学生>

 

DSC_0253

<真剣である>

 

DSC_0279

<まず一勝したわ!>

 

DSC_0247

<緊迫感と楽しさが入り混じった空気>

 

DSC_0265

<やったー!>

 

勝敗の統計は、モングやナイナイなど、ラカイン人(NPOユニが支援している少数民族仏教徒)のボランティアたち数人で走り回って行っている。しかし、300人以上もの人数が相手では、とても人手が足りない。

 

また中にはルールを間違えて憶えている人もいて、僕らも走り回って、直したりした。(英語が通じない人もいて、そうなると怒鳴ってボランティア・スタッフを呼ばなければならない。しかし講堂は、カリムの演説とみんなのガヤガヤ声の音量のため、それも聞こえない)

 

DSC_0246

<汗だくで走り回る、ラカイン人ボランティアのナイナイ>

 

DSC_0268

<僕らも大声でどなりながら(講堂全体が大音量のため)、必死にルールを訂正して回った>

 

1時間後、先生が走り回ってストップをかけた。そして勝敗を計算し、4位までの入賞者が決まった。

しかし、すったもんだが始まったのはこの後である。なんと発表後に、勝敗統計の見落としが見つかったのだ。あっちゃー!

 

そこで壇上で、先生が発表を訂正した。ところが、女学生を含めて何人もが手を上げて、「先生! 統計の発表に間違いがあったのなら、私はもう一度、最後のトーナメントを行うべきだと思います!」などの主張が次々と繰り広げられた。

僕は驚いた。と いうのは、僕はてっきりイスラム教の女性は、「慎み深く、男性の先生に反対意見を言うことなんてない」と、思っていたからだ。

しかしこれは、「日本の女性 がみな大和撫子である」とイメージする、西洋人男性の精神構造と同じ勝手な思い込みだった、と気づいた。(東西変わらず、男性というのは自分好みのイメー ジを女性に投影するものなのだ)

 

まあ結局、感じの良い熱血先生がうまく話をまとめてくれた。そして最短の時間で、最後のトーナメントを、やっと終えることができたのである。

 

またその頃には、学長たちなど主賓が再び壇上に登り、授賞式が行われた。11時から始まったイベントは、かくて無事終了したのである。時間は、すでに昼の3時ごろであった。

 

DSC_0280

<“上位入賞者を発表します!”>

 

DSC_0300

<学長から賞状の授与>

 

DSC_0292

<優勝者の授賞式>

 

大学からラジョー家に戻った僕たちは、ボーッとあまりものも言わずにお昼を食べた。そして、各自しばらく昼寝して休んだ。ナイナイなどのボランティアたちも、センターで寝ていたらしい。

そりゃそうだろう。無理もないな、と思った。300人以上がガヤガヤと騒然とし、その上マイクががなり立てている中で、ずーっと走り回っていたのだから。

 

夜には、翌日から回る、ラカインの学校や村についてのミーティングを行った。朝昼夜、バングラデッシュ滞在中はフルに活動するのである。

 

0

バングラデッシュはGAMEチャリティックス王国になるか?

2014/02/20 Categories: バングラデッシュ支援

これ以上の簡素さはないだろう、と思わせるコックスバザールの空港には、満面の笑みを浮かべたラジョーさんが待っていた。

会うのは、7月にタイで行われた「タオサンガ・タオ指圧世界大会」以来。約半年ぶりである。

相変わらず人力車が走り回っている。1年ぶりに見るコックスバザールの街並だ。やがてラジョー家に到着。

DSC_0078

少し休んでから、NPOユニの援助で、ますますきれいに整備されていく仏舎利塔の状況を視察。(会員の皆さん、ありがとう!)丘の上にある仏舎利塔は、夕日の眺めが素晴らしく、快い風が吹いている。

DSC_0064

DSC_0057

<次は、ここを改善しようと相談>

DSC_0042

<仏舎利塔の整備を担当している”花のおじさん”と僕らが呼んでいる人>

DSC_0023

その後、タオサンガセンターに行くと、「なんだこれは!?」と思った。何人もの人が作業に追われて、ごった返しているではないか!?

それは、明日からコックスバザールの小学校や大学で開催される、チャリティックス大会の準備をしていたのだった!(注:チャリティックスというのは、僕が考案した戦略ゲームのことで、詳細は月刊タオサンガ「住職に聞く」をご参照下さい。taosangha.com)

DSC_0180

 

DSC_0011

<サイコロを作っているところ>

DSC_0006

<チャリティックス大会のポスターまであった>

僕は少し前に、“ラジョーさん、大学でチャリティックスの大会やらない? そんでもって、優勝者には奨学金ということで賞金(日本円で3000円ぐらい)でも出そうよ”と持ちかけていた。それは、実はちょっとした思いつきでもあったのだ。

そしてこの提案によって、ラジョーさんは一生懸命にいろいろと動き回ってくれていた。その結果、大学と小学校での大会開催となったのである。(うぅ、ラジョーさんって、良い奴だな〜。涙)

聞けば前の週は、タオサンガセンターに100人以上が集まって、チャリティックスの練習会をしていたらしい。

実はチャリティックスには、オンライン・ゲームもあって、世界中で対戦できるようになっている(現在はまだ、テストプレイの段階だが、、、)

そして、それに参加しているコックスバザールのモングという人に、僕はオンライン対戦で二敗している。これからはバングラデッシュから強豪プレイヤーが生まれて来るんだろうな〜と、大会の準備を見て僕はわくわくした。

DSC_0668

<16才の高校生モング。チャリティックスがうまい>

夜には、大学でチャリッティックスの説明会を開いてくれた、パルスというバングラデッシュのNGOを主宰している、カリムという人が訪ねてくる。

彼はチャリティックスが、いかに子どもや学生たちに知的向上をもたらす素晴らしいゲームであるかについて、滔々と演説を始めた。

そして、「これは世界的なゲームになります! 全バングラデシュに広めるべきものです!」と力説して、僕らをびっくりとさせた。(実はこの時、ちょっと感動した)

 さて翌日。小学校での大会。小学生たち100人以上が入り乱れての対戦である。(こちらは文房具なんかの賞品)なんかもう、すごい熱気! 大学生までやって来て、別の部屋で明日の大会に備えて練習会をしている。

DSC_0140

DSC_0142

<ウワサを聞きつけて、近所の子どもたちもやって来きたが、人数が多過ぎてとても入り切れない>

 DSC_0117

<左が演説のカリム。右は校長先生。そして、みんなの熱気をぼーぜんと見ている僕>

面白かったのは、近くの別の小学校の校長先生(仏教徒の女性)も来ていて、すっかりチャリティックスにはまっていたことだ。

子どもたち相手にも、何度も何度も対戦し「ウチの小学校でもぜひ大会を!」と言われた。 大会のあった学校の校長先生も、子どもの知育に役立つと喜んでくれていた。

DSC_0141

<右がチャリティックスにハマった近所の小学校の校長先生>

DSC_0101

<右はNPOユニのまさとさん>

DSC_0103

<「このゲームが子どもたちの知育の発達に有効であることは間違いない!」という校長の弁で盛り上がる>

日本でもイベントに出展すると、チャリティックスに、はまっている子どものお母さんから、“ウチの子が、こんなに何かに集中しているのは今まで見たことない”とか、“子どもの思考力を高めるのにいいわね”なんていう声が上がるとは、聞いていた。

でも、教育関係の人からポジティブな感想を言われて、とってもうれしかったな、、、。僕の創ったゲーム、チャリTXが、やっと世界に理解され始めたんだ。

 

0

バングラデッシュで正月を(3)   いたたまれない感情をもてあますとき

2013/01/20 Categories: バングラデッシュ支援

1月3日 ダッカへの移動日

 ラジョーさんのお経の稽古をやった後、経理を済ませて空港へ行く。

 別れ際のラジョーさんは、いつも淋しそうな感じで、僕はつらくなってしまう。

 “タイのタオサンガ世界大会に、ラジョーさん呼ぶからさー。7月に会いましょうね”と励まさないと、とても彼を残して僕は帰れない。

 

<空港の別れ際でのラジョーさん。出迎えてくれたときと表情が全くちがうのがつらい、、、>

 ダッカでは、ナジャーというラカインの学生が出迎えてくれた。

ダッカ

 ところでダッカには、親も家もないストリートチルドレンと呼ばれるホームレスの子どもたち数多くいる。

 ゴミ集めを生活の糧にしているが、愛情に飢えている彼らは、大人の変態性欲者たちの餌食になる。

スキンシップが欲しいが故に、幼い少年や少女が、インドやパキスタンからやって来るヒヒ親父の性具にされるのだ。

<ゴミを集める少年>

<1>

<2>

<3>

<4>

なぜこんな子どもの内から、ゴミ集めをして生きなければならないのか。

なんでキタねー大人の餌食にならなきゃならないんだ。

 性具にされた結果、傷ついた身体の痛みを忘れるために、子どもたちは麻薬をやるようになるという。

 だから、ゴミ集めを生活の糧とする子どもの姿を見ては、僕は、ふと熱に浮かされたように夢みる、、、。

彼らのための孤児院を造りたい、と。

少しでも幸せな未来を作る手伝いができたら、と。

 痛みとも怒りともつかない、いたたまれないような感情を持て余し、ふと熱にうなされるように思ってしまうのだ。

 ダッカに行ったら、ストリートチルドレンが多く暮してるという、公園に行くつもりでいた。

だが、ホテルからは、かなり遠いところにあると聞いて、今回は断念する。

実は、 ナジャーに相談があると言われていて、夕食を一緒にしながら話を聞くことになっていたのだ。

 、、、、明日、ダッカを旅立つ。

<ダッカの街は、大通りでも信号がない>

続く

0

バングラデッシュで正月を(2)   支援を本物にできるかは?

2013/01/19 Categories: バングラデッシュ支援

1月2日  マレフン村へ

他のラカイン小学校を開校していくため、別の村を視察に行く。

片道3時間以上の道行き。1日仕事である。

 

やっと着いた!

村の中をいろいろ案内してもらう。大きな村ではないが、寺は3つある。

開校するならどこの寺が適しているかを、いろいろ歩いて検討する。

村長さんは、まだ若いけど責任感のあるしっかりした人とお見受けした。(やっぱり基本は、責任感だよなぁ)

<村を案内してもらう>

<村の子どもたち>

<銀加工の職人の家>

 <村の井戸>

 <動物も痩せているのが痛々しい感じ、、、>

 <村のインテリ風の僧侶>

 <寺の入り口>

<この寺には、青空教室に使えそうなスペースがあった>

 僕たちは、村の人たちと、ちゃんと正面から向き合って話し合う必要があった。

というのは、一番大事なことは、「本当に効果的な支援になるかどうか?」だからである。

 支援金を大きな団体に出すだけだと、経費として使われる部分が大きいと聞いたことがある。

また、現地の政府や行政を通すと、かなりの部分が現地役人のポケットに入ってしまう。これはすでに、別の国で経験済みである。

 だからこそ直接、現地の人と協力し合って支援するというのが、NPOユニのポリシーである。

村の人とミーテングしながら、たしかなことをやっているという実感と、あらためてこのポリシーの大切さを思った。

 NPOユニが村の人に求めているのは、たとえば、村の教育委員会を作って、責任をもって先生をさがしたり、授業内容を検討したりすることである。

その他、親への説明会を開いたり、計画的や教育方針を定めていくことも含めて、諸々、自分たちで動いてもらわないとならない。

 明確な行動の裏付けがあって、はじめて生きた支援になる。それがクリアーになった上での、ユニ小学校の開校である。

 村の主だった人たちに集まってもらい、述べた。

“僕たちはいくつかの条件を出します。単に、お金を出すだけはしません。いくつかが、ちゃんとがクリアーされたら、NPOユニは動きます。

ラカインユニの代表のラジョーさんと連絡を取り合いながら進めます。いつから始められるかは、皆さん次第です”

今まで教育支援が入ったことのない村である。半信半疑だったり諦めムードがあったりする。

加えて南半球特有のゆっくりした時間の流れがあり、どうしても動きが遅くなる。

でも、子どもは年々成長していくのだ。過去のムードに流されてしまっては、ラカインの新しい時代を創ることはできない、と僕は思う。(僕が焦っても、仕方がないのだが、、、)

しかしホントに、すべては村の皆さんの敏速な動きにかかっているのだ。

<話し合う内に、こちらの熱意が伝わったのか、村人たちも真剣になって来た。中央のピンクのシャツを着ているのが村長さん>

<NPOユニの理念を説明するラジョーさん>

村でお昼をごちそうになってから、再び3時間以上のドライブ。土ぼこりと共に、やっと帰る。

だが、僕たちにはまだ仕事が残っていた。

 医者夫婦をNPOユニ・ラカインに引き込むための、最終ミーティングである。

“タオサンガは、面白いですよ〜”とか言って、僕がご主人をのせた! そして話し合いは終わった。ははは、作戦成功! “ウエルカム トゥー ユニ!”が、別れ際の僕のあいさつだった。

 

 <ラカインの医者夫妻マレニンさん>

明日が最期の日、、、。

この頃からラジョーさんの様子がどことなく淋しそうになってくるのが、正直つらい。

 夜は、“ラジョーさん、飲もうよ”と誘って、3人屋上で少しばかり、しんみりと飲む、、、。

 続く

0

バングラデッシュで正月を(1)  新年会の頼みの綱は?

2013/01/16 Categories: バングラデッシュ支援

元旦

 まさかバングラデッシュで、正月念仏会をやることになるなんて夢にも思わなかった。

 朝から老若男女が、タオサンガセンターに正月参りに来られたので、僕は、念仏に先立って、ラジョーさんの通訳のもとに、少しお話しをさせてもらった。

 「念仏では、勧請(かんじょう)といって、仏さまや菩薩さまに道場に来て頂きます。

そして、宇宙大霊である阿弥陀さまの光明を宇宙一切にふり向けて(回向)頂くのです。

 昨夜の念仏で僕は、土地の神さま方も大変喜んで下さっているように感じました。

 皆さんも、ご先祖や家族、またすべての生きとし生けるものに、阿弥陀佛の光明がふり向けられるようにお祈りしながら、念仏して下さいね」

<まゆさんも、正月のあいさつ>

 皆さんで1時間ほど念仏や読経した後は、朝食の接待をする。お茶とココナッツをまぶしたもち米、ラカイン焼きそば、などだ。

 街の長老らしき人が、“日本仏教が入ったのは、ラカインの歴史上はじめてのことですよ”と感慨深げに言う。

 しかし日本仏教というよりも、明治時代に超宗派の念仏を説いた弁栄上人の教えが、そもそも世界で共有できるほどの普遍性を持つ世界仏教だったのだ。

だから僕は、「今日やったお念仏は、北米やヨーロッパなど各地でやっているんですよ。仏教は、普遍的なものだから、みんなでやったら良いですよね」なんて妙な答え方をしてしまった。

<朝食の接待>

時間が来たので、パソコンを立ち上げる。PCのテレビ電話(スカイプ)でつなげるためだ。

年越し念仏をやっている世界各地のタオサンガセンターが、Happy New Year! を同時に交わし合うのは、毎年恒例だ。

 つないでみると、おお! バングラデッシュの通信状況はまだ弱いけど、カナダと東京の声は聞こえるではないか!

オーストリアや京都もつながっているみたいなんだけど、こちらの声は聞こえない。

モンテリオールのセンターの映像が見えたので、カナダ・タオサンガのみんなと挨拶を交わす。

向こうはまだ大晦日の夜で、これから念仏らしい。

 バングラデッシュのセンターに来ているお年寄りに、“カナダで念仏する人たちですよ”と説明してヘッドフォンを渡す。

 映像を見て、ちょっと話してびっくりしている。いやー、僕も最初は、驚きましたよ、そりゃ。

こういう時は、文明バンザイである。

<女医さんの創った女性のためのセンター>

元旦でも、滞在時間が限られているわれわれは、のんびりしているわけにはいかない。バングラデッシュ自体が、特に正月気分という感じでもないし。

午後は、女医さんの造った女性のためのシェルターを見に行き、さらに仏舎利塔に行って、その後の相談。

 夕方は、ラジョーさんの奥さんにもセンターの事務を手伝ってもらうためのミーティングをする。実は彼女は、短大で英語もコンピューターも学んでいたのだ。

<階段の修復はすっかり完了している>

<いつ行ってもおじさんは、喜々として仕事をしている>

<仏舎利塔からの眺め>

<初めて奥さんを入れてミーティング>

<何をやっているのかというと、蚊帳をつっているところ。寒いくせに一丁前に蚊がいて、眠れないことがあるのだ>

<蚊帳が完成すると、一安心である>

夕食後は、屋上で3人で新年会の乾杯! 頼みのつなは、バンコクの空港の免税店で買って来たウィスキーと、まゆさんが日本から持って来た柿の種である。(彼女は柿の種を持って来るのは忘れない)

でも、それで十分じゃないか。天体望遠鏡のお陰で、月は感動ものだし、、、。続く

0

年末はバングラデッシュで(4)  静けさと幸せ、、、

2013/01/15 Categories: バングラデッシュ支援 未分類

12月31日 “そういえば大晦日”

クルスクル村のUNI小学校に行く。(ここは車で40分ぐらいなので、行くのは楽である)

4人の先生がいて、ラカイン語を教えている校長は、僧侶である。

ラジョーさんの通訳で、これからどうやって、全17の村に支援を広げていくかの秘策について話す。

さて、その後は、ラジョーさんが先生たちにゲーム、CHATRANGA を教える。

すると、僧侶の校長まで、“ボッカーン”とか言いながらやっている。真面目な顔しながら面白いぜい、この人!

<おもしろ〜い!>

<そうか、こう動かすのか>

<キミ、もっと戦車を前に出した方がいいよ、とか口出しする校長。戦略眼センスあり、と見た!>

“後で子どもたちに配って教えて下さいね”と、何セットか置いていく。

 その後、各教室を回る。子どもたちに、ちょっとした心の持ち方で気がパワフルになる方法を教える。

そしたら驚いた! 案外みんな、喜んでやっているではないか!

ああ、そうか! これからは、タオサンガでやっていることを、気軽に、どんどん広げていったらいいんだな、と納得!

<おみやげを配ると、、、>

<緊張している子と、後で笑っている子とか>

<最初はいろいろだけど>

<最後はみんな、やっぱりみんなうれしい>

ラジョー家に戻ってお昼を食べた後は、ラジョー氏のお勤め(日本のお経)の練習につき合う。

なにせ夜は、学生たちも集まって、ミニ年越し念仏をやる予定になっている。ラジョーさんもリーディングするので、気合いが入っている。

ラジョーさん、最初の頃は、声がやたらでかいだけで、メロディも読み方もいい加減だった。でも、ずい分うまくなって来た。

彼は今、スカイプという、複数で同時に話せるパソコン電話で行う、お経の練習会に毎週参加しているからである。

ちなみにこの練習会は、ヨーロッパ、カナダ、日本、バングラデッシュをつないでやっている。

 その後、意を決して(というほどでもないが)シャワーを浴びる。バングラデッシュに来て以来、はじめてである。

ラジョーさんが、お湯を入れたバケツを持って来てくれる。それを少しずつ水でうめながら、久しぶりに土ぼこりにまみれた身体を洗う。

ああ、ありがたや。今日の夜は念仏会だもんな。さっぱりしなくちゃ。

 そして夜、ミニ年越し念仏会。最初僕は、2、3人でやるのかと思っていたが、十数名も来て驚いた。

そこで最初は、気の体験ワークをしたり、念仏について説明したりした。

その後、1時間ほどお勤めを行い、 終わったあと、お父さんといった感じの人が、“念仏をしていると幸せです”と微笑む。

近くにいた2、3人の人も、そうやな、と言った感じで、うなづいている。、、、僕の心には、しみじみとした幸せ感が広がった。

、、、 念仏を終え、人々が大音量で音楽を流して騒いでいる中を歩く。ふけていくコックスバザールでの大晦日の夜。

僕の心の中には、静けさと幸せがあった、、、。

続く

0

年末はバングラデッシュで(3)  神秘の月

2013/01/13 Categories: バングラデッシュ支援

12/30

チョドリパラ村へ

NPOユニが先生たちの給料をサポートしている、チョドリパラ村の小学校を訪問する。車で片道2時間半の道行きである。

<バングラデッシュのタクシー三輪ミゼットは、昭和の中期に日本でも走っていた>

<途中、子どもたちにおみやげを買っていく>

<どれにしようか、と相談>

この村は、チョバ氏とラジョーさんの奥さんの出身地でもある。

 小学校は休み(冬休み?)だったが、先生や生徒たちは僕らを待っていてくれた。子どもたちが、門の前で勢揃いして花を持って出迎えてくれるので、毎度のことながら恐縮してしまう。

 80歳を超える老僧には、毎年来るたびに“自分はもう老いた。君たち、後は子どもたちのことを頼むよ”と言われ続けて来た。

 寺の境内に入ると、老僧はすでに床に臥せっており、数名の人が身体をさすって看病していた。

 顔を見合わせて、少し話しをした。(先生たちの給料を、少し上げてくれてやってないか、と言われて、“それは予定に入っているからご安心を”という。学校運営を一番気にしているのはサスガ)

しばし手を握ったり身体をさすったりして過ごす。

その後は 教室に入って、子どもたちと顔を合わせて少し話して、おみやげを配りながら、ラジョーさんがゲームのルールを解説。

<まずは、年齢の高い村人から。顔がけっこう真剣!>

<僕もお相手する>

その後は、さっそくのゲーム大会である。ファミコンもトランプもない村だ。楽しんでくれるといいな、、、。

ひとしきり遊んだ後は、チョバ氏の実家にお昼を頂きに行くと、次から次へとごちそうを出してくれる。

きっと準備が大変だっただろうなあ、と感謝しながら頂く。

帰路に着く

昼食後には帰路に着いた。夕方には、ラカインの医者夫婦とミーティングの予定なのだ。

彼ら夫婦は、いくつかの援助活動を行っている。そこで、“お互い協力して、一緒にやりませんか?”という話をしに行くつもりである。

どこの世界でも実践力のある人は少ないから、彼らは貴重な存在なのだ。

 ところで昔は、日本でも“女は三界に家なし”と言われたが(今は、お父さんに家なしかも、、、?)、ラカインの女性たちには気軽に集まれる場所がない。ファミレスもなく、しかもここは、イスラム教圏なのだ。

だから女医さんは、最近、女性たちが集まれるようにデイセンターを作ったそうだ。

また、チッタゴン丘などの山岳地域に住んでいる子どもは、貧しくて高度な教育が受けられない。

それでかねてより、勉強熱心な学生を何とかサポートしたいと考えていた彼らは、現在、その女性センターの1部を2人の学生たちに無料寄宿舎として提供しているそうだ。

いずれは大きい寄宿舎をやりたいそうだ。

 村を後にし、再び車で2時間半揺られて帰る。着いたら、おっと! すでに4時半だ。約束の5時まであと少ししかない。

ほっとする間もなく医院に向かい、1時間ほど話し合う。

 

夜、夕食後は、恒例の屋上での一杯である。ありがたいことに、ウィスキーもラカイン焼酎もまだ残っている。寒いので、多少着込んで飲む。

 持って来た天体望遠鏡で月を見たら驚いた! 月って、こんなにきれいだったんだ!。さすがに都会とは違うなー。目に焼きついて離れない。

、、、バングラデッシュで見た月は、クレーターまではっきりと、その神秘の姿を現していた。

続く

 

0

年末はバングラデッシュで(2)   僕がホッとするものは?

2013/01/11 Categories: バングラデッシュ支援

12月29日

 午前中、NPOユニで修復中の仏舎利塔を視察に行く。

おおっ!花師のおじさんが、ガーデン造りにに励んでくれているではないか!

 水のポンプも造成され、すでに土地の半分がガーデン。NPOユニで修復した仏舎利塔は、さらにきれいになっていた。

<よくみたら土で、GUC RK(グローバル・ユニ・コミュニティ・ラカイン)と書いてあるではないか!>

<うしろにいる彼は、なぜかよく、ぬぼーっとして現れる。ひまらしい>

初めて仏舎利塔を見た時は、荒れ果てていて、その様子に、僕たちNPOユニのメンバーは心を痛めた。

それで数年前、仏教徒の学生たちにも声をかけて、皆んなで一緒に掃除をしたのが、仏舎利塔修復プロジェクトの始まりだった。

 その頃の様子を憶い出した僕は、きれいになっていく仏舎利塔をみて、感慨もまたひとしだった。(これぐらいの喜びは味わってもいいよね)

あと少しで、仏教の聖地公園になりそうな所まで来ている。

<ベンガル人観光客と>

<“展望台を造って一回5円ぐらい(かな?)で観光客にレンタルできるから”という、花師のおじさんの要望で、日本から持って行った天体望遠鏡を試す>

ラジョーさん曰く、“NPOユニのお陰です。会員の皆さんには本当に感謝しています” とのことである。良かったなあ、、、。

午前中は、今後の修復箇所について、1つ1つ確認しながら、3人で相談して過ごす。

 ミニゲーム大会

ところで、かつて僕が10年かけて完成させたChari-TXチャリティックスというゲームがある。

近々オンラインゲームになるんだけど、今回、このボードゲームの無料配布版を持って来ていた。

ラカインの村の子どもたちに教えて、無料配布するためである。

午後は、それに先立って、NPOユニの活動拠点であるタオサンガセンターで、ラカインの大学生や短大生たちにとミニ大会を行った。

 

<女の子たちも>

 <勝負あった!>

 <みなわりと真剣である>

どうしてホッとするんだろう?

この時、ふと思った。なぜ僕は、人がChari-TXゲームで楽しそうに遊んでいるのを見ると、ホッとするんだろう?

人々が童心に帰るのを見るからだろうか? それもあるかも知れない。

もしおじさんやおばさんたちが、缶けりとか凧揚げとかを喜々としてやっていたら、それなりにホッとするかも知れないから。いや、でもこのホッと感とは、少し違う。

自分が考案したゲームだからだろうか?           うーん、、、。もちろん、自分が楽しいと思っていることを人と共有することの喜びはある。だけど、それだけでは「ホッとする」というこの安堵感は、説明しきれないような気もする。

 では、このゲームを極めていくと奥が深くなり、将棋を極めていくことで人生についての示唆が得られるような、、、そんな要素があるからだろうか?

 でも、それだけなら、将棋をやっている人たちを見て、ホッとしたって良いではないか? でも別に、人が将棋をやるのを見ていたって、このホッとするような温かい感覚は僕には生まれない。

社会的な肩書きとは無関係

そこで、20年前のことを思い出した。“一体どうして、このゲームを創ったのですか?”と聞かれて、“孤独だったからじゃないですか?”と答えたことがあったのだ。

 その時、なぜ自分がそんな風に答えたのか、その意味を言語化できなかった。だけど、今回、ラカインの大学生たちがゲームをやっているのを見て、自分が何にホッとしているのかを考えていたら、ようやくわかってきた。

 まず僕は、“このゲームを憶えて人と楽しく遊べたら、プレヤー同士は友だちになるだろうな” と思うのである。

ここで自画自賛みたいな話になるので、まことに恐縮至極、でもお許しいただきたいのだが、このゲームを深いレベルでやると、ゲームを通じてお互いの人生観をやり取りするような所があるのだ。

飲み屋の将棋大会で僕が言うこと

 もちろん将棋にも、そういうところはある。僕は一昨年まで、毎年1月1日には「まほろば」という飲み屋で、酒を飲みながら行われる将棋大会に毎年のように参加していた。

31日の夜9時から1月1日の昼1時までは、ほぼ徹夜の年越し念仏会に出て、そのまま寝ずに、その夜は朝方までの将棋大会に参加するのである。遊びもさぼっちゃいけないしなー、と思って。

その時の僕は、“なんだそれは、サラリーマンっぽい手だなー。人間守りに入ったら終わりだぜい。”なんて、相手にほざきながらやっているのである。将棋は勝ち負けでなく美学だ、というのが僕のモットーだからである。まあ人生もそうだけど。

人生を語り合う

さて脱線してしまったので、話を戻そう。人間、表層の社会的な肩書きでつき合って、友だちになんかなれるはずがない。

世の中が貼るレッテルとは一切無関係に、人と人が言葉を通さずに、人生を語り合って友だちになる。こんな素敵なことがゲームを通してできるのだ。

僕の無意識は、それを、Chari-TX を楽しんでいる人の心の中に感じて、ホッとするのだと思う。

ゲームの根底にある願い

おそらく僕は、自分が味わったような孤独を人に味合わせたくないという想いが強いのだろう。

僕は小学生の頃から孤独を味わって来た。“誰もかれも自分とは違う。こんな悲しいことがあるだろうか?”と書いたのは、17歳の時だった。

まるで、人と共通の言語を持たないで生きて来たような想いがあるから、僕は人と無意識レベルで語り合えるツールに、ずっと飢えて来たのだ。(もちろん、音楽もその1つだし、指圧も気心道も、また念仏もそうなんだと思う)

また、だからこそ、あれほどエネルギーを注いで、10年もの時間をかけて、ゲームのルールを完成させたのだろう。

 僕にChari-TXを創らせた根底にある願いは、このゲームを通して、人と人が、肩書きも世代も無関係に、人生を語り合えるような友だちになって欲しい、ということだったと気がついた。

願いへの共感に深く感謝

今、タオサンガでは、Chari-TXプレイヤー(チャトランガーと呼ぶ)になってくれる人たちが続々と出現している。

それは人が、このゲームの根底に流れる、“孤独な人がいなくなって欲しい”という願いに、無意識に共感してくれているからではないか?

もし、そうだとしたら、いつしか第三世界の子どもたちや、養護施設の子どもたちに教えに行ったり、配布に行ってくれる人だって出て来るかも知れない、、、いや、きっと出てくるだろう。

そんなことを思っていたら、日が暮れて行く年末のバングラデッシュ、タオサンガ・センターで、いつしか感謝の気持に心は温かく満たされていた。

、、、明日から村を回り始める。

 <息子のセナ君に特訓するラジョーさん。元々彼は、思考するゲームは苦手だった。それが今回、がらっと変わってルール説明係になった。いつだってラジョーさんは、何も言わなくても僕の願いをすぐに理解して、実行してくれる人なのである>

続く

 

0
  • 1
  • 2