「可能性があるのに、それを死にものぐるいで開発しないのは、人生への冒涜である。
“なぜ死にものぐるいなんだ?”なんて聞く人には、逆にこっちが聞きたい。
死にものぐるいにならずして可能性が開けるとでも、思っているんですか?って」
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さて本題のブログだけど、一気に書き上げてしまわないと絶対に完成しないだろう。
別に著作のことではない。たった一編のブログを書くことですら、今やそんな状態である。
まるで戦場にでもいるような息つく暇もないような日々、、、。
何度も数行書いては、”あとで続きを、、、”とした。
でも途端に、もはや遠い過去に過ぎ去ってしまう。
だけど、どうしても掲載しておきたい写真だってあるのだ。
例えば、この小松さんの100万ドルの笑顔を見てください。
写真1<僕が盛り上げると、小松さんはこんな風に笑ってくれるのだ!>
この写真は、はるか昔、2017年5月にあった、アースキャラバン京都でのツーショット。
僕は、この前々日に、東広島から神戸まで原爆の残り火「平和の火」を持って、カナダのボブと自転車で交代しながら走って来た。
写真の僕が頭をスカーフで巻いているのは、自転車で走るときの日よけのために巻いていた”名残り”である。
(ヘルメットなんて被らんのよ、悪いけど、、、)
大阪では、アマントのミニシアターで上映会。JUNさんお世話になりました。
神戸では、毎年ピースサイクルがお世話になっている清水さん主催の「サラシャンティ」で上映会があった。
清水さん、ありがとうございました。
神戸でスピーチしたときの映像が下記。(「名前のない新聞」のあぱっちさんが撮ってくれました)
※ちなみに、その後、あぱっちさんは京都センターまでインタビューに来てくださり、名前のない新聞に掲載されたんのが、この記事。
http://amanakuni.net/GraphicData/200ryokyu.pdf
そんなんで5月は目まぐるしく過ぎたのだが、かなり前から、”6月になったら少しゆっくり休もう〜っと” ^ ^ と思って密かに楽しみにしていた。
ところが甘かった!
まず、長崎から広島までの420kmを「平和の火」を持って自転車で走る長崎出発式が6月30日。
その後、ピースサイクルの行程に合わせて長崎市、諫早市、門司港でもアースキャラバンのドキュメンタリー映画、「Be Free 〜原爆の残り火をパレスチナへ〜」の上映会をすることになっていた。(僕が持ちかけたりもしたのだけど)
だから、出発式をさせて頂くことになった長崎のルーテル教会や、上映会のことで、諫早市、門司港に準備に出向くことにしたのが6月、、、。
<長崎以降>
一日に2つの教会のミサをハシゴした坊主は、きっと僕ぐらいなものだろう、とは思ったけど、別にこれ自慢にならんな〜。
長崎市では深海智弓さんに尽力頂いて、出発式と上映会をルーテル教会でできることになった。
上映会の宣伝に、バプテスト教会に行き、その打ち合わせをルーテル教会に行ったのだ。
やはりミサやってるなら出席しないとね。
高校の頃は精神的にボロボロの上、好奇心も求道心も半端じゃなかったんので、
教会のミサにもよく行っていたのだ。
1つ目のバプテスト教会。韓国から赴任された、人間的魅力溢れる牧師さんだった。
ピースサイクル長崎出発式会場のルーテル教会。核廃絶センターの副所長の広瀬さんと。
帰って来たらすぐ東京に行き、東京から帰って来たら、もう長崎市の出発式のために出かけた。
ふぅー、、、。
出発式には長崎新聞、西日本新聞の記者の方々も取材に来てくださった。
<長崎出発式で、スピーチの代わりに笛を>
<中央は一ノ瀬さんというお坊さんで、坊さんなのに珍しく僕と気が合いそうな人だった。^ ^
教会で紹介されたのだ>
<ピースサイクラー・デビィ出発>
<こちらは翌日の長崎新聞の記事>
<智弓さんも伴走車で来てくれたので僕も少し走れた!>
その夜のアースキャラバン・ドキュメンタリー映画の上映会では、「みんなに観て欲しい映画だ!」という感想をいただいた。
<諫早市>
諫早市では、ドキュメンタリー映画、BE FREEを、仏教連合会が主催してくださったのだが、
実はここだけの話、僕はご僧侶の方々がとても苦手である。
(形式とか、しきたりとか、そういう世界が根本的にダメなのだ)
なので、まるでトイレで煙草を吸ったのがバレて職員室に呼び出された中学生のような気持ちで、
僕は緊張して出向いて行った。
しかし、主催してくれたのは通称「ぐれん隊」と言う集まりらしく、全くもってその緊張は不要なものであったので、
僕としては実に喜んだ次第である。
諫早市の上映会は、リヤカーで原爆の残り火を全国に運んだ、通称バウさんのお別れ会(49日)で出会った越智さんと、
圓立寺住職の立花さんに大変お世話になった。この場を借りて、あらためてお礼を言いたい。
<諫早市の愛すべきぐれん隊のお坊さんたちと>
<佐賀と門司>
その後、佐賀市でピースサイクルのデビィこと本岡さんを迎え、佐賀新聞に取材してもらい、それが翌日掲載された。
久しぶりにタオサンガ・メンバーのいずみさんや、深尾かずえさんとも会い、「鈴木監督」(聡さん)やデビィを交えて
楽しく夕食を食べ、翌日は門司港へ。
<僕が門司を出た日の夕方、カジタさんたちは、ちゃんとピースサイクルを迎えてくれた! 心優しい門司の人たちである。
カジタさん、新道まよみさん、池上さん、皆さま。ありがとうございました!>
ホテルに着いたら、もはや限界。倒れるようにベッドへ。
昼寝をした上、上映時間を間違えた。上映会場であるカジタさんのスペースに行ったら、土砂降りの雨である。
台風が迫っていた。
ピースサイクルが1日ずれていたら、台風に巻き込まれていたかも知れない。
去年も、熊本地震があり、1日ずれていたら長崎出発式はできなかったかも知れなかった。
門司港のあと、やっと京都に帰ったが、またもや東京である。(もはや記憶が朦朧としているのだが、多分)
そして帰ってすぐ、アースキャラバン広島のために出かけた。(前日にはスタジオにこもって7時間の通し練習である)
えいえい! と気合いを入れて出る。
アースキャラバン広島は、ボランティアの人たちが素晴らしかった。
<こんなキャンドルを創ってくれたのだ!>
2日間のアースキャラバン広島は、奇跡的に午後晴れた。
翌日、尾道市での上映会。
さらにその翌日は、東広島での午前と夜、2回のピースキャンドル・ライブを行った。
<音楽>
ところで僕は思う。
一体、いつになったら理想のステージ空間ができるんだ?、と。
“この一音で、人々を浄土に連れて往くことができたら、、、、”と切実に思う。
でもやっと、僕にとってライブとはどのようなものかがわかって来た。
以前は、楽器を弾いていることが僕にとって祭壇であった。
その後、ステージが祭壇になった。
しかし違う。
それでは足りない。
ライブ会場全体の空間が祭壇なんだ。
そこに諸仏菩薩と神々を招き、一切の魂を救って頂くこと。
これが本来あるべきライブの姿。
そのためには、命を捨てる覚悟で一音一音を出さなくてはならない。
この1音が、諸仏菩薩に届けられ、それを以って回向される音楽。
僕がやりたいのは音楽ではない。
音楽を超えたものだ。
単なる「気持ちの良い音楽」なんかではないんだ、、、。
それでも年配の女性が、”聴いていて涙が出そうになりました”と言ってくれたのが、ありがたかった。
そして僕は、もっともっと、、、ああ理想の音楽空間を実現したい、とまたしても切実に想うのであった。
<↑ 出来を聴くと、“ああ!”叫んで、つい“音程がフラットしてる!”とか、ここのタイミングが合っていない!”とか、
自他を責めまくっててしまう。が、すでに誰かが you-tubeにアップしてしまったのと、読者サービスであえてマゾヒステックに掲載した。
なぜ掲載したかは、「追伸」で>
広島から帰ったら、すでにアースキャラバン中東が、目前に迫っている。
えいえい! と気合いを入れて、中東の準備にかかる。
何せ、パレスチナ・アカバ村のロッキー(僕があだ名をそうつけた)に会いに行くのだ。
追伸:
一体、こんなブログに、書く方も読む方にも、どんな意味があるんだ? と思うこともしばしば。
だが、唯一の動機として、もしかしたらこれを読んで、”色々なところを向こう見ずに動き回っている気分になりたい”っていう人もいるかも知れないなー、
と気を取り直した。なので、ステージ内容としては、内心忸怩たるものがありながらも、演奏の動画をアップした次第です。
最後に、推敲していたらキリがないので、アップします。
なので筆運びにリズムがないかも知れないけれど、どうかご理解ください。