群馬のハンセン病サナトリウムを後にした僕は、大宮を経て東京に寄り、荷物を取って東北に向かった。(前号からの続き)
クリスマスの頃には、タオサンガの皆さんが現地に、ボランティア指圧などで詰めており、そのお手伝いをするためだ。
NPOユニは、震災直後から今も尚、気仙沼に定期的に野菜を送り続けて来ているので、そこと関連のある仮設住宅での活動である。
仙台に着いたら、すでに夕方遅くだった。それで、まずは仙台で一泊した。震災以来、訪れるのは3回目なのだが、今回も、なぜか胸か締めつけられてつらかった。
仙台で一度足を止めたのは、震災直後に被災地に入ったときの経験から、”気仙沼に行くには、仙台からバス”というイメージができ上がっていたからだ。(新幹線で、一の関まで行ける。そこからバスという手があるのを知ったのは、3日後の帰るときだった〜)
<仮設住宅>
<少し前には雪が、、、>
<“ミスター仮設”と呼ばれている、現地活動家の村上充氏>
<タオサンガのボランティア指圧>
<施術する長谷川森さん。東京センターの臨床スタッフ>
<透央(すなお)さん&天規子(あきこ)さん>
タオサンガからは、十名以上のボランティアが参加した。タオサンガに限らないが、こうして自らの身体やお金を使って、被災地にボランティアに来ている人たちに対して、僕は心から頭が下がる想いがする。
<オランダ・タオサンガの美和さん>
<中央が小野さん。右端は、美和さんのご主人の“ビッグマスター”。彼は、クリスマスに、60人分の夕食を用意した>
<世界各地のタオサンガから、455通のクリスマス・カードが気仙沼に届けられた。その中には、イタリア・日本人学校の子どもたちからビデオ・メッセージもあった>
<仮設のクリスマス・パーティでの中国楽器、奏琴(しんきん)の演奏>
<実はこの後、僕も2曲ほど演奏した>
<僕が考案したチャリティックス・Gameにはまった、けいと君。見事大人を打ち負かした!>
<けいと君は、次の日も、朝からさっそくチャリティックスを持って来て、大人を相手に対戦>
最近うれしいことに、子どもの友だちが、あっちこっちにできた。それに一役買っているのがチャリティックス・ゲームである。
実は、今まで出会った小学生で、チャリティックス・ゲームにはまらない子どもには、あまり会ったことがない。本当に不思議だし、うれしい。
僕としては、「子どもが僕を、大人として認識しないような関係になれたら成功!」と思っている。だから完全に同じ目線で付き合う。エラそーにはしないわけ。
ところで、このチャリティックス・ゲームを、僕はライフ・ワークとして創作して来た。実はこのところ僕は、チャリティックスを創らせた自分の無意識を言語化する作業に、ほとんど取り憑かれたように没頭していた。
そして、それの第1章とも言うべき部分が、月刊タオサンガ1月号の「住職に聴く」に掲載された。
このブログを読んで下さった皆さまには、ぜひぜひ、ご覧頂きたいと思います。http://taosangha.com/
何て言ったって、取り憑かれていたほどなんだから、、、。(←われながら意味不明)
<「雪だるま」の阿弥陀さま/ Snow Amida Sama と書いてある>
<おお! 久しぶりに京都に帰ったら、アメリカのマイルス君からクリスマス・カードが届いていた! マイルス君、ありがとー ^ ^) 僕には、最高のご褒美でした>
京都に帰ったら、すでに年末。恒例の「年越し念仏ギャザリング」が待っている。
僕は今年のタイトルに、“光明爆発”とネーミングした。それは、タオサンガのビッグバンが始まる年だからである。