‘日記’

利他の悲しみ

2012/12/27 Categories: 日記

悲しみと悟り

「悲しみを懐に抱き続け、遂に悟りに目覚める」ということばが、法華経に出て来る。

“悲しみ”と“悟り”とは、一見、全く別の心のように思われるかも知れない。しかし、宮沢賢治が愛してやまなかった法華経の、この言葉は、「利他」の本質をするどくついている。

利他とは、シンプルにいって、他に幸せを与えることだ。他に喜びを与えると、同時に自分の無意識にも幸せを与えている。

自分も他人も、深いレベルでは無意識を共有しているから、利他とは、自他共に幸福になる道なのである。

ところが、だ。利他の道を歩む人間は、悲しみを体験することは避けられない。

法華経でいう「悲感」だ。利他は幸せの道だと言っておきながら、“悲しみを体験する”ってどういうことだ? と思われることだろう。

 与える者と受ける者

そこでまず述べておくが、利他においては、“与えるもの”と“受ける”ものが生じる。

それはそうだろう。与えるものは幸せになる。これは間違いない。

しかし受けるものは一体どうなるのだろう。利他というからには、「与えない人」の心配までしなくては片手落ちである。

でないと、金持ちが道楽で慈善事業を行い、何か自分が良いことでもしたような満足感に浸っているのと変わらないものな。

 無意識へのメッセージが未来を創る

例えば、天台宗の開祖などは、“与えるものは天に生まれ、受けるものは獄(地獄)にいく”とまで言っている。えーっ!? 与える側に回らす、受けてばかりいれば、地獄行きかよ〜。

それじゃあ、与える側は、地獄行きの切符をせっせと渡しているだけじゃないか〜!? と思う。

もっとも、自分は与えずに、他からもらっているだけの人は、“ラッキー! 得しちゃった〜”と思っていて、まさか自分が地獄行きの切符を手にしているとは思わないだろうけど。

ただし、もらうだけで与えなければ、“自分は、他に幸せを与えるほど幸せではない”というメッセージを自分の無意識に送ることになる。

自分の未来は自分の無意識が創るのだから、そのメッセージを受け取った無意識がどんな未来を創るかは、ちょっと考えてみればわかるだろう。

本当の利他、その行き着くところは?

さらに考えてみよう。先に述べたように、利他とは他に喜びを与えること。しかし、自分が喜びを与えた相手が、ただそれを享受するだけで、与える人にならなかったらどうなるだろう? 繰り返しで申し訳ないけど。

地獄行きの人を創ることは、本当の利他でもなんでもない。だから真の利他の道の行き着くところはどこか? と言えば、それは利他をする人を育てることにならざるを得ない。

繰り返しになるが、人間、利他をすることでしか幸せになれない。

だとしたら、本当に人間を幸せにしようと思ったら、利他する人になってもらうしかないのである。

ここに先の命題である、“利他の道を歩むものは、悲しみを体験せざるを得ない”が、密接に関わってくる。

 利他とは誤解されて傷つく道

例えば誰かに、利他をすることで幸せになってもらおうとする。これは頼んでも無理だし、命令しても無理である。相手に良かれと思うことをひたすら行い、祈り続けるしかないのである。

ところが、だ。

相手にとって良かれと思うことをやり、“こんな一銭の得にもならないようなことをするのは、何か別の魂胆があるに違いない”と思われたり、相手の幸せを祈りながら、その当の相手からネガティブな目を向けられたりする。

そして人間は、そんな簡単に利他するようにはならない。利他を勧めても、“何かをさせようとしているんじゃないか”となどと勘ぐられてしまったり、義務を負わせられたように感じる人もいる。

時に僕が、本人が自分の内面に向き合わざるを得ないようなことを言えば、その人が反発したり、言い訳したりすることもある。

その結果生まれた、自分自身との向き合いや葛藤から逃げるため、エゴを正当化して利他の道を歩くのをやめる人もいる。

また中には、やめる前後に、陰であるいは面と向かって、僕を非難する人もいる。にわかには信じられないだろうけど、僕にはまるで身に覚えがない言動を、あたかも僕がしたかのように陰で言われことすらある。

それは、自分のエゴと向き合わせた人(僕)に、その葛藤の苦しさをぶつけたり、その原因を責任転嫁したためだ、と思う。僕もそれは頭では理解している。

しかし僕は傷つく。これで悲しくないわけがない、と思う。それに時には、僕に対する非難を聞いた他の人が、それを真に受け、妙によそよそしくなることだってある。

こんな時は、まるで冤罪で警察に連れていかれ、それまで親しいと思っていた人から、白い目で見られたかのような、寄る辺のない想いにかられてしまう。

まるで、親を気づかった幼い子供が、余計なことするな、と家族みんなに舌打ちされた時のような、傷のつきかたである。

 利他とは悲しみを受け入れる道

古には、愛をかなしと読んだし、イエスを悲しみの人と呼んだ。

そのイエスは、「狭き門より入れ。滅びに至る道は広く、生命に至る道は狭い」と説いた。

滅びとは、エゴを優先させ、自分の快適さを追求する道だし、生命とは利他に生きる幸福な道である。

しかし利他に生きる人を育てる、真の利他の道とは、幸福ではあっても、狭き門である。

それは、エゴにとっては受け入れ難い厳しい道だからである。

そしてそれが故に、他者と道を分かち合おうとする人は、時に人から言われなき非難を受ける。その悲しみを体験することは、避けられないのである。

マザーテレサのハウスでも、エゴと向き合い乗り越える利他の道について行けず、去って行く人は多かったと聞く。

利他の道を歩むスタッフは、ケアーを受ける側ではない。ケアーを実践する立場だ。だからマザーも、彼らスタッフに対しては、厳しくならざるを得ないだろう。なぜなら、自らに対するその内的な厳しさこそが、真の幸福をもたらすことを知っているから。

しかし中には、そのことが理解できず、かえって反発して去って行くスタッフも出てくるだろう。でもマザーだって人間だ。本人の幸せを願うその気持が理解されず、スタッフが利他の道を捨て去って行くたびに、深く傷ついただろう、とは思う。

マザーのハウスで、途中からスタッフを簡単には受け入れなくなったのは、エゴを捨てた利他のワークを、長時間行うことに耐えられなくて逃げる人がたくさんいたためだ、と聞いた。

イエスも最後は、弟子たちがみな逃げた。そして罪人として死んだ。さぞ切なく、悲しかっただろう。その直前には、弟子たちの足まで洗ってあげていたのに、、、。

たった一人になっても、人間への夢を捨てられない人。利他にしか生きられない人。そんな人だっているんだ。

「悲しみを懐に抱かずして悟る人はいない」という法華経の言葉が、優しくたしかな重みをもって、心に響いてくる。

 ※ところで、今タイのバンコクに来ている。明日からバングラデッシュに向けて出発。

 続きは、バングラデシュ篇

 

 

 

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幸せな心と孤独でないこと

2012/12/22 Categories: 日記

ため息ついてふと思ってしまった。

“いったい自分は、何のために生きているんだろう?”って。なんだか、まるでティーンエイジャーみたい、、、。

まあだけど、そうなんだからしかたがない。

僕は人の心を変えたくて生きて来た。このことに気づいたのは数年前だ。どんな心に変わることかと言うと、“幸せな心と孤独でないこと”、に。

なぜ僕は、こんなことのために生きて来たのか?

ちっちゃな時から(浅川マキの歌、風に)

僕は、もの心ついた時から幸せでなく、そしてひどく孤独だった。

そして、そこから抜け出そうとして子どもの頃から必死だった。しかし、それが極まるところまで行ってしまったのは、16歳の頃だった。

その頃の僕は、“どの年齢の人も、またどんな人も、例外なく、死にたがっているのを必死で我慢して生きている”と、頭から思い込んでいた。

きっと僕がそうだったからなんだろうけど、それが自分の投影だとは気づかなかった。それぐらい精神的に余裕がなく、追いつめられていた。

だから、そうでない人がいる、というのを知ったときは、心底びっくりしたものである。

そんな僕だが、子どもの頃からやって来たことは、不幸せっぽい人を見つけては、なんとか幸せな気持にしようと努めたり、孤独そうな人を見つけては、なんとか孤独でない気持にしようと心を病むことであった。

しかし、もちろん、僕の試みは多くの場合、失敗した。

快適な自分を満たすのが幸せなのか?

その原因は、ずい分たってからやっとわかったのだが、、、(恥ずかしながら、実は最近)。

そもそも人が幸せな心になるためには、“他の人を幸せにする気持にならない限りは無理”なのだ。

孤独な人が孤独な心から解放されるためには、他の人の孤独を癒そうする気持がない限りは不可能なのだ。

それが人生の法則なのだ。

それは、よくよく考えてみたら当たり前のことなんだけど、なかなかこれを言語化して認識することはできなかった。だから、失敗して来たのである。

というのは、通常、人は、快適な自分を手に入れることを幸せと呼ぶ。それで、“自分を幸せにすること”が、幸せだと思っている。

ところが現実は違うし、その誤解が解けない限り、幸福にはなれないのである。

 人は、自分で自分を幸せにすることはできない

人に認められたり、優しくしてもらったりするのって、幸せなことだ。これは物質に満たされた北半球の日本に住む私たちが、唯一感じることができる幸せかも知れない。

だけど、どうしたら人に認められたり優しくしてもらえるのだろうか? 有名になったら? お金があったら? それとも偶然のチャンスを待つ?

きっとみんな、“今の自分に足りない何かがあったら、自分はもっと認められるし、もっと優しくされるし、もっと愛される”と思っているのかも知れない。

だけど、それって、今の自分を否定することだから苦しい。それに、そのこと自体が幸せなこと状態だとは、とてもいえない。

また、たとえ自分に足りない何かが、先行き手に入ったとしても、果たしてそれで人に愛されるのだろうか?

人生の事実

地位があるから、有名だから、お金があるからという理由で親切にしてくれる人は、もちろんあなた自身を認めているわけでも、また、あなた自身に親切にしているわけでもない。

言ってみれば、あなたが着ている服を愛しているに過ぎない。

人は、自分で自分を幸せにすることはできない、と言った。これはほんとうの本当に事実なのだ。ただし多くの人は、単なる“快適さ”のことを幸せとカン違いして、そう呼んでいる。

だから、この現実(人は、自分で自分を幸せにすることはできない)を知るのを邪魔して、幸せを求めていながら、逆に不幸の種を積んでしまうのだ。

だって快適さって、長続きしないんだもの。

人間は、どんな快適さもすぐに慣れてしまって、不幸を感じるようにできている悲しい存在だから。(しかも、手に入れてしばらくの間は、これが長続きすると思い込むという、愚かさも併せ持っている)

人は、人に幸せにしてもらうしかないのだ。じゃあ、どうしたら、それはできるのか?

「人は、他の人を幸せな気持にすることでしか、幸せを感じないようにできている」まずは、この峻厳な人生の事実を認識するところが始まりだろう。

“そうかあ、宇宙ってこんな風にできていたんだ〜”と、僕自身、あらためてその不思議を想う。

<続く>

※ああ、バングラデッシュ行きの準備しなければならないのに、ブログなんて書いて時間使ってしまった〜。何か写真でも載せようかと想ったけど、時間ないからやめたっと。

 

 

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過去から未来へ疾走する

2012/12/04 Categories: 日記

過去から未来へ疾走する

つい、1〜2週間前の話なのに、東京センターでのイベントや京都ベジフェスでのLIVEは、あっという間に過去の出来事になってしまった。

というのも、年末年始は、バングラデッシュやタイにいることになったからだ。すでにそちらの準備に向けても疾走しているんだから、無理もないか、、、。未来と過去は同時に考えられないもんな。

やっとできた時間のすき間に、「ブログ書かなきゃ、、、」なんて思ったんだけど、そういえば何やっていたんだっけ? と思い出す始末。

そういえば木曜日は、一日夕方までバンドの練習。その後、新幹線に飛び乗って東京へ行ったんだ。翌日の、東京道場での彼岸法要やチャリティイベントのため。

東京に向かう

さて、東京駅に着いた。「センターで準備をしているタオサンガの皆さんの労をねぎらいたい」とは思いつつも、風呂に行き、一人部屋で休んでしまった。(後で聞いたら、劇の練習で忙しかったとのことで、行かなくて良かった)

23日金曜日(祝)/ 彼岸法要とチャリティバザー

朝の始まりは彼岸法要。雨がけっこう降っていたので、“まあ人はいないだろう”と思っていたら、たくさん来られているのでビックリ!

30分の彼岸法要の後の法話。何を話したかはヒ・ミ・ツ(なんちゃって)。

その後、健康教室があった。(経絡ヨガをやっているところ)

<治療デモンストレーション/“どこか「痛い」とかの症状のある人はいませんか?” と会場に呼びかけ、経絡の状態を説明しながら、数分の治療で症状を取る。3人ほど、行った。ふぅぃ〜>

 

<その後、チャリティバザー始まる>

<お値打ちものばっかり。すべて支援金となる。値段は買う人が決めるサンガのシステム>

<輪投げでバザー品をゲットする子どもたち。僕も挑戦したが、入らなかった〜>

他の部屋では、、、

<キッズ スペースもあり>


<チャリティ施術の部屋。この日はすべてがチャリティのため>

 

いよいよメイン・イベント!  それは、、、

<タオサンガ版 喜劇「新白雪姫」!>

 <これがまた、抱腹絶倒!! 配役、脚本、演技、すべてがほんとにスゴい! いや〜、本山に売り込みたいです。タイ大会では英語でやる、とのこと>

イベントが終わって

 あと片付けの後は、皆さんで一杯飲みながら、まったりと。バザーの残りを食べたり、買って来たお寿司を食べたり

くつろいだところで、Chari-TXゲームが始まった! ふはははは。(ここで笑うのは、嬉しさのあまりである)

先ほどのバザーでは、悠一郎君という賢そうな小学生がいた。そこで僕は、すかさず彼をスカウトした。これからチャリティックス棋士として、英才教育をするつもりである。楽しみだぜい!

24日土曜日/別時念仏会

別時念仏というのは、座禅の摂心みたいなもの。集中的に行う修行のことである。

この日は、「念仏でトラウマを癒す秘法」等を行った。夕方はネットでも放映している毎週の法話ライブ。http://www.ustream.tv/channel/taosangha

終わった直後は、また新幹線に飛び乗って京都へ帰る。翌日のベジタリアン・フェスティバル出演のためである。(朝でなければ、会場に機材が搬入できないので)

25日(日曜日)ベジフェス(梅小路公園)に出演

<なんと曲の途中で弦が切れてしまった〜。ピーンチ!>

 <で、次の曲から別のギターで弾く>

この日はセッティングにやたら手間取った。また、アンプからいつもの音量や音色が出なかった。(さらに、演奏途中でギターの弦が突然切れた)ようするに、トラブル続きだったのである。このため、二曲しか演奏できなかった。

自分的には、不本意なステージであった。その後は反省どころでなく、2、3日うわごと言うほど自責の念にかられていた。

「いや〜、今までレコーディングばかりで、ライブはすっかり遠ざかっていたからさー」などと、時おり自分で自分に言い訳しながら、である(←ああ、何やっとるんじゃい)。

そういえば、ソロアルバムを出している頃は、リリースするたびに「ああ、駄作を出してしまった〜」と、一人落ち込んでいた。ダメなところばかり耳についてしまっていたのである。

毎回CD出した直後には、いつもそんな状態であった。それが、人様が「いい!」と言って買って下さったり、テレビやラジオで放送されたり、“いつも聴いています。音色に癒されます”などと言って下さるにつれて、“まあ、自分で思っていたほどは、そう悪くはなかったのかもね、、、”と、恐る恐る立ち直っていくのである。

ああ、なぜか舞台裏を話してしまった〜。これはあの日のライブの後遺症である。次はもっと良いステージにするから、勘弁してくれい。すでに遠い過去の話なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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“おれ一体、何やっているんだろう?”そう思う時もあるけれど

2012/09/24 Categories: 日記

駅の階段で、パソコン抱えて座り込み

おれ一体、何やっているんだろう〜? とつい思ってしまった。札幌から来たリミさんたちと軽く一杯飲みながら、ミーティングを兼ねた夕食をしていたが、9pm前になった。

ああ、もう時間かー。9pmには、来年タイで開催する、タオサンガ世界大会のことでミーティングが始まる。ミーティングと言っても、無料のパソコン電話。

海外数カ所をパソコン電話(スカイプ)でつないでの話し合いである。今や、この国際ミーティングだけでも、週に3回ぐらいやっているので、なかなか大変だ。

時差があるので、こちらは9pmでも、アメリカは朝で、ヨーロッパは午後。こちらは夕食どきなんですけど〜。と文句を言うわけにもいかない。このために朝早く起きる、アメリカのデボラやカナダの茂木さんもいるからなあ。

とにかく、急いで夕食を切り上げ、一人自転車で移動。あわててマクドナルドの2階に行ってパソコンをつなぐ。ミーティングは、いつものように「グッドモーニング!」で始まった。

しかしマクドナルドの2階は、思った以上に周囲の声が大きい。その上、遠慮して話すこちらの声は、向こうには聞き取りにくいみたいだ。

ああ、もう!。と、仕方がないから雨がパラつく中、ネット接続したままパソコンを小脇に抱え、駅の半地下に降りる。そして途中の階段に座り込み、僕は、パソコンに向かってどなるような大きな声で、話すこと約1時間、、、。

それで終わったあと、ふぅー、と一人ため息をついて、ふと思うのですよ。気がついたら長い間、自分はホームレスみたいに駅の階段で座り込んでいる。周囲には誰もいない。外は雨も降っている。自転車で帰らなければならない。夕食も切り上げたりして、ああ、いったいオレ何やっているんだろう? って。

LIVE at  Blue Eye

僕らのバンドは LAMANI というのだが、別名“反省バンド”ともいう。何せライブの後に、打ち上げというものをやったことがない。いつもライブ演奏に関する反省会ばかりしているのである。

自分としては、“CDアルバムでは徹底して仕上げている、タイミングやリズム、音量バランスなどをLIVEで再現するには、まだまだやり込んでいかなくてはならない。”と、こんな風に反省の日々なのである。

まあそんなんではあるが、ライブ映像を編集してYou-Tube にアップした。(いずれこの映像は、アップからはずす可能性が大いにある。よって、もし見て下さるならば、今の内です)

http://www.youtube.com/watch?v=yzqa_eShZek

滝行が満行に近づいた

今回は12日間と決めた滝行だった。飛び飛びだったが、満行に近づいた。(もしかしたら、伸ばすかも知れないが) 別時念仏の時、昼に皆さんを滝に案内した。僕はもっぱら車での送迎係で、皆さんに滝行をして頂いた。

自分は後で、ひとり夜の滝行に挑戦。イノシシが出るのでちょっと怖かったけど。

 

<10人以上を滝に送り迎えした>

 <夜の滝は、雰囲気あり過ぎ。ろうそくだけが唯一の明かり>

ゲームChari-TX

東京でも京都でもChari-TXのゲーム大会がバカバカしく盛り上がっているし、FaceBookグループもできた。http://www.facebook.com/groups/275765405857099/

正式名もChari-TX (チャリティックス)に決定。

<ゲーム大会は、楽しそうなのが良いですね〜>

<京都は、“焼き肉いちなん”の屋上でバーベキューしながらの対戦>

ところで一昨日、ボードゲーム製品化のために、印刷の大平さんに紙加工の人を紹介してもらったら、これがビッグヒット! 一人で紙の加工業をやっている職人さんが、爆弾級に面白い人だったからだ。

なにせ、アイドル 歌手のDVD映像見ながら、昼間から酒に酔いつつ、仕事しているのである。こんな人いたんかー。

看板に自分の頭の絵みたいなのや、「ぼちぼちやっております」とか書いてあって、うぅ、僕この人、すっかり気に入ったぜぃ!

 

<左がその職人さんで、右が大平さん。大平さんについては、またあらためて>

爆弾級に面白い、と言えばこれ

以前、書籍として上梓した「気心道」の無料の電子書籍版を出すために、センターで写真撮影。本になった段階では、マジメな部分しか残っていないだろう。

しかし実は、メーキングの段階は、ほぼお笑いの世界。DVD撮影の時もそうだけど、僕がくだらないことばっかり言って、皆さんの邪魔をしながら撮影しているからである。

皆さんが、撮影に励まれている間、僕は、せっせとたぬきのお面を作っていた。そうして、最後に記念撮影として撮った写真が、これ。(一番下の写真)

 

<たぬきのお面を、ナムさんにかぶせて記念撮影>

ふはははは。こういう時は、おれ一体、何やってんだろう、とか思わないから不思議である。

 

 

 

 

 

 

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価値ある今日を過ごしたい

2012/06/26 Categories: 日記

3才から11才ぐらいまでの年齢の異なる子供たちが、会ったのが初めてでも楽しく遊べるものは、一体何だろうか? と真剣に考えた。サンガキッズデーが、日曜日にあったからである。

最後に「スイカ割り」を思いついた。目隠した子供が、10メートルぐらい離れたところにあるスイカを、木刀で割りに行く。周囲は、「進め」とか「右!」とか、かけ声をかける。昔懐かしのゲームである。

<どの子も真剣>

これは、大成功だった。(下記のアドレスで、Facebook 上の動画をご覧下さい)

http://www.facebook.com/photo.php?v=405315402854624

水鉄砲で遊ぶ

<自分で割ったスイカは美味しい!>

夕方からは、センターで、ゲームをやったり暴れたり。

大人たちも戦略ボードゲームに熱中。上は、女性棋士のロコさん。(僕は彼女に負けました。ゲーム考案者としては、本望です)

写真が物語る、この日のできごとだが、実は、午前中にチラリと考えたことがある。それは、”今日一日、たまにはゆっくり休むとかできたらなあ、、、”とかであった。

でも、何もせずに過ごした一日と、汗を流してみんなの笑顔を胸にしまうことができた一日とでは、“自分として感じる一日の価値”が違うものなあ。

やはり僕は、価値ある今日を過ごしたい。

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UNIチャリティ・フェスティバル2012を終えてイタリアへ

2012/05/04 Categories: 日記

フェスティバル、祭りの本来の目的は何だろう? 神さまをお祀りすること。それを、お祝いすること(祝祭)。それによって、人々の絆を深めることだろう。

ユニフェスも、本来の祭りに少しでも近づけたいと思っている。でもまずは、フェスをビジネスの全くからまないものとして行う。そこでチャリティフェスだ。みんなで、利他の温かい空間を共有するコンセプトが、その特徴である。

だから収益は、基本的にすべてチャリティ。今年は、会場費をユニで負担したから、ユニにとっては持ち出しではある。また実行委員の皆それぞれも、あれだけの大変な労力を注いでいる上に、随所で自分のお金を出している。それでもやっているのは、なぜか?

それは、人々の利他の心に触れることで温かい気持になれるからだ。それを感じるのは、主催しているユニのスタッフだけでない。来場者の皆さんやブース出店者の方々にも、また出演アーチストの方々も感じてもらっていると信じている。(実際に、そういう声を方々から聞いた)

 <集まったのは、40数店舗。今年は、NHKやFMこころ、また京都新聞でもお知らせしてくれた>

<Mausgruppeドイツ語補習校 のフェイスペインティング>

<友人の竹中あこさんと大森俊之さん夫妻のLIVE>

人の利他心に触れることで、その場に居合わせた人の心が温かくなる。それを感じることができるのは、僕は幸せなことだと思う。一流レストランでごちそうを食べることに幸せを感じる人もいるだろう。でも、僕たちにとっては、人の利他心に触れることが一番のごちそうだ。そして、人のために皆で汗を流した後に飲むビールと、スーパーで買った総菜を持ち寄って食べることに、一番幸せを感じるのだ。

 後片付けは、翌々日の昼過ぎまでかかった。ゴミの山もあり、借りた机も返しに行かなければならない。こうした、地を這い回るような下座の仕事があって、フェスティバルはできる。できたら来年からは、一連のすべてプロセスを、皆さんと共にできたら、さらに幸せだろうな、と思う。

さて、後片付けが終わった日は、ヨーロッパ一ヶ月行脚の前日だ。イタリア、ウィーン、オランダの各地で、念仏やらタオ指圧の講習やらがあるので、出発しなければならない。

出発前日の昼過ぎから、やっと旅の準備開始。一日かかって準備が終わったのは夜中の3時。6時に起床して関空に向かう。フランクフルト、ローマと乗り継いで、やっとベローナに辿り着いたのは、関空出発の24時間後だった。アントニオとロリダナが迎えに来てくれていた。ボンジョルノ! (イタリア語で”こんにちわ”)

<ローマからベローナ行きの飛行機に乗るところ>

<ベローナの空港に迎えに来てくれたアントニオとロリダナ。イタリア人は情熱的である>

 

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“忙しい”はカッコ悪い

2012/04/08 Categories: 日記

僕には“忙しいことはカッコ悪いことだ”という認識がある。だって考えてみて下さいよ。昔の貴族なんて、毎日遊んで暮していたんですぜ。それでひまだから、文化や哲学が生まれるわけ。汗水流して働いているのは下層階級だけ。

ましてや人生に疑問を感じて、生死の問題を解決しようという宗教的世界なんて誰が向かうのか? 王子さまだったお釈迦さまのように、ひまと感性がないと、なかなか向かわないだろうなあ。

手塚治虫の「ブッダ」のシッタルダも、”永遠の青春が欲しい”とお父さんに出家の動機を語っていた。ひたすら金や地位、また個人の生活を”後生大事”にしているなんて、すぐに青春を失うようなものじゃん。

 清和荘に住んでいたころ

ホントは僕はできれば、貴族のように優雅でいたい。だから、“忙しい”なんて口にしたくないわけ。

清和荘という三畳6千円のアパートに住んでいるときはヒマだった〜。ほとんど働かず(したがってお金はない)、念仏と本と手作りの戦争ボードゲームで遊んでいるだけで、夜は宴会(どこかの部屋で誰かがやっている)。考えてみれば、実に優雅な暮しだったのだ。

もっとも冬はすきま風だらけで、とてつもなく寒く、眠れなくて深夜喫茶で過ごしたり、朝まで遊んでいたりしたけど。朝の出勤サラリーマンと入れ違いに帰り、ようやく朝日に温まって眠りにつくというわけ。

<ストリート・ミュージシャンしていた頃。「アリかキリギリスか?」もちろん働かないキリギリスだった>

ブログをさぼっていた言い訳か

さて、これは長い間、ブログをさぼっていたことへの言い訳かも知れないけど、実は、ふと疑問を感じてしまったんだ。自分のやっていることを書くなんて、そんなこと意味があるんだろうか?って。

自分の思想信条なら、書くことに意味があるのはわかる。それによって、人の生き方が変わることだってあるだろうから。でも、ただ、自分のやっていることを書いてもなあ、、、。“ああ、あいつ頑張ってるな”だけで終わり。なんか虚しいような気がしません? と、まあこれも書かなかったことの言い訳に過ぎないかも、ひぇ〜。

バングラデッシュから帰国して以来、さまざまな作業に追いまくられ、“この上パソコンに向かって文字を書くなど、勘弁してけれ〜”という感じだった。 一体、いくつのプロジェクトが同時進行しているんだろう?

新刊出版に向けて

新刊2冊の出版に向けた動き。リアル版として出る「気の幸福力」(法蔵館)と「タオ指圧、究極の経絡メソッド」(ヒューマンワールド)。後者はDVDを付ける予定なので、作業が大変である(と言っても、映像担当のゆかさんが一番大変なのだが)

写真は、法蔵館に打ち合わせ行ったときのもの。社長の西村さんと、担当編集の上山さんである。お二人とも、ものわかりの良い方で、僕は好きな人たちである。

 

シンポジウム

その他、気功文化研究所の津村喬さんからの依頼でシンポジウムに出席。実はこれ、東京の予定とダブルブッキングしてしまっていた。それで急遽、東京に詫びを入れて出席した。

シンポジウムは、中国の気功の先生の独壇場で、僕はほとんど話を聞いているだけで済んだのが良かった。 なんせ海外のこの手のシンポジウムだと、僕はいつも爆弾みたいな発言をしてしまう。それで物議をもたらしてまうのだ。経絡なんかの話だと、さすがに黙って聞いているわけにも行かないんで、困ってしまう。

というわけで、夜の懇親会は津村さんのプロの手料理で、和気藹々ムード。古い言い方で恐縮だが、「日中友好」である。

<写真は、中国からの来賓。右は気功の有名な先生(らしい)と、通訳氏(10年ほど前、これまた気功協会に招いて頂いた時に、中国でお会いしていた方だった)>

 

パレスチナイベント

パレスチナのイベントを京都センターで開催した。僕がナブルスの難民キャンプで会ったアラブ未来協会の田中さん、パレスチナ人のイヤス氏とボシュナック氏を招いて、講演とパレスチナ初のアニメ映画を上映。

その前日に広河隆一氏制作の「ナクバ」(イスラエル建国に伴うパレスチナ人虐殺を実証する映画)をイヤス氏と見に行ったのだが、彼の家族も犠牲者だったことは、そこで初めて聞いた。

アニメーションは、字幕が英語だったため、急遽僕が弁士(無声映画時代にいた人)を仰せつかった。2〜5秒でる英語の字幕を見て瞬時に通訳するなんて、、、。汗だくだった。ひぇ〜!

(ところで赤塚不二夫を書いたおそ松くんの“イヤミ”の「シェー!」は、ひぇーが元だという。まあどうでもいいことだけど)

 

 UNIチャリティフェスティバル

昨年から始まったUNIチャリティフェスティバルが進行中。今年は4月29日に開催。40店舗以上の申し込みが既にあり、ライブ出演者も多い。

僕らのバンド「LAMANI」を聴くのを楽しみにして下さっていた方には申し訳ないが、そんなわけで、今年は出演辞退である。まあ、バンドの方は現在、秘密特別トレーニングに入っている。僕にしてみたら、熟成期間でもある。ちょうど良いのかも知れない。(ふふふ。大リーグボールを特訓中の星飛雄馬みたいだぜ)

それにしても、今年のユニフェスはすごい!  アフガニスタンからの留学生たちのブースなども含めて、実に、様々な人たちが関わっている。

障害のある方の写真展があったり、僕の友だち3人、作曲家の大森俊之さん、ヴォイスアーティストの竹中あこさん、天空オ−ケストラの岡野弘幹さんも出演してくれる。ダウン症の人たちのエンジェル・バンドも出演する。

その上、チベット仏教美術展まであるが、半端な展覧会ではない。美術館なみのものなのだ。

ユニフェスが、こんなに大きくなるとは思わなかったぜい。皆さんに大感謝である。UNIフェス。http://npouni.net

 

 もしかしたら、日本は共産国家か?  

UNIフェスに、バングラデッシュから、ラカイン人のラジョーさんを呼ぼうとして、ただ今、奮闘中。

ところで、実に驚いたことがある。バングラデッシュ国籍の人が日本入国のビザを取ろうとするのが、こんなに大変だったとは! 滞在中のスケジュール、宿泊先、連絡先、どこで何をしているかを全部書かなければならない、、、。これではまるで、共産国家を旅行するみたいだ、とか一瞬思ってしまった。

<ラジョーさん/電話でやり取りしていると、面白くて、つい吹き出しそうになる>

その他の進行中のこと? もうこれ以上、書いてもきりがないのでやめとこう。

ああ、かっこワルい! 念仏と音楽、それと気心道とTao Chess(清和荘時代に考案したゲーム。カナダにてオンラインプログラムが進行中)だけやって暮したいぜい、もう。

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この世のどこに救いある?

2011/09/24 Categories: 日記

やっと少し、この世に着地できたかも知れない、と思った。

夏の終わりになって、遠くの空に流れる雲に目が行くようになると、僕の身体が予感し始める。じきに自分が、この世との接点を失い始めることを。

一体何のことを言っているのか、意味が不明と思われることだろう。

実は僕は最近では、2年に一度ぐらいの割合で、この世との接点を失う。すると僕は、この世のすべてに興味を失う。そして、自分の存在が苦痛になる。以前は1年に一度だった。もっと前は、1年に二度だったから大変だった。

そんな時は、自分の身体がこの世を拒否している。願いは、すべてを捨てて、ただ旅に出ることだけ。“ここでない別のどこか”に行くことだけが、唯一の願いになる。そして、遠くに流れる雲を見ていることになる。

そうなると、社会生活の継続は不可能。そんなことが起こって僕は、高校を二つもやめたし、サラリーマンもできなかった。(そりゃ、そうでしょうよ)そして、付き合っていたガールフレンドとも別れて来たのだった(念のために書いておきますが、これは20代の頃の話です。それから、そんなにしょっちゅうガールフレンドがいたわけではありません。)

そんな時に、どこかの念仏道場で一日12時間とかの修行が何日間か行われていたりしたら、迷わず飛び込んで行く。そりゃ、そうだろう。この世の何をもってしても心が救われないんだから、そっち方面に行くしかないではないか。

息子の結万(ゆうま)が、まだ赤ちゃんだったころ、長野県に家族で旅行した。何日かして帰りかけた時、近くの寺で一週間集中修行の念仏が行われるのを知った。それで家族だけ帰ってもらい、自分はそのまま道場に一週間入ってしまった。(結万、すまん)。

いやー、でもスケジュールを見てびっくり。朝3時半起床ですよ。「家の電気消し忘れたから帰ります、とでも言おうかな」なんて思ってしまった。でも、一週間、山の中で朝3時半から夜9時まで念仏したら、妙に元気になった。終わってから、 山を走って駆け下りたのと、幻覚見ているみたいに、何でもキラキラと光って見えたのを憶えている。

2年前は、なぜかそれ(この世との接点の消失)が、タイを旅していた時に突然起きた。驚いたね。どうしようかと思ったよ。旅が唯一の救いのはずだったのに、旅している最中に陥ったのでは、どうにもならないではないか。これでは、まるでマンガである。

この時は、ホテルで、何曲も創ってパソコンに録音して、やっと救われたのだった。ギターと録音できるパソコン持っていて助かった〜。しかし、あの時は、無限に曲が出てきそうだったな。その後、僕はパレスチナに向かったのだった。ギターを持って。

しかし、まあ宗教や芸術なんて、僕みたいにこの世に深入りできない人間がするものなのかも知れないな。社会とうまく折り合つけて、バリバリやるような人が必要とするのは、僕のように念仏や音楽ではなく、日経平均株価情報かも知れないし、、、。この世との折り合いに悩む人よ、念仏サンガに来たれ、ナンチャってね。

さて実は、今回も、空高く雲が流れているのを見ていたら、この世のどこにも、自分の居場所が見出せなくなってしまっていた。すべてを捨てたいのを、必死で我慢しているようなところがありましてね。白状すると、東北被災地ツアーの最中も、そんな状態だったのです。

松尾芭蕉に、「旅に病んで、夢は枯野を駆け巡る」とかいうのがあった。芭蕉なんかも、けっこう晩年になってから旅出ちゃうし、山頭火も、やっと安定した場が与えられたと思ったら、寺を捨てて旅に出てしまう。

太宰治は、作家として認められ、井伏鱒二の媒酌でお見合い結婚までした。普通の生活しようと思ったんだろうなあ。で、いよいよ、これから安定して仕事をしていくという矢先に、破滅的な生活をし始める。まったく、やれやれだが、そんな彼らの気持わかるよなー。

先日、「何ひとつ不自由のない生活をしていたシッタルダ王子さま(お釈迦さま)も、この世の何をもってしても救われない気持だったのだろうか?」 なんて、ふと思った。タハハ。お釈迦さまを自分と引き比べるという、実に罰当たりな自分でした〜。

さてこんな状態の僕だが、けなげにもブログの写真を撮りました。この秋、京都の国民文化祭に念仏ゴスペルで出演する、タオサンガの皆さんの練習です。音源をお聞きになりたい方は、http://taosangha.com/ja/music/ ダウンロードも可能です。

 

 

 

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秋、悲しみは空の向こうへ

2011/09/07 Categories: 日記

「秋、悲しみは空の向こうへ行き、そして静かになった」
これ、立原道造の詩だったと思う。うろ憶えで恐縮なんだけど。
いつの間にか季節は秋。またしても僕は夏に裏切られた想いで、

ひとり取り残されている。
レンタカーが満車で立ち往生。被災地に向かうため、5か月ぶりに来た仙台の空、、、。

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感謝にこそ、逆転の発想で

2011/08/28 Categories: 日記

今日、四歳ぐらいの子どもが祖母らしき人に叱られ、救いようもなく追いつめられているのを見た。子どもが大人に傷つけられているのを見ると、いつも胸が痛む。

ふと僕は、「なぜこの人は孫に感謝しないのだろうか?」 と不思議に思った。

何があって叱っているのかはわからない。しかし、自分が祖母でいられるのは、この孫のおかげではないか?

子どもは親に感謝すべきだという儒教思想がある。でも、何ごとも逆転の発想をするアマノジャクな僕としては、逆に考える。

親は、子どものおかげで親になれた。言わば、子どもに親にしてもらったんだから、子どもに感謝するのが、むしろ自然ではないか? と思うのだ。

ついでに、すべて逆転の発想でいこう。NPOユニは、「おかげで自分たちの存在意義があります」と支援先に感謝する。先生は、「おかげで、先生でいさせてもらえます」と生徒さんたちに感謝する。

感謝にこそ、逆転の発想が必要だ。

それはなぜか? 感謝は人の心を最も豊かにする感情の一つである。しかし、私たちの無意識は誤解しているのだ。

どう誤解しているのか? 私たちは、「エラい人に対して感謝する」のが感謝だという風に、心のどこかで思っている。

それは、長い間の人類の刷り込みによる、思い込みというものである。

おそらく、権力者が下層階級の人間に「おまえたち感謝しろよ。おまえ達は王様のおかげで暮らせるんだから」となどとノタマワって感謝を強いて来たからに違いない。本当は、下層階級の人間の働きによって、王様は生かされていたに過ぎないのに。

旧ソ連でも、子どもが幼稚園で最初に覚える言葉が、「同志スターリン、ありがとうございます」だったというから、権力者という奴は、常に民衆に感謝を強いるものなんだろう。それだけ不安ということなんだろうが、全くしょーもない。

言うまでもなく人類は、一握りの権力者とその周辺の貴族以外は、みな下層階級の人間だった。だから人類一般の無意識は、“お上に媚びへつらうのが感謝である”という風に思い込んでいるのである。

そこで、だ。親や教師など立場の強い者が、子どもや生徒など立場の弱い者に対して感謝する。そんな風潮が生まれれば、誰もが感謝できるような、豊かな社会が生まれるのではないかと、何となく思うのである。

僕はそこで、ようやくわかったのだ。なぜ、インドの乞食があんなに威張っているかが。

インドで乞食にお金をあげても、「少ないからもっとよこせ」と当然のような顔で言われることも、平気でよくあった。そのたびに、腹を立てていたワタクシが間違っておりました〜。

いやー、やっぱりインドは深い!

 

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25年ぐらい前のもので申し訳ないが、写真は、

毎日会っている内に友だちになった、乞食のおじさん。
けっこう人気者で、足が不自由で歩けないのに、なぜかインドやネパールを旅していた。
「返すからお金貸して」と言われて貸したら、本当に返ってきた。
まさに、インド人もビックリ!
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