ずっと書いていなかったブログ。気がついたら1ヶ月以上たっていた。

さて、休むことを仕事にしよう、なんて思いながらもずっと走り続けてしまった。

 今年に入ってからは、バングラデッシュで活動し、UNIチャリティフェスティバルの開催があり、そしてヨーロッパ一ヶ月のデスマッチ的なツアーもあり、そこで休めば良かったのだが、妙な具合に休めず、、、うぅ。

 あげくに、ようやく身体がTPPや原発の再稼働並みに“絶対反対!”の意を唱え出した。そこで、まゆさんとタイまで来て、1週間ほどバタと休み込んだ。

タイに来たのは、来年のタオサンガ国際大会の準備も兼ねているのだが、本音は、休め休め運動の実施である。かつては、休む方が主体の人生だったのにな。

ところで、タイに出発する3日前のことだけど、ライブハウスで演奏した。

 実は、僕は内面が動きすぎている時など、何も語れなくなる。それでも、ステージで愛想が悪いのもなんだから、話をしようとがんばった。でも、すべってばかり。

理想は、姿が見えていない状態で、まるで何かにとりつかれたように演奏していることなんだけど。

 さて明日は、夜にオーストリアからオリバーが到着する。彼の知り合いのタイ人らの協力のもと、2人で世界大会の会場になるホテルや、バンコクでのパーティ会場などを見つけたり、また交渉したりするためである。 なにせ、前回の世界大会から、10年の月日が経っている。あらためて探したり、交渉したりしなくてはならない。前回は、3回もタイに行って探しまわったあげく、ようやく決めた。今回は1発で決めたいところである。

 

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3才から11才ぐらいまでの年齢の異なる子供たちが、会ったのが初めてでも楽しく遊べるものは、一体何だろうか? と真剣に考えた。サンガキッズデーが、日曜日にあったからである。

最後に「スイカ割り」を思いついた。目隠した子供が、10メートルぐらい離れたところにあるスイカを、木刀で割りに行く。周囲は、「進め」とか「右!」とか、かけ声をかける。昔懐かしのゲームである。

<どの子も真剣>

これは、大成功だった。(下記のアドレスで、Facebook 上の動画をご覧下さい)

http://www.facebook.com/photo.php?v=405315402854624

水鉄砲で遊ぶ

<自分で割ったスイカは美味しい!>

夕方からは、センターで、ゲームをやったり暴れたり。

大人たちも戦略ボードゲームに熱中。上は、女性棋士のロコさん。(僕は彼女に負けました。ゲーム考案者としては、本望です)

写真が物語る、この日のできごとだが、実は、午前中にチラリと考えたことがある。それは、”今日一日、たまにはゆっくり休むとかできたらなあ、、、”とかであった。

でも、何もせずに過ごした一日と、汗を流してみんなの笑顔を胸にしまうことができた一日とでは、“自分として感じる一日の価値”が違うものなあ。

やはり僕は、価値ある今日を過ごしたい。

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 UNIチャリティフェスティバル(http://npouni.net )に参加してくれた「焼き肉屋いちなん」をやっている孫恵文(そん・けいぶん)さんと、時おり会うようになった。(名刺で名前を見た時に、「何て、かっこいい名前だろうな〜!」と思った。だが、まあそれは、このテーマではないので、ここまでにしておこう)

<孫恵文さん>

 孫さんと会うのは、「サンガキッズクラブ」を始めるに当たって、いろいろ相談するためだ。

 これは、タオサンガやNPOユニに、何らかの関わりのある子供たちが定期的に一緒に遊べる時間を創ろう、というプロジェクトである。孫さんには委員をお願いした。

 僕は、子供が気になる

どの子供を見ても、見るたびに2つの点が気になる。1つは、“ちゃんと愛されているか?”で、もう1つは、“孤独でないか?”である。僕は、20代の頃に幼児教育論を書きかけたぐらいだったから、子供が気になるのは、何も今に始まったことではない。

 子供は、親(または大人)に愛されなければならない。それは、無条件でなければならない。そして、愛情は満たされなければならない。親(または大人)には義務が、子供にはその権利がある。(しかし、心に義務を課すことはできないのが、何ともはがゆいところだ)

 街で子供が視界に入ると、日ごろ愛されているかが気になって、チラホラ見たりする。それで、愛されている顔をしていると(満ち足りた顔をしている)、安心してホッとする。逆だと胸が痛む。(チラチラ見ていたりすると、変質者と誤解されないか、同時に心配でもあるが)

 共通の特徴

 孫さんの店のメニューに「“美味しい!”と言われるより、“安い!”と言われる方が嬉しい変わり者」というような自己紹介が書いてあって、僕は一発で孫さんのファンになってしまった。

 それで実際にお会いしてみたら、“腹に何も持っていず、何とも安心できるお人柄”という印象を受けた。

 ところで、孫さんのことを考えていて、自転車屋さんの安田さん、また印刷の大平さんなど、僕が妙に共有できる部分を持っている人たちにある、共通の特徴は何だろうか? と考えた。

 そしたら、この「腹に何も持っていなくて安心できる」ということではないか、と思った。このような人は、世の中でうまく立ち回ることはできないに違いない。心の中に何かを隠し持ちながら、人とうまくつき合うということは苦手だろうから。

 また、自分がそうじゃないから、心の中に何かを隠し持つ人の気持がわからないのだ。このため、人に騙されたりすることもあるだろう。いや、正確に言うと、もう少し違う。ここで、ちょっと自己分析してみよう。

 騙されながらも信じるのはなぜか?

 誰かが自分を騙していたら、実は無意識のレベルでは見抜いている。しかし、それを認めるのが、どうも「億劫」なのだ。たとえ相手が自分を騙していても、それを認識したり証明したりするには負(ネガティブ)のエネルギーを必要とするからだ。

 信じた方が、たとえ物理的には損でも、霊的レベルでは楽だ。それに、信じていれば、いつかは相手も、改心して変わるかも知れない。そんな淡い希望を抱きつつ、無意識ではわかっていながらも、騙され続けるということになる。

 これは良心的な少年院の教官もそうだろう。また、100年以上前に書かれた“宗教的心理の諸相”(ウイリアム・ジェームス著)にも、「何度だまされても信じ続ける」宗教者についての記述があったから、お人好しは古今東西変わらないのだろう。

<Photo world collection より>

そんなことでは、世間でうまく立ち回ることはできないのかも知れないが、“放っておいてくれ”と言いたい。僕は安心できる人とだけつき合いたい。生きるのが下手なのだ。

 

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僕が住職を勤めているのは、島根県の匹見というところにある。自然が豊かな所だ。十畳ほどのお寺には、電気、水道などのインフラは何もなく(実はトイレもない)、よって当然、檀家もない。

それでも村の人々は、このお寺を大切にして来てくれた。昭和38年の豪雪で、一度お寺が潰れたのだが、村のみんなで寄付して今のお堂を建てたという。

ずっと以前(お年寄りの話で、どうも戦前の話みたいだ)、ちゃんと庫裏(お寺の人が住む家)もあった頃、子供が4人いる酒飲みの住職がいた。しかし、借金取りに負われて夜逃げしたという。聞いたときは、つい笑ってしまった。

村の人たちは、今でも、草取りなどの手入れをしてくれている。僕が法要を始めたのは、昨年からだ。村の人たちは、”こういう日が来るのを待っていた”と言ってくれた。今年は、日頃お寺をお世話して下さっているお礼も兼ねて、昼食の接待もした。皆さん、とても喜んで下さった。

<法要のあと。チーズ!でなく、モンキー!と言ったら、みんな笑った>

<昼食の接待/実はお酒も出した>

<サンガの笑顔で、満州にいた時の話を聴く。考えてみたら貴重な話だ>

夜は、タオサンガのみんなでパーティ。昭和歌謡ショーから、コメディ劇「ネオ白雪姫」の出し物まであり、この日の夜は、爆笑につぐ爆笑だった。

<劇のフィナーレ/脚本も演技も、素晴らしかった! 来年のタイ大会で披露して欲しい!>

<二人の”美魔女”に囲まれて、ご満悦の「麻呂」、こと永田氏>

<帰る日の朝は、サンガ式HAPPY BIRTHDAY の儀式をやった。うーん、嬉しそうだな>

さて、ここ匹見の特徴は、「時間が止まったまま」な感じであることだ。こんな感覚は、なかなか味わうことができない。強いて言えば、東エルサレムが、ここの時間感覚に少し近いかも知れない。

 

 

 

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27日ぶりに帰国した。一瞬、肩の荷が下りたような気がしたが、それもつかの間のことだった。

最初の半分はイタリアだった。連日いろいろとやっていたから、ここが終わった時には、あとヨーロッパを二カ所回らなければならないと考えると、気が遠くなるような気がした。

<イタリアで>

ウィーンでは3日目に、イスラエルから来た古い生徒さんに途中で帰ってもらわなくてはならなかった。彼はユダヤ教との葛藤が本人の中で未解決で、それが問題のある態度となって顕われており、周囲に異様な気をまき散らしていた。(彼からはその後、ウィーンの参加者全員に対する丁重な謝罪のメールが来た)

しかしその3日間は、足が、がくがくするほどで、僕は「いやー、もう人生には参りました。とほほ」という感じだった。

 <ウィーンの道場付近>

最後の地オランダは、僕が初めて足を踏み入れた場所だった。美しい国だが、見とれている余裕はなかった。

<みわさんの家で生まれて初めて納豆を食べるアルフレッド(西洋人で食べれる人は少ない)>

<これから食べますよ>

<けっこう、美味しいよ>

<ほら、全部食べましたよ

皆さんタオサンガのワークショップは初めてで、僕は1日目で、すっかりへばってしまった。”ああ、こんなつらいことは、もう2度とできない!”なんて、グチるほどだった。

流れが変わったのは、「仏教と気の幸福力」という一般向けのワークショップをやってからである。
実は最初は、一体何をやったら良いのか? まったく見当もつかなくなってしまっていた。

さんざん迷ったあげく、「般若心経」をからめて、仏教の持つ人を幸福にする力を気で体感できるワークをしようと思い立った。

そして、話し始めて1分、、、。だが、誰一人、般若心経を知っている人がいなかった。え〜!?   どうしよう〜。

それで結局は、念仏を気で体感するワークショップになった。簡単に説明すると、一人が仰向けになり、それを数名で取り囲むように座る。そして利他心を持って、「トラウマの癒し」など様々なテーマで念仏を唱えるのである。

それで仰向けになった人は何を感じるかというと、これが実に不思議なんだけど、たとえ初めてであっても、えも言われぬような癒しや、快さを感じるのである。時には、霊的な体験をする人までいるから驚きである。

このワークショップは、参加者の皆さんが喜びに包まれる中で終わった。そして翌日は、悩みのタネである、「タオ指圧ワークショップ」である。

<オランダ在住のめぐみさん(左)と主催者のみわさん(右)>

<8時過ぎてもまだ明るい。有名な赤線”飾り窓”の裏の道>

<レストランで>

今までタオ指圧のワークショップでは、極力、仏教や念仏と切り離して行って来た。(理由については、和田寺NOW! に連載の「住職に聞く」を参照して下さい)

ところが今回、タオ指圧ワークショップに、先の仏教ワークショップが最初から組み込まれていた。だから皆さん、仏教ワークショップを体験した上で、タオ指圧ワークショップに参加した。

それで僕は、参加者の仏教ワークショップでの体験を元に、タオ指圧ワークショップを行った。そしてこれが、実に効果的だったのである。

と、こう書いても、読んだ人は「ふーん、それで?」というだけかも知れない。が、これはタオ指圧の歴史の中では初めてという、実に画期的なことなのである。

まあこれ以上の説明は控えるが、今後は、仏教や念仏ワークショップを土台にタオ指圧を教えることになる。今回のオランダでの流れの変化は、大きな歴史的なターニングポイントになると思う。

27日間、たった1日しか休みがなかった(その1日も、街のコインランドリーで洗濯に費やしてしまった)が、このターニングポイントを得たのは、実りが大きい。

<ワークショップ主催者のみわさんとご主人>

みわさんのご主人とは、途中から気心も知れて来て、共に和気藹々という感じになれたのも良かった。彼は長年、障害者の施設で働いていた人で、さまざまな豊富な知識を持っている人だった。

実は、今、ヨーロッパのサンガの間では、マスターゲームという遊びが流行っている。流行っていると言っても、僕が始めた小学生レベルのゲームなので、もっぱら僕とアルフレッドの間だけ。よって、まだ普及率は低く書くのは恥ずかしいのだが、、、。

まあどんなゲームかと言うと、マスターというのは先生という意味で、「センセイと呼ばれるほどのバカでなし」という、恥ずかしげな意味がこめられている。

これは実際にやらないとわからないのだが(実際にやって説明しても、何がおかしくて僕らがゲラゲラ笑っているのか、さっぱりわからない人も多い)

例えば、レストランで先に座ったら、「先に座った人はマスター(先生)!」と言われる。マスターと呼ばれてしまうと、負けなのである。

先生と呼ばれると、おしりがムズムズして何とも居心地がワルいと感じるから、マスターゲームが成立する。

そのマスターゲームに、みわさんのご主人もいつの間にか、参戦していた。そこで僕とアルフレッドは、敬意をこめて、彼を「ビッグマスター」と命名した。ははは。ジャイアント馬場みたいに身長が2メートルもあるからである。

 

 <タオのTシャツを着ているビッグマスター>

 

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一体、何日ぶりなんだろう? 一日の休みが取れたのは? 日本を発って3週間がたった。今まで一日も休みがなかった。だけど、まあいいや。とにかく、ウィーンでの念仏、タオ指圧、気心道などのワークショップはやっと前日終わったのだ。

それにしても、本当にいろんなことが重なった今回のウィーンだった。大変なこともたくさんあった。実は、先にその内容について書いたのだが、今消去した。事情が複雑なんで。ただ、下記についてだけは残しておいた。

「ご存知の方もいらっしゃるかも知れないが、われわれ日本人のような、アジア地域(仏教文化圏)の人間には想像もつかないことが世界にはある。その1つが宗教に対する感覚である。

教会に行けばお祈りし、神社では柏手を打ち、お寺では手を合わせる。これらの一連の行為は、僕ら日本人には何でもない当たり前のことだ。

しかし、異端者を弾圧したキリスト教や、偶像崇拝の罰が石打ちの刑だったユダヤ教に、そのような精神構造はない。自分の先祖の宗教だけが最高で、他はダメというような考えは宗教カルマだし、そんなことを今の時代に教えるとしたら、僕はそれは罪深いことだ思う。」

マジメな文化論なぞを、ぶってしまいました。以下は、ただの日記に戻ります。

<“気心道って、なんて楽しいんでしょう!”とアリス。今回の念仏ワークショップでは、深い霊的体験をした。西洋医でもある。>

 <ウィーンの街並>

 <日本アニメをテーマにした「漫画バー」>

来年、タオ指圧国際大会をタイで行うので、大会の協力を仰ぐため、気心道ワークショップの後に、タイ人の女性と結婚した、オリバー(サンガメンバー)の友人に会いに行った。(例えば、会場の紹介や、チャイルドケアのため、子守りの紹介など)

<左上が奥さんで、右上がご主人である>

夜は、オリバーとアリスがJazz クラブに連れて行ってくれた。

ところで、これまで連日やって来たことはサンガのことばかりで、日本でやっていることと基本的には変わらない。

ウィーンに来ても、いつも、タオサンガセンターとホテルとレストランしか行かない。(時間がなくて)だから、どこかへ行ったという感じは全然なかった。この夜は、はじめて、どこかへ来たという感じがした。3人で飲みながら、二軒もハシゴしてしまった。感謝!である。

やっと来た休日。午前中は少し眠り、午後いっぱいは洗濯に当てた。さんざん探しまわって、コインランドリーにたどり着く。

どうやったらいいか、わからないので、インド人らしき中年の男性に、いろいろ親切に教えてもらいながらやった。アジアの同朋よ! ありがとう! ところで、洗剤は無料だそうだ。

哲学者のような風貌のインド人らしきおじさんは、荘厳な雰囲気で、黙々と洗濯に励んでいた。きっと故国では、こんなことしないのであろう。背中の哀愁がまた良かったぜい。

翌日は、オーストリア仏教協会の人やら、韓国の坊さんやら、ネパール人とで会う。タオサンガセンターで、展覧会や講演会をするとのこと。

法華経と日蓮上人について話し合った。ネパール人は鈴木大拙博士の書を持っていると言っていた。またエリザベスという仏教協会のオーストリア人女性が、かつて藤井日達上人と日本を旅しました、と言っていたのが興味深かった。

オランダに発つ前日まで、なかなか忙しい。アムステルダムのワークショップの内容も考えなければ、、、、、。

ウィーンでは大変だったと書いたが、実を言うと、多くの人が念仏ワークショップで深い霊的体験をし始めたので、結論を言えば、「いやー良かった、良かった」。

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 今、ウィーンに向かうため、イタリア・ベローナの空港にいる所。イタリア12日間の滞在中、休む間はほとんどなかった。だから、空港にいる今が、つかの間の休憩というわけ。(もっとも、こうしてブログを書いているのだが)

 イタリア道場のオープニングは、地元の新聞に掲載されたので、それなりに賑わって良かった。楽しかったのは、いろいろと子供たちが来たことだった。

ジェノヴァに住んでいる方で、僕がメールをやり取りした日本人がいらしたが、オープニングのことを連絡していなかったのに、家族で来てくれてビックリ!

僕たちは、こうた君という9歳の男の子と仲良くなった。彼は、センターがよほど気に入ったみたい。“帰りたくない〜”って、午後から最後の夜9時過ぎまでセンターにいてくれた。

<道場開きのお勤め>

<こうた君と僕。同じ顔をして笑っている>

<食事の接待もした>

ところで、下記は治療デモンストレーションの風景である。

<どこが痛いのか、症状を聞いた上で、経絡診断を行い、、>

<治療を始める>

<“一体、どうなることか、、、”とみんな見ている、と>

<“あっ、どこも痛くなくなっています”と言われて、“ホッ!”>

<Graze グラッツエ!ありがとう >

<拍手>

ここまでの時間は、10分ぐらい。しかし、考えようによっては、“猿回しのサル”のようなものと言えなくもないなあ。

 

<こちらでは、子供の治療>

<目が面白いなあ>

 最後の2日間は、タオ指圧の生徒さん限定のワークショップ。受け手に幸運をもたらすには? というテーマ。

 さて、夜ウィーンに着いて、今は翌日。やっと今日1日だけが休み。だが、明日から2日間の、念仏ワークショップの内容を練らなくてはならない、、、。

 

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 イタリアに来た目的は二つあった。ピザとワインである、なんて言えたらいいなあ、、、。

 実際には、タオ指圧イタリアが去年も参加した、「チェリシマ」というイベントを手伝うこと。イタリアの道場開きを行うことである。

先の「チェリシマ」は、東洋医学やらニューエイジやら武道やらがごちゃまぜになった見本市みたいなイベント。

 18畳ほどの一室で、数名が一日中タオ指圧のチャリティ治療を行う。チャリティのテーマは、東北震災支援とバングラデッシュのラカイン村に新たな学校を開校することである。

チャリティであっても、「受けた人全員の症状を確実に取る」という作戦で行った。

 さて、イベントがオープンした金曜日。ジョバンニというイベントの主催者を見ていたら、気の毒になるほど、会場は閑散としていた。彼は申し訳ながっていた。ところがどっこいである。なぜかタオ指圧の部屋だけは、人が切れることはなく、いつもみんな忙しく動き回っていた。

 それはそうだよね〜。ビジネスブースばかりの中で、ここだけはチャリティ。しかも症状を、責任を持って取ってくれる所なんだから。

<会場準備の手伝い/アントニオはプロの家具職人でもある>

<オープンしてすぐに人が来始めた>

<3日間、1日中忙しかったタオ指圧ルーム>

<ローマ在住の野宮氏が通訳する/英語を話す人が少ないイタリア>

<つかの間の休憩>

<何だかビジネスっぽくて冷たい感じ>

<1階の会場>

<見学者も多かった>

 

 一方、僕には、治療デモンストレーションというお役目が待っていた。これは、別の大広間で行う。まず会場全部に、「どこか痛みなどの症状がある人は、集まって下さい。マエストロRYOKYU ENDOが治します」とか、放送されちゃうわけ。しかも1時間というスケジュールである。まあ、水族館のイルカショーみたいなものである。やれやれ。

 もっともこれは、イタリア・タオサンガのロリダナとアントニオを応援するために、自分が言い出したことでもある。まあ自業自得と言えばそれまでだが。

 それで、説明を交えながら、来た人をどんどん治療していった。中に、は五十肩の典型的な「脾実・大腸虚」の証もおじさんもいたし(この人は、すぐに症状が取れて、腕をぶん回しながら、喜んで帰って行った)、五歳の時から呼吸が浅くて鼻が通らないという女性もいた。

 この人の証は肺虚で、出産の時に産道で胸椎1〜3番が陥没気味になったのが原因と診た。経絡治療で呼吸も深くなり、ある程度は鼻も通り出したので、“もっと良くなるはずだから”と、継続的な治療をお勧めした。

 治療デモンストレーションをやる前には、“その場でもし治らなかったら、、、、”という不安がかすめる瞬間がある。でも結局は、そんなこたあ、どうでも良くなってしまう。

そして、ただ経絡と遊び戯れることになる。やがて、何人治療したかもわからなくなった。

 途中からは、ロリダナに治療すべき経絡やツボを指示して、彼女に治してもらったりもする。タオ指圧は誰がやってもタオ指圧だから。

 まっ、これもイタリアのタオ指圧が人に知られることで、その結果、仏の道を歩む人が増えるように、という願いで行っていることだ。

 そこから生まれる無上の喜びを知っているからこそ、こんな大変なことを続けていられるんだろうなあ、と思う。

 治療デモンストレーションは1日2回。回を追うごとに人が増えて行き、最後は講堂が一杯になった。「声が出ないんですけど、、、」なんてかすれ声で訴える人も出て、こりゃ困った、どうしようかな〜、なんて弱気にもなったが、気道付近の虚を一生懸命取ったら、50%ぐらい声量が回復して、ホッと一息。

その他、いろいろドラマティックな一幕もあった。写真をごらん頂けなくて申し訳ないが、ビデオをアントニオが撮影してくれたから、その内、YOU-TUBEにでも、アップすることにしよう。

 治療デモンストレーションだけでなく、タオ指圧治療ルームの方も、みんな明るく活気があった。他のブースはシーンと冷え冷えしているので、帰ってくるとホッとするような温かさを感じた。

 タオ指圧を受療された方には、コメントを書いてもった。訳してもらったら、「こんな凄い治療は受けたことない!」とか、「生まれ変わったようだ!」とかで、とてもうれしい内容ばかりであった。イベント全体の中でもウワサになっているようで、他の治療法のブースの人なんかも治してもらいに来ていた。

 僕がうれしかったのは、10歳ぐらいの男の子を治療したとき。ものごころついた時から、いつも腕に力が入らないと言っていた。それが、2日間の治療で、すっかり良くなって、ニコニコしながら腕を動かして見せてくれた。おばあちゃんに連れられて来ていた、利発そうな少年だった。

 夕食は、毎晩9pmに、ピザのチャンピョンの店に。それにしても、3日間、朝から晩まで、皆で一丸となってよく動いた。

これだけの絶大な治療効果を、しかも無報酬で多くの人に与えることができるメンバーがいるということ自体が、タオサンガにとって、大きな財産だと思う。

 イタリアのタオ指圧のピュアながんばり。そういう行為を見るのは、とてもうれしいことだった。

無私の心こそが人に感動を与える。

本物はここから生まれるのだ。

<治療体験には、数々のコメントが寄せられた>

<3日間が終わって、ホッと一息>

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いつもの湖畔のホテルで目が醒めた。取りあえず今日は、何も考えなくても良いので、ホッと解放的な気分をしばし味わう。

<湖の前で朝食>

アントニオたちがお昼に迎えに来てくれて、自慢のスパゲティとワインでランチ。これがレストランより美味しいので、びっくりである。

夜は、レストランに行ったら、そこは偶然、ピザで優勝した店で二重にラッキー〜。

 アントニオ。英語を全然しゃべらないのに、なぜかいつも会話の中心にいるという不思議な人。

<量の多さに、たじろぐ>

 

ところで本ブログとは、全然関係ないのだが、英語でライフLIFEと 言えば人生という意味もあれば生活という意味でもあり得る。

僕は、生活をものさしにして考える人と、 人生をものさしにものごと考える人の二種類があると思っている。

 生活をものさしに考える人にとって大切なのは、地位だったり家だったりお金だったりする。人生で考える人は、生きることに美的なものを求める。

そんなに分けられるものなのか? という反論が出るかも知れないが、分けられる。

人が選択を迫られた時に、どちらでものを考えているかが、その行動にはっきりと出るからだ。

 人間の生活なんて、見た目は違っても実際には似たりよったりだ。いずれは朽ちていくものが土台なんだから。

でも、人生は違う。美しい人生もあれば、キタナい人生もある。それは豪邸に住んでいるとか、着飾っているとかの、見た目の美しさなどではない。選択を迫られた時に現れる行動が、かっこいいか、かっこワルいか。粋か粋でないか。それが、ここで言う、美しいかキタナいかである。

そして生活は、所詮生活に過ぎないが、人生は生き方次第でいくらでも芸術になり得る。人が感動するような行動があれば、その人生自体が立派に芸術ではないか、と思う。

目先のお金や物や、自分の都合のために人の信頼を失うような行動もあれば、たとえ損をしてでも、どんな小さな約束でも大事に守っていく。そんなことを行動基準としている人もいる。

どちらがキレイかは、考えるまでもない。

僕は、たとえ地を這い回ってでも、なるべく粋な人生を、人と共有することを願って生きたい。

 

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フェスティバル、祭りの本来の目的は何だろう? 神さまをお祀りすること。それを、お祝いすること(祝祭)。それによって、人々の絆を深めることだろう。

ユニフェスも、本来の祭りに少しでも近づけたいと思っている。でもまずは、フェスをビジネスの全くからまないものとして行う。そこでチャリティフェスだ。みんなで、利他の温かい空間を共有するコンセプトが、その特徴である。

だから収益は、基本的にすべてチャリティ。今年は、会場費をユニで負担したから、ユニにとっては持ち出しではある。また実行委員の皆それぞれも、あれだけの大変な労力を注いでいる上に、随所で自分のお金を出している。それでもやっているのは、なぜか?

それは、人々の利他の心に触れることで温かい気持になれるからだ。それを感じるのは、主催しているユニのスタッフだけでない。来場者の皆さんやブース出店者の方々にも、また出演アーチストの方々も感じてもらっていると信じている。(実際に、そういう声を方々から聞いた)

 <集まったのは、40数店舗。今年は、NHKやFMこころ、また京都新聞でもお知らせしてくれた>

<Mausgruppeドイツ語補習校 のフェイスペインティング>

<友人の竹中あこさんと大森俊之さん夫妻のLIVE>

人の利他心に触れることで、その場に居合わせた人の心が温かくなる。それを感じることができるのは、僕は幸せなことだと思う。一流レストランでごちそうを食べることに幸せを感じる人もいるだろう。でも、僕たちにとっては、人の利他心に触れることが一番のごちそうだ。そして、人のために皆で汗を流した後に飲むビールと、スーパーで買った総菜を持ち寄って食べることに、一番幸せを感じるのだ。

 後片付けは、翌々日の昼過ぎまでかかった。ゴミの山もあり、借りた机も返しに行かなければならない。こうした、地を這い回るような下座の仕事があって、フェスティバルはできる。できたら来年からは、一連のすべてプロセスを、皆さんと共にできたら、さらに幸せだろうな、と思う。

さて、後片付けが終わった日は、ヨーロッパ一ヶ月行脚の前日だ。イタリア、ウィーン、オランダの各地で、念仏やらタオ指圧の講習やらがあるので、出発しなければならない。

出発前日の昼過ぎから、やっと旅の準備開始。一日かかって準備が終わったのは夜中の3時。6時に起床して関空に向かう。フランクフルト、ローマと乗り継いで、やっとベローナに辿り着いたのは、関空出発の24時間後だった。アントニオとロリダナが迎えに来てくれていた。ボンジョルノ! (イタリア語で”こんにちわ”)

<ローマからベローナ行きの飛行機に乗るところ>

<ベローナの空港に迎えに来てくれたアントニオとロリダナ。イタリア人は情熱的である>

 

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