2012/05/06 Categories: 未分類

いつもの湖畔のホテルで目が醒めた。取りあえず今日は、何も考えなくても良いので、ホッと解放的な気分をしばし味わう。

<湖の前で朝食>

アントニオたちがお昼に迎えに来てくれて、自慢のスパゲティとワインでランチ。これがレストランより美味しいので、びっくりである。

夜は、レストランに行ったら、そこは偶然、ピザで優勝した店で二重にラッキー〜。

 アントニオ。英語を全然しゃべらないのに、なぜかいつも会話の中心にいるという不思議な人。

<量の多さに、たじろぐ>

 

ところで本ブログとは、全然関係ないのだが、英語でライフLIFEと 言えば人生という意味もあれば生活という意味でもあり得る。

僕は、生活をものさしにして考える人と、 人生をものさしにものごと考える人の二種類があると思っている。

 生活をものさしに考える人にとって大切なのは、地位だったり家だったりお金だったりする。人生で考える人は、生きることに美的なものを求める。

そんなに分けられるものなのか? という反論が出るかも知れないが、分けられる。

人が選択を迫られた時に、どちらでものを考えているかが、その行動にはっきりと出るからだ。

 人間の生活なんて、見た目は違っても実際には似たりよったりだ。いずれは朽ちていくものが土台なんだから。

でも、人生は違う。美しい人生もあれば、キタナい人生もある。それは豪邸に住んでいるとか、着飾っているとかの、見た目の美しさなどではない。選択を迫られた時に現れる行動が、かっこいいか、かっこワルいか。粋か粋でないか。それが、ここで言う、美しいかキタナいかである。

そして生活は、所詮生活に過ぎないが、人生は生き方次第でいくらでも芸術になり得る。人が感動するような行動があれば、その人生自体が立派に芸術ではないか、と思う。

目先のお金や物や、自分の都合のために人の信頼を失うような行動もあれば、たとえ損をしてでも、どんな小さな約束でも大事に守っていく。そんなことを行動基準としている人もいる。

どちらがキレイかは、考えるまでもない。

僕は、たとえ地を這い回ってでも、なるべく粋な人生を、人と共有することを願って生きたい。