元旦

 まさかバングラデッシュで、正月念仏会をやることになるなんて夢にも思わなかった。

 朝から老若男女が、タオサンガセンターに正月参りに来られたので、僕は、念仏に先立って、ラジョーさんの通訳のもとに、少しお話しをさせてもらった。

 「念仏では、勧請(かんじょう)といって、仏さまや菩薩さまに道場に来て頂きます。

そして、宇宙大霊である阿弥陀さまの光明を宇宙一切にふり向けて(回向)頂くのです。

 昨夜の念仏で僕は、土地の神さま方も大変喜んで下さっているように感じました。

 皆さんも、ご先祖や家族、またすべての生きとし生けるものに、阿弥陀佛の光明がふり向けられるようにお祈りしながら、念仏して下さいね」

<まゆさんも、正月のあいさつ>

 皆さんで1時間ほど念仏や読経した後は、朝食の接待をする。お茶とココナッツをまぶしたもち米、ラカイン焼きそば、などだ。

 街の長老らしき人が、“日本仏教が入ったのは、ラカインの歴史上はじめてのことですよ”と感慨深げに言う。

 しかし日本仏教というよりも、明治時代に超宗派の念仏を説いた弁栄上人の教えが、そもそも世界で共有できるほどの普遍性を持つ世界仏教だったのだ。

だから僕は、「今日やったお念仏は、北米やヨーロッパなど各地でやっているんですよ。仏教は、普遍的なものだから、みんなでやったら良いですよね」なんて妙な答え方をしてしまった。

<朝食の接待>

時間が来たので、パソコンを立ち上げる。PCのテレビ電話(スカイプ)でつなげるためだ。

年越し念仏をやっている世界各地のタオサンガセンターが、Happy New Year! を同時に交わし合うのは、毎年恒例だ。

 つないでみると、おお! バングラデッシュの通信状況はまだ弱いけど、カナダと東京の声は聞こえるではないか!

オーストリアや京都もつながっているみたいなんだけど、こちらの声は聞こえない。

モンテリオールのセンターの映像が見えたので、カナダ・タオサンガのみんなと挨拶を交わす。

向こうはまだ大晦日の夜で、これから念仏らしい。

 バングラデッシュのセンターに来ているお年寄りに、“カナダで念仏する人たちですよ”と説明してヘッドフォンを渡す。

 映像を見て、ちょっと話してびっくりしている。いやー、僕も最初は、驚きましたよ、そりゃ。

こういう時は、文明バンザイである。

<女医さんの創った女性のためのセンター>

元旦でも、滞在時間が限られているわれわれは、のんびりしているわけにはいかない。バングラデッシュ自体が、特に正月気分という感じでもないし。

午後は、女医さんの造った女性のためのシェルターを見に行き、さらに仏舎利塔に行って、その後の相談。

 夕方は、ラジョーさんの奥さんにもセンターの事務を手伝ってもらうためのミーティングをする。実は彼女は、短大で英語もコンピューターも学んでいたのだ。

<階段の修復はすっかり完了している>

<いつ行ってもおじさんは、喜々として仕事をしている>

<仏舎利塔からの眺め>

<初めて奥さんを入れてミーティング>

<何をやっているのかというと、蚊帳をつっているところ。寒いくせに一丁前に蚊がいて、眠れないことがあるのだ>

<蚊帳が完成すると、一安心である>

夕食後は、屋上で3人で新年会の乾杯! 頼みのつなは、バンコクの空港の免税店で買って来たウィスキーと、まゆさんが日本から持って来た柿の種である。(彼女は柿の種を持って来るのは忘れない)

でも、それで十分じゃないか。天体望遠鏡のお陰で、月は感動ものだし、、、。続く

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12月31日 “そういえば大晦日”

クルスクル村のUNI小学校に行く。(ここは車で40分ぐらいなので、行くのは楽である)

4人の先生がいて、ラカイン語を教えている校長は、僧侶である。

ラジョーさんの通訳で、これからどうやって、全17の村に支援を広げていくかの秘策について話す。

さて、その後は、ラジョーさんが先生たちにゲーム、CHATRANGA を教える。

すると、僧侶の校長まで、“ボッカーン”とか言いながらやっている。真面目な顔しながら面白いぜい、この人!

<おもしろ〜い!>

<そうか、こう動かすのか>

<キミ、もっと戦車を前に出した方がいいよ、とか口出しする校長。戦略眼センスあり、と見た!>

“後で子どもたちに配って教えて下さいね”と、何セットか置いていく。

 その後、各教室を回る。子どもたちに、ちょっとした心の持ち方で気がパワフルになる方法を教える。

そしたら驚いた! 案外みんな、喜んでやっているではないか!

ああ、そうか! これからは、タオサンガでやっていることを、気軽に、どんどん広げていったらいいんだな、と納得!

<おみやげを配ると、、、>

<緊張している子と、後で笑っている子とか>

<最初はいろいろだけど>

<最後はみんな、やっぱりみんなうれしい>

ラジョー家に戻ってお昼を食べた後は、ラジョー氏のお勤め(日本のお経)の練習につき合う。

なにせ夜は、学生たちも集まって、ミニ年越し念仏をやる予定になっている。ラジョーさんもリーディングするので、気合いが入っている。

ラジョーさん、最初の頃は、声がやたらでかいだけで、メロディも読み方もいい加減だった。でも、ずい分うまくなって来た。

彼は今、スカイプという、複数で同時に話せるパソコン電話で行う、お経の練習会に毎週参加しているからである。

ちなみにこの練習会は、ヨーロッパ、カナダ、日本、バングラデッシュをつないでやっている。

 その後、意を決して(というほどでもないが)シャワーを浴びる。バングラデッシュに来て以来、はじめてである。

ラジョーさんが、お湯を入れたバケツを持って来てくれる。それを少しずつ水でうめながら、久しぶりに土ぼこりにまみれた身体を洗う。

ああ、ありがたや。今日の夜は念仏会だもんな。さっぱりしなくちゃ。

 そして夜、ミニ年越し念仏会。最初僕は、2、3人でやるのかと思っていたが、十数名も来て驚いた。

そこで最初は、気の体験ワークをしたり、念仏について説明したりした。

その後、1時間ほどお勤めを行い、 終わったあと、お父さんといった感じの人が、“念仏をしていると幸せです”と微笑む。

近くにいた2、3人の人も、そうやな、と言った感じで、うなづいている。、、、僕の心には、しみじみとした幸せ感が広がった。

、、、 念仏を終え、人々が大音量で音楽を流して騒いでいる中を歩く。ふけていくコックスバザールでの大晦日の夜。

僕の心の中には、静けさと幸せがあった、、、。

続く

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12/30

チョドリパラ村へ

NPOユニが先生たちの給料をサポートしている、チョドリパラ村の小学校を訪問する。車で片道2時間半の道行きである。

<バングラデッシュのタクシー三輪ミゼットは、昭和の中期に日本でも走っていた>

<途中、子どもたちにおみやげを買っていく>

<どれにしようか、と相談>

この村は、チョバ氏とラジョーさんの奥さんの出身地でもある。

 小学校は休み(冬休み?)だったが、先生や生徒たちは僕らを待っていてくれた。子どもたちが、門の前で勢揃いして花を持って出迎えてくれるので、毎度のことながら恐縮してしまう。

 80歳を超える老僧には、毎年来るたびに“自分はもう老いた。君たち、後は子どもたちのことを頼むよ”と言われ続けて来た。

 寺の境内に入ると、老僧はすでに床に臥せっており、数名の人が身体をさすって看病していた。

 顔を見合わせて、少し話しをした。(先生たちの給料を、少し上げてくれてやってないか、と言われて、“それは予定に入っているからご安心を”という。学校運営を一番気にしているのはサスガ)

しばし手を握ったり身体をさすったりして過ごす。

その後は 教室に入って、子どもたちと顔を合わせて少し話して、おみやげを配りながら、ラジョーさんがゲームのルールを解説。

<まずは、年齢の高い村人から。顔がけっこう真剣!>

<僕もお相手する>

その後は、さっそくのゲーム大会である。ファミコンもトランプもない村だ。楽しんでくれるといいな、、、。

ひとしきり遊んだ後は、チョバ氏の実家にお昼を頂きに行くと、次から次へとごちそうを出してくれる。

きっと準備が大変だっただろうなあ、と感謝しながら頂く。

帰路に着く

昼食後には帰路に着いた。夕方には、ラカインの医者夫婦とミーティングの予定なのだ。

彼ら夫婦は、いくつかの援助活動を行っている。そこで、“お互い協力して、一緒にやりませんか?”という話をしに行くつもりである。

どこの世界でも実践力のある人は少ないから、彼らは貴重な存在なのだ。

 ところで昔は、日本でも“女は三界に家なし”と言われたが(今は、お父さんに家なしかも、、、?)、ラカインの女性たちには気軽に集まれる場所がない。ファミレスもなく、しかもここは、イスラム教圏なのだ。

だから女医さんは、最近、女性たちが集まれるようにデイセンターを作ったそうだ。

また、チッタゴン丘などの山岳地域に住んでいる子どもは、貧しくて高度な教育が受けられない。

それでかねてより、勉強熱心な学生を何とかサポートしたいと考えていた彼らは、現在、その女性センターの1部を2人の学生たちに無料寄宿舎として提供しているそうだ。

いずれは大きい寄宿舎をやりたいそうだ。

 村を後にし、再び車で2時間半揺られて帰る。着いたら、おっと! すでに4時半だ。約束の5時まであと少ししかない。

ほっとする間もなく医院に向かい、1時間ほど話し合う。

 

夜、夕食後は、恒例の屋上での一杯である。ありがたいことに、ウィスキーもラカイン焼酎もまだ残っている。寒いので、多少着込んで飲む。

 持って来た天体望遠鏡で月を見たら驚いた! 月って、こんなにきれいだったんだ!。さすがに都会とは違うなー。目に焼きついて離れない。

、、、バングラデッシュで見た月は、クレーターまではっきりと、その神秘の姿を現していた。

続く

 

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12月29日

 午前中、NPOユニで修復中の仏舎利塔を視察に行く。

おおっ!花師のおじさんが、ガーデン造りにに励んでくれているではないか!

 水のポンプも造成され、すでに土地の半分がガーデン。NPOユニで修復した仏舎利塔は、さらにきれいになっていた。

<よくみたら土で、GUC RK(グローバル・ユニ・コミュニティ・ラカイン)と書いてあるではないか!>

<うしろにいる彼は、なぜかよく、ぬぼーっとして現れる。ひまらしい>

初めて仏舎利塔を見た時は、荒れ果てていて、その様子に、僕たちNPOユニのメンバーは心を痛めた。

それで数年前、仏教徒の学生たちにも声をかけて、皆んなで一緒に掃除をしたのが、仏舎利塔修復プロジェクトの始まりだった。

 その頃の様子を憶い出した僕は、きれいになっていく仏舎利塔をみて、感慨もまたひとしだった。(これぐらいの喜びは味わってもいいよね)

あと少しで、仏教の聖地公園になりそうな所まで来ている。

<ベンガル人観光客と>

<“展望台を造って一回5円ぐらい(かな?)で観光客にレンタルできるから”という、花師のおじさんの要望で、日本から持って行った天体望遠鏡を試す>

ラジョーさん曰く、“NPOユニのお陰です。会員の皆さんには本当に感謝しています” とのことである。良かったなあ、、、。

午前中は、今後の修復箇所について、1つ1つ確認しながら、3人で相談して過ごす。

 ミニゲーム大会

ところで、かつて僕が10年かけて完成させたChari-TXチャリティックスというゲームがある。

近々オンラインゲームになるんだけど、今回、このボードゲームの無料配布版を持って来ていた。

ラカインの村の子どもたちに教えて、無料配布するためである。

午後は、それに先立って、NPOユニの活動拠点であるタオサンガセンターで、ラカインの大学生や短大生たちにとミニ大会を行った。

 

<女の子たちも>

 <勝負あった!>

 <みなわりと真剣である>

どうしてホッとするんだろう?

この時、ふと思った。なぜ僕は、人がChari-TXゲームで楽しそうに遊んでいるのを見ると、ホッとするんだろう?

人々が童心に帰るのを見るからだろうか? それもあるかも知れない。

もしおじさんやおばさんたちが、缶けりとか凧揚げとかを喜々としてやっていたら、それなりにホッとするかも知れないから。いや、でもこのホッと感とは、少し違う。

自分が考案したゲームだからだろうか?           うーん、、、。もちろん、自分が楽しいと思っていることを人と共有することの喜びはある。だけど、それだけでは「ホッとする」というこの安堵感は、説明しきれないような気もする。

 では、このゲームを極めていくと奥が深くなり、将棋を極めていくことで人生についての示唆が得られるような、、、そんな要素があるからだろうか?

 でも、それだけなら、将棋をやっている人たちを見て、ホッとしたって良いではないか? でも別に、人が将棋をやるのを見ていたって、このホッとするような温かい感覚は僕には生まれない。

社会的な肩書きとは無関係

そこで、20年前のことを思い出した。“一体どうして、このゲームを創ったのですか?”と聞かれて、“孤独だったからじゃないですか?”と答えたことがあったのだ。

 その時、なぜ自分がそんな風に答えたのか、その意味を言語化できなかった。だけど、今回、ラカインの大学生たちがゲームをやっているのを見て、自分が何にホッとしているのかを考えていたら、ようやくわかってきた。

 まず僕は、“このゲームを憶えて人と楽しく遊べたら、プレヤー同士は友だちになるだろうな” と思うのである。

ここで自画自賛みたいな話になるので、まことに恐縮至極、でもお許しいただきたいのだが、このゲームを深いレベルでやると、ゲームを通じてお互いの人生観をやり取りするような所があるのだ。

飲み屋の将棋大会で僕が言うこと

 もちろん将棋にも、そういうところはある。僕は一昨年まで、毎年1月1日には「まほろば」という飲み屋で、酒を飲みながら行われる将棋大会に毎年のように参加していた。

31日の夜9時から1月1日の昼1時までは、ほぼ徹夜の年越し念仏会に出て、そのまま寝ずに、その夜は朝方までの将棋大会に参加するのである。遊びもさぼっちゃいけないしなー、と思って。

その時の僕は、“なんだそれは、サラリーマンっぽい手だなー。人間守りに入ったら終わりだぜい。”なんて、相手にほざきながらやっているのである。将棋は勝ち負けでなく美学だ、というのが僕のモットーだからである。まあ人生もそうだけど。

人生を語り合う

さて脱線してしまったので、話を戻そう。人間、表層の社会的な肩書きでつき合って、友だちになんかなれるはずがない。

世の中が貼るレッテルとは一切無関係に、人と人が言葉を通さずに、人生を語り合って友だちになる。こんな素敵なことがゲームを通してできるのだ。

僕の無意識は、それを、Chari-TX を楽しんでいる人の心の中に感じて、ホッとするのだと思う。

ゲームの根底にある願い

おそらく僕は、自分が味わったような孤独を人に味合わせたくないという想いが強いのだろう。

僕は小学生の頃から孤独を味わって来た。“誰もかれも自分とは違う。こんな悲しいことがあるだろうか?”と書いたのは、17歳の時だった。

まるで、人と共通の言語を持たないで生きて来たような想いがあるから、僕は人と無意識レベルで語り合えるツールに、ずっと飢えて来たのだ。(もちろん、音楽もその1つだし、指圧も気心道も、また念仏もそうなんだと思う)

また、だからこそ、あれほどエネルギーを注いで、10年もの時間をかけて、ゲームのルールを完成させたのだろう。

 僕にChari-TXを創らせた根底にある願いは、このゲームを通して、人と人が、肩書きも世代も無関係に、人生を語り合えるような友だちになって欲しい、ということだったと気がついた。

願いへの共感に深く感謝

今、タオサンガでは、Chari-TXプレイヤー(チャトランガーと呼ぶ)になってくれる人たちが続々と出現している。

それは人が、このゲームの根底に流れる、“孤独な人がいなくなって欲しい”という願いに、無意識に共感してくれているからではないか?

もし、そうだとしたら、いつしか第三世界の子どもたちや、養護施設の子どもたちに教えに行ったり、配布に行ってくれる人だって出て来るかも知れない、、、いや、きっと出てくるだろう。

そんなことを思っていたら、日が暮れて行く年末のバングラデッシュ、タオサンガ・センターで、いつしか感謝の気持に心は温かく満たされていた。

、、、明日から村を回り始める。

 <息子のセナ君に特訓するラジョーさん。元々彼は、思考するゲームは苦手だった。それが今回、がらっと変わってルール説明係になった。いつだってラジョーさんは、何も言わなくても僕の願いをすぐに理解して、実行してくれる人なのである>

続く

 

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バングラデッシュの首都ダッカの空港に着くと、いつも焦る。その後は、拍子抜けするんだけど。

焦るのは、ダッカから現地に飛ぶ国内線までの乗り継ぎが1時間半ぐらいしかないからである。

これが電車の乗り継ぎだったら、1時間半などあったら時間をもてあましてしまう。

だけど、飛行機で国際線に着くと、まずは長蛇に人が並ぶイミグレーション(入国審査)を通り、なかなか出てこない荷物をまだかまだと待つ。(修行ができていないもんで)そしてやっと荷物を取った後に、国内線のターミナルまで移動することになる。

今回はタイ航空の到着が遅れた。このため、僕の荷物が出てきた時点で、すでに出発時間! しかも、まゆさんの荷物が1つだけまだ出てこない。

そこで僕が何をするか? 荷物を持って一人国内線まで走っていく。別に彼女を置いてきぼりにするわけではない。飛行機を停めておこうと思ってなのである。(これ本気)

ただし、バングラデッシュの飛行機は遅れるのが当たり前。2時間待ったあげく、欠航になったことがあるぐらいである。

それでも万が一、時間通りに飛ぶということがあるかも知れないしなあ、、、と思う。(この辺は、日本と常識が逆)

それで、走って行ってみたけど、案の定、出発時間なのに、まだ飛んでいなかった。それどころか、その後さらに、2時間たっても飛ばない、、、、。

こうして今回も、焦って走ったあげく、その後拍子抜けしたのである。

<バングラデッシュ国内線>

<難民のように待ち続ける、、、>

しかし、人間とは悩みが尽きないものだ。さんざん待って、欠航になったらどうしようか? などと考えるのだから、、、。

まあその時は、以前のように車の手配を頼もう。ドライバーが、12時間全力疾走のチキンレースを続ける車に乗るまでのことである、、、。

ホコリっぽい空港で、水と食料が届くのを待つ難民の如く、うだるように待ち続けた末、ようやく乗客を乗せるというアナウンス(と言っても職員が大声を出すだけ)がなされる。

そして中古のプロペラ機は、僕らを乗せてコックスバザールに向けて飛び立った。

 着いたら、ラジョーさんとチョバさんが空港で嬉しそうに待っていてくれた。

チョバさんは、今は山の中でNGOの職員として働いているそうだ。バスを乗り継いで、何時間もかけて会いに来てくれたという。ありがたいことである。

<コックスバザールの空港で、2時間待っていてくれたラジョーさん>

ラジョー家に投宿して一休みした後は、タオサンガセンターで、仏教福祉委員の人たちと打ち合わせ。

現在NPOユニでは、2つの村の小学校を開校して運営しているが、これをどうやって17ある全ラカインの村に拡大していくか?

ふたことみこと話しているうちに、僕の胸に、とっておきのアイデアが天啓のように生まれた!

夕食の後は、ラジョー、チョバ氏らとで、ラカイン焼酎や僕らがバンコクの空港でおみやげに買って来た免税品のウィスキーなぞを、ちびちびと舐める。

<チョバ氏>

<多少寒くても、ほこりにまみれても、友と少しの酒ばあればよし>

意外かも知れないが、この時期のバングラデッシュはうすら寒い。しかしシャワーは水だけ。身体は土ぼこりにまみれているが、とても水浴びする気にはならない。そのまま丸まって寝る。

朝五時半には、街中に響き渡る大音量のコーランに起されることになるけど、、、。続く

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2012/12/27

悲しみと悟り

「悲しみを懐に抱き続け、遂に悟りに目覚める」ということばが、法華経に出て来る。

“悲しみ”と“悟り”とは、一見、全く別の心のように思われるかも知れない。しかし、宮沢賢治が愛してやまなかった法華経の、この言葉は、「利他」の本質をするどくついている。

利他とは、シンプルにいって、他に幸せを与えることだ。他に喜びを与えると、同時に自分の無意識にも幸せを与えている。

自分も他人も、深いレベルでは無意識を共有しているから、利他とは、自他共に幸福になる道なのである。

ところが、だ。利他の道を歩む人間は、悲しみを体験することは避けられない。

法華経でいう「悲感」だ。利他は幸せの道だと言っておきながら、“悲しみを体験する”ってどういうことだ? と思われることだろう。

 与える者と受ける者

そこでまず述べておくが、利他においては、“与えるもの”と“受ける”ものが生じる。

それはそうだろう。与えるものは幸せになる。これは間違いない。

しかし受けるものは一体どうなるのだろう。利他というからには、「与えない人」の心配までしなくては片手落ちである。

でないと、金持ちが道楽で慈善事業を行い、何か自分が良いことでもしたような満足感に浸っているのと変わらないものな。

 無意識へのメッセージが未来を創る

例えば、天台宗の開祖などは、“与えるものは天に生まれ、受けるものは獄(地獄)にいく”とまで言っている。えーっ!? 与える側に回らす、受けてばかりいれば、地獄行きかよ〜。

それじゃあ、与える側は、地獄行きの切符をせっせと渡しているだけじゃないか〜!? と思う。

もっとも、自分は与えずに、他からもらっているだけの人は、“ラッキー! 得しちゃった〜”と思っていて、まさか自分が地獄行きの切符を手にしているとは思わないだろうけど。

ただし、もらうだけで与えなければ、“自分は、他に幸せを与えるほど幸せではない”というメッセージを自分の無意識に送ることになる。

自分の未来は自分の無意識が創るのだから、そのメッセージを受け取った無意識がどんな未来を創るかは、ちょっと考えてみればわかるだろう。

本当の利他、その行き着くところは?

さらに考えてみよう。先に述べたように、利他とは他に喜びを与えること。しかし、自分が喜びを与えた相手が、ただそれを享受するだけで、与える人にならなかったらどうなるだろう? 繰り返しで申し訳ないけど。

地獄行きの人を創ることは、本当の利他でもなんでもない。だから真の利他の道の行き着くところはどこか? と言えば、それは利他をする人を育てることにならざるを得ない。

繰り返しになるが、人間、利他をすることでしか幸せになれない。

だとしたら、本当に人間を幸せにしようと思ったら、利他する人になってもらうしかないのである。

ここに先の命題である、“利他の道を歩むものは、悲しみを体験せざるを得ない”が、密接に関わってくる。

 利他とは誤解されて傷つく道

例えば誰かに、利他をすることで幸せになってもらおうとする。これは頼んでも無理だし、命令しても無理である。相手に良かれと思うことをひたすら行い、祈り続けるしかないのである。

ところが、だ。

相手にとって良かれと思うことをやり、“こんな一銭の得にもならないようなことをするのは、何か別の魂胆があるに違いない”と思われたり、相手の幸せを祈りながら、その当の相手からネガティブな目を向けられたりする。

そして人間は、そんな簡単に利他するようにはならない。利他を勧めても、“何かをさせようとしているんじゃないか”となどと勘ぐられてしまったり、義務を負わせられたように感じる人もいる。

時に僕が、本人が自分の内面に向き合わざるを得ないようなことを言えば、その人が反発したり、言い訳したりすることもある。

その結果生まれた、自分自身との向き合いや葛藤から逃げるため、エゴを正当化して利他の道を歩くのをやめる人もいる。

また中には、やめる前後に、陰であるいは面と向かって、僕を非難する人もいる。にわかには信じられないだろうけど、僕にはまるで身に覚えがない言動を、あたかも僕がしたかのように陰で言われことすらある。

それは、自分のエゴと向き合わせた人(僕)に、その葛藤の苦しさをぶつけたり、その原因を責任転嫁したためだ、と思う。僕もそれは頭では理解している。

しかし僕は傷つく。これで悲しくないわけがない、と思う。それに時には、僕に対する非難を聞いた他の人が、それを真に受け、妙によそよそしくなることだってある。

こんな時は、まるで冤罪で警察に連れていかれ、それまで親しいと思っていた人から、白い目で見られたかのような、寄る辺のない想いにかられてしまう。

まるで、親を気づかった幼い子供が、余計なことするな、と家族みんなに舌打ちされた時のような、傷のつきかたである。

 利他とは悲しみを受け入れる道

古には、愛をかなしと読んだし、イエスを悲しみの人と呼んだ。

そのイエスは、「狭き門より入れ。滅びに至る道は広く、生命に至る道は狭い」と説いた。

滅びとは、エゴを優先させ、自分の快適さを追求する道だし、生命とは利他に生きる幸福な道である。

しかし利他に生きる人を育てる、真の利他の道とは、幸福ではあっても、狭き門である。

それは、エゴにとっては受け入れ難い厳しい道だからである。

そしてそれが故に、他者と道を分かち合おうとする人は、時に人から言われなき非難を受ける。その悲しみを体験することは、避けられないのである。

マザーテレサのハウスでも、エゴと向き合い乗り越える利他の道について行けず、去って行く人は多かったと聞く。

利他の道を歩むスタッフは、ケアーを受ける側ではない。ケアーを実践する立場だ。だからマザーも、彼らスタッフに対しては、厳しくならざるを得ないだろう。なぜなら、自らに対するその内的な厳しさこそが、真の幸福をもたらすことを知っているから。

しかし中には、そのことが理解できず、かえって反発して去って行くスタッフも出てくるだろう。でもマザーだって人間だ。本人の幸せを願うその気持が理解されず、スタッフが利他の道を捨て去って行くたびに、深く傷ついただろう、とは思う。

マザーのハウスで、途中からスタッフを簡単には受け入れなくなったのは、エゴを捨てた利他のワークを、長時間行うことに耐えられなくて逃げる人がたくさんいたためだ、と聞いた。

イエスも最後は、弟子たちがみな逃げた。そして罪人として死んだ。さぞ切なく、悲しかっただろう。その直前には、弟子たちの足まで洗ってあげていたのに、、、。

たった一人になっても、人間への夢を捨てられない人。利他にしか生きられない人。そんな人だっているんだ。

「悲しみを懐に抱かずして悟る人はいない」という法華経の言葉が、優しくたしかな重みをもって、心に響いてくる。

 ※ところで、今タイのバンコクに来ている。明日からバングラデッシュに向けて出発。

 続きは、バングラデシュ篇

 

 

 

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ため息ついてふと思ってしまった。

“いったい自分は、何のために生きているんだろう?”って。なんだか、まるでティーンエイジャーみたい、、、。

まあだけど、そうなんだからしかたがない。

僕は人の心を変えたくて生きて来た。このことに気づいたのは数年前だ。どんな心に変わることかと言うと、“幸せな心と孤独でないこと”、に。

なぜ僕は、こんなことのために生きて来たのか?

ちっちゃな時から(浅川マキの歌、風に)

僕は、もの心ついた時から幸せでなく、そしてひどく孤独だった。

そして、そこから抜け出そうとして子どもの頃から必死だった。しかし、それが極まるところまで行ってしまったのは、16歳の頃だった。

その頃の僕は、“どの年齢の人も、またどんな人も、例外なく、死にたがっているのを必死で我慢して生きている”と、頭から思い込んでいた。

きっと僕がそうだったからなんだろうけど、それが自分の投影だとは気づかなかった。それぐらい精神的に余裕がなく、追いつめられていた。

だから、そうでない人がいる、というのを知ったときは、心底びっくりしたものである。

そんな僕だが、子どもの頃からやって来たことは、不幸せっぽい人を見つけては、なんとか幸せな気持にしようと努めたり、孤独そうな人を見つけては、なんとか孤独でない気持にしようと心を病むことであった。

しかし、もちろん、僕の試みは多くの場合、失敗した。

快適な自分を満たすのが幸せなのか?

その原因は、ずい分たってからやっとわかったのだが、、、(恥ずかしながら、実は最近)。

そもそも人が幸せな心になるためには、“他の人を幸せにする気持にならない限りは無理”なのだ。

孤独な人が孤独な心から解放されるためには、他の人の孤独を癒そうする気持がない限りは不可能なのだ。

それが人生の法則なのだ。

それは、よくよく考えてみたら当たり前のことなんだけど、なかなかこれを言語化して認識することはできなかった。だから、失敗して来たのである。

というのは、通常、人は、快適な自分を手に入れることを幸せと呼ぶ。それで、“自分を幸せにすること”が、幸せだと思っている。

ところが現実は違うし、その誤解が解けない限り、幸福にはなれないのである。

 人は、自分で自分を幸せにすることはできない

人に認められたり、優しくしてもらったりするのって、幸せなことだ。これは物質に満たされた北半球の日本に住む私たちが、唯一感じることができる幸せかも知れない。

だけど、どうしたら人に認められたり優しくしてもらえるのだろうか? 有名になったら? お金があったら? それとも偶然のチャンスを待つ?

きっとみんな、“今の自分に足りない何かがあったら、自分はもっと認められるし、もっと優しくされるし、もっと愛される”と思っているのかも知れない。

だけど、それって、今の自分を否定することだから苦しい。それに、そのこと自体が幸せなこと状態だとは、とてもいえない。

また、たとえ自分に足りない何かが、先行き手に入ったとしても、果たしてそれで人に愛されるのだろうか?

人生の事実

地位があるから、有名だから、お金があるからという理由で親切にしてくれる人は、もちろんあなた自身を認めているわけでも、また、あなた自身に親切にしているわけでもない。

言ってみれば、あなたが着ている服を愛しているに過ぎない。

人は、自分で自分を幸せにすることはできない、と言った。これはほんとうの本当に事実なのだ。ただし多くの人は、単なる“快適さ”のことを幸せとカン違いして、そう呼んでいる。

だから、この現実(人は、自分で自分を幸せにすることはできない)を知るのを邪魔して、幸せを求めていながら、逆に不幸の種を積んでしまうのだ。

だって快適さって、長続きしないんだもの。

人間は、どんな快適さもすぐに慣れてしまって、不幸を感じるようにできている悲しい存在だから。(しかも、手に入れてしばらくの間は、これが長続きすると思い込むという、愚かさも併せ持っている)

人は、人に幸せにしてもらうしかないのだ。じゃあ、どうしたら、それはできるのか?

「人は、他の人を幸せな気持にすることでしか、幸せを感じないようにできている」まずは、この峻厳な人生の事実を認識するところが始まりだろう。

“そうかあ、宇宙ってこんな風にできていたんだ〜”と、僕自身、あらためてその不思議を想う。

<続く>

※ああ、バングラデッシュ行きの準備しなければならないのに、ブログなんて書いて時間使ってしまった〜。何か写真でも載せようかと想ったけど、時間ないからやめたっと。

 

 

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過去から未来へ疾走する

つい、1〜2週間前の話なのに、東京センターでのイベントや京都ベジフェスでのLIVEは、あっという間に過去の出来事になってしまった。

というのも、年末年始は、バングラデッシュやタイにいることになったからだ。すでにそちらの準備に向けても疾走しているんだから、無理もないか、、、。未来と過去は同時に考えられないもんな。

やっとできた時間のすき間に、「ブログ書かなきゃ、、、」なんて思ったんだけど、そういえば何やっていたんだっけ? と思い出す始末。

そういえば木曜日は、一日夕方までバンドの練習。その後、新幹線に飛び乗って東京へ行ったんだ。翌日の、東京道場での彼岸法要やチャリティイベントのため。

東京に向かう

さて、東京駅に着いた。「センターで準備をしているタオサンガの皆さんの労をねぎらいたい」とは思いつつも、風呂に行き、一人部屋で休んでしまった。(後で聞いたら、劇の練習で忙しかったとのことで、行かなくて良かった)

23日金曜日(祝)/ 彼岸法要とチャリティバザー

朝の始まりは彼岸法要。雨がけっこう降っていたので、“まあ人はいないだろう”と思っていたら、たくさん来られているのでビックリ!

30分の彼岸法要の後の法話。何を話したかはヒ・ミ・ツ(なんちゃって)。

その後、健康教室があった。(経絡ヨガをやっているところ)

<治療デモンストレーション/“どこか「痛い」とかの症状のある人はいませんか?” と会場に呼びかけ、経絡の状態を説明しながら、数分の治療で症状を取る。3人ほど、行った。ふぅぃ〜>

 

<その後、チャリティバザー始まる>

<お値打ちものばっかり。すべて支援金となる。値段は買う人が決めるサンガのシステム>

<輪投げでバザー品をゲットする子どもたち。僕も挑戦したが、入らなかった〜>

他の部屋では、、、

<キッズ スペースもあり>


<チャリティ施術の部屋。この日はすべてがチャリティのため>

 

いよいよメイン・イベント!  それは、、、

<タオサンガ版 喜劇「新白雪姫」!>

 <これがまた、抱腹絶倒!! 配役、脚本、演技、すべてがほんとにスゴい! いや〜、本山に売り込みたいです。タイ大会では英語でやる、とのこと>

イベントが終わって

 あと片付けの後は、皆さんで一杯飲みながら、まったりと。バザーの残りを食べたり、買って来たお寿司を食べたり

くつろいだところで、Chari-TXゲームが始まった! ふはははは。(ここで笑うのは、嬉しさのあまりである)

先ほどのバザーでは、悠一郎君という賢そうな小学生がいた。そこで僕は、すかさず彼をスカウトした。これからチャリティックス棋士として、英才教育をするつもりである。楽しみだぜい!

24日土曜日/別時念仏会

別時念仏というのは、座禅の摂心みたいなもの。集中的に行う修行のことである。

この日は、「念仏でトラウマを癒す秘法」等を行った。夕方はネットでも放映している毎週の法話ライブ。http://www.ustream.tv/channel/taosangha

終わった直後は、また新幹線に飛び乗って京都へ帰る。翌日のベジタリアン・フェスティバル出演のためである。(朝でなければ、会場に機材が搬入できないので)

25日(日曜日)ベジフェス(梅小路公園)に出演

<なんと曲の途中で弦が切れてしまった〜。ピーンチ!>

 <で、次の曲から別のギターで弾く>

この日はセッティングにやたら手間取った。また、アンプからいつもの音量や音色が出なかった。(さらに、演奏途中でギターの弦が突然切れた)ようするに、トラブル続きだったのである。このため、二曲しか演奏できなかった。

自分的には、不本意なステージであった。その後は反省どころでなく、2、3日うわごと言うほど自責の念にかられていた。

「いや〜、今までレコーディングばかりで、ライブはすっかり遠ざかっていたからさー」などと、時おり自分で自分に言い訳しながら、である(←ああ、何やっとるんじゃい)。

そういえば、ソロアルバムを出している頃は、リリースするたびに「ああ、駄作を出してしまった〜」と、一人落ち込んでいた。ダメなところばかり耳についてしまっていたのである。

毎回CD出した直後には、いつもそんな状態であった。それが、人様が「いい!」と言って買って下さったり、テレビやラジオで放送されたり、“いつも聴いています。音色に癒されます”などと言って下さるにつれて、“まあ、自分で思っていたほどは、そう悪くはなかったのかもね、、、”と、恐る恐る立ち直っていくのである。

ああ、なぜか舞台裏を話してしまった〜。これはあの日のライブの後遺症である。次はもっと良いステージにするから、勘弁してくれい。すでに遠い過去の話なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界の軍事費で出来ること

-戦争を止めて、ゲームChari-TXをしよう!-

世界から、毎秒2万5000ドル(約2百万円)が、軍事費のために消えていきます。軍事費総額は、年間で約8000億ドルです。

さて、これだけのお金があったら、果たして人類は何ができるでしょうか?

◯まず、飢餓に苦しむ人は、世界に約8億人。その1年分の食糧に必要なのは、980億ドル。これは軍事費の1/8以下に過ぎません。(国連世界食糧計画)。

◯世界中の難民は、約2000万人。そのテントや毛布は1億ドルあれば足ります。(国連ユニセフ他)

◯世界中の子どもの,ビタミン不足による失明を救うのに必要な額は、たったの0.2億ドルです。(国連WHO)

◯すべての人類が基礎的な教育を受けるのに必要なのは、60億ドルだけで、これは軍事費の0.75%です。(ワールドウオッチ研究所)

◯すべての人類に安全な飲み水と下水設備を提供するのは、90億ドルでできるのです。(ワールドウオッチ研究所)

◯世界中の全女性の妊娠・出産にかかわる保健衛生費は、120億ドルで賄えます。(ワールドウオッチ研究所)

◯地球上のすべての人々が、健康に必要な栄養を摂取するには、130億ドルあれば可能です。(1998年の国連開発計画の報告書)

◯全地球の砂漠化は、87億ドルで防止できるのです。(国連砂漠化防止条約)

それでも全部で、1468億ドルに過ぎません。
6532億ドルもおつりが来るのです。世界にはずい分たくさんのお金があるんですねぇ。

では、そのおつりを何に使いましょうか?

◯世界中の兵器を1720億ドルで廃棄できます。(米モントレー国際研究所資料)
(これには、化学兵器に汚染された地域の環境浄化費 500億ドルも含みます)
※ようするに、アメリカの軍事費のおよそ6か月分で,世界中の兵器は廃棄できるのです。

いやー、まだおつりが来ますね。人類は金持ちだ!

そこで、

◯地雷は世界中に1億1000万個埋まっています。地雷1個を除去する費用は300ドルかかるので、330億ドルかけたら世界中の全ての地雷を除去できます。

ついでに、全ての地雷被害者に義足・義肢などを贈りましょう。約3億ドルあればできます。

しかし、まだまだ無くならない。4479億ドルもあまっています。
では、アフガニスタンを復興しましょう。250億ドルあれば可能です。(UNDP等)アメリカの軍事費の34日分です。

これでもやっと半分だけ使いました。まだ4229億ドルも残っています。そこで、

◯貧困国の全債務(借金)を免除しましょう。貧困国が背負っている巨大な債務がなくなれば、利子に苦しまず、その分を人々の保健や教育,また福祉などの整備に当てられますからね。


「低所得国」61カ国の対外債務は約4210億ドルですから、これでやっと、19億ドルまでに減らしました。

そこでさらに、ソマリアなど「特に貧しくて借金の返済が困難な国(重債務貧困国)」の対外債務(借金)を免除しましょう。これが約2200億ドルもありますから。(と言ってもこれは、3か月と何日間か分に過ぎませんが)

ですから、浮いた軍事費を人類ために有効に使い始めたのが、2012年の12月31日だとしたら、2014年4月8日のお釈迦さまの誕生日には、すべてのプロジェクトが完了します。

人類に智慧があれば、毎年8000億ドル、毎秒2百万円というお金は、人殺しの道具のためでなく、人を幸せに生かすために使うことができるようになるのです。

(サイト/「軍事費でできること」参照)

http://www.osaka-c.ed.jp/ed/h14/kankyou/Security/military/military2.htm

だから諸君、戦争を止めてゲーム(Chari-TX チャリティックス)をしよう!

 

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10月中旬から、海外のタオサンガ・メンバーと、3週間(実際には一ヶ月近く)に及んだ、リーダー研修の強化合宿をしていた。

3週間にしたのは、僕が以前参加したことがある、浄土宗の僧侶養成のための合宿が、3週間だったから、何となくそうしたのである。

あの頃、浄土宗の僧侶養成合宿は、夏に2回、冬に一回、3週間ずつあった。(今は、システムが変わったかも知れない)朝5時から夜9時まで休みというものが全くなかった。

夏は名古屋だった。あまりの暑さに一日中汗を流し続けた。冬は東京の増上寺で、当たり前だけど、寒かった。

そういえば、海外講習から帰った翌日だったので、時差ボケのため、最初の2日間はまったく眠れなかったことを憶えている、

 

 <冬に3週間いた増上寺。寺から外に出られなかった。クリスマスの夜は、クリスマスツリーのようにライトアップした東京タワーを眺めた>

 さて、話を戻すと、今回の海外研修参加メンバーは、オーストリアからオリバー、スペインからベレン、トロントから台湾出身のリー、モンテリオールから茂木さんの4人である。

朝9時から念仏で始まり(、、、と思う)、10時から様々なトレーニングを行い、終わるのは夜10時、というのもざらにあった。まゆさんには心理ワークを中心に、いろいろとやってもらった(彼女は、かつて心理トレーナーだったのだ)

せっかく日本に来たから、と少しは観光も楽しんでもらおうと思ってはいた。しかし実際には、終わりの頃にできたくらいだった。

実は、全日程の内、最初の半分近くは、全員でタイ大会の準備等に1日中追われていたのだ。4人とも(僕もそうだけど)、大会準備担当だったからだ。

連日、長時間に亘った作業

<朝から、これ>

<疲れて来たので、ジョークを飛ばす>

<“ふははは!”と、復活!>

<で、夜もこれ。すでに10時頃。作業は果てしなく続く>

それで、みんなであまりにも良く働いたので、夕食は居酒屋で一杯やりながら、と言うのも多かった。一日の労働は、苦労を共にした仲間と居酒屋の一杯で報われるのだ。

 

居酒屋のひととき

<茂木さんは、久しぶりの日本食で嬉しそうである>

<僕はリーには何度か言った、”あのさー、僕、幼稚園の先生じゃないんだけどな”>

<上の写真の続きが、これ>

<左がオリバー、右がベレン。日本に来てハッピー!>

 

ときには、こんなこともあった

 
<この日は、1人が1万円を紛失。どこに行った? さあ、どうする?>

<“しょせんイメージの問題だからね”と、僕とまゆさんも入れて、みんなで1500円ずつ出し合う。これで、ハッピー解決だい! >

<リーは台湾出身だが、高校がオースラリアで、大学がカナダだった>

 

みんなに感謝

僕とまゆさんは慣れているから、どうということはないんだけど、タオサンガが広まるために、無償で懸命に作業をする皆さんの汗は、本当に尊く心から感謝の想いが湧いて来る。(涙、涙、涙)

タイ大会の準備って、一体何やるんですか? と聞かれるかも知れない。これが簡単に説明できれば良いんだけどな、、、。今振り返ってみても、“これと、これやってました”なんて簡単に説明できないのが不思議である。

というのは、僕の脳は、なぜか苦労したことは片っ端から忘れるようにできているので、(苦労したことなんか、思い出したくないというのもあるけど)後で振り返ってみても、“はて何やってたっけ? ふが〜”という感じである。

タイ大会の準備としては、基本的には、ウエブの各国語の翻訳ができれば完了の所まで来た。(やるべきことも忘れていることが多いかも知れないが)

 

滝行にも行った

<これから滝行に入りまーす>

<願を書いたろうそくを立てる>

<滝に打たれながら、大声で般若心経を唱えたあげく、放心状態で出て来るリー>

<滝行を終え、心は晴れ晴れ〜>

とにかく朝から晩まで、濃い〜約1か月近くの心の旅だった。僕にとって最大の収穫は、参加したメンバーの心の成長の他にも、もう1つあった。

それは、“タオ指圧の本質が何かが、わかったこと”である。妙な話に聞こえるだろうけど、30年やって来て、今になってやっとわかったのだ。

それは、“えーっ!? これだったの!?”と、実に驚くべき内容だったが、果たして言語化できるだろうか?

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