11月15日夜
オマールの家からの帰り道、イスラエル占領軍の検問所を通る。パスポートを出せと兵士が言い、運転手のジョセフが焦って「出して!」と怒鳴るように言う。
<写真はネットからのイメージ>*検問所で写真を撮って、ややこしいことになったことが2回ほどあるので。
ムリもない。先日、カバンの中身を見せなかっただけで、17才の女の子が射殺されている。 毎日2人ずつ殺されている、という。すべて近所と言って良いほど、この狭い地域で。
イスラエル政府は高さ8メートルの壁を各地に延々と建てている。そして、イスラエル占領軍による検問所を設け、パレスチナ人の生活全般を困難にしている。
何のために? テロリストを発見逮捕するためという名目。だが、違う。パレスチナ人の生活を困難にするために、だ。(その意図に世界の問題が凝縮されている)
これでは石の1つもぶつけてやりたくなるのはムリもない。しかしその報復は逮捕拘留、催涙弾。最近は耐え切れず、中にはナイフで向かっていく人も出て来たというが、結果射殺される。
一体、誰のせいなのか。本当の敵は誰なのか? 人間の目覚めが待たれる。
11月16日
エルサレムを出発し、ベツレヘムに向かう。ベツレヘム・フェスティバルを主催するホリーランドトラストというキリスト教系の人権団体の実行委員会とミーティングするためだ。
意外だったのが、エリヤスたちが超日本大好きだったことだ。
来年のベツレヘム・フェスでは、大きな日本コーナーを設けて日本文化を紹介したい、と。
どんなもの? と聞いたら「指圧、着物、お茶、サムライ、寿司(かっぱ巻とか)とのこと。
なんとサイードは、マントラ瞑想をやりたいとまで言い出した。うん、それなら念仏ヒーリングをやろう。
8月6日は、広島原爆慰霊祭をやろうよ、異宗教合同で。いろんな国の大使も呼ぼう、と話はどんどん盛り上がる。着物を来たくてたまらないというララは、すでに興奮気味であった。
<今回、サミーは海外だかどこかに行っているので、エリヤス、ララ、サイードと。日本女性は増山麗奈さん>
次のミーティングは、ベツレヘム大学のマージン教授とである。マージンは、世界中で講演していて、日本にも呼ばれて広島と長崎でも講演している。また奥さんは満州人で、アメリカの大学留学中に知り合った、という。
パレスチナの環境教育のために特別なガーデンを造っており、案内してくれたのだが、しばらく歩いている内に目がチカチカし、吐き気もして気分が悪くなった。
何年か前、ビリン村の非暴力抵抗運動のデモに参加し、イスラエル兵の放つ催涙弾を浴びた時の感覚に似ている。マージン教授も、「ダメだこれは、室内に入ろう」と促した。
中で話を聞いたら、イスラエル兵が住宅地に催涙弾を蒔いている、とのこと。イスラエル軍がパレスチナ人に対して化学物質の入った黄色い液体を放射しているのは知っていたが、催涙弾の中身の物質まで蒔いているというのは知らなかった。
他のパレスチナ人は、「これに耐えたら健康に良いよ」なんて冗談を飛ばしていたが、そうでも思わなければやってられないだろう。子供達はどうなるんだ!?
奥さんがお昼を買いに行ってくれたが、数分で行けるところなのにいつまでも帰れない。途中で尋問にあった車があって渋滞したり、検問所があったりと、まったく日々の生活が脅かされている。
武器を持たないパレスチナ人と、機関銃を持って武装しているイスラエル兵(そして入植者たち)。
「テロリストだ!」とニュースで流されている被害者と、「パレスチナ人はテロリストだ」と教育&マスコミによって思い込まされ、すっかりその氣になっているイスラエル兵。(そして世界の人たち)
日本人だって、つい70年前まではほとんどの人が「鬼畜米英」を本気で信じていただろうけど、、、。教育とマスコミによる洗脳は恐ろしい。
11月17日
朝、オマールと2ミーティング。
来るなりショッキングなことを聞く。彼の近所に住んでいる友人が、昨夜イスラエル軍に殺されたという。明るくてとっても良い奴だった。イスラエル当局に、抵抗運動によって投獄されている友人と通じていると疑われた。
そしてイスラエル軍の一個小隊が、家族の自宅を夜中に襲い、家中をめちゃくちゃにしに来た。それを止めようと、近所の人が一丸となって守ろうとしたが、友人を含めて2人が殺され、11人が重軽傷を負った、という。
それから、いろいろと突っ込んだ話をした。
その後、来年のプログラムについて、アースキャラバンについていろんなアイデアを出し合った。
別れ際には、2人とも泣きそうになり、お互い泣き顔がばれないように顔をそむけ合った。
その後、現在危険地域と言われ、日本大使館にも来ないように言われている、というヘブロンへ向かう。(イスラエル兵が1500人展開しているという話もあった)
しかし、実際に来てみたら何ということはない。日々の生活を営む、世界のどこにでもいる普通の人々がいるだけだ。
僕はパレスチナで恐ろしい思いをしたことはない。それどころか、皆人懐っこく、気前が良く、お茶をごちそうになったりする。むしろ恐ろしいのはイスラエル兵であって、パレスチナ人ではない。
そしてイスラエル兵は、こちらが普通のことをしている限り、外国人に手を出すことはない。(また、外国人が近くにいれば、イスラエル兵によるパレスチナ人への暴力が減るそうだ)
要するに、パレスチナは安全なのである。
パレスチナ人はテロリストというのは、マスコミが流しているデマなのである。原発の放射能が安全だ、健康被害などない、というのと同じように。
いやむしろ、欧米や日本よりもよほど人々に温かみがあって居心地が良い。これは現地に行った誰もが感じることである。
何と言っても、パレスチナで観光客が死んだことは一度もないのだ。(これはパレスチナ観光庁のお役人が言っていたそうだ)
今回のイベント会場は、 夏にアースキャラバンで来たとき、8月6日に広島原爆をテーマにした芝居をやった劇場である。
どうやって知ったのかわからないが、エルサレムにいた時にメールをもらい、広島原爆の残り火を持って、芝居の後に挨拶したのだった。
その縁で、今回のイベントを取りもった。
劇場では、まずLIVE演奏した。パレスチナの人たちはノリが良いので、ライブは凄く盛り上がった。
そしてニッキーさんのソロ演奏(これも大盛り上がり)のあと、2人でアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」 を、Be Free Parestine !(パレスチナに自由を!)という歌詞で、みんなで歌った。
その後、麗奈さんがプロデュースした映画、「サダコの鶴」(SADAKO’s CRANE)を上映。
イベント終了後に後片付けをしていると、「ぜひお話ししたい」とやって来た女性がいた。何でも、ムスリムだけど仏教の大ファンで、内なる平和のために瞑想なりマントラを学びたい、と。バングラデシュに留学していたこともあり、その時にヨガも習ったと言う。
来年に、ベツレヘムでワークショップをやるから、と伝え、その後はメールでやり取りしましょう、ということになった。どうやらパレスチナにも仏教ブームがやって来そうな感じである。
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ところで 2003年、第一回目のタオ指圧世界大会を2週間に亘ってタイでやった。120人ぐらい参加者がいたが、4人のパレスチナ人を招待した。ヘブロン在住のアクラムもその内の1人で、その後も交流は続いていた。
今回、連絡したら、スエーデンにいるということで、代わりにアリという友人が来てくれた。彼に頼んで、1週間前にあった衝撃的な事件が起きた病院に連れて行ってもらった。その事件とは、、、。(続く)