2016/01/13 Categories:

帰京して5日後には、アースキャラバンのため広島、長崎へと動いた。

かと言って派手なことなど何一つない。

人と会って話を聴く、夢を語る。

 

共有できるもの、相手と共感し合える何かを求めて、

電車に乗り、遠くへ行き、人を待ち、遇い、そしてまた1人になって歩く。

それだけ、だ。

 

中東でやっていることも、日本でやっていることも何一つ変わらない。

日本人だという意識も特にないし、そもそも自分は何か? というアイデンティティが、僕にはあまりない。 

 

正直言って、自分のレッテルを考えただけで、うっとおしいような気がするのだ。

だから本音を言えば、透明にんげんとか、風のような気分でいたいのです。  

 

長崎

広島で2、3日動いた後は長崎に移動。

長崎では、越智さんという、伝説のレインボーコンサートを始めた人に会った。

越智さんとは、原爆の残り火をリヤカーに積んで全国を巡ったという、山田和尚(バウ)さんの「偲ぶ会」で知り合った。

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<山田和尚=バウさん>

 

 越智さんは、浄土真宗の僧侶をしていた時期もあるということで、何だか気が合うように感じて、また会いたいと思っていたのだ。

 僕が長崎に行ったちょうどその日、越智さんはデニスバンクスというアメリカインディアンの活動家の長崎イベントをオルガナイズしていた。

そこに行った僕は、デニスと25年ぶりぐらいで会った。

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 <デニスの長崎イベント>

 

そのときに、ぼんやりと思い出した。

あれは25年ぐらい前のことだったと思う。

 

デニスはアメリカを横断するサークレッドランというイベントを企画していた。

僕はそれにミュージシャンとして参加するという話があって、参加呼びかけの集まりに行ったのだった。

 

それでここからが面白い。(←自分的にはね)

実はアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」は、サークレッド・ランにミュージシャンとして参加した際、テーマ曲にしようと思って創った曲だったからだ。https://www.youtube.com/watch?v=EiXX-bWemRw  

 

理由は忘れたが、結局いろいろあって、サークレッドランへの参加はしなかった。

だから歌詞はできなかったが、曲は残った。

そして、アースキャラバンのテーマ曲として復活したのだった。

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<18カ国のミュージシャンが16言語で歌うCD『SHARE!』>

 

歌詞を書いたのは、2014年の夏だからずいぶんたってからの話だな。

それは、ガザ空爆で足を失ったパレスチナ人の子どもを見舞ったことがきっかけだった。

http://www.earthcaravan.jp/share_lnotes.html

歌詞ができた時、これはアースキャラバンのテーマ曲として復活させようと思いたったのだ。

、、、ふとそんなことを思い出した長崎のデニス・イベントだった。

 

<追記>

上の写真の左側に映っている山田圓尚さんは、デニスと行動を共にしている人で、比叡山で僧侶をやっていたという。

LJという雑誌に僕のインタビューが掲載された時、彼のインタビューも同時掲載されいて、それで知っていた。

アースキャラバンの話をしたら、すでにご存知とのこと。

あらためてまた会うことを約して別れたが、何か一緒にできたら良いな。

 

、、、その翌日、僕は、越智さんの家に厄介になった。