2014/03/05 Categories: バングラデッシュ支援

ほんの1年前までは、毎朝5時に街中に鳴り響くコーランの大音響に起こされていた。それが今年からはすっかり静かな響きになった。

おかげで眠れるようになった。そんなところにも、バングラデッシュの最近の変化が感じ取れた。

 さて、朝起きて居間に行くと必ず見る光景は何か? ラジョーさんの息子セナ君(7才)が、熱心に研究している姿である。夜も寝るまで研究し、学校からから帰ったらまず研究。ひたすら研究の日々なのである。

研究って何を? ゲーム・チャリティックスの戦法である。一人で黙々と研究している様は、まるで将棋のプロ養成所、奨励会の少年のようである。そして実際、普通の大人ならまず勝てないほど強い。デフェンスなどは、チャンピオン・レベルである。

DSC_0169

<セナ君(左)は、朝から晩まで熱心にチャリティックスを研究している>

朝は居間で、ラジョー一家と日本からの一行の4人、総勢8人で念仏のお勤めを行う。(子どもたち2人も参加している)そして、簡単な朝食を済ませると出発である。 今日からは村をいくつか回り始める。

ガタガタと砂埃を上げて走って行く車の中で、まだかな? 着くのはもうじきかな? といろいろ思うのを諦めた頃。やっと着くのが、チョドリパラという村。

NPOユニが運営しているラカイン小学校があるところだ。片道3時間半の道行き。道が良いわけではないから、まあ楽な道程というわけではない。

子どもたちのお出迎えを受け、挨拶やお話しをしたり、お土産を渡した。またチャリティックスで遊んだりした。

その後は、新しく赴任した僧侶を交えて先生たちと懇談。そして、17人の孤児(両親、または片親のいない子どもたち)一人一人と会って、将来の夢などの聞き取り調査を行った。

このファイリングを元に、帰国後、この子たちの里親(月3000円+NPOユニの月会費500円)になってくれる人たちを日本、北米、ヨーロッパで募るのだ。

DSC_0322

 <車はただひたすら走る>

DSC_0324

<諦めた頃にやっと着く>

DSC_0325

<歓迎の花を差し出してくれる子どもたち>

DSC_0329

 

DSC_0330

 

DSC_0339

DSC_0341

NPOユニは、2007年から、バングラデッシュの少数民族・仏教徒であるラカイン人のための小学校を支援している。

里親からの支援は、孤児たちの学費や食費の他、今後開校する新しい村の小学校の先生たちの給料(政府から援助はない)にも当てるなど、学校の運営費になる。

ユニセフなどの大きな団体だと、経費の占める割合が極めて大きいようだ。(まあ無理もないのかも知れないが)その点、NPOユニは違う。里親からの3000円は、そのまま孤児とラカインの小学校のために使われるのだ。

そしてここはさらに自信持っちゃうところだが、里親には3ヶ月ごとに子どもからの手紙、写真、先生からの簡単な報告等が届く。

ラカインの村は、全部で17。しかしその内、ラカイン小学校が開校しているのは、NPOユニが支援している2つの村だけ。

こんな辺鄙なところには、海外からの支援もあまり届かない。でも、NPOユニは、今後他の全部の村の小学校も開校していくつもりだ。

ミャンマーから来たという新しい若いお坊さんはマジメそうな人で、僕はとても好感を持った。今後、学校の運営にも積極的に関わって欲しいと思う。

僕は先生たちに、「必ず、子どもたちが英語を普通に話せるようにして欲しい」と要求した。そして、英語の先生をもう1人増やすことを提案し、以前いた年輩の先生を呼び戻して欲しい、とも伝えた。

村でお昼を頂いた後は、少し休み、家路に着く。再び3時間半の道行き。途中、ミスター演説ことカリム氏の事務所に寄って大歓迎を受ける。

DSC_0464

 <新規赴任のお坊さんを交えてミーティングする。僕は先生たちに、子どもたちにはぜひ夢を与えて欲しい、と熱心に伝える>

DSC_0462

<“NPOユニの皆さんには、心から感謝しています”と新しいお坊さんは語る>

DSC_0432

DSC_0423

DSC_0422

その後、孤児たちにも1人1人会って、夢を聞いたりなどのお話しする。以下は孤児たちの一部の写真。

DSC_0393

<“夢に向かって、走れ少年!”>

DSC_0371

 <この子らの“未来に幸あれ!”と願わずには、、、>

DSC_0396

<“この子たちの里親になって、夢を与えてくれる人を探そう”と思う>

DSC_0365

 <彼が裸足なのを見て、“靴のプレゼントを持って来て良かったな”と思った>

DSC_0480

<見送りに来てくれた子どもたちと、”また遊ぼうね!”>

DSC_0478

夜は、今後の展開についてのミーティングで話し込んだ。そのとき、まったく新しい発想が閃いた。

 それは、“ラジョーさんが定期的にラカインの小学校に、チャリティックスと念仏を教えに行ったらどうだろうか?”というものである。

 というのは、今後、コックスバザールの2つの小学校では、学校の課外プログラムとして、チャリティックスが始まる。ラジョーさんはそれの指導にも行くようになる。“ならば、ラカインの小学校でも同じことをすれば良いではないか!”と、僕は思ったのだ。

ベンガル人系の小学校では、チャリティックスの指導はできても、イスラム教徒だから念仏は無理だ。だが、仏教徒ラカインの小学校なら、念仏やその他、タオサンガでやっていることをいろいろ教えることが可能だ。

ちょっとイメージしてみたら、“きっと面白いだろうな!”と思った。それでラジョーさんに提案したのである。もちろん、彼も大賛成である。

 実はこれ、今までは全然考えつかなかった。というのは、僕には「キリスト教は、援助しながら布教する」というイメージがあった。(もちろん、そうじゃない人もいるだろうし、もしかしたら僕の偏見なのかも知れないが)

いずれにしても、そのようなやり方に僕は違和感を持っていた。援助者は、その土地の文化を尊重し、それ以上は立ち入るべきではない、という思いを強く持っていたのだ。

しかし、そう思ってずっと接して来たラジョーさんが、いつの間にかタオサンガの念仏者になっていた。僕からは一言もいわなかったのにも関わらず、、、。

そして今やコックスバザールで念仏を広め、「念仏していると幸せだ」という人たちまで生まれているのである。

 ならばいっその事、ラジョーさんが念仏の坊さんになって、この地で念仏を広めたらいいやん、僕はそう思ったのだ。(ラジョーさん、すでにラカインの坊さんを一度やっているし)

※ところでラカインの子どもたちを援助する里親になってくださる人がいらしたら、ありがたい! ぜひご連絡下さい。僕のFacebookメッセージでもいいし、NPOユニのウエブサイトを通じてでも。