8年ぐらい前に、京都で1人で始めたイベント、年越し念仏ギャザリング。不思議と大きくなって、今では京都、東京だけでなく、カナダなど海外でも行われるようになった。

そして、これのミニ版は、その他、世界各地でも広がりを続けているイベントになった。

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<プログラムを簡単に説明する>

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 <はじめて参加の人は緊張されている様子だったので、シエアの時間を設ける>

僕はこのことで、「志を持ってひたすら継続して行けば、やがてそれは大きく育って行くものなんだなぁ、、、」と、励まされたような気になる。

何せ、僕ができることと言えば、夢を捨てずに実直にやり続けることだけなのだから。

1人でやっていた時は、朝まで、ただひたすら念仏修行や礼拝行などをしているだけだった。

でも今では、様々なワークをするだけでなく、年越しそばを食べたり、翌日の元旦にはおせち料理を出すなどの接待まである。

参加人数は、日本では、京都道場と東京道場で合わせて50人ぐらい。参加すれば、日常では決して得られない深いワーク体験をする。

また随所に、参加者が楽しく過ごせるよう、様々な配慮が入ったプログラム構成になっている。

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<深夜になっても続く、念仏や様々なワークの数々>

スケジュールだが、9pmに集まって1年間の懺悔を書くところから始まる。そして一般のお寺のように、108の鐘を突くのではなく、108の懺悔礼拝行を行う。

その後、行道(歩きながらの念仏)をしながら、懺悔文を燃やすことでそのカルマを消すのである。

その他、今年の願成就やトラウマの癒しなどのワーク、また踊り念仏や七福念仏レイブもある。さらに、実現宣言の絶叫ワークまである。

最後には、各人でオリジナルの「2014年/願成就護符」を創るのである。

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<ほぼ、夜を徹してのワークや念仏行だけど、みんな全く元気! 左は、2年ぶりに参加した小学4年生の“しんじ君”>

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<一夜明けても尚続く、抱腹絶倒のワークの数々>

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<広島から参加のヒデさん>

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 <オペラ風に決める、ダンディ青山>

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<気が天に届くように!>

正直に言うと、ここでの面白さはとても書き切れない。誰でも参加できるオープンな場だし、もし人に知られたら多く来過ぎてしまって、とても今の道場の大きさでは足りないだろうな、なんて思うぐらい。

だから今のように、表向きはひっそりと、そして中では気が「光明爆発!」しているぐらいで、ちょうど良いのかも知れない。

プログラムでは、朝5時になったら、お酒を1口だけ頂いて2時間ほど仮眠を取ることになっている。しかし今年は、滝行に行くことを希望する人が数名いた。

場所は南禅寺の奥の院なので、元旦になってしまえば、南禅寺は人が多い上、車が入れない。駐車するのも大変だし、観光客の多い元旦の南禅寺に、僕はとても行く気がしない。それで、朝5時の仮眠の時間に行くことにした。

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<朝5時では、もちろんまだ真っ暗である>

滝行の際は、願いごとを3本のろうそくに書いて、線香と一緒にお供えし、滝の下に、“えいや!”と気合いで入る。そして、滝の水に背中を打たれながら、念仏と般若心経を大声で唱えるのである。

 

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<タオサンガ滝行念仏に初参加のスー/右は、お母さん(ろこさん)が意を決して参加することにしたら、「絶対見たいから起して!」と言ってついて来た、小学生の“るりちゃん”>

終わったら、夜が明け始めていた。それは、元旦にふさわしいすがすがしさだった。途中、山伏の行者さんが、プオー!と、ほら貝を吹いていたのがムードを高めていた。

道場に戻り、朝8時半からは、世界各地のタオサンガとパソコンのテレビ電話で 「Happy New Year !」 と正月の挨拶をし合う。これも今や、毎年の恒例だ。

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 <年越し念仏をやっている海外数カ所のタオサンガ・センターとPCのテレビ電話で挨拶>

さらに1時間の念仏の後は、お雑煮を頂く。さらにその後、願を確実に実現するための、激しい潜在意識インプットのワークが待っている。

やがて、最後の念仏行を終え、昼1時近くに満行となる。

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<晴れ晴れと満行された、参加者のみなさん>

 満行後の新年会では、おせち料理や鍋、またお酒などが次々と並ぶ。

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<まずは皆んなでカンパイ!>

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<即席のバー・カウンターまである>

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<ごちそうが並ぶ>

そして正月と言えば、ゲームである。そこでチャリティックスの盤を囲む人たちが、続々と、、。

※チャリティックスについてお知りになりかたは、こちらhttp://taosangha.com/jushoku-commentaries/charitx_interview/

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<最近、チャリティックスに目覚めた、イギリス人プレイヤーのスー>

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<指導員候補として僕が指導対局している、ともみさん>

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<勝利に喜ぶ光さん>

 ひょいと、新年会にやって来たのは、東京から帰省して来た宇宙人(僕の息子の結万/ゆうま)である。

宇宙人は、チャリティックス・京都チャンピオンのまさとさんと対戦することになった。結万がプレイするのは、約10年ぶりのことだ。

※ところで、なぜ僕が、ここで彼を「宇宙人」と呼称しているかをご存知ない方は、ブログ「宇宙人vs変人」http://endo-ryokyu.com/past_blog/?p=3225 をご覧下さい。

まさとさんは今や僕より強いのだが、、、、そのまさとさんが、まさかの敗退! そこで、今度は僕が対戦することになった。

これは負けるわけにはいかない! と僕は鼻息荒く、いきみ立った。

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<なぜか、余裕の笑みを浮かべている結万。>

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<固唾をのんで見守るチャリティックス棋士の面々>

途中、すこぶる形勢が有利となり、勝利を確信した僕は、「キミい、大人をなめてはいかんねー。ふははは!」などと怪気炎を上げていた。しかし、まさかのどんでん返し! あちゃー、負けてしまった〜。うぅ、、、。

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<あれっ、何かへんだな? 勝つはずだが、、、 >

道場の女性たちには、「りょうきゅうさんガンバレ〜!って、せっかく応援していたのにぃ」とか言われ、面目をなくしてしまったぁ! (「違いわい! ボクは、結万に勝ちを譲って上げたんだい!」と、僕はぶつぶつ、、、)

結万は、道場の入り口に立てかけてあった、年越し念仏ギャザリングのプログラムが書かれたボードを写真に撮った。そして、「実家のイベントがよくわかんないけど、凄いことになってる」というコメントと共に、Facebookに投稿した。

すると、あっ言う間に約200人近い、いいね!と、面白そう!参加してみたい!などのコメントが続出。うーん、これがSNSの力なのか、、、。それとも「恐るべし」なのは、宇宙人か、、、?

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このイベントが始まる夜9時には、「果たして、翌日の午後12時半まで、ほぼ夜を徹してのワークや念仏なんて、自分にできるんだろうか?」 と思っていたのは、初めて参加した人たちだろう。

それが新年会では、「あっと言う間に終わってしまいましたねー」なんて、晴れ晴れとした顔をして笑っている。深く、楽しく、濃〜い、充実した時間を過ごせたようだ。心からよかったな、と思う。

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<満行したとき!>

東京でも大いに盛り上がったそうだ。

※参加者の感想は、月刊タオサンガのワークショップの窓で紹介されるので、よかったらご覧下さい。 
http://taosangha.com/workshop-impressions/nembutsu_gathering/

 

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群馬のハンセン病サナトリウムを後にした僕は、大宮を経て東京に寄り、荷物を取って東北に向かった。(前号からの続き)

クリスマスの頃には、タオサンガの皆さんが現地に、ボランティア指圧などで詰めており、そのお手伝いをするためだ。

NPOユニは、震災直後から今も尚、気仙沼に定期的に野菜を送り続けて来ているので、そこと関連のある仮設住宅での活動である。

仙台に着いたら、すでに夕方遅くだった。それで、まずは仙台で一泊した。震災以来、訪れるのは3回目なのだが、今回も、なぜか胸か締めつけられてつらかった。

仙台で一度足を止めたのは、震災直後に被災地に入ったときの経験から、”気仙沼に行くには、仙台からバス”というイメージができ上がっていたからだ。(新幹線で、一の関まで行ける。そこからバスという手があるのを知ったのは、3日後の帰るときだった〜)

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 <仮設住宅>

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<少し前には雪が、、、>

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<“ミスター仮設”と呼ばれている、現地活動家の村上充氏>

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<タオサンガのボランティア指圧>

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<施術する長谷川森さん。東京センターの臨床スタッフ>

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<透央(すなお)さん&天規子(あきこ)さん>

タオサンガからは、十名以上のボランティアが参加した。タオサンガに限らないが、こうして自らの身体やお金を使って、被災地にボランティアに来ている人たちに対して、僕は心から頭が下がる想いがする。

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<オランダ・タオサンガの美和さん>

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<中央が小野さん。右端は、美和さんのご主人の“ビッグマスター”。彼は、クリスマスに、60人分の夕食を用意した>

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<世界各地のタオサンガから、455通のクリスマス・カードが気仙沼に届けられた。その中には、イタリア・日本人学校の子どもたちからビデオ・メッセージもあった>

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<仮設のクリスマス・パーティでの中国楽器、奏琴(しんきん)の演奏>

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<実はこの後、僕も2曲ほど演奏した>

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<僕が考案したチャリティックス・Gameにはまった、けいと君。見事大人を打ち負かした!>

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<けいと君は、次の日も、朝からさっそくチャリティックスを持って来て、大人を相手に対戦>

最近うれしいことに、子どもの友だちが、あっちこっちにできた。それに一役買っているのがチャリティックス・ゲームである。

実は、今まで出会った小学生で、チャリティックス・ゲームにはまらない子どもには、あまり会ったことがない。本当に不思議だし、うれしい。

僕としては、「子どもが僕を、大人として認識しないような関係になれたら成功!」と思っている。だから完全に同じ目線で付き合う。エラそーにはしないわけ。

ところで、このチャリティックス・ゲームを、僕はライフ・ワークとして創作して来た。実はこのところ僕は、チャリティックスを創らせた自分の無意識を言語化する作業に、ほとんど取り憑かれたように没頭していた。

そして、それの第1章とも言うべき部分が、月刊タオサンガ1月号の「住職に聴く」に掲載された。

このブログを読んで下さった皆さまには、ぜひぜひ、ご覧頂きたいと思います。http://taosangha.com/

何て言ったって、取り憑かれていたほどなんだから、、、。(←われながら意味不明)

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<「雪だるま」の阿弥陀さま/ Snow  Amida Sama と書いてある>

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<おお! 久しぶりに京都に帰ったら、アメリカのマイルス君からクリスマス・カードが届いていた! マイルス君、ありがとー ^ ^) 僕には、最高のご褒美でした>

京都に帰ったら、すでに年末。恒例の「年越し念仏ギャザリング」が待っている。

僕は今年のタイトルに、“光明爆発”とネーミングした。それは、タオサンガのビッグバンが始まる年だからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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生涯のほとんどをハンセン病のサナトリウムで過ごされて来た、中村幸枝さんという方がいる。僕はその方に会いに、群馬県の草津に行った。

幸枝さんのことを知ったのは、僕の音楽と本の大ファンになってくれていることを、飯塚さんという旧生徒さんから聞いたからだ。

飯塚さんによれば、6枚のCDを毎日聴いてくれており、本などは何ページに何が書いてあるのかまで憶えていて、飯塚さんに教えてくれるという。

さらに僕の本を、医療従事者に配ることまでして下さっているそうだ。そして、僕の音楽を聴くことによる身体の変化を、論文にまで書いているので、もうびっくり。

ただ残念ながら、最近は目が不自由になってしまった上、脳梗塞を起こして半身が不自由になってしまい、さらに、腎臓病まで併発してしまったと聞いた。

僕は、「これは行かなければならない。」と思った。

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<サナトリウムの前で>

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<飯塚さんと>

その他に聞いたことは、幸枝さんが、浄土真宗の念仏信者さんで、仏教にも造詣が深いということ。僕は、仏教に造詣が深く、なおかつ目が不自由になってしまったのなら、自分が毎週やっている法話ライヴをCDにして、聴いてもらおうと思った。

というのは、法話ライヴは、ユーストリームでネット配信されていて、過去に放映された法話も視聴できるようになっているからだ。

こうして過去の法話ライヴを、CDやDVDに落とすプロジェクトが始まった。幸い、このプロジェクトに賛同するタオサンガの有志が12人も集まってくれ、過去のものも含めて、法話ライヴのCDをサナトリウムに定期的に郵送していけることになった。大感謝! ありがたいことである。

飯塚さんには、「幸枝さんが病室を出られ、春になってからでも来て下さい」と言われていた。でも、東京の4日間のクラスを終えた僕は、1日おいてから群馬県草津市に向かった。ちょっとしたサプライズのつもりで。

サナトリウムの近くのバスターミナルから、飯塚さんに電話した。飯塚さんは、もちろんぶったまげていたが、自宅に向かっていたのをわざわざ引き返してくれ、僕をサナトリウムまで案内してくれた。(その上、患者さんの予約が入っていたのに、キャンセルまでしてくれた。うぅ、申し訳ない、、、)

長い間、僕は幸枝さんという人を、なんとなく中年の女性ぐらいに考えていたのだが、82才と聞いて、またびっくり!

僕の音楽を毎日にように聴き、また、全著作を飽くことなく読んで下さっている上、論文というかエッセイまで書かいていらっしゃる方と聞いて、82才をイメージすることは難しかったのだ。

さて病室に入って紹介してもらうと、幸枝さんは僕が訪ねて来たことに対して、何だか現実感が湧かないようだった。まっ、目も不自由だしね。

少しばかり話をしたあと、僕はさっそくベッドの上で治療を始めた。ところが、、、ものの10分ぐらいで、リハビリの時間になってしまい、聞くと、その他病院スケジュールが2時間以上も続くとかで、あえなく中断。うぅ、、、。僕は、来年の再訪を約して引き上がらざるを得なかった、、、。

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<病室を出たあと>

病室をやむなく辞した僕たちは、このサナトリウムで知り合って結婚されたという、ご主人の中村さんに会いに部屋まで行ってみた。

僕の来訪を驚いて喜んでくれている中村さん。ふと見ると、テーブルには、僕が書いた「タオ指圧入門」(講談社α文庫)と、その隣にはナンと将棋の本があった。

僕は中村さんに、「将棋お好きなんですか?」と聞いたら、「はい」というお返事。聞けば、県の障害者の将棋大会で優勝しているとのこと。そこで僕はすかさず、「中村さん、将棋やりましょう!」と誘い、中村さんは喜んで盤と駒を持って来てくれた。

対戦してみると、ほぼ互角という雰囲気だったのだが、うぅ、負けてしまった。2回目は、僕が勝つ寸前だったのに、どんでん返しの逆転負け!

次回のリベンジ・マッチを約して、僕は部屋を辞した。くそー。次は負けんぞ、中村さん。

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<中村さん、けっこううれしそうに盤と駒を持ってきてくれた>

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<最後に、見事逆転されてしまった〜!>

僕はこのブログのタイトルを、「菩薩さまとの出会い」とした。それは「自分が直接原因でないのに不幸を背負ったり、またハンセン病のような重い病気になったりして苦しむのは、世界のカルマを背負ってくれている、菩薩さまだからである」という認識が、僕にはあるからだ。

仏教には「代受苦」という言葉があるが、それは他の人の代わりに苦しみを受ける菩薩の行為のことである。

もちろん本人は、そうは思っていないに違いない。自分が苦しむのは、自分のカルマが原因だと思っているだろう。こんな病気になって、家族にも迷惑をかけた。こんな自分が悪いんだと思って、自分を責めて来たかも知れない。

でも違うんだ。絶対違うんだ。「あなたは、世界のカルマを背負って病気になって下さった、尊い菩薩さまなんだ。」僕は、そう言ってあげたい。だから僕は、そういう方には、拝むような気持で会う。

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<サナトリウムは、山の上にあった>

、、、その後、僕は大宮、東京経由で、東北に向かった。タオサンガのメンバーが気仙沼にボランテア指圧に行っているので、そのお手伝いをするためである。

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沖縄で記者会見

博多から沖縄へ飛んだ。沖縄戦時写真の遺族探しの記者会見をするためだ。着いたら「ああ、あったかい〜!」この気候、僕には、ほどよいんだけどなー。

夕方、会見をセッティングされた、うる文化協会の田島さんらと打ち合わせする。翌日の会見には、見つかった2人の遺族の内、1人の方が来てくれるという。

また、写真を常設展示して、今後も引き続き遺族に返還して行ける体制も整ったとのこと。本当に良かった〜。

アメリカの田舎のクロゼットの奥(か何か)で、68年もの長い間、帰国を待っていた写真の英霊たち。彼らの帰る家がやっとできたのである。

そして、さらにここから遺族のもとへと、帰る道筋ができた。僕は心底ホッとし、安堵のため息をもらした。

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 <田島さん。右が安田さん>

解けた長年のナゾ

記者会見の場所は、沖縄県庁の記者クラブとのことで向かったら、日本山妙法寺らしきお坊さん2人が、県庁の前に座り込んで題目(南無妙法蓮華経、ね)を上げていた。

会釈したら向こうも返してくれ、目があったので見たら、意外に若いんで驚いた。というのは、日本山妙法寺のプロテスト行脚って、僕のイメージだと、ヒッピー世代の産物だったからである。

もしかしたら、時代が一巡しているのかも知れないな。まあ、あんましこっちは変わんないけど。(←われながら意味不明)

ところで僕は、本当に長い間ナゾだったことが、この時に解けた。もっともこれは、恐らく誰にとっても、本当にどうでも良い話である。だが、自分の中ではとても大きいことなのだ。

書きかけたので、大した話ではないことを、あらかじめこうしてお断りした上で述べることにする。(何だそんなことか、と思われるのは100%間違いない話だと思うが)

かつて、僕が大好きだったフラワー・トラベリング・バンドという、日本のロックバンドがあった。僕がアメリカに住んでいた頃に、カナダで活躍していたバンドだ。

僕は、アメリカから帰って来たばかりの中学2年生の頃、そのアルバムを一日中聴いていた。アルバム名は、ナンとSATORI。サトリ・パート1から5までの、全5曲である。

その後も僕は、ギタリストの音色や、アップ・ピッキングのみという独特の弾き方を、ずい分と研究したものだ。

さて、その中のサトリ・パート2という曲には、日本の和太鼓のような独特のリズムが使われていた。僕が特に好きだった曲だ。

あのリズムは一体、日本のどこのお祭りの影響によるものなんだろう? このことはずっとナゾのままだった。実は、最近でも、時々考えていたぐらいである。

それが沖縄県庁前でわかった! サトリ・パート2は、日本山妙法寺が題目で叩く、団扇太鼓(うちわ・だいこ)のリズムだったのだ! 僕がサトリ・パート2のリズムに惹かれていた理由が、これで解明できたのである。

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 <団扇太鼓で題目を上げながら「基地なくせ!」とプロテストする日本山妙法寺のお坊さんたち>

写真のご遺族、佐渡山さんと会う

県庁のロビーで田島さんと待っていたら、ご遺族の佐渡山さんがいらした。こちらにもまた驚いた。80過ぎとはとても思えない、背筋のすっと伸びた、ステキな妙齢の御婦人だったのである。

記者会見には、琉球テレビと沖縄タイムスなどが来た。30分と言われていた記者会見だが、やはり地元だけあってとても熱心。質疑応答は、1時間以上にも及んだ。

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 <アメリカから帰って来た経緯などについて話す>

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 <一時間以上に及んだ>

沖縄にて写真を手渡す

<写真の返還。右がうる文化協会理事長の川満氏>

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<会見は、県庁の記者クラブで行われた>

佐渡山さんをお連れして喫茶店へ

プレスから解放された後は、ご遺族の佐渡山さん、田島さん、高江州さんご夫婦と一緒に喫茶店に行き、ユンタク(琉球語:おしゃべり)した。

佐渡山さんは、ヨガや食養もされており、また戦後は英語を学んで、アメリカン・エキスプレスに勤めていたという方であった。みんなとも興味が共通して、僕らみんなですっかり仲良しになってしまった。

アメリカで68年間眠っていた写真が遺族のもとへ帰り、それを通じて人と人が仲良しになる。何とも、ドミノ倒しのような、不思議なアレンジメントだ。

様々な縁のつながりという流れの中で

その最初の流れを作ったのが、クリスティン。(本人もミュージシャンで、僕の音楽のファンになってくれているとのこと)旦那さんのお祖父さんの遺品の中にあった写真を発見し、「ぜひこれを遺族のもとへ返して欲しい!」とアメリカ在住のすみこさんに、涙を流さんばかりに懇願したらしい。

それからすみこさん。デボラが運営している、ウイスコンシン州のタオサンガ・センターに、ご家族で通い、僕に遺族写真を依頼された。

そして田島さん。かつて僕が、沖縄の精神病院で活動していた時からの良き友人だ。

様々な縁のつながりの中で、今日までの流れがあった。
この流れの中で、個々の心のあり方や人間性が浮き彫りになった。そしてその結果、消えていく縁もあれば、仲良くなる縁もあった。

今日は、このプロジェクト第一フェイズの終わり。そして僕、佐渡山さん、田島さん、高江洲さんご夫婦(ステキな奥さんである。僕はお会いして2度目の高江洲さんに、「高江洲さんは、奥さんで持っているようなものですねー」など図々しいことを言っていたが、これも沖縄の気楽さである)は、喫茶店で楽しくお話しすることができた。きっと、これからもつながるご縁だろう。

このプロジェクトを通じて、僕とすみこさんや息子のマイルス君(12歳)ともつながった。ゲゲゲの鬼太郎が好きだというマイルス君に、鬼太郎の漫画を何冊か送って上げたら、絵の礼状を送ってくれた。

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<アメリカから送ってくれた、マイルス君の絵!>

写真の発見者であるクリスティンとも、つながった。クリスティンは、「アメリカ人が日本人に申し訳ないことをした」という、贖罪感を持っているようなので、僕は、「あなたのお陰で、写真が帰ることができたんですよ」と、感謝メッセージを出すなどして、やり取りをした。

かつての戦争が取り持つ縁で、人と人が平和に仲良くつながったのだ。ドミノ倒しの最後は、まるでオセロゲームのように、戦争から平和へと色が反転したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013/12/01

続きは、沖縄、、、というところで終わった前回のブログ。ああ、なかなか追いつかないなあ、、、。

ところで僕は、勤め人としてサラリーを頂いたのは、あとにも先にも沖縄の精神病院にいたときだけだった。僕は、そこの院長や看護師に指圧を教え、また患者さんを診て、精神医療における東洋医学の効果を本にするということで、1年間の契約で名護に住んでいたのだ。

もっともその企画は、院長の暴利暴走によって労働争議が勃発し、僕が職員側についたためにご破算となった。(損な性格なもんで)そこで、僕のサラリーマン生活もあえなく3ヶ月で終わりを告げたというわけだ。

待遇が、まずまずだったこともあって、その時僕は、“給料をもらうということは、こんなに楽でステキなことだったのか!?” と心底驚いた。そして、多いに楽しんでいたのだけど、、、。それでも僕は、その後も1年ほど住んで、気になる患者さんを診ていた。80年代の頃である。

そんなご縁のある沖縄だった。沖縄の人々の持つ信じられないような優しさや、独特の文化に僕は魅了されていたのだ。

そのこともあったかも知れない。アメリカ在住のすみこさんから、沖縄戦時写真の返還を依頼されたとき、ためらわずにお引き受けしたのは、、、。

その後、沖縄には10年前に行ったきりだった。そして久しぶりに沖縄の土を踏んだ。僕を迎えてくれたのは、名護の精神病院で看護士や空手指導をされていた田島一雄さん。

その人柄は、患者さんにも、また若い看護士たちにも大人気だった。僕は今も尚、つながりを持っていたのだ。

沖縄の戦時写真については、僕は真っ先に田島さんに相談したのだった。

空港で出迎えた僕を田島さんが連れて行ってくれたのは、うる文化協会という、沖縄の文化を振興するところだった。田島さんも沖縄空手の普及者として関わっているという。

そして、そこの面々と沖縄戦時写真の返還事業について相談することになった。

そこで30年ぶりに会った人がいた。政治家になったミュージシャンの喜名昌吉さんだ。

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<うる文化協会で。左から、田島さん、喜名昌吉さん、高江さん、糸数さん>

喜名昌吉さんとは、黒潮祭というヒッピーのお祭りに僕が出演したときに、一緒にステージでセッションしたことがあった。

嵐の翌日だったか何かで、そのお祭りは彼も憶えていて、まあそんな話もしたが、うる文化協会はNPOユニの戦時写真返還プロジェクトを大変喜んでくれた。

それで今後、沖縄戦時遺品については、アメリカや本土の受け皿はNPOユニになり、沖縄の受け皿はうる文化になる、ということになった。

また、さらに今後の展開についても話し合った。戦時写真については、後日僕がまた出直して、あらためて記者会見をすることになった。

沖縄滞在期間中は、田島さんの空手教室で気心道を教えたりもした。

 

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その他にも、偶然の出会いがあった。首里城に向かっている電車の中で、何気なくFacebookを見ていた。すると、東京在住の昔の知り合い(河野秀海さん)が、「今、首里城にいる」と書き込みしているではないか!?  僕はこういう偶然が大好きだ。そこで、さっそく連絡を取り、再開した。

 

 

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 <秀海さんとは、十数年ぶりだった>

夜は、田島さんが不思議な店に連れていってくれた。

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(超レトロな店。沖縄にはこういう不思議なところがあるから大好きである)

 

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かなり前に止まったままだったブログだった。気にはしていたけれど、書く時間がない。僕はまるで止まっていなかったのだ!  なにせ約4週間の間に、東京→島根→カナダ→京都→沖縄へと移動である。

東京

最近、体験講習とは別に、またタオ指圧クラスでの指導を始めた。このため、最初の4日間は、東京でぎっしり詰めていた。夜は下記みたいな感じ。

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<東京のクラスの後、ボードゲームチャリTXで盛り上がり、勝利に喜ぶケン氏。「なんだオマエ、夜は遊んでいたんか」と言われても、僕には返すことばがないが、、、>

島根

帰って翌々日からは、島根県の和田寺ツアー。ガス、水道、電気、トイレすらない和田寺に、東京、京都、岡山、山形、九州から、十数名が参詣してくれた。ありがたいことである、合掌。

参詣のタオサンガ・メンバーが掃除してくれ、その後は、温泉に! 匹見は言わば過疎地だが、とっても良い温泉場があるのだ。

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<和田寺の境内で、念仏ゴスペルの練習>

翌日は、和田寺をお世話して下さっている村の人たちと共に法要を行い、お礼をかねて接待する。

タオサンガ和田寺ツアーは、今年で三回目。始めた頃は、「えっ?」という感じだった村の人たち。「どうしてこんな何もない寺へ、みんなが来るのか?」と不思議そうだったが、今や楽しみにして下さっている。

今年は、タオサンガの念仏ゴスペルを披露したら、「お寺の法要でこんなに楽しい思いをするなんて!」と驚きながら、とっても喜んで下さっていた。ふははは。ワレワレは、楽しくないことはやらないのだ。

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<村の人にお昼を接待。満州にいたというご老人は、昨年の“幻のお酒”を所望された。岡山から「幻のお酒」を持って来てくれる人(ジョニー)がいるのだ。本人は飲まないのに(涙)>

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<念仏ゴスペルは手拍子まで出て、大受け!>

法要と接待が終わったら、あとはタオサンガの時間となる。

今回は、「お互い始めて会った」など、あまりなじみがない人同士がけっこういた。そこで一計を案じて生まれたワーク、名付けて「真似っこ合戦」を行った。

何をやるのかというと、例えば、「Aさんの物真似を、みんなが順番に、ジェスチャーなどを交えてする」というものである。Aさんが終われば次はBさん。要するに、全員が全員の真似をするのである。

今回はじめて参加した、日頃、もの静かな「光さん」という人がいた。

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<光さん>

彼がはじめて会った人も多かった。僕は、果たして大丈夫かな? とちょっと心配した。でも、これは、みんなが打ち解けるために考えたワーク。ぜひやらねばならない。

それが実際にやってみたらびっくり仰天! 光さんは、驚きの演技でみんなを圧倒し、もう抱腹絶倒ものであった! いやー、才能ってどこに隠れているかわからないですねー、という感じだった。

ついでに書くと、自分が真似されているのを見たら、「ああ、オレってこんなにカッコ悪かったんだ」とちょっとがっかり。でも、まあ面白かったな。へへへ。

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<戦略ボードゲーム・チャリティックスで、負けながらも楽しむ男性軍>

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<勝って盛り上がる女性軍>

それから、やったのが戦争ごっこ。これは、相手の陣地へ向かっていき、輪ゴムを打ち合うというものである。(おめーら、一体なにやってんだあ? とか思わないでね)

ルールは、相手の陣地に進むにはホフク前進でなければならない。そして、顔に当てられたら、ぎゃー!と言って、自分の陣地まで後退すること。そして、相手の陣地に立っている紙を倒したら、そのチームの勝ち、というものである。

おお! けっこう皆んな燃えてましたねー。ふふふ。どこまで子どもに成り切れるかがミソですな。大人のプライドなんかあったら、できませんぜ。

元自衛隊のヒデさんは、期待の新人だった。格好はどこまでもプロっぽく、実にサマになっていた。しかし、輪ゴム戦争の実戦では大した戦力にならず、大いにわれわれの笑いを誘った。(ウケれば、何でも勝ちである。それから、このできごとは、自衛隊がゴジラには無力だったことを、僕に思い出させた)

ところで、これ、子どもの念仏会でも、子どもたちと一緒にやるんだけど、子どもたちが大好きな遊びである。(「タオサンガでなんか遊んじゃいけません!」とお母さんに言われてしまいそうだなー。まっ、いいけど、、、)

その後は、もちろんワークも行った。念仏で神秘体験を得るための特別なワークを、現在僕は研究中なので、その1部を実験的に行ってみたのである。

この神秘体験ワークのコンセプトは、1日12時間の念仏三昧を数日間行うことで得られる効果を、何とか1日で体験できないか? というものである。

これは別に、インスタントな悟りを求めてのことではない。実は、今のタオサンガは、皆で数日間、集中的にこもって念仏三昧(念仏High! )する適当な場所がない。

僕としては、念仏三昧で素晴らしい神秘体験を得るチャンスをみんなに提供できないのが心苦しい。それで、籠って行じる代わりに、何とか短時間でその効果を体験して頂けないか?というものである。僕にしてみたら、ホントに、苦肉の策なのである。

スケジュールの都合上、2時間程度しかできなかったし、まだお試し段階ではある。しかし12時間とか、集中的に行えば、たとえ1日だけでも、相当の効果があがるのではないか、と思われた。

まあそんなんで、掃除やったり、念仏やったり、温泉入ったり、法要やったり、宴会やったり、神秘ワークやったり、遊んだりの3日間ではあった。

 

カナダ

そして翌々日からは、カナダへ出発。今回のカナダ行きは、トロントのタオサンガセンターのオープニング落慶式のためである。

準備に朝3時までかかり、7時には起きて空港に向かう。飛行機に乗ること十数時間。

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<落慶式>

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<カンパイ!>

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<朝の法話>

 

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<午後の法話>

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<アレックスと>

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<本堂>

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<朝の念仏三昧>

モンテリオールやバンクーバーパー、またアメリカからもタオサンガメンバーが駆けつけた。そして、1日2回の念仏法要と法話をした。タオ指圧ワークショップも1日行った。

落慶式には30名ほどが参加し、その夜のパーティには、述べ250人ほど来たらしい。またその時、日系のウエブ新聞の取材も受けた。→記事

トロントではそんなんで、密度の濃〜い日々を過ごしていたが、一週間ぐらいたってから、そういえば外国に来ていたんだ、とふと思った。

それは、「食べ物の産地を気にしていないことに気づいた」ときだ。僕は、「日本は何ていう国になってしまったんだろう」と、思わずため息をつきたくなった。

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<ドキュメンタリー映像作家・中村ゆきさんと。彼女は、タオサンガで企画している「広島からエルサレムまで/アース・ヒーリング・キャラバン2015」に参加してくれるという。ありがたいことである>

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<やっと少し時間が取れて、ゆきさんが2時間ほど、トロントを車で案内してくれた。ゆきさんに感謝!>

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<東北震災後の人々を撮った、中村ゆき監督のドキュメンタリー作品は、11月22日に京都造形芸術大学でご覧頂くことができる。http://npouni.net/event/never-giveup/ 必見!>

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<一番左は、ボブ。特筆すべき人物なのだが、彼については、またあらためて>

帰国したのはフライトの関係で、夜の成田空港だった。しかし到着が遅れたため、そのまま乗り継ぎでは大阪伊丹空港まで飛べない! 結局、重い荷物をガラガラと引きずって東京駅へ。

実はよほど、このまま東京に泊ろうかと思った。でも翌日は、子どもたちが京都センターに来て念仏をする日なので、それはできなかった。僕は、子どもたちを担当することになっていたのだ。新幹線に乗って、そのまま京都へ帰る。

 

京都

そして翌日。午後から、センターに来た子どもたちを科学館に連れていったり、一緒に念仏したり、戦争ごっこやったりと、まあやっていることは、島根県の和田寺ツアーとあまり変わらんな。

でも念仏の最後に、2回目の念仏体験だった昌一郎くん(小学校3年生。僕のチャリティックス・ゲーム友だち)が、「念仏をやったら、とてもすっきりします。」と大人たちみんなの前で発表したのが、おおー!! という感じで、自分的にはとてもドラマチックであった。

 

沖縄

その4日後、、、、、僕は沖縄にいた。沖縄戦時写真の遺族探しのためである。(詳細はこちら

沖縄については、また続きで。

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僕の母親の名前は、春枝さんと言うのだが、息子(つまり孫)も含めてみんな春枝さんと呼んでいる。実は本人、最初はそのことを、どーたらこーたら言っていた。

だが今は、僕に送ったメールの最後に「春枝」と自分で署名しているから、きっと納得しているのだろう。ところで、春枝さんの年齢を僕はよく知らない。(忘れた)

春枝さんは戦時中、女子学徒動員で落下傘を作っていたそうだ。それで毎晩、空襲警報のサイレンを聞いては、防空壕に逃げ込んでいたらしい。(まあ当たり前だが)

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<こんな格好をしていたのだろう(推定)>

春枝さんは、“あの「ウー」っていうサイレンの音と、B29(米軍が使っていた戦略爆撃機)が「どーん、どーん」って爆弾を落とす音が、イヤなのよね〜”と言っていたことがある。(ただし春枝さんが言うと、あまり深刻には聞こえない)

春枝さんはお嬢様育ちなので、自宅に防空壕があった。僕は子どもの頃に行ったことがあるが、あの時代に、サンルームはあるし庭には池があったり、また老子っぽい石像まであるので驚いたことがある、というか子どもの頃はあの石像は不気味であった(残念ながら、おイエの事情があり、今はもうない)

春枝さんが、ある日、別の防空壕に隠れたら、そこに直撃弾が当たったことがあるそうだ。爆発していたら死んでいたけど、運良く不発弾だったから助かった、ということであった。まあその結果、自分も生まれることになったわけである。

 一方、僕の父親は海軍で駆逐艦に乗っていたそうだ。しかし米軍の魚雷攻撃で沈没し、漂流して助かったと聞いたことがある。

また末期の日本海軍は、人間魚雷(海の神風特攻隊)の志願者を、半ば強制的に募っていた。しかし部隊の中で、僕の父親ともう一人だけが志願しなかった、と春枝さんに聞いた。

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<人間魚雷『回天』。こういうのに一人で乗って敵艦に突っ込んで行くのって、自分だったら、このときどんな気持になるだろう?>

実は、僕は、まだ幼かった息子の結万(当時、小学生)と、「一体、勇気がなかったから志願しなかったのか、それとも勇気があったから志願しなかったのか?」と、父親が亡くなった後にディスカッションしていたことがある。

結万の意見は、“あの時代に志願しないのは、相当に風当たりが強いはずだから、よほど勇気がないと、志願拒否なんてできないよ”というものであった。

一方、自分の父親への反発心が強い僕は、“いや〜、そうは言ってもね〜”と、小学生の息子の前で、個人的感情むき出しの意見を出していた。(ようするに、僕自身が、しょーもねー、ダメ親父なのである)

しかし、もしかしたら、その僕の意見は、最初の仏教の先生(法蔵寺住職)が、元ゼロ戦のパイロットで神風特攻隊の生き残りだったことと、関係があるのかも知れない。

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<特攻隊の出撃を見送る女学生>

富永上人は、いざ出撃の日に「おまえは寺の息子だから、これから共に出撃する仲間のために、お経を読み上げてくれ」と言われ、お経を書いて読み上げていた。

ところが、しばらくしたら、終戦を告げる天皇の玉音放送があった。それで、出撃命令が解除になり、出撃しなかったのである。

そして戦後は、自分だけ生き残った、というやり場のない想いを持て余し、山に入って念仏修行に打ち込んだ、と人づてに聞いた。

さて、僕はどうしてまた、長々とこんな話を書いたのだろう? 昔話なんて、自分が一番キライなはずなのに。

実を言うと、アメリカ在住の日本人女性、すみこ・バイニンさんからの依頼で、沖縄戦時写真の返還プロジェクトに関わることになったからである。

そして僕は、すみこさんが(そして僕が)、今回このような役割を取ることになった因縁は、一体何なのだろうか?”と考えていた。

<祖父母や両親が生き残ったから今の僕たちがいる

春枝さんが隠れた防空壕を直撃した爆弾が、通常通り爆発していれば、僕はこの世に生まれなかった。

乗っていた駆逐艦が沈没し、漂流していた父親が運良く拾われなかったら、僕はこの世に生まれなかった。

終戦があと1日遅かったら、僕の最初の念仏の先生は特攻で死んでいたから、僕が今のように法話などしていることはなかった。(その人の法話が、今の僕の法話の下地なので)

先の大戦では、300万人の日本人が死んだのだ。僕の両親のように、運良く生き残った人たちがいるから、今生きている僕たちがいる。言うなれば、亡くなった人たちのお陰で、今僕たちが生きている、と思うのだ。

因縁とは、目には見えない背後の働きのことだから、このプロジェクトは、目には見えない、先の大戦で亡くなった人たちのたましいが平和を訴えている声を聴くことだ、と僕は理解している。

人生で起こるすべてのできごとは、因縁によってアレンジメントされている。だから、このプロジェクトの元になった、すみこさんの果たす役割もまたそうだと思う。

 そもそも、すみこさんのご祖父は戦死されている。ご祖母は、1日で都民10万人が焼け死んだ、3月10日の東京大空襲に遭った。

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<10万人の東京都民が、一日で焼け死んだ“東京大空襲”>

その結果、ご祖母は、命からがら残された家族7人を連れて田舎に疎開した。(その内の一人が、すみこさんのご両親のどちらかである)そして7人という大家族を養うため、やむなく栃木市の任侠の親分の庇護を受けて、芸者さんまでされた。

上野に稽古場を持ち、三味線と日舞の師匠までされるほど才能豊かな女性が、そういうことまでしなければ、生きていけなかった時代である。

しかしご祖母の言葉が素晴らしい。ご主人が戦死し、家も破壊されたのに、その口癖は「戦争のことは誰もうらんじゃ駄目よ。ほとんどのアメリカ人も日本人も悪くないのよ。政府同士が戦った犠牲者なのよ。」だったというのだから。(facebookやtwitter で流したいぐらいである)

 僕は、「沖縄戦時写真返還プロジェクト」に、“聴こえますか? 平和の礎となった、彼ら兵士たちの声が”という副題をつけた。

NPOユニのホームページに、すみこさんとのやり取りなどの詳細や、写真等を掲載した。ぜひ、ご覧いただきたい。そして、写真のご遺族が見つかる何らかの情報を頂けたら、心底、うれしく思います、、、。

 

 

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賞味期限切れになる前に書いておこう、と思った。

実はこれ、先月上梓した、新刊「タオ指圧、究極の経絡メソッド」(ヒューマン・ワールド)である。

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僕としては、これをタオ指圧関連、最後の書籍にするつもり。タオの内容は無尽蔵だかから、もし、“以降も、、、”と思うのならら、もちろん永遠に書き続けることもできる。

でも、もうこれで8冊、9冊目だ。経絡指圧の創始者、増永静人先生だって著書は10冊ぐらいだったんだから、もうこれぐらいで十分かな、とも思う。

いや、というよりは、ずーっと以前から、時期が来たら指圧の本を書くのはやめて、仏教や念仏についての本を書いて行くことにしよう、と思っていたのだ。

タオ指圧の書物は、繰り返し読んでもらっても耐えられる内容として書いて来たつもりだし。(直接ではないが、“一か月間、タオ指圧関連の本一冊を、毎日繰り返し読み続けた”という話を聞いたことがある。著者冥利につきるとは、このこと、、、うぅ、涙)

それに、これからは誰か別の人がタオ指圧の本を書いてくれたらうれしい。

実は、この原稿を書いている間は、ホントーに大変だった。霊的にもしんどくて、実は途中、病いに倒れたほど。その時期は、毎日2時間しか眠れず食べれずに、苦しむという日々がしばらく続いた。

もしかしたら、これが東洋医学の内容を全部をひっくり返すような内容だからかも知れない。東洋医学カルマにも邪魔されているな、とは感じていた。

ここで言う“カルマ”とは、どんな文化にもある、歴史の中で生まれた「垢」のようなもので、邪気エネルギーのことである。もっとも、これを浄化するようなものが、何十年か何百年に一度は現れるというようになってもいる。

付属のDVD は、10年前に教材DVDを出すつもりで撮影し、未編集のままになっていたものである。

さて、ここで1つだけ面白いエピソードを書くことにしよう。DVDの1部に小児指圧の映像が入っている。このモデルは、妻のまゆさんと当時小学5年生だった息子の結万なのである。(“なんでこんなことさせるんだ”という表情が垣間見えるのが、ちょっとオモしろい。ちょうど、その年齢だったんだ)

そして、本の写真の基本手技3のモデルも、10年後の結万。こんなアイデア、僕が考えるはずもない。編集を手伝ってくれていた、まさとさんのアイデアである。

僕は、“そんな家族写真みたいな恥ずかしいこと、僕以上に結万もキライだから、やるはずないでしょうがー”と言ったのだが、まゆさんが思いのほかノってしまった(あぁ! 母親というのは、恥ずかしくないらしい。僕にしてみたら、心底不思議である)。

そして、まゆさんが結万に持ちかけたところ(おそらく、最後の本だとなんだとか言って、説得したのであろう)、意外にも“いいよ”と言ったらしく実現したのである。

僕にしてみたら寝耳に水であった。結万が説得に応じたのは、おそらく、卒業が危ぶまれていた大学を卒業して、気がゆるんだ一瞬のスキを、まゆさんにつかれたのであろう。そう僕は、推測した。女性と母親に油断してはいけないとは、どうやら知らなかったらしい。

さて、これ以上、アホなごたくを並べて読者の時間を奪いたくないので 、鈴木聡さんが書いてくれた書評をここに転載させて頂き、終えることにしたい。

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「世界と人生を変える書」

                        鈴木 聡

今の自分の人生に満足している人は、読まないほうがいい。

今の世界のままがいいと思っている人は、読まないほうがいい。

これからも今まで通りの人生を歩みたい人は、読まないほうがいい。

なぜなら、この本で、真実を知ってしまった以上、

今までの生き方を変えない、という選択はありえなくなるからです。

映画「マトリックス」で主人公ネオは、

青いカプセルか赤いカプセルを飲むかの選択を迫られました。

青いカプセルを飲めば、ベッドで目覚め元の暮らしが待っています。

赤いカプセルを飲めば、真実を見ることができます。

 主人公ネオは、赤いカプセルを飲むことを選択しました。

しかし真実を知ることは、同時に、苦難と冒険の始まりでもあったのです。

 この本は、まさにその赤いカプセルなのです。

 

 「経絡の認識が日常的になったとき、他者の苦しみが、”わがこと”となる(本文)」

この事実を知ってしまったら、もう人の苦しみを他人事にして放っておくことはできなくなくなるでしょう。

 「祈りによって現象が変わる(本文)」

この事実を知ってしまったら、もう世界の現象(戦争・飢餓・差別など)も他人事では済ませられなくなるでしょう。

 否が応にも、生き方や世界観の変更が迫られるのです。

 

過去の著作では、気や経絡の世界を、世間の人が少しでも抵抗なく理解できるよう、たとえ話

やユーモアを駆使して説かれていました。

 しかし、この本は、タオ指圧最後の本というだけあって、そういう飾りはほとんどありません。

 一番重要な世界の秘密が繰り返し繰り返し説かれています。

「目覚めなさい」と繰り返し言われているようです。

「覚悟を決めなさい」と決断を迫られているようです。

 

正直、大変そうだから、この世界には踏み込まない方がいいよ、なんてエゴの声も聞こえてきます。

 

でも、心の奥底では、真実を知れて本当に良かった。

真実を知らなかった頃には

二度と戻りたくない、と思えるのです。

 

世界はどんどん悪い方に進んでいる気がします。

グローバリズムは世界を人を蝕み、金儲けのための戦争も無くなりません。

原発をよその国に売ろうなんて人間が首相の国に住んでいます。絶望的です。

 

しかし、希望に満ちた、こんなすごい内容の本が、一般の本屋さんで買える時代にもなったのです。

 

夜明け前が一番暗いといいます。

陰極まれば陽になるといいます。

 

数千年に一度、数万年に一度の人類の進化の時期を迎えているのかもしれません。

 いや、この本を読んでしまったからには、

なにがなんでも進化するんだ、と覚悟を決めます。

 

 

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、、、僕は、“覚悟しなさい”なんて、誰に対して言うつもりもないし、言えるはずもない。でも、覚悟を決めた人の言葉がすがすがしく聞こえるのは、はたして僕だけだろうか?

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タイトルを見ただけだと、“ああ、指圧の大会ね。それにちょっと仏教みたいなものが加わるのね”というだけの認識に終わるかも知れない。

 

あるいは中には、“世界各地から人が集まるの? へぇー、スゴいじゃん”とかも言ってくれる人がいるかも知れない。

 

通称タイ大会、、、。いつも僕は、まどろっこしい想いをする。現場では起こっていたことをどう説明したら良いかわからなくて困ってしまうのだ。

なにせ大会は、おそらく参加した人にとっても、想像をはるかに超えていただろうから、、、。

 

もっともそれは、僕だって同じだった。何がどうなるかわからないままで、ただひたすら、大会に必要なことを1分1秒やっていただけだ。そして沸騰する現場のエネルギーに任せていたのだ。

 

さて現地に集まったのは、180人以上で、参加国は、日本、アメリカ、カナダ、スペイン、イタリア、フランス、オーストリア、オランダ、インド、バングラデシュの11か国である。

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 <タオ指圧ワークショップ>

行われたのは、まず、タオ指圧と気心道のワークショップ。これに仏教修行の時間が加わる。これを聞くと、もしかしたら人によっては、“指圧だけじゃなくて、気のトレーニングまでするの? えーっ、それに、なんで指圧の大会でそんな武道とか、仏教修行の時間まであるんだよ!”、と思うかも知れない。

 

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<気心道ワークショップ>

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<触れずに”気”で倒す>

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<毎朝1時間の音楽念仏>

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<夕方の音楽念仏。180人の三重奏が響く>

でもそれだけじゃない。これに心理ワークショップまで加わる。指圧と仏教と武道と心理学。これがそのままカリキュラムに入っているのだ。

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<まゆさん担当の心理ワークショップ>

そして午後には、世界通貨UNIを使ったチャリティ・バザー込みのミニ・フェスティバルがあり、それから、、、とここまで聞くと、果たしてどうだろうか? もしかしたら、人によっては、わけがわからなく、なり始めるかも知れない。

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<ミニ・チャリティー・フェスティバル会場>

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 <昼のゲーム大会>

しかし実は、さらにまだあるのだ。夜の時間は、世界各国の遊びをみんなでする時間や、芝居、音楽、舞踏などの各種パーフォーマンスがある。

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<舞踏パーフォーマンス>

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<爆笑コメディ「白雪姫」は、東京センターの英語劇。インターナショナルに激しく大受け!!!>

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<念仏ゴスペル/アレックスが「聴いていて、あまりの美しさに涙が流れた」と言っていたが、実は僕も、涙が、、、>

一方、戦略ゲーム・チャリテックスで、どっちが勝つかを賭ける、UNI通貨の爆笑カジノがある。

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<カジノでは、UNIの賭け金がつり上がり白熱する! いやー、この賭場のような不健康さが、僕的にはたまりませんな、、、。こうして不真面目なことを入れてバランスをとらなとらないとね。>

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<左は西のチャリテックス女王、アリス。このカジノは、なぜか見ている方は、どっちが勝っても(たとえ賭けに負けても)面白い。これ、不思議といえば不思議!>

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<こちらはほんわかムードの練習試合。やはりカジノ戦とは、プレイヤーの雰囲気が全然違う!>

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<カジノにBAR はつきもの。ということで、いつもは東京道場の台所で開いているマロBARが、タイに支店を出した。“コンビニと同じ値段で売る”というゴッコ感覚でありながら、献身的なサービスで評判。店主マロ、たまちゃんの他、カナダのアンもホステスとして活躍した>

BARがあるなら、深夜近くになってからが本番。サンガダンスバンドのLIVEで延々みんなで踊りまくるのである。

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<最高の盛り上がりが毎晩!>

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 <ダンスタイム!>

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<サンガダンスバンド>

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<激しいピアノを弾くアルフレッド>

そして極めつけは、最終夜に行われた「BAD BOYS & GIRLS NIGHT 」! これは、みんなが思い思いの不良の格好をして、ファッション・ショーをするというもの。いやはや、最高潮の盛り上がり!

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<誰が誰だか、お互い最初はわからなかった>

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 <ふふふ>

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<各国に別れて、不良のファッション・ショー>

 

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<日本もなかなかレベルが高かったな>

、、、これを読んでいらしっゃる方は、ここまで来ると、これが一体何の世界大会なのか、わけがわからなくなっているのではないかと思う。(それが当たり前の社会人感覚というものだ)

 

だいたいが、指圧の集まりなら指圧の勉強だけ。あるいは仏教修行の集まりなら仏教修行だけ。海外支援チャリティならチャリティだけ。と、そんな風に1つにしぼって、おとなしくしていれば良さそうなものである。

 

それを、ゲームだ、爆笑カジノだ、バンドだ、踊りだ、とあり、さらにおバカな遊びまで本気でやっている。もっとも、それが浄土宗和田寺タオサンガなのである。そしてタイ世界大会は、そんなタオサンガを象徴する沸騰の10日間だったのだ。

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<音楽念仏でやるハモリの音合わせをやったのは初日だった>

下記が毎日のスケジュール。見て頂くとわかるが、1日8時間は、たっぷりと勉強や修行等の時間があり、夜はビール飲みながらみんなで夕食。さらにその後、何時間も遊びの時間が続くというディープなのだ。

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<みんなでビール飲みながらの夕食>

 

7am 音楽念仏

8 am 朝食

9am 心理ワークショップ

10am タオ指圧ワークショップ

1pm ランチ休憩

2:30pm ミニチャリティ・フェス

4pm  タオ指圧施術/念仏ヒーリングセッション

5pm  気心道ワークショップ

6pm  音楽念仏

7pm  夕食

8:30pm ゲーム大会

9:30pm パーフォーマンス

11pm ダンスバンド

※夜は果てしなく続く

 

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<各国のタオサンガ・オリジナルTシャツ コンテスト>

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 <コンテストでは、ファッションショーのように歩く>

ようするに、ほとんど休みがないのだが、僕が心から感心したことがある。それは、みんな夜遅くまで飲んで騒いでいても、朝7時には、念仏行のためにちゃんと座っていることである。

 

そして180人による三重奏の音楽念仏の響きの美しさときたら!

それは、僕ら実行委員の1年間の準備の労苦を忘れさせるに十分な素晴らしさだった〜(涙)。

 

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<念仏レイブで踊りまくる曲の練習>

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<バングラデシュから来たラジョーさんの挨拶>

僕は思う。

誰しも神ほとけの子だ。

だから、あらゆる可能性を持っている。

内在する潜在力で、菩薩や仏になることもできるし、

人生を最高に意味あるものとして、

利他の喜びに満ち溢れて生きることもできるのだ。

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僕は、そう信じているし、そんな人々の潜在力が華開くのを見るのが好きだ。だから、タオサンガをやっている。また、それを見たいがためのタイ大会でもあったのである。

“仏教のフリースピッリットで人生を芸術に!”

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最後に、参加者にたくさん頂いた感想文の中から1つだけ。

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今日でこの大会が終わってしまうことがとてもさみしです。

私にとってこんなにたくさんの外国の人達とコミュニケーションをとることは、はじめての体験でした。

 言葉はほとんどかたことしかお互いにしゃべれなくても、お互いにつたえあおうとするとなんとなくコミュニケーションができ、本当に楽しかった。

また、気のワークでは、国籍は関係なく「気が伝わる」ということにあらためて感動しました。

 

そして指圧をするさいは「何より心である」ということを、あらためて思いしらされました。

今までも、そのように思っていましたが、私は心のどこかでまだそれを信じていない部分があったのかもしれない、と今回気がつきました。

指圧をするときに、フィードバックで「Tubo image heart」と英語でアドバイスしてもらったとき、「そうだった」とあらためて知ることでき、とても新鮮でした。今までも何ども言われていたことですが。

また大勢で、毎朝毎夕おこなわれた念仏はとてもすばらしく、本当に感動しました。

感動は、ほとんど書ききれませんが、今回の体験は、私のこれからの人生でとても大きな宝物になると思います。

ありがとうございました。

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<心理ワークでは、涙を流すような体験があるためか、大会では誰とも仲良くなる>
※下記は、みんなが撮った写真(遊びの写真が多くて恐縮だが、みんな楽しそうな顔をしているのでご容赦願いたい)
全体をとても紹介し切れなかったので、よろしければ適当に見て下さい。

 

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恐る恐る再開した、日本での体験講習だった。
                                   
実は、1昨年(だったと思うけど)の夏に、オランダでやったワークショップで、
初めて仏教修行(念仏三昧)によって生まれる、気の体験を土台として講習を行った。
                                   
多くは初めてのタオ指圧体験だった人たちだ。意外なことに、それは思いのほか
受け入れられた。その時僕は、ああこれは新しい時代が来たのだな、と思った。
 
このため、タオ指圧のすべてのカリキュラムを、仏教を土台として組み直すこと
にしたのだ。そしてそれは、今までとはまったく違う指導方法だった。
                                    
それには理由がある。これは僕の長年の悲願だったのだ。
ことばにすれば簡単なことだけど、桜の花が咲くには、”幹”も”根っこ”も必要だ。

そしてタオ指圧という、手技で症状を取ることができる「花」は、根っこである
大乗仏教の修行、そして幹である利他実践のワークがあってこそ、咲く。
                                   
オランダでの体験から僕は、ようやく人々が根っこから学び実践する時代が
始まったと思ったのだ。
                                   
それでも日本での体験講習は恐る恐るだった。果たして人々の心が、仏教的な
内容を土台とした東洋医学の実践など、本当に受け入れられるのかどうか、
わからなかったのだ。
                                   
しかし京都、東京、名古屋、博多とやっている内に、たしかな手応えを感じる
ことができた。まだそれは数少ない莟のようなものかも知れない。しかし、
それは僕を、まるで輝くばかりの心の宝に出会ったような、うれしい気持に
させてくれたのである。
                                   
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<参加していない人には想像もつかないと思うが、念佛による気の作用で勝手に
身体が動き出してゴロゴロと転がりそれでいて深く癒されるという体験のワーク>
                                   
                                   
下記は、メルマガ和田寺ピープルに掲載された記事です。
メルマガ和田寺ピープル:http://www.mag2.com/m/0001601112.html

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タオ指圧体験講習の感想
                                  
『目からウロコの二日間』
                                  
                       金森 祐樹
                                  
名古屋で行われた、タオ指圧体験講習に二日間参加しました。
                                  
遠藤りょうきゅう師が、直接ご指導されるということで、地元
だけでなく、富山県や長野県など遠方から参加者された方も
いらっしゃっいました。
                                  
私は現在、京都センターのタオ指圧初伝クラスに通っています。
                                  
体験講習は、より多くの方にタオ指圧に触れていただききたい
ので、未体験の方が優先なのですが、今回は地元の名古屋での開催
という事で参加をさせていただきました。
                                  
講習が始まり、皆さん初めは緊張してぎこちない感じでしたが、
実際にワークを行って気の変化を体験すると、子供のように大興奮!
                                   
あっという間に打ち解けて、先生を中心とした笑点の大喜利みたいな
感じで、和気あいあいと講習が進んで行きました。
                                  
体験講習の内容は、まさにタオ指圧の根本というか、土台、核の部分。
                                 
タオ指圧の入門準備コースに入るための体験講習ということなので、
実は初めは、これまで習ったことのおさらいというか、うんうん、と
いう感じで聞いていたんですが、すぐに
                                 
「あれ、これはもしかして、こういうことだったのか!?」
                                 
「自分は今までこういう風に思ってたけど、全然違う!」
                                 
「そうか、この言葉の意味は、こんなにも深いものだったのか・・・」
など、目からウロコの連続でした!
                                 
遠藤りょうきゅう師の本に出てくる様々な言葉が、初めて聞く言葉
のように、まったく違った意味を持って入ってくる。とても貴重な
二日間の講習でした。
                                 
二日目が終わるころには、参加された皆さんと、なぜか随分前から
の知り合いのような気さえしてきました。
                                 
何名かの方が、10月から始まる京都での入門コースに進んで、タオ
指圧をもっと学びたいと仰っていました。
今後、タオサンガ名古屋のお念佛会にも参加したいと仰られた方も
何名かいらっしゃいました。
                                 
今回の体験講習を通じて、これから長く一緒に学んでいくであろう
仲間との良きご縁をいただき、そして、それぞれに学びと気づきと
出会いがあり、決意がありました。
                                 
タオサンガ名古屋が、ちょうど4月に発足したばかりのタイミング
に、新しい始まりを感じさせる、本当に素晴らしい二日間でした。」
                                 
                                 
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今、タイ大会の準備のためにバンコクに来ている。
走り回っていて、面白いことが次々に起きているので、「このままだと
体験講習のことは書けずに終わるな」と思った。このため、朝6時から
起き出してブログを書いた次第です。

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