今日、四歳ぐらいの子どもが祖母らしき人に叱られ、救いようもなく追いつめられているのを見た。子どもが大人に傷つけられているのを見ると、いつも胸が痛む。
ふと僕は、「なぜこの人は孫に感謝しないのだろうか?」 と不思議に思った。
何があって叱っているのかはわからない。しかし、自分が祖母でいられるのは、この孫のおかげではないか?
子どもは親に感謝すべきだという儒教思想がある。でも、何ごとも逆転の発想をするアマノジャクな僕としては、逆に考える。
親は、子どものおかげで親になれた。言わば、子どもに親にしてもらったんだから、子どもに感謝するのが、むしろ自然ではないか? と思うのだ。
ついでに、すべて逆転の発想でいこう。NPOユニは、「おかげで自分たちの存在意義があります」と支援先に感謝する。先生は、「おかげで、先生でいさせてもらえます」と生徒さんたちに感謝する。
感謝にこそ、逆転の発想が必要だ。
それはなぜか? 感謝は人の心を最も豊かにする感情の一つである。しかし、私たちの無意識は誤解しているのだ。
どう誤解しているのか? 私たちは、「エラい人に対して感謝する」のが感謝だという風に、心のどこかで思っている。
それは、長い間の人類の刷り込みによる、思い込みというものである。
おそらく、権力者が下層階級の人間に「おまえたち感謝しろよ。おまえ達は王様のおかげで暮らせるんだから」となどとノタマワって感謝を強いて来たからに違いない。本当は、下層階級の人間の働きによって、王様は生かされていたに過ぎないのに。
旧ソ連でも、子どもが幼稚園で最初に覚える言葉が、「同志スターリン、ありがとうございます」だったというから、権力者という奴は、常に民衆に感謝を強いるものなんだろう。それだけ不安ということなんだろうが、全くしょーもない。
言うまでもなく人類は、一握りの権力者とその周辺の貴族以外は、みな下層階級の人間だった。だから人類一般の無意識は、“お上に媚びへつらうのが感謝である”という風に思い込んでいるのである。
そこで、だ。親や教師など立場の強い者が、子どもや生徒など立場の弱い者に対して感謝する。そんな風潮が生まれれば、誰もが感謝できるような、豊かな社会が生まれるのではないかと、何となく思うのである。
僕はそこで、ようやくわかったのだ。なぜ、インドの乞食があんなに威張っているかが。
インドで乞食にお金をあげても、「少ないからもっとよこせ」と当然のような顔で言われることも、平気でよくあった。そのたびに、腹を立てていたワタクシが間違っておりました〜。
いやー、やっぱりインドは深い!
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25年ぐらい前のもので申し訳ないが、写真は、
毎日会っている内に友だちになった、乞食のおじさん。
けっこう人気者で、足が不自由で歩けないのに、なぜかインドやネパールを旅していた。
「返すからお金貸して」と言われて貸したら、本当に返ってきた。
まさに、インド人もビックリ!