2011/09/24 Categories: 日記

やっと少し、この世に着地できたかも知れない、と思った。

夏の終わりになって、遠くの空に流れる雲に目が行くようになると、僕の身体が予感し始める。じきに自分が、この世との接点を失い始めることを。

一体何のことを言っているのか、意味が不明と思われることだろう。

実は僕は最近では、2年に一度ぐらいの割合で、この世との接点を失う。すると僕は、この世のすべてに興味を失う。そして、自分の存在が苦痛になる。以前は1年に一度だった。もっと前は、1年に二度だったから大変だった。

そんな時は、自分の身体がこの世を拒否している。願いは、すべてを捨てて、ただ旅に出ることだけ。“ここでない別のどこか”に行くことだけが、唯一の願いになる。そして、遠くに流れる雲を見ていることになる。

そうなると、社会生活の継続は不可能。そんなことが起こって僕は、高校を二つもやめたし、サラリーマンもできなかった。(そりゃ、そうでしょうよ)そして、付き合っていたガールフレンドとも別れて来たのだった(念のために書いておきますが、これは20代の頃の話です。それから、そんなにしょっちゅうガールフレンドがいたわけではありません。)

そんな時に、どこかの念仏道場で一日12時間とかの修行が何日間か行われていたりしたら、迷わず飛び込んで行く。そりゃ、そうだろう。この世の何をもってしても心が救われないんだから、そっち方面に行くしかないではないか。

息子の結万(ゆうま)が、まだ赤ちゃんだったころ、長野県に家族で旅行した。何日かして帰りかけた時、近くの寺で一週間集中修行の念仏が行われるのを知った。それで家族だけ帰ってもらい、自分はそのまま道場に一週間入ってしまった。(結万、すまん)。

いやー、でもスケジュールを見てびっくり。朝3時半起床ですよ。「家の電気消し忘れたから帰ります、とでも言おうかな」なんて思ってしまった。でも、一週間、山の中で朝3時半から夜9時まで念仏したら、妙に元気になった。終わってから、 山を走って駆け下りたのと、幻覚見ているみたいに、何でもキラキラと光って見えたのを憶えている。

2年前は、なぜかそれ(この世との接点の消失)が、タイを旅していた時に突然起きた。驚いたね。どうしようかと思ったよ。旅が唯一の救いのはずだったのに、旅している最中に陥ったのでは、どうにもならないではないか。これでは、まるでマンガである。

この時は、ホテルで、何曲も創ってパソコンに録音して、やっと救われたのだった。ギターと録音できるパソコン持っていて助かった〜。しかし、あの時は、無限に曲が出てきそうだったな。その後、僕はパレスチナに向かったのだった。ギターを持って。

しかし、まあ宗教や芸術なんて、僕みたいにこの世に深入りできない人間がするものなのかも知れないな。社会とうまく折り合つけて、バリバリやるような人が必要とするのは、僕のように念仏や音楽ではなく、日経平均株価情報かも知れないし、、、。この世との折り合いに悩む人よ、念仏サンガに来たれ、ナンチャってね。

さて実は、今回も、空高く雲が流れているのを見ていたら、この世のどこにも、自分の居場所が見出せなくなってしまっていた。すべてを捨てたいのを、必死で我慢しているようなところがありましてね。白状すると、東北被災地ツアーの最中も、そんな状態だったのです。

松尾芭蕉に、「旅に病んで、夢は枯野を駆け巡る」とかいうのがあった。芭蕉なんかも、けっこう晩年になってから旅出ちゃうし、山頭火も、やっと安定した場が与えられたと思ったら、寺を捨てて旅に出てしまう。

太宰治は、作家として認められ、井伏鱒二の媒酌でお見合い結婚までした。普通の生活しようと思ったんだろうなあ。で、いよいよ、これから安定して仕事をしていくという矢先に、破滅的な生活をし始める。まったく、やれやれだが、そんな彼らの気持わかるよなー。

先日、「何ひとつ不自由のない生活をしていたシッタルダ王子さま(お釈迦さま)も、この世の何をもってしても救われない気持だったのだろうか?」 なんて、ふと思った。タハハ。お釈迦さまを自分と引き比べるという、実に罰当たりな自分でした〜。

さてこんな状態の僕だが、けなげにもブログの写真を撮りました。この秋、京都の国民文化祭に念仏ゴスペルで出演する、タオサンガの皆さんの練習です。音源をお聞きになりたい方は、http://taosangha.com/ja/music/ ダウンロードも可能です。