<ベツレヘムの街並み>
さて前回のプログで書いた「とっても個人的なことだけど、歴史的な出来事について」述べることにする。
それは今回、イエス様が生まれたパレスチナのベツレヘムで、仏教式の結婚式の司祭を勤めたことだ。
式を行ったのは、キリスト教の人権団体、「ホリーランド・トラスト」というところである。
実は、この件に関しては、いつもの自分からは想像もつかないほど強引だった。
別段、パレスチナのキリスト教の施設で仏教式の結婚式を行うに当たって強引だった、というわけではない。
この物語を創られるプロセス自体が、である。自分的には、ほとんど強制に近いようなものだった気すらするのである。
一体、この物語の真の始まりを、どの時点だと考えることが適切なのかは、わからない。
もしかしたら9年前なのかもわからないし、1昨年の11月なのかも知れない。
<物語その1>
とりあえずわかりやすい所から始めることにしよう。
「去年の夏、浄土宗僧侶の教師資格を得る修行に入るため、カナダ在住の日本人タオサンガ・メンバーが京都にやって来た」
<カナダの夕暮れ>
彼を迎えたのは、京都センターの面々だった。
そしてその中に、最近、念仏修行に来るようになったEさんがいた。
実は、彼女と僕との因縁は、どうやら9年前に遡(さかのぼ)るらしい。
、、、らしい、というのは僕が全く覚えていなかったからだ。
彼女によると、僕はその時、彼女が抱えていた霊的な諸問題を解決した、ということだった。
ちょっとここで、誤解のないように述べておきたいのだが、僕は普段、そんな拝み屋さんのような真似をしてはいない。
だから最初に聞いた時、それは人違いのではないか、と思った。
(後になってうっすらと記憶が戻って来た。それでも、彼女の帰り際に、”縁がありそうな人だから、道場にくれば良いのにな”と思った、というのを思い出した程度である)
とにかく彼の京都滞在中、仲間内でワイワイとやっていた。その内に、「何だかお互い好意を持っている」的な雰囲気が漂って来た。
それはおそらく、無意識的なものだったのかも知れない、と思う。
僕としては、その好意が何とか現実的な形で実らないかなぁ、という思うばかりだった。
というのは、1昨年(だったかな)カナダでタオサンガ・ワークショップをやった際、願いを実現するワークというのをやった。
その時、彼がグループに語っていた、良いパートナーに出逢いたい、という願いを聞いていたからだ。
ところで僕は、人の願いを1度聞くと、なかなか忘れないという、良いんだか悪いんだかわからない癖がある。
実は、30年以上前に、友人の結婚パーティーに来ていた花嫁の友人が、「良い出会いを求めている私に誰か救いの手をください〜」なんて言っていることがあった。
僕は未だにそれを憶えていて、あの女性には良い人が見つかったんだろうか?
誰かいないかな、なんて考えることがあるのだ。
なので結構、さりげない心配りのようなものを、自分なりに必死にしていた。
それは例えば、僕のCDを欲しがっていた彼女に、彼から渡してもらったり、屋台のおでん屋に二人を呼んだり、道場でデメ野球をやった際、痛みが出てしまった彼女を指圧して、途中から彼に代わってもらい、自分はいつの間にか消えるようにしたり、などである。
<アミリタという僕の6枚目のCD>
やがて時は来て、彼はカナダに帰って行った。
どうやら、やがてお互い、ほのかにあった好意を伝えあったらしい。(という報告を彼から受けた)
しばらくして師走になり、気を揉んだ僕は彼に伝えた。
「カナダに彼女を呼ばないんですか?」
「えっ? いやそれは、、、来て頂けたらありがたいですけど、彼女も忙しそうだし、、、」(←やけに丁寧語だな、と僕的には不満)
「何言ってんですか! 呼んだら絶対来ますよ!
このクリスマスに呼ばなきゃダメですよ!。」と、僕はいつになく強引だった。
数日後、「で、どうでした?」と聞いたら「来てくれるそうです」との返事。
「ああ、良かったじゃないですかぁ!」
さらに数日後、
「で、どこに泊めるんですか?」
「アレックスにセンターに泊めて良いかを聞いたら「イイよ」っていってくれたんで、センターです」
実は、僕が強引になったのは、さらにここからである。
「何言っているんですか! ダメすよ。なに言っているんですか。そんなのダメダメ。ちゃんとロマンチックなところを予約しなくちゃ!」
数日後、「ナイヤガラのホテルを予約しました」と聞いた。
僕の強引さはさらにエスカレートした。
「イイですか? 絶対に次のことをやってください。まず、空港には、必ず花束を持って迎えに行くこと。そして、空港で花束を渡して、その場で結婚を申し込むんですよ」
「えーっ!? 結婚ですかあ!? いや、だって僕、彼女の手すら握っていないんですよ、、、」
いやいや、となぜか僕はひるまなかった。
「それがイイんです。人生はサプライズです。だから空港で驚かすのが良いんです。サプライズ・アタックです」と、わけのわからない強引な論理を展開したのである。
理論的には、驚かすと相手はびっくりして頭が空白になり、わけが分からないままその気になるだろう、という考えである。
カップルになりたかったら、遊園地のジェットコースターに乗ったりお化け屋敷に入ると良い、と言われている。
それは、びっくりすると思考が停止するからである。恋愛に思考など余計なだけだ。
今から考えると、何であんな強引なことができたんだろう?
、、、、そう思うから不思議である。
霊的云々の件といい、この強引さといい、わけのわからないカップル理論の展開といい、
いつもなら、さりげない行動しかしないのに、今回は、全くイレギュラーなことの連続である。
その後、「報告することがあります」というメールをもらった僕は、
その一言で意味を諒解し、「おめでとうございます」と、一言だけ返信した。
もっとも、僕が相当強く言った「 空港に必ず花束を持って行くように!」等を、彼がちゃんとしたかどうかの真偽は不明である。
もし、してなかったら許さんぞ! と言いたいところだけど(←大きなお世話)、まあ良いや♩^ ^とにかく成立したんだから。
<物語その2>
前回のブログで述べたように、アースキャラバン中東の準備と、パレスチナの飲料水浄化プロジェクトの調査、そしてイスラエル・タオサンガ再建ワークショップのために、3月18日から、イスラエル/パレスチナに向かった。
その際、水調査など、様々な因縁からその2人も同行することになった。
そして僕の強引さが本領発揮したのは、ここでの出来事だったのだ。
まず前回のブログで書いた、「ホリーランド」というキリスト教系人権団体(ベツレヘム/パレスチナ)のサミーに、「仏教式の結婚式をやりたいんだけど、施設貸してくれませんか? でも難しいようだったら、他を探すから気にしないで」とメールした。
キリスト教徒だし、あるいは無理かも知れないな、と思ってはいたのだ。(←この辺は冷静)ところが彼の返事に僕は驚いた。
「聞いた瞬間、僕の顔に笑みが広がりました。僕らの施設で仏式の結婚式をやってくれるなんて、とても名誉なことです」というものだったからだ。
これで場所は決まった。
本人たちに伝えたら、Eさんの方は絶句状態。
というのは、そもそも結婚なんて、まるで自分の人生計画の中にはなかった彼女だったからである。もしかしたら、誰かと付き合うこと自体、考えていなかったのかも知れない。
というのは去年の1月、彼女曰く9年ぶりに僕と再会した際、”日本にいても何も夢はないし、いつか将来、かつてボランティアをしていたアフリカに戻って人生を終える”というような感じの話をしていたからである。
そのとき僕は、”アースキャラバン(というかタオサンガ)に関わっていたら、人生変わりますよー”なんて陽気に言っていたのである。(人にそう言うことが時おりあるが、僕にそう言われてタオサンガに来る人は、極めてまれである)
Eさんとしては、”まさか、こんなことが自分の人生で起こるなんて、、、!。これは自分なのか? いや、うそ、うそだ。うそだあ! うぅ、どうしよう、どうしよう〜”状態である。
内心まるで尻尾に花火をつけられた犬のように、うろたえまくっている。
しかし、人生はドラマティックであるほど良い。
サミーは了承し、場所は決まった。よって、この選択からは逃げられない。(←オレは、どこまで強引なんだ)
あとは参列者を呼ぶことにした。「仏式結婚をホリーランドでやります。良かったらご参列くださいね。」と現地の知り合いにメールを出したのである。
まずパレスチナ側からは、昨年、アースキャラバン中東でお世話になったスライマー女史。
彼女は、難民キャンプでの障害のある子供たちや孤児院を案内してくれた。
さらに、子供をイスラエル軍に連れて行かれて返してもらえない、パレスチナのお母さんたちとの交流などをセッティングしてくれたのだ。
その上、無償でみんなをベツレヘム観光に連れて行ってくれた。
”それは、ぜひとも祝福に行きたい”との返事。
そしてマージン教授。世界各地で講演している人である。
彼からも、「仏式結婚にお招きいただき、名誉に思います」との返事。
その他、ホリーランドの面々。皆さん、反応は良い。皆さん、優しい、、。
Eさんが、どれほど恥ずかしくてパニックっても、ますます逃げられない状況である。
わはははは。(←と、黄金バットのような笑い)
次にイスラエル側からは、MさんとAさんを呼んだ。
二人とも驚いたのなんのって!
何せこんなことになるなど、まるで気配がなかったEさんである。
Aさんなどは、気絶した自分の写真を送って来たほどである。(爆笑!)
僕は、” Anything could happen in Tao Sangha (どんなことでも起こり得るのだタオサンガだよ〜ん)” と書いて返信。
実は、イスラエル人がA地区であるベツレヘムに入るのは違法で、捕まったら約50万円もの罰金を取られる。(だから写真もなく、彼らを匿名にした)
<注※>
これはおそらく、両者が交流して仲良くならないための措置だろう。
例えば、第一次世界大戦でもフランス人とドイツ人の兵士たちが部隊レベルで仲良くなったことがあった。
家族に「戦争が終わったらお互い遊びに行く」なんて書いていたので、やがて司令部にばれた。
仲良くなるきっかけは、両軍部隊で共同ミサを行ったためであった。そしてこれを行った従軍牧師は解任され、部隊は遠くの戦線に追いやられた。
いくら役所の決まりごとだと言っても、このような非人間的なことを支持すると、人間性が腐るぞ。
<実話は後に映画化された>
さて、MさんとAさん二人とも、もちろん参列した。さらに当日、パレスチナ人の人権にいのちをかけているようなイスラエル平和団体のリーダーであるGさんも、友達を連れてやって来てくれた。
2人ともイスラエルの世間からは白眼視されている。それは彼らが、朝鮮半島を支配していた日帝時代、朝鮮独立に手を貸す日本人のようなものだからだ。
しかし、どちらが人間として高貴かは一目瞭然だろう。
さらに写真家ハイサムも、遠くビリン村からやって来てくれた。ハイサムは、イタリアで大きな写真賞を取っている人である。
彼は、イスラエルが不法にパレスチナ人から奪った土地返還の要求デモなどの活動をしている。
<ハイサムは、めちゃくちゃ人が良い>
気恥ずかしさにうろたえ、ほぼパニック状態にあるEさんを尻目に、こうして僕は、仏式結婚をパレスチナで行う企画を強引に進めて行った。
だが、妙なことにふと気づいた。
これではまるで自分が、両親を失くした姪か、いとこのために奔走する、親代わりになった親戚のような振る舞いではないかぁ、、、。
通常はあり得ないような、ドラマティックなことをやっているつもりで、実は一番自分に不向きな、極めて”世間的な親戚”のような役割を、いつの間にか僕はやっていたのだ。
今度は、”「長い間、お世話になりました」(と、まるで父親代わりのように)なんて言われちゃったらどうしよう、うぅ”と、自分がうろたえる番だった。
とまあ、そんな自虐的逆パンチの反撃もあったが、不測の事態にうろたえパニックっているEさんに対して、僕はつい自分の趣味に走った。
それは、”Eさん、結婚式にNHK呼びましょうよー”とかなんとか言って、冷やかして、からかいまくったことである。
僕に今回のことにまつわる何か(”結婚”とかその手の言葉)を言われる度に、両眉毛が「ハの字」状態になったり、顔が引きつったり、パニック反応を起こしてうずくまったりしているEさんを見ては、僕は楽しく笑っていた。
”当日まで、ずっとその顔の写真を撮って行って、あとで、写真のペラペラ漫画を作りましょうよ! きっと面白いすよ。”などと言って、さらに笑っていたのだ。(←こうして書くと、まるでいじめっ子である)
それにしても、手元にi-phoneがなく、写真を撮れないのが、残念至極だったなー。
いつもならこういう時、僕を止めにかかる、まゆさんという女性がいるが、
今回に限っていない!
したがって僕は、やり放題であった。わっははは!(←あっワリいぞ、お前)
このため当然、テルアビブについてからも続行した。
そしたらアビも参加し、一緒になって色々言い出したのだ。
そこで僕は、TEC(Eさん、からかいクラブ=Teasing E-san Clubの略)を結成した。
これが面白かったのは、ベツレヘムに行ってサミーと会ったら、彼もクラブに参加したことである。
<右がサミー。広島原爆の火を届けたところ>
サミーは僕よりすごい。「いやーEさん、結婚式は大きなステージでやって、CNNとかBBCとかの世界メディア呼びましょうよ」である。日本NHK負けたぞ、、、。
それにしても、ホリーランドの主宰であり、世界的有名人のサミーが、あんなにノリが良いとは知らなかった。
それに、彼が仏教に惚れ込んでいることも、今回じっくり話し合うことで、初めてわかった。
<物語その3>
とうとう当日になった。いよいよ結婚式である。
本人はパニックを通り越して、すでに表情がなくなり、”ここはどこ? わたしは誰?”状態である。
(これがまた、見ているとますます楽しいのだが、一方ではまるで親戚がやるような自分の行動に、我ながら面食らってもいた)
パレスチナ人のサミーとイスラエル人のMさんの2人には、それぞれの付添人の役をやってもらった。
仏式結婚式だから、イスラエル人、パレスチナ人、日本人みんなで念仏を唱えるのだ。
平和の象徴として、ますますドラマティックではないか。ふふふ。
では、ここで当日の写真を公開することにしよう。
祭壇を準備中
<準備は整った>
<式の開始に木魚を鳴らして宣布>
<15名の列席者は、皆、粉のお香をする作法をしてから入堂。>
<仏式なのでお華を授けているところ>
<この辺は結構、厳粛ムード>
<やっと少し顔を上げたぞ>
<こうして式は終わった>
<サミーのスピーチが素晴らしかった>
<サミーの話を聞き終わって>
< その後は、ビートルズなどをみんなで歌う>
要するに僕は、結婚式の戒師兼、司会兼、友人代表で音楽する人兼、にわか親戚のおじさんという
わけのわからない、極めてマヌケな役回りなのである。
みんなで歌っているから、ようやくリラックスして来たのかな?
<その後は、乾杯! ランチだけどビールやワインなどを飲みながら。日本から持参の酒も出た>
ところで、人生をどこまでもドラマティックにするのがタオサンガである。
先ほど僕は、「アースキャラバン(というかタオサンガ)に関わっていたら、人生変わりますよー、なんて陽気に言っていた」と書いた。
だって、”幸せになることを願われる所がタオサンガ”だからだ。
だけど人間は、なかなか幸せを選択できない。
なぜなら、幸せとエゴは反比例するからだ。
幸せを選択することは、エゴを乗り越えることとイコールなのだ。
臨床心理カウンセリングなどで、「自分の嫌な性格を変えるぐらいなら、精神症状が治らなくてもイイ」ということになり、治療を中断することは、ままあることだ。
これと同じように、人はタオサンガでも、今までの自分を取るか、より良き未来に生きる自分を取るか、という厳しい選択を迫られることになる。
カウンセリングのクライエントと同じように、「自分のエゴに直面して乗り越えるぐらいなら、不幸のままでイイ」と言う人は多い。
人がタオサンガの修行を放棄するとしたら、このためである。
今回、物語3まで行くことができたのは、ご本人たちが、それまでの自分を頑固に死守せず、素直に行動できたからだと思う。
幸せの願いに対する反応としての「即座の素直な行動」。
法華経ではこれを「質直柔軟」というが、これこそは幸福の種だ。
物語その1の時点で、ためらいや素直な行動がなかったら、1の成立もなく、物語その3まではとても行かなかっただろう。
ましてや「仏式結婚をイエス様の生まれたベツレヘムで行う」というドラマは、決して起きなかった。
えい子さんと謙知さんの幸せを祈ります。
このブログを読んでくれた人も、同じような気持ちになってくれたら(随喜)、とても嬉しいです。見ず知らずのハイサムの友人たち250人以上も、良いね!と随喜してくれました。
キリスト教施設での仏式結婚を快く承諾してくれたサミーに、ホリーランドの面々。
彼らはサプライズでウエディング・ケーキまで用意してくれた。
式後のサミーのスピーチも素晴らしかった。
イスラエルの法律を乗り超えてまでお祝いに参列してくれた4人。
マージン教授などは、「妻とあらためて第二の結婚式を、この仏式結婚でしたい!」と言い出し、みんなから拍手喝采を浴びた。
皆さんのおかげで、本人的には人生であり得ないはずだったことを、見事えいこさんに「強制(^ ^)」できました。
そしておそらく歴史的には初めてだったことであろう、「仏式結婚 at ベツレヘム」を無事に終えることができました。皆さん、本当にありがとう。
それから彼女をよくご存知のアースキャラバンやタオサンガの方々には、事後報告になり大変申し訳なく思っています。
何せ、ただでさえ本人は気恥ずかしさで顔面蒼白であり、前もって公表すると気絶する可能性があったのです。
気絶している人を飛行機に乗せるのも大変だし、逃げると追っかけるのも面倒なので、まずは実現することを最優先にしました。
このブログをもって、お詫びがてら報告させていただきます。
<最後に公案を>
さて、物語その4以降はどうなるのだろう?
もしかしたらそれは、本人らが「自分を優先させるか、仏法僧の三宝を優先させるか」の選択によるのかも知れない。
どこまで行っても常に選択を迫られるのが人生なのだ。
しかし、僕が強引だったのは、物語その3まで。
後のことは、「当局は一切関知しない」(←これ、数年前に映画化された昔のアメリカのテレビドラマ、“ミッション・インポッシブル”のセリフね)
本当の物語が始まるのはこれからである。楽なことよりも、むしろ大変なことの方が多いはずだ。そう覚悟しているぐらいの方が良い。
できれば、どこまでもドラマティックに、周りが楽しめる未来を創って頂けると、観客としてはありがたいのだけれど。
*Most of Photos are taken by Haitham (記事のほとんどの写真は、ハイサムの撮影によるもの)
<おまけ>空港に送りに来てくれたマガリ(左)、アビ(右)と