‘日記’

目まぐるしく動きながら、心は沈静

2011/08/12 Categories: 日記

心があまりにも内面に向かっていると、ブログを書くという気になれない。それどころか、ブログの存在すらもすっかり忘れている。

先週、新曲の仮レコーディングをしてみた。

その翌日は、地元京都のフェスに出演。


<楽屋で演奏前のひととき>

 

その後、片道7時間半をかけて、島根県の和田寺に行った。それは、お寺をお世話して下さっている集落の方と、法要の打ち合わせをするため。二泊した後、帰京。


<住職を拝命している和田寺は、町の史跡になっている>

それでも心は内面に向かい続ける。目まぐるしく動いている日々なのに、心がひたすら沈静し続けていることだってあるのだろう。

秋に新刊発行の予定。DVD付きになるので様々な準備をしている。もしかしたら、この新刊がくせ者なのかも知れない。

唐突で申し訳ないが、職業病というものがあるように、職業カルマ、あるいは文化カルマというものがあると、僕は思っている。

例えば、居合道なんかやる人が本物の真剣を購入して、病気になったりすることがある。これは、居合道をやっている人に聞いた。
武道カルマというものの為せる技かも知れない。
ここでいうカルマが何かと言えば、それは、ある職業なり文化に染み付いている「垢」みたいなもの。
はるか昔から、それに従事して来た人たち特有の心の傾向の中に潜む闇のエネルギー(気)。僕はこれを、仮に職業カルマ、あるいは文化カルマと呼んでいる。
その前提で言えば、医者カルマもあるし、お寺カルマなんかもあると思う。その他、記者カルマ、カウンセラーカルマとか、警官カルマetc
。(まあ、人の弱い部分と関わるとか、立場上、人の上に立つような仕事は、闇のエネルギーが潜みやすいわけです)
そして、指圧やら鍼やらの、いわゆる東洋医学カルマにも、もちろんそれはあるわけで、今度の新刊は、それと真っ向から対決する内容なので、どうやら闇のエネルギーの抵抗を受けるようだ。

だから、書いている時は大変しんどかった。まるで、何者かに邪魔されているかのようだった。毎日、南禅寺奥の院の滝に打たれに行きながら書いていたけど、それでも最後には、とうとうダウンしてしまった。その時は、神経が参って毎日2時間しか眠れない日が続いた。
まるで力石のパンチをくらってダウンした明日のジョーのようなもの。あるいはそれではカッコ良すぎるから、ひからびたグレゴールザレム(虫)のようであった。<注:グレゴールザレムというのは、ある朝起きたら虫になっていたという、カフカの小説に出てくる主人公のこと>
だから脱稿した後も、いろいろと大変だった。果たして原稿は、無事に発刊されるのだろうか? 今は天に任せて、皆さんにお手伝い頂きながら、粛々と作業を進めている。

明日は、ライブハウスで数曲ほど演奏の予定。ライブハウスに出演するなんて、随分と久しぶりである。
そういえば、はるか昔、「拾得」という京都の老舗ライブハウスで、今は亡き詩人ナナオとのジョイントで、演奏したことがあったな。

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パレスチナに自由を!

2011/07/26 Categories: 日記

国連でパレスチナが国家として承認される可能性が出てきたことを、カナダ在住の茂木さんからのメールで知った。
そこで、慌ててそのお知らせメールを知り合いに送った。

二年前、パレスチナから帰ってきた時の僕は、二、三か月もの間、パレスチナ問題だけが頭の中を占領していた。
毎日のように、ネットで迫害されるパレスチナ人の映像を見ては、そこにいた自分を思い出し、熱く義憤にかられていたのだ。

イスラエル軍に家を不当に追い出されて、ホームレスとなり、僕が路上でボランティア指圧した東エルサレムの家族がいる。
彼らは、アメリカのクリントン国務長官が「イスラエルのあの家族への人権剥奪は、遺憾である」と言及するほど、
いつの間にか国際的にも有名になっていった。

やがてその路上は、インターナショナルの支援者とイスラエル警察の小競り合いの場になり、
催涙弾が飛び、支援者は逮捕され国外退去させられていった。

あの家族のお父さんは、僕に語った。
「宗教や国籍の別なく、こうして私たち家族を気遣ってくれる海外の人々がいてくれるから、私たちはまだ人間を信じることができるのです」、と。
あの時のお父さんの、泣き笑いのような顔が忘れられない。

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ご縁の皆様へ

僕は二年前に、パレスチナでワークショップやボランティア活動、また非暴力抵抗運動のデモに参加して、
現地の人々の苦しみの実態を体験しました。

そして、永年イスラエルの占領下で苦しんで来たパレスチナ人たちが、一方的に狂信的テロリストという、
イメージの烙印を押され、これによって、パレスチナ人の土地を奪い、人権を奪い、自由を奪うイスラエル占領政策の実態が、
世界から隠され続けていたことを、自分の目で見て知りました。

例えば、ナチス占領下のヨーロッパで「正義のレジスタンス」と呼ばれていたような抵抗運動が、イスラエル占領下のパレスチナでは「狂信的テロリスト」の行為として、
世界に報道され続けて来たのです。

しかしここで、パレスチナが国として承認される可能性が浮上しました。7月29日に国連安全保障理事会で、イスラエル—パレスチナ問題が話し合われることになっていますが、パレスチナ独立の承認決議が為されるかも知れないのです。

Avaazとというボランティア団体が嘆願書への署名を集めています。

http://www.avaaz.org/en/independence_for_palestine_uk/?fpla

(このページの日本語版を探したのですが見つかりませんでした。署名の仕方は、右側にFirst
time here? と書かれているところの下にName, Email, Postal code(郵便番号)を書き入れ,
CountryでJapanを選んでSENDを押すだけです。)

ぜひともパレスチナの民衆の苦しみを救うため、急ぎの拡散をお願いします。
国連の理事会が7月29日なのです。

NPOユニ 遠藤喨及

 

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【いきなりホームレスになった子ども。家の前には、自動小銃を構えた兵士がいて入れない。】


【お母さんは、「あなたが世界の人々にこの実状を知らせて欲しい」と僕に訴えた。】


【、、、、、涙なしにはできなかったスよ。】

 

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文殊くん、誕生!

2011/07/22 Categories: 日記

西洋人には、便利なことにミドルネームというのがある。
例えば、マーティン・ルーサー・キングだったら、ルーサーがミドルネームである。
もっとも便利と言っても、せいぜい”どっちか好きな方を呼び名にできるから選択肢が増える”といった程度のことに過ぎないのだが。

さて、西洋人の念仏者の中には、このミドルネームに、東洋的な名前を付けたいという人がいる。 実を言うと、「えんどう」くんというミドルネームを付けられてしまった子もいる。 それは、突然かかってきた国際電話で「”ミドルネームにえんどう”って、付けていいか?」と 聞かれて、冗談かと思ってOKしたら、、何と本当だったということである。
自分の息子に”えんどう”というミドルネームを付けたのは、中東の、とある小説家。
かつて、タオ指圧と念仏をしていた人である。 お父さんの彼の名前は、”ウジー”。
実は、同じ名前の機関銃があり、それがいやだと言っていた。 「えんどうくん」、今ごろどうしているかなあ。

さて、「ミドルネーム何にしたらいいかな〜?」と聞かれると、今は菩薩名を提案したりする。
西洋だって、大天使ガブリエルとかの名前を付けるから東洋は菩薩名で、と単純に考えただけだが、、、。
5月のブログに登場した”観音くん”は、こうして決まった名前。
そして写真が、先週生まれたばかりの、”文殊くん”。
「ミドルネーム何にしたらいい?」と聞かれ、”智慧深くあれ”ということで提案した。
そうしたら、あっけなく文殊に決まってしまったのである。
原発にも同じ名前があるが、なに、かまうもんか。
どうせ原発はすべて止るんだから。でないと、未来ないもんね。

 

ところで、お母さんのハイケという人は、念仏で霊的な体験をした人。
念仏の波動は胎教には最高だから、どんな子に育つか、今から楽しみである。
観音くんも、一日中ニコニコしているような子である。

どんな子どもも、笑顔でいられるように。
いつも、いつもそう思う。

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バックパッカーつながりで新刊発行

2011/07/09 Categories: 日記

一緒に写っているのは、東洋医学の出版社、「ヒューマンワールド」社長の石井利久さん。無料メールマガジン「週刊あはきワールド」も発行している。
石井さんは、「医道の日本」という東洋医学の老舗出版社の編集長だった人である。「医道の日本」の時代から、僕とタオ指圧の良き理解者であった。
久々にお会いしたのは、新刊「タオ指圧、東洋医学の革命」の打ち合わせのため。遅くとも、秋までには刊行される。
それにしても、縁とは不思議なものである。なぜ、石井さんのところから、僕が心血を注いで執筆した一冊が出ることになったのか?
東京センターの近くの「モツ煮込み」の店で、一緒に一杯やっている内にわかった。
なにせ彼も僕も、同じバックパッカーで、インドやアジア諸国などを貧乏旅行していたのだ。ほぼ同じ時期に、カルカッタのサダルストリートにある「パラゴンホテル」という、一泊数百円の安宿に泊っていたことも判明。
旅人同士なら、つながるのは当然である。なにせ85年—87年頃のインドでは、同じ旅人というだけで、どこの国の人間だろうと、すぐに友だちになったのだ。(今、そんな雰囲気があるのはパレスチナ)

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音楽もそうだけど、何でもノリが大事である

2011/06/27 Categories: 日記

出版社の法蔵館編集部に行った。新刊の打ち合わせのためである。
法蔵館は、「タオ、気のからだを癒す」を出してくれたところ。
そういえば、あの原稿は、英語、イタリア語、スペイン語、

ヘブライ語、ドイツ語、フランス語では出ていたけど、法蔵館から出版されるまでは、日本語では出ていなかったのだ。
この日の打ち合わせは、「気の幸福力」の紙版の書籍について。
僕が、どうでも良いジョークを飛ばしながら打ち合わせしたら、笑いながらノってくれた。
ストレートなノリは、編集長代理の田中夕子さん(写真右)。笑いをかみ殺すように(?)ノってくれたのが、満田みすずさん(写真左)である。




また、写真には写らなかったが、販促部長の木村恭子さんも社長の西村明高さんも途中に同席。みんな、打てば響くようにノリが良かった。音楽もそうだけど、何でもノリが大事である。(特にジョークのノリは、ね)
、、、と、まあ、ここまで書いてから、ふと思った。
もしこれが、実はみんなで、適当に僕に合わせてくれていただけだったとしたら、どうしよう〜。
僕が勝手に満足して「何でもノリが大事である」などとノタマワっているとしたら、これは相当おマヌケな話ではないか、、、。
うーん、“恐るべし法蔵館”なのか? それとも僕が、“思春期的自意識過剰症候群”なのか?
なーんちゃってね。



<追伸>

法蔵館のブログにも載っていた、、、。
http://hozokan.blog67.fc2.com/blog-date-201106-2.html
うーん。写真に写った自分の顔を見て、やはりちょっとマヌケっぽいなーと思った。”
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文化はヒマから生まれる/休む自分を誉める

2011/06/24 Categories: 日記

7、8年前だったと思うが、”よし、今年一年は、休むことを仕事にしよう”と思ったことがあった。でも残念ながら、思っただけで終わってしまった。(その後、次々とプロジェクト立ち上げちゃって)

でも、そもそもの動機は何だったかのだろう?
文化はヒマから生まれる、なんて思ったからだったかも知れない。

なんせ江戸時代の日本人は、今と違って、あんまり働かないで、おしゃべりしたり将棋さしたりして遊んでいたらしい。完全リサイクル社会だったし、、、。だから江戸文化が花咲いたのかな?

そんなことを思って、何年も前のことだけど、近所の将棋センターに行っていたことがあった。昼間からおじさんたちがビールなんか飲んで、将棋さして遊んでいて、良い雰囲気だった。
”やっぱりこうでなくちゃな”なんて思って、僕も混ぜてもらっていた。20歳の頃に住んでいた清和荘という伝説のアパートは、住人が皆こんな感じだった。そんな中で、僕は、STRAXE(ストララグゼ)という戦略ゲームを発明したのだった。

それから、インドをバックパッカーとして貧乏旅行した人ならわかるだろうけど、
インドにいると、一日一つのことしかしない。例えば、今日は銀行で両替するとか。駅に切符を買いに行くとか。

それは例えば、銀行員がチャイを飲んでおしゃべりしながら時々仕事をする、というペースなので、行列が長くなって時間もかかるからでもあるが。

カーリー寺院を見に行ったとかになれば、それは大仕事である。後は、何もやらない。
カレーを食べるのとチャイを飲むのと、、、せいぜい、安宿で他のバックパッカーと旅の話を咲かせるぐらいである。

この時、旅をしている長さで、旅人同士のヒエラルキーが決まるというのが、何とも、、、、。まあそれは、病院の待合室に集まる老人たちのヒエラルキーが、病気の重さだったりするのと同じようなもんである。
きっと最近では、日数や支援の大きさで、被災地ボランティアのヒエラルキーなんかも生まれているだろうなあ、、、。ああ、人間って。

それはともかく、再挑戦。レベンジである。
いろいろとプロジェクトがあっても、とにかく少しでもインド旅行っぽいノリで休めば、自分を誉めて、”よしよし、よく休んだぞ。” と思うことにしよう。

ということで写真は、僕が休む喫茶店「茶夢」のマスター。
ご夫婦でノラ猫の世話をされている、優しい人たちである。
ここでマンガや週刊誌を読みながら、気分をインドの旅へ。



カルカッタのマザーテレサのセンターも、皆ハードワーカーだったことは、今は忘れることにしよう。お釈迦さまが50年間、一日も休まなかったことも、弁栄上人もまたそうだったことも、忘れることにしよう。、、、休むときには。

 

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三日間のイベント終わる

2011/06/05 Categories: 日記

イベントの三日間は、まさに疾風怒濤だった。
タオ指圧の専用ルームは、いつも受療者で混み合っていた。
受療者全員が、タオ指圧によって必ず症状が取れるという体験をしてもらう方針で臨んだ結果は、思った以上だった。
“ミラクル!”(奇跡だ!)とかの様々な賛嘆が患者さん達の口から漏れたそうだ。

部屋全体に喜びと驚きの“気”が 満ちていた。 
施術費は定めなかった代わりに寄付箱を置き、「全額東北被災者の支援のために使います」とだけしたためた。そんなタオ指圧イタリアの心意気が来訪者にも伝わったのだろう。部屋には明るく温かい気が漂っており、それが僕を幸せな気分にした。

一方、治療デモンストレーションやワークショップも思った以上にうまく行き、僕はホッと胸をなで降ろすことができた。 
しかし今回のイベントで、僕が本当に驚いたことは別のことだった。
それは、集まったメンバーの全員が、何一つ自分の利益を求めて参加していなかったことだ。
彼らは三日間というもの、朝9時から夜の9時まで、まるで休むことなく献身的に、それこそ汗水垂らしてワークに従事した。
ここまで無私無欲の行為を、忍耐強く一日中続ける彼らの謙虚な姿を見て、“やっとタオ指圧に、このような生き方をする人たちが集まって来るようになったのだ”と、僕は深い感動ともに思ったのだった。

タオ指圧の、これまでの長い長い道のりを思うと、僕はそう考えずにはおれなかったのだ。   さて、三日間のワークを終えたタオ指圧ルームで、輪になって一人づつ感想を述べ合った。
その時、ダビテという人が語った。
“このイベントには数多くのブースが出店していましたが、ほとんどがビジネスのためでした。しかしタオ指圧だけは違った。私利私欲がなく、何—つビジネスの匂いがしなかった。私はそれが本当に素晴らしいと思ったし、来訪者の皆さんも、それを感じたのではないでしょうか”
またローマから応援に来た野宮さんは、“今まで自分は、痛みの2、3割も取れたら良しとしてしまっていました。
けれども、そうではなかった。タオ指圧では、一回の施術で、ちゃんと症状が取れるということが体験できて良かった”と述べた。
アルフレッドは、“イベントでのタオ指圧ルームに、間違いなく、阿弥陀如来が臨在されているのを感じた”と語った。
さすがは、ウィーン阿弥陀センター代表の発言である。
そして僕の番になった。
「今、野宮さんが語られたように、タオ指圧で症状が取れることは当たり前のことなんです。何と言っても、患者さんの潜在意識に働きかけるのがタオ指圧なんですから。
でもタオ指圧臨床の真の目的は、症状が取れるという、そんな“タオ指圧にとって当たり前のこと”にあるのではありません。実は、真のタオ指圧の目的は、受け手の運命を良きものに変えることなのです。 そして、そんなことすら可能となる治療家になるカギはどこにあるのか? それは今、アルフレッドが述べたことと関係する、念仏修行なんです。」
こんなこと、知らない人もきっと多いことだろう。
これらのことは、今後もっと明らかにして行かなければならないな、と思った。

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始まったイタリアでのイベント

2011/06/03 Categories: 日記

イタリアの代替医療イベントが始まる前のミーティングで僕は提案した。

「施術を受けに来た全員に、症状が取れた状態で帰ってもらうことにしましょう。そしてタオ指圧が、どんなに他の療法とは異なり、治療効果のあるものであるかを、はっきりと体験してもらいましょう。」

このため、全体の施術の時間は45分。前半と後半を二人で行う。すなわち、基本手技スタッフは20分で終え、その後は、症状を取る治療専門スタッフに任せる、という体制にしたのである。

治療専門スタッフは、ロリダナ、アルフレッド、オリバーといった面々。いずれもタオ療法の治療者である。また彼らは、プライベートな生活よりも、仏道の弘通を人生の根本目的として置いている。

実はタオ療法の劇的な治療効果は、そんな生き方から生まれるのだ。もっとも、こればかりは、実際にその心境になってみないとピンと来ないことなので、説明の仕様がないのだけれど。



受付や来訪者への説明は、アントニオ、アンドレア、アレキサンドラ、ダビテなどが行う。

僕が彼らに、「この部屋に来た人は、どんな人でも温かく迎えられるようにして下さい。その人が施術を受ける受けないに関わらず、“タオサンガの部屋で、自分は大切な存在として扱ってもらった”という気持だけは、必ず持って帰ってもらうように」と、必死で強く訴えた。

これは、僕はどこのセンターでも、いつも気にしていることだ。人が集まると、仲間内だけで話してしまうことがある。あるいは、自分が話している相手だけにしか、気を向けなかったりしがちだ。

僕は、センターに初めて来た人が、少しでも気遣われなかったり、また、大切に扱われなかったりするのを見たりしたら、本当につらく悲しい気持になるのだ。

さて、まゆさんには、治療専門スタッフだけでなく、部屋全体の采配を頼んだ。僕は僕で、治療デモンストレーションの一回一回をこなしていかなくてはならない。

三日目は、何と、ワークショップと治療デモンストレーションの時間が30分重なっている、、、。どうしよう? 僕は、11時40分から2時までワークショップをやっている。しかし治療デモンストレーションは、1時半から始まるのだ。

そこで、一計を案じた。まず、何人かのイタリア人スタッフで、1時半からの治療デモンストレーション見学者たちを相手に、気のテストなどをやっていてもらう。

2時にワークショップを終えた僕は、すぐに中庭にかけつけ、2時半まで30分の治療デモンストレーションを行う、という段取りである。休めんな〜、などとは言っていられない。

イベントは、金曜日こそ2時から始まるというものの、土日は10時から始まり、終わるのは何と夜の9時だ。ヨーロッパの夏は、8時でもまだ明るい。だから、まあこんなものか。夏のヨーロッパは、1日が長い。

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イタリアでもイベント

2011/06/01 Categories: 日記

「イベントの疲れは取れましたか?」というメールをイタリアで受け取り、思わず机からずり落ちそうになってしまった。
イタリアでのこちらは、大変な重圧を感じる中で代替医療のイベントが始まるところだったからである。

タイ経由でベローナにやっと着いて、午前中は、湖畔のホテルで朝食をゆっくりと頂いた。
しかし優雅な時間は、そこまで。
午後からは、もうイベントの準備に取りかからなければならなかった。

金土日と3日間続くこのイベントでは、手技療法やヨガ、アユルベーダ(インドの伝統的な薬草医学)の他、様々なヒーリンググッズが展示販売を行う。
伝統的な建物に、庭まである広い会場で行われる、フェスティバルなのだ。

その中で、タオ指圧イタリアは、チャリティ施術を行う部屋を一つ取るだけでない。
ガーデンでは日に何度も治療デモンストレーションを行う他、日曜日には2時間半の無料ワークショップまでこなさなくてはならない。
フェスでもけっこう重要な位置を占めているのである。
チャリティ施術には、ローマから絹子さんや野宮さんがサポートに来るだけでなく、オーストリアからもアルフレッドやオリバーも応援にやって来る。総勢で13人だ。


「準備でごった返す会場」

施術の部屋については、まゆさんに任せることができる。
しかし治療デモンストレーションやワークショップは、僕がやることになっている。(イベントのパンフレットに、名前まで書いてあるんですよ?。)
治療デモンストレーションというのは何かというと、「どこか痛みなどの症状がある人はいませんか?」と会場で呼びかけて、出てきた人の症状を数分の治療で取っていくというものだ。
やる前は、“一体、治んなかったらどうすんだよ。恥かくだけじゃねーか”と、実は内心自分にぼやきながらの技である。
しかも会場では、「痛みなどの症状がある人は集まって下さい。日本から来たマエストロ遠藤喨及が、タオ指圧でどのように症状が取れるかの治療デモンストレーションを行います」などと、毎回放送までされてしまう。
そんなのを3日間で6回もこなさなくてはならない。しかも2時間30分のワークショップまであるというのだから、”ああ、無情!”。重圧以外何ものでもないのである。(リングに上がる前のボクサーとまでは言わないけどさ。うぅっ。)
そんな”ああ、どうしよう~。早くモードを切り替えなきゃ”なんて内心思っている中で、「イベントの疲れは取れましたか??」なんていうメールをもらったので、ものの見事にずっこけたのであった。
そう言えば何日か前に、京都でUNIチャリティイベントなんていうものがあったんだっけ?。

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ご加護のあったUNIフェス(そして翌日には飛び立つ)

2011/05/26 Categories: 日記

過去はなるべく振り返らないようにとは思うのだが、何分、まだ三日前のことなので、報告がてら記しておきたい。
で、三日前に何があったか。UNIチャリティ・フェスティバルをNPOユニ主催で開催したのである。
なにせ、開催すると決めたのが、一ヶ月前というのだから、われながらあきれてしまう。しかも、NPOユニでこんなイベントを主催するなんて初めてのこと。
当日取材に来た毎日新聞の記者に「30団体近くが集まって、ずい分と規模が大きいですが、いつもこのようなイベントを開催しているんですか?」と聞かれたぐらいである。
実は開催すると決めた時は、出演者も講演者も出店者も用意していなかった。だから最初の1、2週間は、内心ヒヤヒヤものであった。あとは開催に向かって、UNIの皆んなで、疾風怒濤の勢いで動いたのだった。

意識の上ではヒヤヒヤものであったが、しかし実は、「大丈夫、うまく行く」という、あちら(何て表現して良いかわからないから、とりあえず“あちら”と呼んでおくが)からの声は、心の深いところで聞いていた。それでも、開催に向けて、あらゆる努力は怠らなかった。
さて当日は、朝からどしゃぶりの雨になった。それで、“どうすんですか、一体!?”なんていう、出店者の方からは電話があった。
それでも僕は、“やりますよー、もちろん!”なんて、100%明るい声で応えたのは、「大丈夫、うまく行く」という内面からの声を聞いており、これに支えられてのことだった。

そして結果は、すべてオーライだった。朝の雨のために館内にも店が出せたし、午後からは晴れて来て、大勢の人が来て下さった。
ライブ演奏の時は、何と太陽の光までさして来て、シチュエーションとしては素晴らしいものになった。仏さまのご加護やアレンジメントは、最後までドラマティックだった。

UNIチャリティフェスティバルの様子

そして翌日は、関西国際空港からフライト。バンコクで一泊した後、ローマ経由で、ベローナにたどり着く。金曜日から行われる、イタリア代替医療全国大会でデモンストレーション等を行うためだ。
こちらでタオサンガの普及に頑張っている、ロリダナとアントニオの助人のためなので友情出演というやつである。
われわれは、走れメロスの気分で、イベントの翌日出発したのだった。写真は、ベローナの湖畔での朝食。

ベローナの湖畔での朝食

 

 

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以下、5月22日に京都国際交流会館で行ったUNIチャリティフェスティバルの写真です。

 

アイリーン・スミス
長年の友人であるアイリーンスミスさんの講演

岡野 弘幹
ー昨年、天河神社で共演した、天空オーケストラの岡野弘幹さんの演奏

遠藤りょうきゅう&lamani
遠藤りょうきゅう&lamaniのライブ演奏

風力発電で遊ぶこども
風力発電で遊ぶこどもたち


会館内 飲食店


会館内 フリーマーケット

自転車発電
自転車発電で音楽を流す

遠藤りょうきゅう&LAMANI ライブ後
ライブが終わってほっと一息

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