‘未分類’

アースキャラバンは、なぜエルサレムに向かうのか?

2016/04/05 Categories: 未分類

僕はパレスチナ人たちの苦しみを思うと胸が痛くてならない。

アースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」の歌詞は、僕がガザ空爆中のパレスチナにいたときに書いたものだ。

ライナーノート「” SHARE!” の歌詞は、人々の涙を吸ったパレスチナの大地で生まれた」http://earthcaravan.jp/share_msc_note.php

だからSHARE!の替え歌では、 「パレスチナよ、自由になれ!」という歌詞で歌う。

この替え歌は、ベツレヘムのコンサートで歌って観客が総立ちだったし、翌朝は、女の子たちが口ずさんでいて、僕はちょっと驚いた。

それほど彼らの日々の苦しみと悲しみ、そして自由と平和への希求は強い。

当たり前だ。一方的に占領され、そして自由を奪われ差別される屈辱の日々なんだもの。

驚くかも知れないが、アラブ人だから、そしてユダヤ教徒でないから、占領者であるイスラエル政府によってパレスチナ人の生活は蹂躙され、差別されている。

宗教が違うという理由(を隠れ蓑にして)で、人生の多くを不自由に生きることを科せられているのだ。

70年前、これとまったく同じ理由でゲットーに入れられたユダヤ人が作った国、イスラエルによって。

         ***

「宗教が理由だってぇー!?   なら、そんなの理由にできないことを証明してやろう!」

1日も早く彼らの苦しみを終わらせたい、という胸の痛くなるような想いから、僕の異宗教融合ソング組曲は生まれた。

 TuuO8zh3wIujFSgPKUZMYyzkVFYBxr_Jk8Tw7WvKnFc-450x337

 <イスラエル軍に路上封鎖され、自分たちの宗教施設であるモスクに行けず、路上礼拝している東エルサレムのパレスチナ人たち>

Desktop31

<40年住んでいた自宅をイスラエル軍によって叩き出され、路上生活を余儀なくされている一家へのボランティア指圧>

そもそもアースキャラバンは、パレスチナの人々の苦しみを取り除きたい、という願い抜きには生まれなかった。

だからこそ、アースキャラバンはエルサレムに向かうし、異宗教融合ソング組曲は、アースキャラバンの大切な柱なのである。

これは実際に中東へ赴いて活動し、同じ人類の同胞であるパレスチナ人の苦しみをまざまざと感じていなくては、理解できないかも知れない。

でもこれを捨てることは、僕にとってパレスチナ人の苦しみへの共感を捨てることなんだ。

だから僕は、異宗教融合ソング組曲を抜きに、アースキャラバンを続けることはできない。

異宗教合同ソング組曲  at  アースキャラバン知恩院

0
Posted in 未分類 |

ヨーロッパ・中東から帰国して(1)

2016/01/10 Categories: 未分類

ヨーロッパ・中東から帰国し、バングラデシュに行くまでは国内でウロウロしていた。

どんな活動をしていたかを一気に書いたみたが、全部一度に掲載するのはやめておくことにした。「なぜ?」と思われるかも知れない。

実はかなり以前、オーストラリア人の女性に言われたことがあったのを思い出したからだ。「あなたの生活って、想像しただけで疲労困憊するわ」って。

要するに、あまりにも忙しく動き回っている、ということを彼女は言いたかったんだろうけど、読者を疲労困憊させるわけのはいかないしなぁ、、、。

よって、数回以上に亘って細切れで投稿することにした。

、、、というのもあるんだけど、バングラデシュ活動記書くのも大変なんで、ちょっと時間かせぎ。なんちゃって。^ ^

*************

    <東京>

帰国してすぐに東京のタオ指圧クラスが2日間あるので、成田着にした。

中東にいるときなんだけど、会ったことのないFBフレンドの人から、会いたい、というメッセージが入った。それで、土曜日のクラス後の念仏会と法話ライブに来て頂いた。

「友遠方より来たるや、また楽しからずや」(だったかな? こんな感じの有名な詩があったな)だから、夕食もみんなで一緒にどうですか、とお誘いしたら、楽しいときを過ごしていただけたようで、良かった!

僕が帰ったあと、夜、センターに泊まられたそうだから、きっと楽しかったのだろう、と推察した次第。(ノリの良い人で良かったなー)

1458594_234565216746349_403280212_n

[後でにあらためて認識したのだが、知子さんは原爆の残り火を韓国まで運んだ内の1人。いろいろ他にもつながっている人がいることが判明]

  ******************************************************

       <京都>

京都に帰り、すぐに音楽のリハーサルを始めた。キリスト教会で平和イベントがあり、その出演予定があったからだ。

帰京した夜には、教会でミーティングと京都新聞の記者さんによる取材で、

記事はこちら→ http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20151126000049

テルアビブの海外テラスでは、地中海の日差しを浴びていた。、、、というのに、気がついたら京都で、温かいお茶が冷えた手にありがたいのが不思議な感じがした。

12312502_141434196221365_1009761882_n-1

 [リハ風景、教会に僧衣では浮いてないかなー]

2e451b43-7bb4-4812-9e73-238c663fcfe1
[バプテスト教会牧師の今野さんと知り合ったのは左側の絹枝さんの紹介だった。彼女との縁もまたドラマティックな話なので、それについては、いずれまた。右はシリアンハンズというNGOのアザさん(京都大学研究生)アースキャラバン京都以来の付き合いである]

12319272_139969016367883_636515594_n

2日後に僕は京都を出発し、広島・長崎の旅に出た。アースキャラバン2016のためである。そしたら長崎で、25年ぶりぐらいで会った人がいた。アメリカ・インディアンの活動家、デニスバンクス。なんとちょうどその時、長崎でイベントをやっていたのだ。

-続きは、長崎から-

 

 

 

 

 

0
Posted in 未分類 |

ヘブロンの劇場でライブ演奏

2015/11/19 Categories: 未分類

11月15日夜

 オマールの家からの帰り道、イスラエル占領軍の検問所を通る。パスポートを出せと兵士が言い、運転手のジョセフが焦って「出して!」と怒鳴るように言う。

images

<写真はネットからのイメージ>*検問所で写真を撮って、ややこしいことになったことが2回ほどあるので。

ムリもない。先日、カバンの中身を見せなかっただけで、17才の女の子が射殺されている。 毎日2人ずつ殺されている、という。すべて近所と言って良いほど、この狭い地域で。

イスラエル政府は高さ8メートルの壁を各地に延々と建てている。そして、イスラエル占領軍による検問所を設け、パレスチナ人の生活全般を困難にしている。

何のために? テロリストを発見逮捕するためという名目。だが、違う。パレスチナ人の生活を困難にするために、だ。(その意図に世界の問題が凝縮されている)

これでは石の1つもぶつけてやりたくなるのはムリもない。しかしその報復は逮捕拘留、催涙弾。最近は耐え切れず、中にはナイフで向かっていく人も出て来たというが、結果射殺される。

一体、誰のせいなのか。本当の敵は誰なのか? 人間の目覚めが待たれる。

11月16日

エルサレムを出発し、ベツレヘムに向かう。ベツレヘム・フェスティバルを主催するホリーランドトラストというキリスト教系の人権団体の実行委員会とミーティングするためだ。

意外だったのが、エリヤスたちが超日本大好きだったことだ。

来年のベツレヘム・フェスでは、大きな日本コーナーを設けて日本文化を紹介したい、と。

 どんなもの? と聞いたら「指圧、着物、お茶、サムライ、寿司(かっぱ巻とか)とのこと。

 なんとサイードは、マントラ瞑想をやりたいとまで言い出した。うん、それなら念仏ヒーリングをやろう。

8月6日は、広島原爆慰霊祭をやろうよ、異宗教合同で。いろんな国の大使も呼ぼう、と話はどんどん盛り上がる。着物を来たくてたまらないというララは、すでに興奮気味であった。

2015-11-16 13.06.49

 <今回、サミーは海外だかどこかに行っているので、エリヤス、ララ、サイードと。日本女性は増山麗奈さん>

次のミーティングは、ベツレヘム大学のマージン教授とである。マージンは、世界中で講演していて、日本にも呼ばれて広島と長崎でも講演している。また奥さんは満州人で、アメリカの大学留学中に知り合った、という。

 パレスチナの環境教育のために特別なガーデンを造っており、案内してくれたのだが、しばらく歩いている内に目がチカチカし、吐き気もして気分が悪くなった。

 何年か前、ビリン村の非暴力抵抗運動のデモに参加し、イスラエル兵の放つ催涙弾を浴びた時の感覚に似ている。マージン教授も、「ダメだこれは、室内に入ろう」と促した。

 中で話を聞いたら、イスラエル兵が住宅地に催涙弾を蒔いている、とのこと。イスラエル軍がパレスチナ人に対して化学物質の入った黄色い液体を放射しているのは知っていたが、催涙弾の中身の物質まで蒔いているというのは知らなかった。

 他のパレスチナ人は、「これに耐えたら健康に良いよ」なんて冗談を飛ばしていたが、そうでも思わなければやってられないだろう。子供達はどうなるんだ!?

2015-11-16 16.43.32 

2015-11-16 15.11.21

 奥さんがお昼を買いに行ってくれたが、数分で行けるところなのにいつまでも帰れない。途中で尋問にあった車があって渋滞したり、検問所があったりと、まったく日々の生活が脅かされている。

2015-11-17 12.24.53

 武器を持たないパレスチナ人と、機関銃を持って武装しているイスラエル兵(そして入植者たち)。

 「テロリストだ!」とニュースで流されている被害者と、「パレスチナ人はテロリストだ」と教育&マスコミによって思い込まされ、すっかりその氣になっているイスラエル兵。(そして世界の人たち)

 日本人だって、つい70年前まではほとんどの人が「鬼畜米英」を本気で信じていただろうけど、、、。教育とマスコミによる洗脳は恐ろしい。

 

11月17日

朝、オマールと2ミーティング。

2015-11-17 10.05.27

来るなりショッキングなことを聞く。彼の近所に住んでいる友人が、昨夜イスラエル軍に殺されたという。明るくてとっても良い奴だった。イスラエル当局に、抵抗運動によって投獄されている友人と通じていると疑われた。

そしてイスラエル軍の一個小隊が、家族の自宅を夜中に襲い、家中をめちゃくちゃにしに来た。それを止めようと、近所の人が一丸となって守ろうとしたが、友人を含めて2人が殺され、11人が重軽傷を負った、という。

それから、いろいろと突っ込んだ話をした。

その後、来年のプログラムについて、アースキャラバンについていろんなアイデアを出し合った。

別れ際には、2人とも泣きそうになり、お互い泣き顔がばれないように顔をそむけ合った。

その後、現在危険地域と言われ、日本大使館にも来ないように言われている、というヘブロンへ向かう。(イスラエル兵が1500人展開しているという話もあった)

しかし、実際に来てみたら何ということはない。日々の生活を営む、世界のどこにでもいる普通の人々がいるだけだ。

僕はパレスチナで恐ろしい思いをしたことはない。それどころか、皆人懐っこく、気前が良く、お茶をごちそうになったりする。むしろ恐ろしいのはイスラエル兵であって、パレスチナ人ではない。

そしてイスラエル兵は、こちらが普通のことをしている限り、外国人に手を出すことはない。(また、外国人が近くにいれば、イスラエル兵によるパレスチナ人への暴力が減るそうだ)

要するに、パレスチナは安全なのである。

パレスチナ人はテロリストというのは、マスコミが流しているデマなのである。原発の放射能が安全だ、健康被害などない、というのと同じように。

いやむしろ、欧米や日本よりもよほど人々に温かみがあって居心地が良い。これは現地に行った誰もが感じることである。

何と言っても、パレスチナで観光客が死んだことは一度もないのだ。(これはパレスチナ観光庁のお役人が言っていたそうだ)

 

ヘブロン LIVE

 今回のイベント会場は、 夏にアースキャラバンで来たとき、8月6日に広島原爆をテーマにした芝居をやった劇場である。

 どうやって知ったのかわからないが、エルサレムにいた時にメールをもらい、広島原爆の残り火を持って、芝居の後に挨拶したのだった。

 その縁で、今回のイベントを取りもった。

劇場では、まずLIVE演奏した。パレスチナの人たちはノリが良いので、ライブは凄く盛り上がった。

 そしてニッキーさんのソロ演奏(これも大盛り上がり)のあと、2人でアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」 を、Be Free Parestine !(パレスチナに自由を!)という歌詞で、みんなで歌った。

 その後、麗奈さんがプロデュースした映画、「サダコの鶴」(SADAKO’s CRANE)を上映。

sadako1-1

2015-11-17 17.40.10

 イベント終了後に後片付けをしていると、「ぜひお話ししたい」とやって来た女性がいた。何でも、ムスリムだけど仏教の大ファンで、内なる平和のために瞑想なりマントラを学びたい、と。バングラデシュに留学していたこともあり、その時にヨガも習ったと言う。

来年に、ベツレヘムでワークショップをやるから、と伝え、その後はメールでやり取りしましょう、ということになった。どうやらパレスチナにも仏教ブームがやって来そうな感じである。

***

ところで 2003年、第一回目のタオ指圧世界大会を2週間に亘ってタイでやった。120人ぐらい参加者がいたが、4人のパレスチナ人を招待した。ヘブロン在住のアクラムもその内の1人で、その後も交流は続いていた。

 今回、連絡したら、スエーデンにいるということで、代わりにアリという友人が来てくれた。彼に頼んで、1週間前にあった衝撃的な事件が起きた病院に連れて行ってもらった。その事件とは、、、。(続く)















0
Posted in , 未分類 |

ヨーロッパから中東へーアリスとタマールー

2015/11/12 Categories: 未分類
洗濯物までしてくれた(涙)オーストリア人の霊感女性アリスが中東に向かう僕を空港まで送ってくれた。
 
アリスは医者でタオ指圧をやっている念仏行者。霊感が強いので、その体験話はとても興味深い。(和田寺タオサンガ発行の「寺がーる」というフリペにインタビュー記事が連載されているので、興味のある人は読んで下さい)
 
世界の裏で操っている勢力の正体について僕が講義(今回のウィーンの)で言わなかったことが何であるかまで言い当て、かつ内容を理解していたのには驚いた。
 
この柔軟さ、ノリの良さ。アリスが僕と一番気が合うのは、何と言っても彼女がチャトランガ大好き人間のところである。
 
アリス
 
 
さて空港に着いたら、以前あった、テルアビブ行きの飛行機の乗客全員に面接尋問というのがなかったので驚いた。
パレスチナの外交官も言っていたそうだけど、イスラエルは評判の悪かった入国の際の鉄壁の構えを緩めたようだ。
 
テルアビブの入国審査でも「どこでワークショップするのか?」、とか「あなた坊さん? そう見えないけどね」と言われたぐらいで、あっさり通された。
 
迎えに来てくれたのは、イスラエルのタオサンガメンバーのタマールである。
 
 (タマールの写真は取り忘れたので、後で追加掲載します)
 
タマールとアリスには微妙に共通点がある。
 
3人の子持ち、旦那は弁護士言わばエリート。(アリスの旦那は医者) 
 
タマールは、大学で数学を教えているぐらいだから、きっとアリスと同じように子供の頃から優等生だったのだろう。
(関係ないけど僕は名誉ある高校中退)
 
そして2人とも念仏には熱心だ。
 
僕はアリスには人生への憂いを、タマールには悲しさを感じる。
 
どちらも霊性の土壌となる大切な肥料である。
 
心が飢えている自分に気づいてこそ、人は物質を超えた世界を求め修行する。
 
いや逆かぁ。
物質を超えた浄土世界を予感するからこそ、人として生きることへの憂いや悲しみをより多く感じるのだ。

 

 

 

 

 

 

0
Posted in , 未分類 |

東京→ウィーン、そして中東へ

2015/11/11 Categories: 未分類

東京で、「氣の悟りータオ指圧&念仏・願望実現ワークショップー」というタイトルのものをやった後、翌日成田に向かいウィーンへ。

こんなテーマでワークショップをやるなど初めてのことなので、始まる前はとっても緊張した。

実は、氣と経絡で症状を取る、というのは願望実現と同じ宇宙のメカニズムが「働いている。それから念仏修行は、願望実現を可能とする気と心を創っているようなもの。

 

それで、タオ指圧&念仏ワークショップというタイトルになったわけ。

「氣の悟り」という副題がついているのは、「そんな、まさか、、、」と思われてしまうので、ちょっと言葉で説明が長くなるので省略。

 

簡単に言えば、実は「悟りというのがどんな素晴らしい体感のものであるかを、誰でもその場で実際に体験できてしまう」メソッドを発見したからなんだけど、、、。(これまでこんな表現は避けていたんだけど、最近はまあいっかという気になったので言ってしまった。へへへ、^ ^;)

 

そんなのをやって、最後はその場で痛みの症状がある3人ほどの人の施術デモンストレーション。数分で「痛みが取れた!」というのを観てもらって、終わりである。

2015-11-05 15.06.01

 

2015-11-06 19.36.47

で、性懲りもなく、ウィーンでも同じテーマで行った。金曜日の夜と土日は一日中である。それでめっちゃ驚いたのは、念仏体験が初めての人が数名いたのにも関わらず(参加者は30人ほど)、全員がとても高度な仏教的体感をその場で体験したからである。

 

ああこれは新しい時代が来たんだな、と思った。

 

そしてここが本当に面白いところなんだけど、僕が教える内容は、最初は西洋人の方が受け入れ易いのである。(表面か深いかは別として)きっと過去の仏教のイメージにとらわれないで済むからだろうなあ。

 

ところで今日から中東。テルアビブでワークショップをやった後、来年のアースキャラバンの準備のためにパレスチナ各地も回る。

 

ヘブロンにも行くことになっているけど、イスラエル軍による主要道路封鎖の可能性もあるかも、とのことで、その場合はえらく時間がかかることになるらしい。

大使館も、今の時期旅行はおススメしない、とのこと。まあそれは来月に行くことになっているバングラデシュだってそうだろう。

 

パレスチナから送られて来る記事で、毎日のように各地で出ている負傷者や死者がいることを知っている。

 

だから、イスラエルのネタニヤフ首相と会談しているオバマ大統がマスコミを通じて一方的に語る、パレスチナ側への一方的な非難を聞くと、まるで与太話だったり作り話に聴こえる。(ノーベル平和賞もらったんだから、ちっとは仕事して欲しい)


もちろん、この目で見ても、あきれるほどそうなんだけどな。

とにかく、ああなんかまた行くことになっちゃった、、、。

 

0
Posted in , 未分類 |

アースキャラバン・テーマ曲”SHARE!”のCD制作にまつわる話

2015/08/27 Categories: 未分類

アースキャラバン準備・テーマ曲篇

あとで振り返ると、「一体、どうしてこんなことができたんだろう?」と思うようなことが、アースキャラバンの準備中によく起こった。

例えば、テーマ曲のCD。

テーマソングがあった方が良いだろう、ということになった。

それで、誰に歌ってもらおうか? と考えていた。そしたら何となく、世界各地の音楽家たちに歌ってもらおう、という話になった。

当てなど全くない。

しかも基本、手弁当やってもらおう、という考え。

にもかかわらず、1、2ヶ月の内にやっちゃおう、と安易に考えてからが、まあ大変。

曲そのものは、以前からできていたが、歌詞は、昨年夏にパレスチナで、イスラエル軍の爆撃で足を失った少年を前にした時の体験をもとに書いた。(話はライナーノートになっている。興味のある方は→ http://www.earthcaravan.jp/share_lnotes.html )

 

中東での準備から帰って来て9月も中旬を過ぎてから、CD作成の準備を始めた。

まずはサンプルを作ろうということで、スタジオでレコーディングした。あとはもう死に物狂いだった。

 

何せCD作成が終わらないことには、広島で動けないのだ。

中東のイベント準備も、手がかりがまったくないところから始めたが、その時点では広島でイベントやる可能性などないに等しかった。

11873390_10152960849506805_5882999528896669624_n

アースキャラバンに、「広島からエルサレムまで」という副題をつけてはみたものの、最初はどちらも当てなどなかったのだ。

 無謀といえば無謀だが、それはテーマ曲のCDを創るというプロジェクトだって、まったく同じだったのだ。

振り返ってみれば、18か国の音源が集まっていく過程の1つ1つには、物語があった。

 

カミーロとの出会い 

例えば、台湾、、、。

311447_10150408279976788_2075483942_n

<カナダ在住のカミーロは台湾出身>

2年と少し前、トロントのタオサンガ・センターのオープニングで出かけたことがあった。

 

セレモニーの合間に控え室で休んでいた時だ。突然、部屋を尋ねて来た人がいた。

モンテリオール在住で台湾出身のカミーロという人だった。

 

タオ指圧を学び、センターで念仏修行もしているようだったが、僕は会うのは初めてだった。

 

カミーロは青黒く深刻な顔で、「悩んでいることがあります。」と話し始めた。悲痛な声だった。

、、、「数年前にモンテリオールの漢方医に”あなたの耳の形では長生きできない。あと数年前だろう”と言われたのです、、、。

 

その時は、聞き飛ばしたのですが、最近、夜眠れないようになり、何だか体調も悪くなって来ました。」さらに話は続いた。

 

「やがて僕は、彼の言う通り自分が死ぬのではないかと思い始めました。今は毎日、心身ともに苦しくて苦しくて仕方がありません。僕は一体どうなってしまったのでしょう? 彼の言う通りの状態になって来てしまいました。僕は死ぬんでしょうか。」と訴え始めた。

 

僕は、いろいろと話を聞いた上で、自分の直感に耳を澄ました。

、、、やがて僕の直感は、彼が死なないことを告げた。

 

しかし万が一、ということもある。

実は僕も、自分が口を開く前に一瞬考えた。その人の言ったことが万が一本当なら、どうしよう?、と。

 

最悪の場合のことだって、考えておかなくてはならない。

僕には覚悟を決めておく必要があった。

 

僕は腹を決めた。もし彼が本格的に病気になった時は、僕はモンテリオールに行こう。そして彼が治るまで彼の家に泊まり込んで、ずっと治療しよう。最悪の場合だって、僕は責任を持とう、と。

 

その上で彼に伝えた。「あなたは死なない。病気にもならない。僕が絶対の保証をする。」、と。

 

すると彼は、泣き出した。「ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、」、と。嗚咽する彼の背中を僕はずっとさすっていた。

カミーロはしばらくすると、「すっかり気持ちが楽になりました」と微笑んだ。そして、部屋を後にした。

 

その後、「夜も眠れるようになり、すっかり体調も良くなりました」とメールをくれた。

 

、、、1年後、そのカミーロに僕は相談した。アースキャラバンのテーマ曲を歌ってくれる台湾のミュージシャンを知らないか、と。

 

そしていろんなやり取りのあげく、彼の子どもの頃の同級生に、グロリアという中学校の音楽の先生がいること。

 

またそこの合唱部は、コンクールに優勝するような子供達であることなどがわかった。

 

unnamed 

<左がグロリア、右が台湾在住のともこさん>

さらに、ちょうどその頃、タオサンガのまさとさん&まひろさんカップルが台湾に行くことにもなっていた。

 

それで、カミーロには歌詞を英語から中国語に翻訳してもらい(もともと歌詞は英語で作っていた)、急遽、そこの子供達に歌ってもらうのを、まさとさんたちに録音してもらうことになった。

 

台湾には、それに合わせてカミーロも行くことになった。

僕は、彼のその心意気に応じななかったら、かっこ悪いな、と思った。

それで僕も台湾に行くことになったのである。飛行機を予約したのは、前々日だった。 

 

台湾では、後ですっごくお世話になることになる、ともこさんと出会ったりなど、いろいろ素晴らしいことがあった。

 しかし台湾のホテルでも、僕は何時間パソコンの前で過ごしていたかわからない。それは、ただひたすらいろんな国へ、テーマ曲の録音と録画依頼のやり取りをしていたのである。、、、

延々と朝早くから、深夜も尚。何時間も何時間も続いた。(そして何日も何日も)

歌ってくれた台湾の子供達の動画。

http://www.earthcaravan.jp/share01.html

<続きは、「アースキャラバンのテーマ曲に、いかにワンダのバージョンが入ったか?」>

追記:.SHARE! のアルバムは、ほとんどがプロのミュージシャンたちの手によって本格的にレコーディングしたもの。

台湾など、そうでないところもあったが、それはそれでとても素朴な良さがあった。最終的には誰に対しても、自信を持ってお勧めすることができる、クオリティーの高いCD作品になったと思う。

e0401_01cd

興味のある方はこちらだが、映像は素人の方が歌っているもの。プロが演奏しているのはCDの方なので、ご注意を!

    ↓

http://www.earthcaravan.jp/share_cd.html

 

0
Posted in , 未分類 |

アースキャラバン準備・中東篇(ブログ再開)

2015/08/21 Categories: 未分類

アースキャラバン2015が終わった。

僕は時間を一年戻し、昨年の夏にパレスチナ入りしたところから、ブログを再開するつもりでいた。なにせ、あそこ(ストップしたところ)からが良いところだったのだ。

ところが、、、、ない。

 

なぜか当時の写真が、サーバー上からすっかり消えてしまっている、、、。

しかも元データを保存しているSDカードは、アースキャラバン広島の立ち上げのために動き回っていたときに、i-pod など他の諸々と一緒に紛失すみ。

、、、ああ無情!

 

いくつか書こうと思っていたことがあったのに!

 

<1>

例えば、だ。

「今からは、イスラエル当局から盗聴されていると思って話して下さい」

そんな言葉を突然聞いたのは、ベツレヘム大学のマージン教授にだった。

imgres

 imgres-1

 <マージン教授・世界各地でパレスチナ問題の講演をしている>

僕らは面食らった。

それはパレスチナで、サミーたちとアースキャラバンについて話し合って、一時間ほどしたときだった。

 

ジョークではない。、、、マジである。恐らく、携帯かパソコンに盗聴を知らせる何らかの信号が入ったの

だろう。まるでスパイ映画のような現実に、僕はとまどった。

 

 

<2>

さて、、、、その他。

イスラエルに残して来たタオ指圧の生徒さんたちのことも書きたかった。

僕は7年前、「苦渋の決断というのは、こういうものだったのか」と思うような体験をした。

 

話があまりにも複雑なので、多くを述べることはできない。

でも、反省のために少しばかり述べてみたい。

 

かつてイスラエル・タオ指圧というものがあった。

そこを運営していた人物のあまりにも大きな問題が発覚し、

僕は、果たしてそれを公表すべきなのかどうか、ずいぶん迷った。

 

まず僕は、人のことを悪く言いたくはない。(反面、好意を持っている人に対して、いくらでもからかったりできるのだが)

 

いくら善意とはいえ、任せていた自分に責任がある。(もっとも、今にして思えば公表すべきであったかな、という想いも、あるにはある)

 

さんざん悩んだ末に、「“遠藤は金取り主義者でヒトラーのような奴だ。本当に悪い人間だとわかったので縁を切った”」と生徒さんたちに伝えて良いから」とその人物に伝えた。

そして僕は、黙ってイスラエル・タオ指圧の生徒前から姿を消したのだった。

 

僕はまあ、何か問題があれば、とにかく自分が悪いことにしておいて、姿を消せばいいか、みたいな手法を取ることが時々ある。

 

本当に縁があるなら、またいつかつながることもあるだろうけど、とりあえず僕は永遠に姿を消したつもりだった。

 

僕としては、二度とイスラエルの地に足を踏み入れるつもりはなかった。トラウマみたいなものにもなっていた。

 

6年前、初めてパレスチナに入ったときも、空港からすぐにパレスチナ側に入り、それは戻るときも同じだった。イスラエルは僕にとって、二度と足を踏み入れるはずのない地だったのだ。

10710601_10152875600350039_6639488478670310434_n

<マガリ>

559825_10151448858027350_1794656602_n

<タマール>

ところが、だ。2年ほど前からイスラエルの元生徒からポツリポツリと連絡が来るようになった、、、。そしてなんと、昨年の夏には、二度とやるはずのなかったテルアビブでのワークショップを行うことにした。

 

もっとも、それを企画してくれたイスラエルの生徒さんたちには大変申し訳ないのだが、実はその時の僕の一番の動機は、とても純粋とは言えないものだった。

 

なぜならワークショップをやる1番の動機は、”アースキャラバンの準備でパレスチナに行くのに、イスラエルの空港で入国拒否されたくない”というものだったからだ。

 

以前のブログでも書いたが、昨年の夏にパレスチナ側に入っていたことが空港でばれて拘束された。その時の記録が当局に残っていて、入国拒否されないかが、僕は心配だったのだ。

 

先に述べた、”今から盗聴されるから”と言われたのも、平和活動家への入国拒否についての問題だった。

 

実は3年前に、マージン教授もかかわったイスラエルのパレスチナ占領に反対する大がかりな平和活動がパレスチナで行われた。

それは封鎖の続くガザに向けて行進するというもので、世界各地の活動家を巻き込んでのものだった。

ニューヨーク在住で、元アウシュビッツの収容者80歳を越えている女性まで参加することを、僕は耳にしていた。

しかしその時も、多くの活動家が空港で入国拒否にあった。

オリバーの知り合いの医師団20人も、パレスチナに医療奉仕に行く予定でテルアビブの空港まで行ったが拒否されて帰って来たそうだ。

 

それでまあ僕としては、テルアビブでする念仏ワークショップの公式のチラシがあれば、保険になるなー、と考えたのである。(ひぇ〜、皆さん動機が不純でごめんなさい!)

 

その時は、ガザ空爆中であったが、ワークショップのチラシを見せなくても無事入国することができた。しかしパレスチナ側に入っていろいろ動いていても、ワークショップを企画してくれた元生徒さんたちには、僕はなかなか会おうとしなかった。

 

何にせよ、僕はおっかなびっくりだったのだ。

先に述べたように、彼らは僕がいかに悪い人間かを聞かされているはずである。

そして僕は黙って姿を消したのだ。

それなのに、なぜ連絡して来たんだ。なぜワークショップなんか企画すんだろう?



僕は混乱していた。

 

そしてワークショップの前日、いつまでも逃げるわけにもいかず、ついに5人と対面したのである。

 

僕は、彼らがどれほど再会を心待ちにしていてくれたかを知り、何だか胸が痛くなった。僕は申し訳なさで一杯になった。この気持ちは、僕にはとてもうまく表現できそうもない。

 

そしてワークショップ。

その当日は、なんと空爆を受けているガザに向けて支援物資を届けるピースバスが出る日と重なってしまった。うぅ、なんという間の悪さ。正直、思わず歯を食いしばって天を仰いだほどだ。

 

まあ今さらそれは良い。

結局、僕とローレンスでワークショップを勤め、オリバーがアースキャラバンを代表してピースバスに乗り、ガザへ支援物資を届けることになった。

imgres

<ピースバスの看板/隣人を愛せよ>

 

、、、とまあ、いろんなことが連日のように満載の日々だった。

でも、これぐらいにしておいて、これでアースキャラバン中東準備篇(昨年夏の続き)は、終わったことにしよう、っと。

最後につけ加えたいことは、再会したイスラエルの元生徒のタマールが、後にイスラエル念仏会を担当するようになり、マガリが、後にアースキャラバン中東の実行委員として大活躍してくれることになった。

、、、、すべてはみほとけのはからいだったか。

南無阿弥陀仏。

0
Posted in , 未分類 |

アメリカから届いた動画は僕を楽しませ、メッセージは心の底から温めてくれた

2015/02/01 Categories: 未分類

アメリカ・和田寺タオサンガ道場のマイルス君に、デボラを通じてクリスマスに帽子を贈ったら、お礼にビデオを送ってくれた。

わおー! 才能のある少年だと思っていたけど、映画監督までやるとは!! まだ会ったことないけど、なんだか同じ魂を感じてしまったぜい。^ ^) 動画→ My Movie 14

miles

<わが友、マイルスくん>

ところで、マイルス君のお母さんのすみこさんから、さらに届いたメッセージは、以下のようなものだった。

——————————————————————————————-

こんにちは。うちの近所にメキシコ人の障碍者のおじさんがいます。

脳卒中になって医者に見離されたのですが、「マイルスが励ましてくれるからがんばる」と一生懸命生きてます。

ものすごい貧困やら、差別やら、従兄弟にうらぎられるやらで大変です。

デボラとは、数ヶ月前のマイルスの誕生日会で知り合いました。

10959441_825511650854448_1698950171470766452_n

<左がメキシコ人のおじさん、中央がマイルスくん、右がデボラ>

それからというもの、デボラがお金を取らずに指圧をして差し上げてたりと、ものすごくものすごく感動的に親切に差し上げています。

カソリックで、週に3回教会にかよっていましたが、神父さんも信者も、特に親切ではないようです。

それで思い切ってタオサンガに誘ってみました。「デボラの先生はね、キリストのお話もするし、だれでもウェルカムなんだよ」って。

とても喜んで、仲間に入りたいっていってます。

働けないし、お金もほとんどないのですが、デボラはもちろん喜んでくれています。

ケブンもテレビやDVDをあげたり、他のデボラの友人も、家具などをくださいました。

デボラが、マイナス40度の日に彼の様子を見に行ってくれたことは、ほんとうにうれしくて涙が出るほど感動しました。

10592995_825511607521119_5326982388819176119_n

<左がすみこさん、マイルスくんの後ろにいるのが、そのおじさん>

ただただ、先生にデボラのやさしさをお伝えしたくてメッセージしてしまいました。

 

ところで、マイルスが制作した、おフランスなビデオは、私も笑っちゃいました。

彼は学校も行かないで、一日中、あーいうことしてます。ハハハ。。

マイルスは、タオサンガの気ワークショップ、ブッダの学校、念仏会、どれも楽しいみたいです。

他のタオサンガメンバーのケブンのお子さんたちとも仲良しです。

あっ、メキシコ人のおじさんのお名前、Jesusでーす。

————————————————————————————————————————————-

、、、嬉しかった。

そして、自分のやってきた道は間違っていなかったんだ、と思えた。

デボラ、僕はあなたを誇りに思うよ。

ありがとう!

10801651_10153473821204989_2303613534796749767_n

<デボラ>

 

 

 

 

 

1
Posted in 未分類 |

この世を背後で支配している人たちについての考察

2014/12/19 Categories: 未分類

ブログ、ちょっと寄り道。

———————————————————————-

この世のシステムを裏で支配している人たちがいる。
彼らは人びとを動かすことでシステムを成立させている。

それによって人が苦しむ。


一見これらのシステムは、国民のためにならない法案を通す政治家が作っているように見える。

また、実行部隊は、会社や行政に見える。

例えば、子どもに毒を食べさせる食品業界、原発を再稼働させる行政官、また電力会社の社員。

ワクチンや抗がん剤が“百害あって一利なし”、と知っていて打たせる医者や、それを販売する製薬会社。

彼らが一見悪いようにも見える。

システムの背後にいて、人びとをそのような行動をさせている者たちがいるのはたしかだ。

しかしシステムが成立しているのは、背後の人たちの力によるものではない。
彼らに力を持たせてているのは、あなたや私のような一般の人たちだ。

それは、「自分の利益になること以外は、他人事とする」生き方に支えられている。( 精神的利益か経済的利益かは問わない)

「責任を持たない」ことをかっこいいこととし、何の得にもならないのに、責任を持って人を世話するなんて、「バカみたいなこと」として、その事に痛痒を感じない生き方、である。

これこそが、人びとに毒を食べさせ、原発を再稼働し、ワクチンを打たせるのである。

言い訳は、「悪いとはわかっているけど、仕事だから」、、、。「責任追及されるとつらいんだけど、、、」。「上に言われたし、、、」。「生活があるから、、、」等々。

立派な言い訳である。

驚くべきことだけど、今一般には「自分の利益とは無関係なことに対しては、当事者感覚を持たないし、責任も感じない」ことが当たり前になっている。

だから、もし仮に世界を変えることに関心を持ったとしても、「わかりましたけど、どうしたら良いですか?」などという言葉が出て来る。

これは、「言われたからやるけど、でも責任はあなたにあるんだから、あなたが決めてね」という意味が言外(無意識)に含まれている。

 

人類を苦しめているシステムを操る人たちにとって、最高の良い子ちゃんたちとは、まさにこの「自分の利益になること以外には、責任を持って行動しない」人たちである。

ときに彼らは、世界の裏のシステムについて文句を言う。
でも、世界を変えようとする活動のために責任を持っては行動しない。

そして、「自分の生き方こそが、この世の背後にある闇のシステムを支えている」という事実に気づいていない。

 

 

0
Posted in 未分類 |

東エルサレムの路上で、僕はそっと涙を流した、、、。

2014/09/03 Categories: 未分類

bXB649_53Ro984iEWacX3tk47qG92jpGUWD30oC-lwQ

 

60a87ddb

<連日空襲されているガザの人々には隠れるところもない、、、>

 

われわれを乗せたシェラート(乗合バス)は、一路エルサレムを目指す。

一体、空襲されているガザの様子はどうなっているのか? 、、、気になる。

 

バスの中でプロジェクトについてオリバーといろいろ話をする。イスラエル政府の批判になえると、オリバーはつい興奮して声が大きくなり、僕はそのたびにヒヤヒヤした。

今われわれは、ガザ空爆を支持する市民が80%もいるイスラエルにいるのだ。そして右翼はどこにでもいる。

 

乾いた大地を疾走したバスは1時間ぐらいでエルサレムに着いた。急いで予約したホテルを探す。

僕たちは、1日目の西エルサレム(イスラエル側)のホテルの予約票を持っていた。スムーズに入国審査を抜けるのに必要だったからだ。

 

ようやく探し当てたホテルに荷物を置くなり、シャワーも浴びずにあわてて飛び出した。約束の時間が迫っていたからだ。

 2日近く眠っていないが(その前も入国できるか不安で、あまり眠れなかった)、心身が興奮気味なのか、疲れは感じなかった。

 問題なく入国できた喜びもあったし、何よりも二人ともキャラバン・プロジェクトの使命感に燃えていたのだ。

 

もっとも、僕らが焦って約束の時間に行っても、結局は30分以上待つことになった。まあ、ちょっとはずっこけたが、これからの活動のことを考えてアドレナリンが上がっていたためか、さして気にならなかった。(2人とも良い性格なのである)

 

ところで、なるべくお昼までに来るように、というお達しの他にも、僕がメールで3回ぐらい受けていたサジェスチョンがあった。それは、投石や火炎瓶が飛んでくる可能性があるから、くれぐれも帽子と走りやすい靴をはいてくるように、というものであった。

yjimage yjimage-1 

 <はたして、帽子でボウシできるのだろうか?>

はて? 石や火炎瓶を防ぐのに、帽子なんて役に立つのだろうか? うーん、、、? 待てよ。これはもしかしたら、「防止」のシャレなのか? ふとそう思ったが、これがマジな話で、会ったときに、あんた帽子は!? と言われるのも困る。(なので、帽子は100円ショップで1つ買って来たぞ)

 

靴はスニーカーを履いて来た。スニーカーを履くなんて、中学校以来である。実は、雪駄(坊さんの履くぞうり)で行こうかな? と思っていたのだが、ちゃんと言いつけを守ったのである。(まあぞうりは、たしかに走りにくいしな)

 

それで思い切って、ナイキを買った。そしたら、これが軽くてななかなか履きごこちがよろしい。(でもナイキのために、インドネシアの子どもたちが低賃金で働かされている、と聞いている。だから、何だか申し訳ない気持ちになった)

 

さて、ようやく現れたM女史、、、。

彼女の話にによると昨夜は東エルサレムで、イスラエル兵とパレスチナ人の間で衝突が起こり、4人が殺され60人以上が負傷したとのことである、、、。痛ましい話だ。彼女は、パレスチナ人の友だちに呼ばれて病院に行っていたので、寝坊しちゃってぇ、、、ということだった。

「帽子持ってくるように、って何度も言ったけど、アタシ自身が帽子忘れちゃって」というM女史。まあまあいいじゃないですか、と鷹揚に返事をする僕。

入国できてハッピーだったから、気にならない。そうか! 自分がハッピーだったら、何ごともあまり気にならないんだな、と、このとき一人納得した。(つまり、相手に腹を立てるのはハッピーでない時、というわけね。)

なぜ、 宗教的な深い悟りを得ている人は腹を立てないのか? (誤解のないように書いておくが、これは僕のことではない)それは、宇宙大霊の歓喜光を受けていて、いつも喜びが湧いているからなんだ、(経典にも歓喜という言葉が随所に出てくる)なんてちょっと思った。

 さて、悟ってない僕らは、イラク人経営のカフェでランチを食べ、水を飲んだ。東エルサレムに入ると、ラマダン中のため水も飲めなくなるからだ。

Z20140705GZ0JPG000602001000

<パレスチナ人の少年が、イスラエルの入植者に生きたまま焼かれ、殺された。そのことに対する抗議行動から、大きな衝突に発展した>

yjimage-2

<殺され、傷つき、逮捕されるパレスチナ人たち>

 

食事が終わった僕たちが連れて行かれたのは、東エルサレムのダマスカス門の近くの広場である。

イスラエル軍が道路封鎖をしていた。このため、イスラム教のパレスチナ人たちはモスクの金曜礼拝に行けない。大勢の人たちが仕方なしに道路に座り、モスクに向かって礼拝している。

 

自分たちのモスクにすら行くことができないでいるパレスチナ人たち。

 

元は自分たちの土地だったものが奪われ、その上で精神的な支柱である信仰行事ですら、自由にできない。

 

その光景は、占領の理不尽さを浮き彫りにしていた。

見ていて、あまりにもつらくなった僕は、柱の影に行ってそっと涙を流した、、、。

TuuO8zh3wIujFSgPKUZMYyzkVFYBxr_Jk8Tw7WvKnFc

<モスクは目の前なのに、イスラエル軍に路上封鎖されていて行けない、、、> 

4trPtj3pfZavfww6X0is-Mhl97TKh6w6FbZu9wCrEYY

<銃を構えるイスラエル兵>

 

 yBnpxfe0uIeiylhkZtwvIAXhf7vx_IJY22kptVyyy0M

<仕方なく路上礼拝をしているパレスチナ人たち>

Dj39JCvPSswnRLv2TILaiUlzE3HQE2tTyVSSIwURGCc

<映画監督の古居みずえさん/ガザに入れる許可が降りるのを待っている、という>

※後日、DAYS JAPAN という雑誌に、彼女がこの四日後に撮影したとされる写真と記事が載っていた。どうやら、無事入れたようだ。(ジャーナリストのみ特別に入れるらしい)

ErA7WqOvNETYhsczcDX_O3GlVwZ86mYolYs0JI8l7F0

<数百メートル先のモスクに向かって祈る、、、>

DrpFsDhkxhRq6-U7e3Mt5LbwyTtm2T-jMdSmaZFq1IU

<見ているのがつらかった、、、>

この後は、劣悪な難民キャンプに行くことになっていた。果たしてラマダン中にボランティア指圧なんかできるのだろうか? M女史には、施術できなくても、来年のために視察だけでも、、、と言われていた。

 

ところが、途中のバスの中で偶然会った人が、なんと、、、、!     <続く>

 

0
Posted in 未分類 |