僕は、かつて正月は、なるべく日本を逃げ出していた。別に、ゲーノー人がやるように、”正月はハワイでね” なんていう優雅なものではない。ただ単に、正月が、キライだったからである。なぜ、正月がキライかって?
僕が思うに、ホームレスの人や孤独な人にとって、正月ほど残酷なものはないのではないか? 以前の正月は、店がすべて閉まり、ホームレスは残飯にありつけなくなった。そんな物理的な死活問題もあった。もっとも今は、状況は異なるかもしれない。しかし、精神的には同じようなものではないか。
寒空の下、温かい布団や寝る家がない人、あるいは物理的な家はあっても、心の居場所がない人にとって、正月とは何か? それは自分とは真逆で、いかにも”わたしたち幸福ですぅ”というような人々を、目の当たりに見る時間でもある。
僕は、人生のつらさを身に滲みている人々の気持を想像することがイヤだった。同時に、そんな人々がいることなど想像もしない、幸福な人々の無関心さもイヤだったのだ。
僕も今では、人間界というところは、どんな暮らしをしていようと、しょせんは五十歩百歩だとわかっている。しかし、かつては、そうではなかった。人々が、いかにも幸福そうに振るまう正月。そのときアマノジャクな僕は、太宰治の「家庭の幸福は、諸悪の根源」という言葉を思い出していたのだ。
でまあ、海外に出るのが大変なときは、茨木市で1月2日から行われていた、念仏修行の会によく出ていた。3日間、一日12時間の念仏三昧に浸る。終わって街に出る頃には、何となく正月も終わっているという具合である。これは、なかなかよろしい。息子の結万が幼い頃にもよく連れていった。導師を勤める年輩の僧侶が喜んで、毎年のようにお年玉をくれたりしていた。
さて、何年か前から、このブログのタイトルである「年越し念仏」を始めた。12月31日の夜9時から、何と1月1日の昼1時まで、センターで念仏三昧を行うのだ。最初の年、京都センターで一人で始めた。これがやがて、年々参加者が増えていき、今では、京都と東京の両センターだけでなく、世界各地でも行われるようになった。
<夜9時、開始前の東京センター>
<京都センター。朝6時に仮眠して、8時に起きてすぐ。(寝てない人もいたけど)以外とみんな元気…。>
<年越しそばを食べているところ>
現在のプログラムは、年越しそばを食べたり、願いを成就する様々なワークまで行う。楽しいので、夜9時に始めても、あっと言う間に昼の1時になる。
昼一時には、年越し念仏をシンクロして行っている世界各地のメンバーと、「Happy New Year !」 と声を交わし合う。パソコンを使ったテレビ電話で、である。その後は、酒やおせち付きの新年会。正月がキライだから始まった年越し念仏会が、こんな風に華開くとは、、、。僕にしてみたら、まったく思いもよらないことだった。
僕は年越し念仏会を、今年初めて東京センターで参加した。そしてワークをリーディングした。
また、日は少しさかのぼるが、12月25日に京都センターで、クリスマスパーティを開催した。日頃、超多忙なサンガの皆さんには、準備で大変な負担をかけてしまったけれど、、、。パーティに友人三人で参加された大学生の内の一人が、「こんな楽しいクリスマスが過ごせるなんって、思ってもみないことでした。本当にありがとうございました!」と、後でメールをくれた。
サンガのパーティは、自分たちの楽しみのためにするのではない。孤独な人が一人でもいなくなるようにという想いが、いつまでも消えることがないからするのだ。そして、そんな想いの仲間たちが行うパーティなら、初めて来た人でもきっと楽しく、また心温かく過ごせるだろう。また、そうあって欲しいと願う。続く