全力疾走中のため、長らくサボっているブログです。じきに春からのできごとを書きたいと思っております。
なにせ、締め切りのある原稿があります。まず、「タオサンガ」 という無料月刊マガジンでのインタビュー記事や、何でも質問箱の回答(身の程知らずにも!)などです。
締め切りはないけど、「和田寺ピープル」という、ほぼ週刊メルマガ(まぐまぐ)の一口法話もあります。
新刊「究極の経絡メソッド」(ヒューマン・ワールド)の出版に向けた作業もあります。(これは、かなりまさとさんやまひろさん等、周囲のメンバーおんぶししてもらっていますが)
だから、フェイスブックなんかは見ずに、このブログだけをご覧頂いている方からは、“あいつは、どこかに逃亡したのでは?”などと思われていたかもですねー。ふふふ。
サボってばかりで申し訳ないので、メルマガに掲載される一口法話をここに載せちゃいます。メルマガ「和田寺ピープル」の編集者麻呂さん、申し訳のうござんす。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一口法話
仏教では我を捨てることを説きます。
しかしそれは、形ある何かに対してではありません。
形あるもののために我を捨てるのは、完全な間違いだし、それは、
危険なことです。
形あるものとは何でしょう? それは国家だとか、団体だとか、
教祖などです。
そもそも、形ある対象に我を捨てるのは、
なぜならそれは、崇拝する何らかの対象に、
これでは、人は本当の意味では幸せになれません。
仏教で無我を説くのは、あくまでも形なき法や、
形なき大霊に対して我を捨てることで、幸福の源泉である、
グルにはまるのは恋愛みたいなものだから、とやかくいう気はあり
ません。
でも僕は、グル的な崇拝対象に従う人を見るたびに、”
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
解説は、またあらためて書きたいと思います。下記は、5月の連休に主催したチャリティ フェスのフォトギャラリー