2013/06/07 Categories: 未分類

全力疾走中のため、長らくサボっているブログです。じきに春からのできごとを書きたいと思っております。

なにせ、締め切りのある原稿があります。まず、「タオサンガ」 という無料月刊マガジンでのインタビュー記事や、何でも質問箱の回答(身の程知らずにも!)などです。

締め切りはないけど、「和田寺ピープル」という、ほぼ週刊メルマガ(まぐまぐ)の一口法話もあります。

新刊「究極の経絡メソッド」(ヒューマン・ワールド)の出版に向けた作業もあります。(これは、かなりまさとさんやまひろさん等、周囲のメンバーおんぶししてもらっていますが)

だから、フェイスブックなんかは見ずに、このブログだけをご覧頂いている方からは、“あいつは、どこかに逃亡したのでは?”などと思われていたかもですねー。ふふふ。

サボってばかりで申し訳ないので、メルマガに掲載される一口法話をここに載せちゃいます。メルマガ「和田寺ピープル」の編集者麻呂さん、申し訳のうござんす。

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一口法話

仏教では我を捨てることを説きます。

しかしそれは、形ある何かに対してではありません。

形あるもののために我を捨てるのは、完全な間違いだし、それは、とても
危険なことです。

形あるものとは何でしょう? それは国家だとか、団体だとか、
教祖などです。

そもそも、形ある対象に我を捨てるのは、たましいにおける自殺行為です。

なぜならそれは、崇拝する何らかの対象に、自分の我を投影しているに過ぎないからです。

これでは、人は本当の意味では幸せになれません。

仏教で無我を説くのは、あくまでも形なき法や、宇宙大霊に対してです。

形なき大霊に対して我を捨てることで、幸福の源泉である、大霊が自らに宿るのです。

グルにはまるのは恋愛みたいなものだから、とやかくいう気はあり
ません。

でも僕は、グル的な崇拝対象に従う人を見るたびに、”本当の意味で幸せになる道を選んで欲しいなあ”、ついそう思ってしまいます、、、。

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解説は、またあらためて書きたいと思います。下記は、5月の連休に主催したチャリティ フェスのフォトギャラリー