シェイク・ジャラ、、、。
5年前にパレスチナを旅した時、僕とローレンスがある家族にボランティア指圧をしていた所である。
その家族は、40年間住んでいた家をイスラエル政府に一方的に取り上げられ、マットレスと共に路上に放り出されていた。
このように、イスラエル政府によって不当に追い立てられていくパレスチナ人の家族は後を絶たない。
一方では、当然これに反対する、パレスチナ、イスラエル、国際活動家たちが集まった。
そして一時期この家族は、米国務長官のヒラリーが国連で言及するなど、国際的な注目を集めていたほどであった。
さて、僕とオリバーは予定していたビリン村のデモには行かず、シェイクジャラで毎週行われているという4時からのデモに、M女史に連れられて駆けつけたのだった。
行ってみたら、それは20数名〜ほどの小さなデモだった。
あれっ?
ビリン村のデモに前回行ったときは、パレスチナ人、海外支援者、イスラエル人で合わせて数百人はいるのではないか、と思われるほどの規模だった。だから、少し拍子抜けした。だが、後で聞くと以前は500人が集まるほど大きなものだったらしい。
デモの大きい小さいは、まあいい。僕らの目的は、仲間探しだったから、問題はデモの規模ではなく”縁”だった。僕とオリバーは2人で手分けして、デモに参加している活動家にキャラバンの話をして回った。
その中の1人に、翌日にはテルアビブで大きなデモが計画されているということを聞いた。僕は即座に、「それに僕らも行くよ!」と言った。
デモのリーダー的存在であるサラとベレという2人の女性活動家たちが、キャラバンの話に興味を話を持ち、熱心に話を聞いてくれた。僕は、彼らならキャバンの中東プロジェクトを一緒にできるのではないか、と思った。
その後も僕らは、熱心にいろんな人にキャラバンの計画について説いて回った。
<旗を持っているのがパレスチナ人のリーダー。このデモを続けているためだろうが、7ヶ月間とか刑務所に入れられることになったと聞いた>
<「今のイスラエル政府がパレスチナ人にやっていることは、かつてナチスがユダヤ人にやっていたことと同じ」。そういって僕たちを驚かせたイスラエル人活動家のベレ>
ミサイルが飛来するこんな時期に、遠く日本やヨーロッパから来た、能天気で熱い連中と思われたのかも知れないなと、ふと僕はそう思った。(「こんな時によくまあ来たね!」というのは、その後も何度か僕らが耳にしたセリフだった)
デモが終わった後は、東エルサレムまで戻り、ドキュメンタリー映画作家の古居みずえさんと合流して食事した。エルサレム旧市街を少しうろつき、イエスが処刑されたゴルゴダというところの前で座っていると、もう頭を上げていられないほどの眠気に襲われた。
<イエスが処刑されたゴルゴダの丘の跡地>
<旧市街(パレスチナ側)の雰囲気が僕は大好きである>
<迷路のようである>
<“ラマダンが終わったんだ。食べて来なよ!”と誘われる>
<ダマスカス門は美しい>
<常にパレスチナ人を監視するイスラエル兵>
顔を上げていられないほど眠くなったのも無理はない。緊張し切った状態でタイの空港に行ってから、一睡もせずにすでに数十時間は経っている。入国してすぐ僕らは追い立てられるように、あっちこっちを動いて、今やっと座ったような状態だ。
安息日(金曜日)のため、もう市電の最終も終わっていた。僕らは、ずーっと歩いてやっとホテルへ戻ってきた。ああ、やっと休息が取れる。
先ほど「明日、テルアビブのデモで会おう!」 と言って、サラとベレと別れた。
実は、翌日デモで出会ったサラは、意外なことを言って、僕らを驚かせた。その意外なことというのは、、、。