(1)
入国できたんだ、、、、。
ちょっとまだ、信じられないような気持ちだった、、、。
だから入国ゲートをくぐった時は、まるで白昼夢でも見ているようだった。
果たして、オリバーはどうしたのか? と、携帯を開きオリバーに電話する。
おお! なんと、つながるではないか!
「オリバー! 一体今どこにいるの!!?」、「うん、テルアビブ」。えーっ、信じられない!
「イランの家から、あと30分で空港に着くから待ってて」。うひゃー!
<お互い入国を果たし、満面の笑みで再開!>
<エルサレム直行乗り合いバスは、正確に行く先を伝えないとならないので、ドライバーに場所を説明する>
<バスが出るまで、路上でオリバーが持って来てくれた朝ご飯を食べる。オリバーはなかなか用意の良い男である>
これはずいぶん後になって気づいたのだが、どうやら僕もオリバーも、能天気でがむしゃらな楽天家のようだ。(タオサンガの特徴かも)
とにかくパレスチナの自由と中東平和を願う人ならば、どんな人でも、ひたすら会っていこうと思っていた。
誠意を持って話をすれば、必ずキャラバン・プロジェクトの道は開ける。2人とも、そう信じてまるで疑わない。だから、どんな縁でも話があれば、つながろうとしていたのだ。
(2)
僕には、オーストラリアにアランという心の友がいる。ガレージセールから始めて、海外にいくつか支店を持つほどの企業にした人だ。
僕が彼に、「次はこんなことをやるよ」と知らせると、いつも彼に「あなたの楽天性は素晴らしい!」と言われる。
??? 僕は彼の言っている意味がよくわからなかった。
だが今回の自分らの無鉄砲さ、がむしゃらさ、そして誠意をもってやれば必ず実現する、と信じて疑わない能天気さ、、、。
それらを考えると、“なるほどな〜。アランが言っていたのはそういう意味だったのか、、、”とやっと理解できた気がした。
でもな、アラン。他にどんな方法があるっていうんだよ。^ ^)/
(3)
この日、日本人活動家のM女史には、いくつかコーディネートしてもらうことになっていた。
-今日の予定リスト-
1. 東エルサレムの難民キャンプ訪問
ラマダン中だが、可能ならばボランティア施術する。また来年のキャラバンで、タオ指圧のメンバーがグループで施術する前準備としての視察。
※ラマダンというのは、イスラム教徒の習慣。炎天下でも、1ヶ月間日の出から日の入りまで、一切の食べ物飲み物を口にしない。貧しい人の気持ちを理解するためだそうだ。
2. 活動家が先生をやっている小学校でのワークショップの打ち合わせ
教育関係者とはぜひともつながりたかった。
というのは、世界への夢を子どもたちに語ってもらったり、絵を描いてもらったりして、キャラバンのサイト載せたかったからだ。
またイスラエルの別の学校で、碁の授業をやったという話を聞いた。それで僕は、GAMEチャリティックスの大会を、イスラエルとパレスチナの小学生合同でやるという夢を持つようにも、なっていた。
3. 合同デモへの参加
占領反対、パレスチナ人の人権を守れ! のデモ。パレスチナ人 / イスラエル人活動家合同。
場所はシェイク・ジャラというところで、この地区にある多くのパレスチナ人家屋が、イスラエル政府によって破壊されたり追い出されたりしている。
前回のパレスチナ訪問の際も、40年住んでいた家から追い出されて路上生活を強いられていた家族のところに通った。そしてローレンスと2人でボランティア指圧をやっていた。http://endo-ryokyu.com/past_blog/?p=428
この合同デモで活動家たちとつながり、来年のキャラバンの話を持ちかけるんだ。
ところで毎週金曜日は、有名なビリン村でデモのある日だった。
ビリンは村を上げて非暴力抵抗運動を行っており、そこにはインターナショナルな活動家も、イスラエル人活動家もやってくる。
オスカーにノミネートされた「五つの壊れたカメラ」も、ビリン村を描いたドキュメンタリー映画。
そこの写真家や村のリーダーともつながりがあるので、最初はビリンに行くつもりだった。しかしせっかく頂いたご縁だ。僕は、シェイクジャラのデモに参加することにした。
<ビリン村の写真家 ハイサム>
<彼は、すごく良い写真を撮る>
(4)
さあ! 1日遅れの入国なので、空港から直接、エルサレムに向かう必要がある。
M女史からは、いろいろスケジュールがあるから、遅くとも12時までにはエルサレムのダマスカス門まで来るように、というお達しを何度も受けていた。
やばい、急がねば!
苦労の果てに、やっとたどり着いたのだが、文句は言えない。早々に僕はけっこう焦っていた。
果たして間に合うのか?