2012/02/09 Categories:

 4年前からNPOユニが運営を始めたのが、クルスクル/ユニ小学校だ。以前は、ワールドビジョンという世界的に有名なNGO団体が、10年ほど運営していた。

 しかし、支援を打ち切り先生たちの給料がストップ。先生たちは、他へアルバイトに行き、永らく閉鎖されていた学校だ。

 ”何だよワールドビジョン、そんなつれないことするのかよー”と、ぶつぶつ言いながら、NPOユニで再開した。(大きな団体の支援は、期限付きということらしい。大きな団体には、つい無意味な対抗意識を持つところが、僕の大人げないところである。もしかしたら、教室を建設したのはワールドビジョンかも知れないのに、、、)

 学校の再開とはいえ、机や椅子、その他、黒板などの備品もすべてユニで揃え、雨漏りする屋根の修理をした。そして5人の先生たち(現在は4人)の給料を払っている。

 午前中、まずはこの小学校の様子を見に行く。年代ものの三輪ミゼットタクシーに、三人で乗り込む。三輪は、アクロバット的なゴーカートの動きをしながら、海の見える田園風景の極細の小道を疾走する。”よく車が倒れないなぁ”と感心するやら、ひゃひやするやら。写真を撮る余裕はあまりない。

 

<田園風景を疾走する>

 

<車が傾斜して、水面が迫る。あわや!>

 

しばし走った後、ようやくクルスクル村のラカイン仏教寺院に着く。隣にあるのがユニ小学校だ。

 

<授業参観>

 

<つい、カメラが気になってしまうみたいだった>

 

<英語の先生/ラカイン語を教える校長先生>

 

 子供たちの授業風景を参観し、その後、先生たちとミーティングした。僕はPTAを作ることを提案する。
 僕が語ったのは、将来は、より多くのラカインの村の小学校を再開させるつもりであること。(全部で17あるが、現在、開校しているのは3つ。しかし、すべての小学校を開校させるための「秘策」は、すでに練ってある。ふふふ)

 そうなったら、コックスバザールのタオサンガセンターに、PTAの代表が先生方の給料を取りに来るためなどで定期的に集って欲しい。そうして、いろいろな村の代表と交流して欲しい旨を話した。彼らも乗り気になった。

 実はそれは、すべてのラカインの村でネットワークを結んでいくという、ユニの構想を実現するためである。
 あるいは、各国のユニから、定期的にリサイクル品や英語の本、教材などをを、コックスバザールのタオサンガセンターに送る。そしてそれを、各村のPTAの代表が定期的に取りに来る、ということでもいいかな、と思っている。(でも、これの実現は、まだ先だろうから、今の段階では黙っていることにした)

 小学校の視察が終わったところで、ラジョーさんにこれからどうしますか? と言ったら、一度家に帰ってお昼を食べに帰りましょう、という。

 しかし僕らは、”仏教協会が言っていた教育センターの村は、ここから30分ほど行った先、というじゃない。だったら、今からそこに調査に行っちゃおうよ、ラジョーさん” と提案。それで、そこに行くことになったのだが、結局、さらに三つの村を巡ることになった。

 まずは、再び三輪に乗り込み、その後、小舟に乗って海を亘る。ヤギやら羊やら、オートバイやら、いろいろと乗り込んでいる。少年が船頭のアシスタントだ。

 

<えいや!と舟に乗り込む>

 

<オートバイまで乗り込んで来る>

 

 さて、30分先の別の村に着いら、すでに、僕らのことを村の人が待っていてくれたのだが、”仏教協会で協会で支援して欲しいと言っている教育センターってどこですか?”と聞いてもあまり要領を得ない。”これから建物も作らなきゃならないし、、、”とか言って、何だかわけのわからない話になってる。

 

<政府系の学校>

 

 でも、”僕らは見に来たなんだから、とにかく、その教育センターらしいところに連れて行って下さいよ”と半ば強引に連れて行ってもらった。それで行ってみて、ようやく話が見えて来た。

 ようするに、”仏教協会で3人の先生の手当の支援を要請したいだけど、、、”と言っていたのは、”3つの村に1人ずつ、ラカイン教育の先生を配置したいから、それを支援して欲しい”ということだったのだ。

 1つ目のラカイン村には、バングラデッシュ政府系の学校があった。そして、「その一角にある小さな建物を、ラカイン教育センターに」ということだった。

 というのは、子供たちにラカイン語などを教えないと、ラカイン文化が途絶えてしまう。また、政府系の学校だけでは、ラカイン村の子供が高等学校に進むことが難しいのだ。そんな、バングラデッシュの教育システムの問題もあるのである。

  ”では次へ”と、その後、他の2つの村のラカイン教育センターにも巡って行った。各村の人に挨拶し、説明も聞かせてもらった。ユニで検討することを約束する。

 

<各村で話を聞いて巡る>

 

<青空教室を予定している村もある>

 

<どこの村でも、仏教は大切にしている>

 

<村々は人力車で巡る>

 

 その後の3人のミーティングで、ラジョーさんが後日、各村すべてを再調査することになった。ラジョーさんは先生の候補者とも会い、村の委員会とも話し合い、支援を始めてもちゃんと子供たちの教育という使命を全うするかを、克明にチェックするという。

 僕がそこで感じたのは、ラジョーさんは、自分が責任を持って、単なる支援の垂れ流しにならないようにしているのだ、ということである。

 彼は、ちゃんと責任感をもって、真剣にユニの支援活動を展開しているのだった。ラジョーさんのようなスタッフを持って、ユニは本当にラッキーだと僕は思った。

 さて、その後再び、船に乗り込むが、いくら待っても出航しない。どうしたんだ? と思ったら、船頭さんが弁当を食べているからということだった。そういえば、お昼どきはずいぶんと過ぎているけど、バングラデッシュではご飯が遅いからなあ。一般の夕食は夜10時だそうである

 


<優等生の兄とワルガキの弟か? 船頭のアシスタントは兄だが、僕は弟の目が気に入ったぜい>

 

 待ちくたびれて見に行ったら、カレーやダル(豆スープ)にご飯、チャパティなどで、なかなか美味そうでである。昼飯抜きの僕らは、指をくわえて待っているしかなかった。

 

<船頭と息子たちが弁当を食べている。美味そうだった〜>

 

 ようやく出航して対岸に着いた後は、再びアクロバットのゴーカートが待っていた。途中、車から降りて、車を押すという一幕もあった。そしてやっと帰りついて、昼めしにありついたのが3時前だった。

 夜は僕らで、たまには夕食にベンガル料理を食べに、レストランに行かないか、とラジョーさんを誘った。(昼間見た弁当、ウ美味そうだったしー)そうしたら、初めて奥さんも連れて来た。そして、4人でタクシーに乗ってレストランに出かけた。

 なかなか豪華な料理である。おかげで初めて奥さんとも少し話をすることができた。タクシー代を出してもらっていたので、食事の支払いは僕らがするつもりでいたが、ラジョーさんは”僕に払わして下さい”と言って、断固として僕らには払わせなかった。

 

<昼間見た弁当に刺激されて、ベンガル料理を食べに行く>

 

 夕食後は、仏教協会の中で、ユニとラジョーさんに味方してくれそうな人を、ラジョーさんが家での酒席に招待したそうだ。僕がおみやげに、バンコクの空港免税店で買って来たウイスキーで、彼らを接待するという。

 そうか、ラジョーさんもいろいろと気を遣って大変だな。僕らも酒席に参加して、一緒に飲んで盛り上がる。何ごとも、根回しである。

 ラジョーさんには、”日本のお寺を回るジャパンツアーができないですかねぇ。みんな雑魚寝でも大丈夫だし。ラカインでお金のある人が10人以上は集まると思うんだけど”と、相談されている。

 面白そうなので、何とか実現したいと思っている。酒席に、ヤンマージーゼルの会社の研修で日本に行った人がいたので、日本ツアーの話なんかで盛り上がった一席であった。

 明日は、ユニが支援している、ミャンマー国境近くのチョドリバラ小学校に行く予定だ。同席の2人も、一緒に行く、と盛り上がっている。

 その内の1人の家は、そこからさらに30分ほど行った国境の村である。彼に、”ぜひそこまで来て欲しい。家でお昼をごちそうしたいから。” と誘われ、ありがたく申し出を受けることにした。

 こうして、明日は5、6人で出かけることになり、あとはラジョーさんとまゆさんに任せて退席した。微熱が抜けたばかりなのに、酔っぱらってしまったんで。続く