この学校のあるチョドリバラ村は、ラジョーさんの奥さんの出身地でもある。そしてユニは、この老僧の心意気に応じて、さらなる支援をするようになった。
支援を始めたのが4年前。2年前には老僧に、“私が死んだ後も、子供たちをどうかよろしく”と言われて、引き続きの支援を堅く約束している。
話は変わるが、ミャンマーの自由化運動に身を投じた学生活動家たちは軍事政権に追われ、バングラデッシュ国境のジャングルに逃げ込んだ。ラジョーさんのことを先日のブログで、僕はお坊ちゃまと称した。しかし本人は言わないが、彼はかつて、この国境近くのジャングルで、活動家たちを支援していたのだ。お坊ちゃまとはいえ、なかなか根性がある人なのである。
さて、この小学校に行くため、総勢6人で朝から出かけた。しかし、出発したとたん車がエンスト。街角で、しばらく立ち往生することになった。
<道で見たポスター。空中浮遊の尊師は、どこにでもいるらしい>
走れば車で2時間半の距離とは言うが、これはバングラデッシュ的表現で、不動産屋の「駅から徒歩15分」みたいなものだろう。なんせ、いつ行っても“遠いなあー”と思う。時計みないから実際にどれくらいかかっているのかはわからないが、まだか〜?、と思うのを諦めた頃にやっと着くのである。
さて、ようやく昼前に到着し、子供たちのお出迎えを受ける。老僧に案内されて教室へ行き、みんなに話をして欲しいと言われて話した。
<出迎えてくれた>
<教室に向かう>
「皆さんはラカインの未来です。そして皆さんの未来を明るくするのは、お互いを思い遣る心と行動です。皆さんがこの学校で、“すべてのラカインの人々の明るい未来のために”という気持で学んでくれたら、老僧もラジョーさんも、そして僕たちも嬉しい」。
この後、日本からもって来た鉛筆なんかを配った。老僧からは、夜クラスも始めたいので、先生をもう1人増やしたい、と相談された。これは、ラカインUNIが検討して決めることになる。
<老僧のお話>
<教室の風景>
<賢そうな子>
その後、30分かけて国境の町まで行き、昨夜招待してくれた人の家に案内され、昼食をごちそうになる。魚料理や、今やめったに飲めないミャンマービールなど、いろいろと出して歓待してくれた。
<ミャンマービール>
<ごちそうが並ぶ>
<写真/家の中を案内してくれる>
昼食後は、町を散策。
<街の様子>
<ラカインの家も数件ある>
<子供の背中が語りかけるもの>
午後遅くなってから、帰りの車に乗る。再び乗ること2時間半?(多分、もっとだろうなぁ)。夕方、暗くなる前に、ようやく帰りついた。
明日はダッカに移動しなければならない。夕食後は、荷造り。しかし少しでもプロジェクトを進めたい僕たちは、夜9時頃、近所の女医さんに会いに行く。ラカインの学生や女性たちを支援するNGOを主催している人だ。まゆさんの発案で、ラカインUNIの委員の一人になって欲しいという話をするためである。
女医さんとは、夜の診療の合間に会った。お互いの活動について話し合う。そして、ラカインUNIの委員会参加を受諾してもらった。
<診療所>
<女医さんと>
その後、ラジョーさん、まゆさんん、僕の3人で最後の夜のミーティング。ラジョーさん、僕たちが明日帰るのが、何だか寂しそうだなぁ、、、。続く