2014/06/09 Categories:

第二次世界大戦当時、ヨーロッパには多くの強制収容所があった。その跡地の多くは記念館として残されているが、ウィーン近郊にもある。タオサンガで計画している来年のピースキャラバンで、法要を行う予定の場所である。

今日は、そこを訪ねた。英語のガイド付きである。ただし寒い! 雨も降っている。まあ寒さに震えるのは、当時に収容者の気持ちに、1億分の1でも近くて良いのかも知れない、と思った。

運営していたのはナチ親衛隊、悪名高きSSである。当時の収容人数は20万人で、10万人が亡くなったという。収容されていたのは、ユダヤ人だけではない。一般の凶悪犯罪者もいた。

また共産党員、政治犯、ジプシー、障害者など、いわゆるナチの教義では、社会人不適格者の烙印を押された人たち。その他、ロシア兵など、諸国の軍事捕虜も収容されていた。

広大な施設ではあるが、小学校の教室みたいなところに詰め込まれていた人数を聞いて驚いた。何と1000人である。半端な数ではない。狭いベッドに2人で寝かされていた。また、床で寝ていた人も多かったそうだ。

 

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<収容所の入り口に向かう、タオサンガ一行>

 

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<ガイドの女性から説明を受けながら周る>

 

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<ユダヤ教を象徴する燭台の形をしたオブジェ>

 

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<手前はアリス。寒く雨も降っていた。帽子をかぶっている>

 

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<収容所の中>

 

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<監視人用の入り口でも狭い>

 

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<この部屋に1000人が詰め込まれていた、というから驚きである>

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<狭いベッドに2人が寝かされていた>

 

ここは、すべてが当時のまま残されている。オーストリアの中高校生は、授業の一環として、必ず一回は見学に訪れることになっているそうだ。

この記念館(というか記念施設)ができたのは、大戦終了後のわずか3年後だという。

雨の降る寒い中を、薄着で3時間ほどガイドの女性につれられて歩き回った。(途中、アリスが防寒着を車から取って来てくれた)しかし時間がたつに連れ、やがて僕の中に、ある疑問が芽生えて来た、、、。

 <続く>