<前回の続き>
収容されていたのは、ユダヤ人だけではない。ナチに反対したドイツ人やオーストリア人などや共産党員などもいた。当時の政治犯もいたし、殺人事件を起こした犯罪者もいた。戦争で捕虜になった人や、何の罪もないのに、ナチによって社会不適格者の烙印を押された人たちもいた。
それにも関わらず、記念館には、ユダヤ人強制収容所のイメージがどこまでもつきまとっていた。それは、ハリウッド映画で観た、ユダヤ人強制収容所のイメージそのままなのだ。
もちろん悲惨であることに変わりはない。しかし、広島の原爆ドームと訴えているものが、どこか違うのだ。
というのは、原爆ドームのように平和への願いや戦争をすること自体の否定よりも、むしろ「てめーら忘れるなよ」。「はい、忘れません、、、」という感じ。そんな無言のやりとりが為されているような気がしてならなかったのだ。
実際まあそうだろう。ドイツ人やオーストリア人はうなだれ、ユダヤ人や戦勝国は、「オレたち忘れないからな」状態になる。
<ガイドの説明は続く。ここは人が縛られて長時間立たされていたところ>
<沈痛な顔で説明を聞くアルフレッドとウィーン在住のトシさん>
<シャワー室。といっても冷水をかける拷問の道具にもなったそうだ。右はイスラエルから来た訪問者>
<柱にヘブライ語で「復讐」と落書きされている>
<遺体焼却場>
<ガイドの説明は尚続く。このときのイスラエルからの訪問者は、ガイドの話をろくに聞いていなかったので、”失礼な奴!”と僕はちょっとムッとしたが、、、>
<収容者、全員の名前を刻んでいる。「殺人犯の名前も刻んであるんですか?」という僕の問いに、ガイドの女性は、「そうです」と。悪いことではないが、イスラエルにあるホロコースト記念館とまるで同じなので、僕は???>
<ガス室。もちろんここは、、、。ところでオーストリアでも近年、ヘイトスピーチが盛んで、「トルコ人はガス室へ」という落書きがこの収容者の塀にしてあって、ニュースで大問題になったそうだ。パレスチナの分離壁にも、「アラブ人はガス室へ」というイスラエル側からの落書きがあったのを思い出した。僕は、”てめーが行けよな!”と返事を出したいぜい。もっともヘイトスピーチは、裏で政治的な意図をもって操っている奴がいて、それに踊らされている困ったちゃんたちが、少しはいるという構図だと思う。だから収容所の落書きも、裏で誰かがやらせているのかも知れない>
<絞首台、、、。>
収容所記念館の建設には、政治的意図があったのではないか? という疑問が僕にもたげて来たのは、これが作られたのが、戦後わずか3年と聞いてからだった。
戦後の荒廃した状況の中で、食べ物さえまともに供給できなかったときに、なんでまた? 敗戦国であるオーストリアのどこにそんなものを造る余裕があったというんだ!? 一体、そのお金はどこから出て来たんだ?
そんな疑問が湧いて来て、「記念館を作るお金を出したのは?」とアリスに聞いたら、「アメリカのユダヤ人協会でしょう。」との返事、、、。
そもそも、強制収容所の跡地なんて、ドイツの一部だったオーストリアにとっては、恥の象徴みたいなものである。(も し、そういう建造物を作るのが当たり前だったら、先住民族虐殺記念館が、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドにできていなければならな い。)言わば、南京虐殺記念館※を、日本が自ら率先して作ったようなものだ。自国の恥をさらすようなものを率先して作る国があるはずないではないか?
※ 日本軍によって30万人が虐殺されたとされる南京事件だが、歴史的照査に関しては、9. 11のように疑問点が多い。(一例として上げると、国際委員会の活動記録で南京陥落時の人口は20万で、翌月には25万人に増えている)
中国には南京虐殺記念館があるが、こ れが作られる経緯には、反日教育によって国民の意志をまとめるという政治目的があったのではないか?とも思う。
9.11によってブッシュはテロとの戦いを宣言し、国民を自由に拘束できる法案などを可決させた。ブッシュはこの時、自らを十字軍に例えたが、これは人々にアンチ・イスラムの イメージを刷り込むためだろう。
これはまさにナチによる反ユダヤ・キャンペーンと同じ手法である。おそらく彼は、敵を作ることが人々を思い通りに動かすのに、最も都合が良い方法だと思ったのだろう。
さて話は戻るが、そもそもここはユダヤ人強制収容所ではない。いわば網走刑務所のような収容施設だ。そこを記念館とした。そして「ユダヤ人強制収容所」というイメージで誰もが見に行っている。僕には、その不自然さが、どうしても否めない感じがした。
だからか、収容所の中にヘブライ語で、「復讐!」と落書きがしてあった。おそらくイスラエルからの訪問者が書いたものだろう。
おいおい、これは歴史的展示物だろう。落書きなんかしちゃって良いのかね? と思いながら、僕はうんざりするような気持ちだった。
だって、収容所を作ったのも人間だし、入っていたのも人間だろうが。一体、誰が誰に復讐するっていうだよ。人間が人間に復讐するのかよ? まったくもう!
この収容所記念館は、もしかしたら政治的意図があって作られたものではないのだろうか? 僕はふとそう思ったのだ。たとえば日本政府は、中国から教科書問題を出されるたびに、まるでパシリのように中国にお金を出し続けたが、ヨーロッパ人もまた、過 去のユダヤ人への罪悪感があって、イスラエルがパレスチナをいじめ続けるのを横目で見ながらも強いことが言えない。
ヨーロッパは昔から、キリスト教会が 率先してユダヤ人を迫害して来た歴史がある。大戦中もバチカンは、ナチのユダヤ人虐殺を知りながら見て見ぬふりをしていたのである。
ホロコーストの結果、あるいは強制収容所を見せつけた結果(なのかどうかはわからないが)、西欧の支援を受けてイスラエルは建国された。そしてナクバ(注)が起こり、多 くのパレスチナ人が殺されたり難民となったりした。
そして今もなお、占領と空爆その他で苦しんでいる。パレスチナ自体が大きな収容所みたいなものになって いるのである。しかしマスコミは、あたかもパレスチナが独立国でイスラエルと対立しているというイメージを人々に刷り込んでいる。
※ナクバとは、アラビア語で「大惨事」という意味。だが今では、イスラエル建国によって80万人〜100万人のパレスチナ人が家を追われて難民になった、その歴史的なできごとの代名詞となっている。
さて収容所記念館は、果たしてその意図の通りに(?)、一方では人に罪の意識を誘い、一方では人の怒りを誘っている。僕としては、今でも政治の道具として利用されている死者が、本当に気の毒だとおもった。
収容所記念館の礼拝堂で、僕は自分の疑問について話し、しばしディスカッションとなった。その後は念仏して、みんなもスッキリした。少しは死者の魂が休まったり、救われりしたのだろう。
やはり念仏は良いなー。来年、ここで念仏回向の法要をすることになる。タオサンガのキャラバンによって、この記念館が、人の怒りを誘うためでなく、人類の平和のために使われたのなら、死者も喜んでくれるだろう、と重く思った、、、。
<まあじゃあ、ここらでボチボチ念仏でもしようか。それがいい、それがいい、と。>
<ということで念仏>
<では撮影>
<「みんな、もっと明るい顔でとろうぜ!」と僕は言うが、なかなかならない。まあ無理もないか、、、>
しかし僕が思うに、本当に重いのは歴史ではない。歴史という物語を書く側の意図である。
歴史は戦争の勝者が作った夢物語と思った方が良い。僕はそう思っている。
(そもそも今日本に住んでいるわれわれ“日本人”は、おそらく百済から来た人間たちだろうしな。ネイティブな純日本人は、アイヌ人なのである)
ビルマでの英軍の虐殺も、フイリッピンでのマッカーサー軍による虐殺も、酷いものだったらしいが、実際に歴史として残っているのは、日本軍の酷い行為だけである。
だから日本人の僕は、「わーれーは海の子〜♫」ではなく、「わーれーは罪の子〜♫」なのだ。16歳の頃の僕は、東南アジアの人たちに、本気で土下座して謝って回りたいと思っていたぐらいである。(当時これを言っても、誰も僕が本気だとは思ってくれなかったが、、)
このブログの最初の書いた、この収容所の「てめーら、忘れんなよ」という言外のメッセージだが、僕には以下のように聞こえてしまうのだ。つまり、、、。
かつてA人はB人を殺した。だからB人の子孫は、今後もA人として生まれた人間に対して、「おめえら忘れんなよ」と言い続けるぞ。そしてA人の子孫は、代々これからもずっと、B人として生まれた人間に対して、罪の意識をもたなければならないのだぞ、と。
かつて知の巨人として日本で有名な人間(名前は伏せる)が、「日本は東南アジアで酷いことをしたんだから、広島のことをとやかく言う権利はない」などと書いていた。全くむちゃくちゃな話である。まるで、「日本人の父親が東南アジアで酷いことをしたから、広島の子供たちは原爆で殺されても文句は言えない」と言っているのと同じようなものだ。「加害者の子供は死んで当たり前」ということなら、まず、自分が切腹すべきである。(あっ、ちょっと怒っちゃった)
しかも、話が飛んでしまった、、、。(反省!)
人間をカテゴリーに分けるのは、一番愚かなことだ。
「何々人」という民族カテゴリーや、その他、様々なカテゴリー分けがある。性別、年齢、学歴、出身、その他もろもろ、、、。
あぁバカバカしい! 分別ゴミじゃああるまいし。人を分けて観る奴はバカだ、と心底思う。だいたい、そんなものの見方をしていると、運気が落ちるぜい。
世界のあらゆる問題は、そんな小さなところから生まれている。このことを人は意外と知らないのではないか? (これはとても大切なことなんだけど) だから、人をそんな風に見るのをやめよう、と僕は言いたい。
ほんとうに言いたいのは、「あたかも樹や花を見るように人を見て、運気を上げよう! 」である。