‘東日本大震災支援’

被災地での活動

2011/04/15 Categories: 東日本大震災支援

<4月6日>

朝起きて、すぐにでも避難所に行って、ボランティア指圧に精を出すつもりだった。しかしその前に、まず自分に課したことがある。  それは、津波被害の現状を撮影することである。昨日までは、人の不幸を撮るような気がして、気持的にどうしてもできなかったことだ。  津波は、アキラさんの家の20m手前まで来たそうだ。下の集落は、壊滅である。また唐桑町では、家を失って避難所にいる人は700人。60人が、津波に飲まれて亡くなった。取り残された家族は、避難所にいる。  避難所にいるのは、すべてを失ったり、家族を失ったり、かつ九死に一生を得た人々だ。僕が今日明日と治療するのは、そのような人々だ。

気仙沼 車が建物の下敷きに

<写真/津波で車が家の下敷きに>

<写真/スーパーマーケットの屋上に車が・・・>

 

撮影は30分ほどで切り上げて、避難所へと向かう。僕は、人見知りする方なので、患者さんのコーディネイトを、泊さんにお願いすることにした。
もちろん、自分でやらなければならない局面だと、人見知りする性格とは別に、勝手に身体や口が動いて、場面を展開させてしまうことはよくある。
例えばパレスチナでは、難民の家族の話を聞いたり、路上でボランティア指圧などを行ったのだが、この時は、同行していたローレンスが、コーディネイター向きでなかったため、自分で動いてそのような状況を作ったのだった。

でも今回は、泊さんにお願いすることにした。それで、“お陰さま”と言うべきだろうが、ひっきりなしに患者さんが回されて来た。しかも、30年来の腰痛だとか脱臼だとか靭帯を切った等々、重い症状の患者さんたちばかりであった。

どうやら僕は指圧をまだ忘れていなかったらしい。脱臼の患者さんも含めて、皆さんよく治っていかれて喜ばれた。しかし皆さん、大変なショックを心の深い所に溜めているため、通常の倍のエネルギーと時間がかかった。

僕は、一人一人に経絡診断を行った。そして、一回の治療ですべての症状を取り去るという覚悟で治療にあたった。極度に精神集中して、必死な想いで施療しているから、実は内心ヒイヒイものであった。

気仙沼避難所にてタオ指圧を施療する

この日に、治療した患者さんは、12、3人ほどだった。ふぅー。

夜、アキラさんの家に戻ったら、テーブルの上にビールとお酒が置いてある。どうしたんだろう? と思っていたら、靭帯を切ったという患者さんが、“お陰さまで、ちゃんと歩けるようになりました。診て頂いたお礼です”と届けて下さったそうだ。

その方は、避難所にお見舞いに来た、自宅避難の人だったらしい。自宅で無事だった、貴重なお酒を下さったのである。ありがたい!と、アキラさん、泊さんの三人で乾杯する。自粛しなくて良いよね。

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被災地入りする

2011/04/14 Categories: メディア 東日本大震災支援

気仙沼の唐桑町の災害対策本部にやっと着いた時は、すでに夕方5時近くなっていた。
朝は、仙台駅近くでレンタカーを借りたり、必要な救援物資を購入したりと、あたふたする。そして、昼過ぎにやっと出発。
天才的方向音痴の僕は、“果たして無事に着けるのだろうか?”と、実は内心、緊張しまくりである。2時間ほど(?)で高速を降りると、そこは壊滅した気仙沼市だった。
あまりの光景に圧倒される。くらくら目眩がするほどだ。街そのものが崩壊している中を疾走しているなんて、とても現実とは思えない。なぜか一瞬、脳裏をよぎったイメージ。なぜかそれは、映画「猿の惑星」に出てくる、核戦争で都市が壊滅した後のシーンだった。
しばらく行くと、女子高校生たちが集団登校しているのに出くわす。はた目には、健康的に見える女子高校生たち。彼らが、壊滅した街を歩いている。そんな街の光景を写真に撮ろうかと、一瞬は思った。しかし壊滅した街を撮るなんて、人の不幸を撮るようで、どうしてもできなかった。
今回、写真が少ないのはこのためである。でも、明日からは思い切って、少しは撮影もすることにしよう。それが、現場に足を踏み入れた者の勤めかも知れないと思うから。


さて途中、家が無事だったアビスさんという人の所に寄って、放射能対策の食事療法のコピーなどを頂く。災害対策本部に到着したのは、その30分後である。
対策本部の小川さん、穀田さんらと顔を合わせて、お話しを聞く。また、持って来た救援物資をお渡しする。
NPOユニでは募金活動等も行い、すでに相応の物資を送っているのだが、それらの荷物は、まだ届いていないらしい。やはり直接、来て良かったと思った。
またNPOユニが、各避難所に、合計で10台の洗濯機を設置する旨をお伝えすると、皆さん、本当に喜んで下さった。
これからでも、何人か施術できると思っていたのだが、電気の復旧していない唐桑町の避難所でのボランティア活動は、夕方には終了とのことだった。
宿泊は、避難所の片隅にでも寝かせてもらうか、車中でという覚悟だった。しかし唐桑町には、タオ指圧の生徒さんが住んでいて、(歯科医のアキラさんである)彼の家に泊めてもらえることになった。彼は、レゲエバンドで、パーカッションをやっているそうだ。
また、同じくタオ指圧の生徒さんである、泊さんも来ていた。彼はすでに3日ほど、避難所でハセさんと共にボランティア指圧を行っていた。(泊さんは、ウワサでは、元ブルータスの編集者だったそうだ。後に、東大卒と判明するが、本人曰く、今はプータローとのことである)
佐藤家で、ろうそくとランタンの明かりの下で出してくれたお握り。これがまた実に格別で、本当に美味だった。おかずは缶詰だが、貴重な食料の中から分けてくれた食事だから、美味しくないわけがない。
明日からはボランティア指圧の予定。時おり断続的な余震がある中、被災地の4月4日は暮れた。

 

京都新聞に掲載されたインタビュー

被災地への支援活動が、新聞に掲載されました。

 

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被災地に向かう

2011/04/12 Categories: 東日本大震災支援

いつまでも時差ボケだとか言っていられないと、被災地の気仙沼に向けて京都を出発したのは、4月3日(日)だった。
すでにヨーロッパから帰国して、一週間以上過ぎていたが、まあ仕方がない。毎朝5時まで寝れなかったのだ。

被災地へ向かう目的は、ヨーロッパからの支援金で、被災者の方々に必要な物資を購入して届けること。
避難所で、ボランティア指圧をすること。

なにしろ、今後の支援活動を考える上でも、現場に行かなければ何もわからない。
まずは、現地に行って何らかの活動をしようと、出発したのだった。

仙台に行くバスは、朝にしかないと聞いていたので、東京に一泊して翌朝、新宿から高速バスに乗る。
もっとも、まだ時差ぼけが続いているので、東京でも朝まで眠れなかった。

実を言うと、この日、やっと眠りに入った瞬間に、携帯に原稿のメールが入って起きてしまった。
そしてそのまま起きて原稿の作業を始めたので、徹夜でバスに乗ることになってしまった。

仙台へ向かう高速バスの窓から
<写真/仙台に向かう高速バスの窓から>

 

途中、福島のパーキングで休憩。さすがに消防隊やら自衛隊の人たちを見かける。
“おっ! あれは、オバマが讃えたFUKUSHIMA 50の英雄たちか。ご苦労様ス!”という感じ。
ここは原発から何キロの距離だろう? とも思うが、こんなことを考えること自体が、風評被害のもとになるの かも知れない、と自分を戒める。

 

消防のみなさん


先に行っていたハセさんの話によると、気仙沼の唐桑町では、電気も復旧していないし、灯油もない。しかも寒い、雪だ、とのこと。
“そういえば、ダージリン(インド)も寒かったしなあ、、、”と全然関係ないことを考えて、妙な具合に自分を納得させながら、京都では、厚手の服を用意していたのだった。

その他、被災者の方は着替えもできない状態とか、現地では、ホカロンが求められているとかも、他から聞いた。
それで、ホカロンをトランクに詰められるだけ 詰めて来た。
被災地の人のことを思うと、自分の着替えは入れていられなかった。
着替えを持たないことについては、ほぼホームレス状態だった、ティーンエイ ジャーの頃を思い出して、自分を納得させた。

夕方、仙台に着いた後、気仙沼での活動から戻ってきて、夜行バスで東京に戻る予定のハセさんと合流。
さっそく現地で必要とされている物資について、顔を突き合わせて相談する。


ハセさん曰く、他の避難所のことはわからないが、唐桑では細かい物資よりも、敷き布団か洗濯機が必要ではないか? とのことである。
というのは、着の身着のままで逃げて来た避難者には、敷き布団がない人が多い。冷たい床に座布団を敷いて、その上にシーツをかけていたりする。ゆっくり眠れないのでつらそうだ、とのこと。必要と思われる敷き布団は50枚だそうだ。

うーん、果たして仙台市内で50枚の敷き布団など手に入るのだろうか? トラックをレンタルして、50枚も敷き布団を運べるのだろうか? と、ちょっと考えてしまった。

また、洗濯機については、ハセさんが被災者の声をやっと聞き出した上でのことだという。以下がそれである。

「避難所に発電機があるが、冷たい水で洗濯するのがつらく大変で、、、、。人数も多いので、贅沢かも知れないが、洗濯機があれば大変ありがたいのだが、、、」、と。

聞けば、津波で店も家も流された電気屋さんがいるという。彼が、ぎりぎりの値段で見積もったというメモとカタログを見せてもらう。
必要な台数は、全部で10台。唐桑町では700人が家を失っているので、これを各地の避難所に設置する。総額¥338000円とのことで、ヨーロッパから の義援金3055ユーロに近い額である。
ならば、余った多少のお金で、生活に必要な他の救援物資を購入することにすれば良いか、と思案する。

結局、ハセさんとも相談の上、GUCとして洗濯機10台を、唐桑町の各避難所に送ることに決定する。

その後、四人でささやかな夕食。メンバーの内訳は、僕とハセさんの他に、仙台のテレビ局にお勤めの長谷部牧さん。また、ニューアルバムのライナーノートを 突然依頼し、ぎりぎりの締め切りでも快く書いてくれた、ライターの福田妙子さん(電子ブックの拙著、「気の幸福力」の編集者)である。 

被災地の人々のことを想うと、四人で夕食を食べている写真を撮る気になれなかったので、写真はナシ。これが自粛ムードというものだろうか?

 

 

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人間としての本当の価値 その2

2011/04/05 Categories: 東日本大震災支援

アメリカの某金融関係者が、「残念ながら、日本は貧しい国になると思う」と発言し、会場はシーンと静まりかえったとニュースに出ていた。

「でも、、、」と僕は考える。昨日のブログで書いたYOU-TUBEのメッセージのように、日本人が震災における危機的な状況や困難な中にあっても、 人を助け、礼節をたもち、豊かな人間性を発揮するならば、それ自体が豊かなことではないか、と思う。 それはむしろ、「モノが豊かで心が貧しい」という状態よりも、よほど素晴らしいことではないか。

今の状況を考えたら、日本は変わらざるを得ない。
被災地では、多量の物質的支援と、多くのボランティアの手が必要だ。
もう、”自分さえ良ければ”という、エゴでは生きては生けない。

利他を抜きにはやっていけない。 そうでないと、日本全体が精神的に成り立たないのではないか、と思う。

また、もう原発は無理だ。なぜなら、原発が破壊するのは、自然環境だけではない。 いつ事故を起すかすかわからないという、恐怖による精神の破壊もあるのだ。

だから、時間をかけてでも、脱原発して、クリーンエネルギーでやって行けるようにするしかない。 震災を機に、相互の助け合い精神が息づく、環境大国として生まれ変わったら、日本は、世界で一番豊かな国になるだろう。

 

風力発電

 

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人間としての本当の価値

2011/04/04 Categories: 東日本大震災支援

YOU-TUBEに、 Pray for Japan (日本のために祈ろう)というメッセージを海外メンバーが見つけて送ってくれた。

東日本大震災で日本人がとったふるまいや行動を見た時の想いを、 外国人が、写真と文章で感動的につづったものだ。(バックにはWe are the World が流れている)  文章は英語なんだけど、思わず感激してしまってから、はてな? と思った。
というのは、オリンピックとかワールドカップとかにも僕には全く興味がない。

およそ、日本人としてのアイデンティティが希薄な人間であることを、自認していたからである。
それで考えてみたのだが、ようするに、人が、困難な中にあっても、他者を助けたり、 また、エゴ(我)を抑えたりしている姿を見て、感動したのだった。 この外国人もそうだったのだろうと思う。

被災地の多くの日本人がそうだと知って、僕は感激した。 危機的な状況でこそ、人の持つ人間としての本当の価値が顕れると思う。

 

 

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震災支援へ向けて

2011/04/01 Categories: 東日本大震災支援

帰国した翌日は、もうバンドの練習が一日中あった。でも日本に帰っても、異界から帰って来たような気分というか、異界にまぎれ込んだというか、何だか「いま浦島太郎」のような気分が続いた。
その原因のーつは、海外メディアの報道と日本の報道とのギャップである。
海外の報道は日本全土が放射能汚染の危険にさらされているという感じだった。

報道では、もう日本はどうなるかわからない(というよりは明日がない)という感じ。”それなのに、一体なぜ日本人はパニックにもならず、平然としていられるんだろう?” というのが、オーストリアのテレビレポーターの話である。 僕は、日本ではパニックを防ぐために報道を抑えているのだろうと思った。それで覚悟して帰って来た。

その覚悟が、半ば本気だったのは、帰ってみたら、自分が終戦を迎えた特攻兵のような気分になったことで気がついたのである。(当たり前のことだけど、この気分を日本で言っても、あまり理解されない)   まあ確かに、国内外の報道のギャップは実に大きい。でも実際のところ、被災地の悲惨な状況と、原発事故による放射能汚染の恐怖というストレスそれ自体は、何も変わらないのだけど。

それにしても、思い返せば、ヨーロッパでは多くの温かい気遣いがあった。いつも陽気なイタリアのアントニオさんが、日本の被災地の人々のことを思って泣き崩れていた。 また、ヨーロッパの多くの人から寄せられた義援金は3055ユーロ(30万円以上)。そして、これには、オーストリアのメンバーであるバーベルさんの高校の生徒さんたちの募金活動によるものまで含まれている。(この話は、4月1日の京都新聞の朝刊に掲載された)

 

 

写真はウィーンのセンターで、バーバルさんから子供たちからのメッセージと義援金を受け取ったところ。   すでに日本のNPOユニでは、街頭募金を開始。気仙沼にいるメンバーの避難所に向けて物資を送り始めた。(NPOユニHP/募金活動報告を見る

また、新潟の震災の時もそうだったように、東京のタオ指圧では、組織的に皆さんで定期的に施術ボランティアに行くことになったようだ。 土曜日には、まず、ハセさんたち二人が出発する。

 

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