<4月6日>
朝起きて、すぐにでも避難所に行って、ボランティア指圧に精を出すつもりだった。しかしその前に、まず自分に課したことがある。 それは、津波被害の現状を撮影することである。昨日までは、人の不幸を撮るような気がして、気持的にどうしてもできなかったことだ。 津波は、アキラさんの家の20m手前まで来たそうだ。下の集落は、壊滅である。また唐桑町では、家を失って避難所にいる人は700人。60人が、津波に飲まれて亡くなった。取り残された家族は、避難所にいる。 避難所にいるのは、すべてを失ったり、家族を失ったり、かつ九死に一生を得た人々だ。僕が今日明日と治療するのは、そのような人々だ。
<写真/津波で車が家の下敷きに>
<写真/スーパーマーケットの屋上に車が・・・>
撮影は30分ほどで切り上げて、避難所へと向かう。僕は、人見知りする方なので、患者さんのコーディネイトを、泊さんにお願いすることにした。
もちろん、自分でやらなければならない局面だと、人見知りする性格とは別に、勝手に身体や口が動いて、場面を展開させてしまうことはよくある。
例えばパレスチナでは、難民の家族の話を聞いたり、路上でボランティア指圧などを行ったのだが、この時は、同行していたローレンスが、コーディネイター向きでなかったため、自分で動いてそのような状況を作ったのだった。
でも今回は、泊さんにお願いすることにした。それで、“お陰さま”と言うべきだろうが、ひっきりなしに患者さんが回されて来た。しかも、30年来の腰痛だとか脱臼だとか靭帯を切った等々、重い症状の患者さんたちばかりであった。
どうやら僕は指圧をまだ忘れていなかったらしい。脱臼の患者さんも含めて、皆さんよく治っていかれて喜ばれた。しかし皆さん、大変なショックを心の深い所に溜めているため、通常の倍のエネルギーと時間がかかった。
僕は、一人一人に経絡診断を行った。そして、一回の治療ですべての症状を取り去るという覚悟で治療にあたった。極度に精神集中して、必死な想いで施療しているから、実は内心ヒイヒイものであった。
この日に、治療した患者さんは、12、3人ほどだった。ふぅー。
夜、アキラさんの家に戻ったら、テーブルの上にビールとお酒が置いてある。どうしたんだろう? と思っていたら、靭帯を切ったという患者さんが、“お陰さまで、ちゃんと歩けるようになりました。診て頂いたお礼です”と届けて下さったそうだ。
その方は、避難所にお見舞いに来た、自宅避難の人だったらしい。自宅で無事だった、貴重なお酒を下さったのである。ありがたい!と、アキラさん、泊さんの三人で乾杯する。自粛しなくて良いよね。