2011/03/16 Categories: 日記

“死の当日、自分は何を考えていることだろうか?”
なぜかそんなことを、ふと考えていた2日間だった。
そして、その3日目のことである。
深夜に何気なくネットのニュースを見て、日本の天変地異を知り、
呆然となった。

翌朝からは、混乱する頭と痛む胸をこらえながら、ワークショップを行う。
連日、深夜に何度も起きては、ネットのニュースを見ながら、二日間のワークショップを終える。

その翌日は、チェコ語の翻訳を出したいという出版社と会うために、
チェコに行く予定だった。
しかしアルフレッドの提案で、急遽、予定を変更。
ウィーンのセンタ−で、日本祈願のための不断念仏を行うことになった。
そして念仏は、会社を休むことができた六人のオーストリアのメンバーと、6時間休むことなく続けられたのだった。
かつて日蓮上人も、元寇という国難の際に題目で祈祷されたように、私たちも念仏でお祈りした。これは、カナダや日本のセンタ−でも、時を同じくして行われたようだった。

すると、皆んなからは、口々にお見舞いやらお悔やみの言葉を頂く。
アリス女史からは、“家族で日本からオーストリアに疎開して”と真顔で言われる。

また、アルフレッドからは、“ワークショップを中止して、日本のための祈りの念仏会にしよう”とまで、提案される。

でも僕は、参加者の皆さんに、開口一番に、以下のように挨拶した。

「今、日本は大変なことになっているようです。
さて、皆さんは、明日、世界の終わりが来るしたら何をしますか?
僕は、もし明日、世界が終わるとしても、今まで自分が
やって来たことを、悔いることなくそのまま続けていると思います。」

そう言って、いつもと同じように、ワークショップを始めたのだった。