3年半ぶりだと思うが、滝行念仏に行った。場所は、南禅寺の奥の院の山を上がったところ。ちょっと願を立てたので、今回は12日間行くことにした。
ところで、苦しい時の神頼みではないが、そんなことで願いごとが適うのだろうか?と思われるかも知れない。実は、僕も最初はそう思っていた。だが、これが思いのほか、霊顕あらたかなのである。
<夕方以降の滝の行場は、雰囲気があり過ぎてけっこう怖い>
体験はいくつかあるが、ひとつだけ例を上げることにしよう。かつて同じ合気道の道場で一緒に稽古していた友人がいた。彼女(ドイツ人)は、とある日本のお寺にお嫁に行ったのだが、子どもがなかなか生まれず悩んでいた。
実は、普通一般の寺は、天皇家と同じで後継ぎ問題がとても重要。(カワイソー)したがって、これがなかなか大変なのである。
その頃の僕は、よく滝の行場に通っていた。そこで悩める友人のために人肌脱ごうと、誕生日に100本のロウソクが入った箱をプレゼントした。それは、滝場では、願いごとをロウソクに書いて灯すのが作法だからである。(僕の知っている範囲では)
そして「ロウソクに願い事を書いて持っておいでよ。代わりに100回滝に通って祈って来て上げるから。僕にはロウソクに何て書いてあるかはわからないように、キリのようなもので掘ればいいよ」と言った。
人に願いごとを読まれるのはイヤだろうな、となんとなく思ったからだが、よく考えてみたら、ドイツ語で書いてりゃ、病院のカルテと同じで、僕にはどうせわからなったな。
とにかく100本のロウソクを持って、毎日滝行念仏に行った。そうしたら、何と40何本かで懐妊。僕は、拍子抜けするほどあっけないような気がした。しかし医者には、「奇跡的だ」と言われたらしい。
<一度、ほら貝を吹く人山伏さんがやって来た>
僕はその後も、無事に生まれることを願って、100本まで通い続けた。といえば聞こえはいいが、あっけなさ過ぎて、途中で止めるのも何だかシャクなような気がしたからだ(←何考えとんじゃ、おまえは!)。
さて、ご加護のお陰か、無事男児を出産した。彼女が後で述懐したところによると、妊娠を告げられてから生まれるまで、ずーっと護られている感じがしていたそうである。
ところで僕は、元々とても寒がりだった。どのくらい寒がりだったか白状しよう。僧侶養成の最後に、加行(けぎょう)という真冬に3週間行われる修行がある。知恩院でのそれは、むちゃくちゃ寒いと聞いてビビった僕は、代わりに東京の増上寺で受けたほどなのである。(うー、なさけなか、、、)
それが何とまあ、滝行念仏に行くようになってから変わった。真冬に雪が降っている中でも、滝に打たれたりするのだから、変わらざるを得なかったとも言えるけど。
雪が降っている滝の行場で、口笛吹きながら服を脱いだりするようにもなった。そんな中、前回の3年半前。1月5日から54日間ほど通った。
寒がりだった僕のこの変化。そのカラクリを言ってしまうと、ようするにイメージなのである。「雪の中=冷たい=やばい大変だ」というイメージがあるのを、「気合いかければ大丈夫」というイメージに換える(換えざるを得ない)。
そうなると、まあ平気になる。ただ真冬だと、背中なんかは“冷たい”というよりは“痛い”みたいな感じの時も、ちょっとはあるけど、、、。
面白いのは、雪なんか降っているときよりは、むしろ3月とかの外が春っぽいとき。えーっ? という風に、逆にキツく感じるのである。きっと、イメージでは春なので、身体は冷たくない水をイメージする。しかし実際には、水は冬と同じように冷たい。そのイメージと実際とのギャップで心身にフェイントがかかり、キツく感じるのだろうと思う。
<今日は、随分と水量が少ないなあ、、、>
滝行念仏では、一瞬にして気合いを入れざるを得ない状況になる。トランス的な精神状態に入ることを余儀なくされる。いやでも集中せざるを得ない。その時の集中力が神仏を呼び寄せ、それが祈願の成就に結びついているのかも知れない。
滝行念仏の際に聖水を造ると、エラく気のパワーが入った癒し水ができる。今度作って、欲しい人に差し上げようかな。