パタヤで世界大会の会場探し、ホテルとの交渉、周辺の視察、大会準備の企画書作りと、濃密な時間を過ごした僕とオリバーには、まだ仕事が残っていた。それは、バンコク・ナイトの会場探しである。(というわけで、バンコクに向けて出発!)
<チャオプラヤー河/見えているのは、三島由紀夫が絶賛した暁の寺院>
さてバンコク・ナイトとは何か? 来年7月19日、タオサンガ大会に参加するため、世界各地から人々がタイに集まってくる。ということは、各国からバラバラの時間に到着するということだ。
このため別枠の大会前夜祭として、タイの首都バンコクに集まり、わいわいとガーデンパーティの夕食をやる。それがバンコク・ナイトである。 翌日は、チャーターしたバスで一緒に会場に向かう。もっともパタヤは空港から車で1時間半ぐらいで行ける距離。だから日程の都合で、直接空港から会場に行く人もいる。
<船も生活の交通手段の1つ/船代45円ぐらい>
また、大会が終わった日に、参加者をバスでバンコクでの夕食(後夜祭)に送り届けるという別枠のプロジェクトも考えた。実は前回もやったのだ。ただ2003年の時、僕は、バンコク観光のツアーガイドまでやってしまっていた。
そして、“来世では、ツアーガイドだけはやらないようにしよう”と固く決心していた。というのは、僕みたいに放浪人生で、集団行動なんてできない人間が、おこがましくもツアーガイドをやること自体が、ジョークみたいな矛盾した話だったのだ。
そういえば、小学校のときの先生に、僕の成績表に「人の世話をやきすぎる」なんて書かれていた。うぅー、案外、当たっていあたかも〜。
<長年、泥で隠されていたのが、ある夜、雷に打たれ本体が顕われたら金だったという「黄金佛」>
したがって今回は、断固として観光ツアーガイドにはならない。(と、固く決めたもんね)バスとディナー、それに案内役の人をセッテッィングするだけにとどめよう。「ただの通りすがりのものです」と言いながら、つい、世話を焼こうとするのが僕のワルいくせである。
それに僕自身は、パタヤに引き続き滞在して、国際タオサンガのクリエーション・メンバーと数日間は国際会議をする予定。なので、あわやバンコクまで付いて行って、皆さんの世話を焼こうとする自分を押しとどめて、帰る人たちをバスで見送るということになる。
さて、このバンコクナイトの前夜祭と後夜祭の会場探しだが、バンコクで2泊3日、汗にまみれて二人で必至に探した結果、それぞれの会場候補が決定した。(交渉はこれからだが)
前夜祭も後夜祭も、とても良い会場になると思う。バンコクの後夜祭はチャイナタウンの近くで、先の黄金佛へは、徒歩で行ける範囲である。
立ち寄ったポー寺院では、激しいスコールに遭遇。あわや、ずぶ濡れ寸前に軒下に飛び込んだ土産物屋で、東京道場のために絵を買った。
今回バンコクでお世話になったのは、このお二人。ワラポーンさんとそのご主人。2007年にオーストリアで開かれた世界体育大会で、その運営を手伝っていたオリバーと知り合ったという。
<僕らがバンコクでお世話になった、ワラポーンさんとご主人>
夕食から宿泊まで様々なことをお世話して下さり、大感謝である。ワラポーンさんは会場候補のホテルにも電話してくれた。
またコンビニに寄ってもらったら、わざわざご主人が車から降りて付いて来てくれ、水まで買ってくれるという、お世話のして下さりようである。
バンコク1日目の夕食後、ワラポーンさんに“ちょっと寄るところがあるので”と言われて連れて行かれたのが、一階にショッピングセンターが入っている高層ビルの屋上。
バンコクの夜景が美しい屋上には、プールがあり、中国系の穏やかそうな老人と孫らしき青年が、ベンチで静かに夕涼みをしている。
紹介されたら、ご主人のお父さんとのことであった。そしてその後、帰りの車の中でさりげなく言われたのが、「父は、あのビルのオーナーなんですよ」であった。
お二人ともタイ王国への忠誠心が厚く、王様をとても尊敬していた。アジアの中で、唯一日本とタイだけは植民地にならなかった。そしてタイの場合は、当時の王様の外交手腕に依るところが大きかった。