1)
これまで何回、この橋を渡ったことだろう?
木製の不安定な橋の上を、理由もなく全力疾走する三輪ミゼットに揺られながら、僕はふと思った。
向かっている先は、バングラデシュ北部にあるクルスクル。
少数民族・仏教徒ラカイン人が暮らす村だ。
ここには、永らく閉校になっていた小学校があった。
それは子供達がラカイン民族独自の言語を学んだり、教育レベルを向上するための学校だった。
廃校していたのは、何年か前にワールドビジョンという世界的な団体が、それまで行っていた支援をストップしていたためだった。
<クルスクル村>
あれは8、9年前だっただろうか、、、。
はじめて訪れた僕らが、長らく閉鎖されていた学校のドアを開けたのは?
建物の無残な内部がさらけ出され、朽ちた机の上にはゴミが溜まり、ホコリが舞っていた。粗末な教室の中には諦めの空気が漂っていた。
僕らは村のリーダーや坊さんと、学校の再開について相談した。
先生たちを4人ほど探してもらい、人数分の新しい机と椅子を用意した。
そして先生たちには毎月の給料を保証し、閉鎖されていた学校を再開した。看板も新しく掲げた。
別段、「少数民族として暮らす仏教徒の人々に希望を与えよう」とか、「子供達の夢を叶えてあげよう」など、
そんなこっぱずかしく、赤面するような高邁な理想があったわけではない。
始めたのは、単に「そういうのをやるのって、面白そうじゃん」というノリだった。(だいたいが、何やるにもそうだけど、、、)
ただし、このダンスは一度踊り始めたら途中下車はない。
途中でストップして村人を失望させ、再び諦めの空気を村に創るわけにはいかないからな。
でも、日本の人たちで収入の一部を出し合えば、その日本円は、バングラデシュで何倍もの価値をもって使われることになる。
為替のマジックと言ってはそれまでだが、みんなの力で学校を運営できるのだ。
こんな素敵なことはないのではないか? (とここは真面目に思う)
<算数の先生と子供たち>
<どういう訳だか、子供たち1人ずつに文房具を渡すというシチュエーションに、、、。
うぅ、かなり苦手な役割である。>
2)
そして毎年毎年、バングラデシュにやって来ては、この橋を渡る。
学校の状況を見る。要望を聞く。そして改善を続けて行く。
さらに新たな別の村の学校を開けていくべく、村から村へと巡る。
今年は四校目を開校させるべく動いていた。
村に行って僕たちが集中して会うのは、村のリーダーや先生たち(または先生候補)だけではない。
子供達にインタビューする。
親のない子や、片親の子、また親があっても病気、
あるいは極端に貧しく(基本的にはみんな貧しいのだが、「輪を掛けて」という意味)、
支援を必要とする子たちに、である。
その子たちの希望や将来の夢などを聞き取っていく。
日本の里親になってくれる人を探すためだ。
孤児などは、誕生日を聞いても知らないことも珍しくない。それは聞いていて胸の痛むことだった。
”里親を探す”といっても、別段引き取ってもらうわけではない。
1〜3人で合わせて月に3000円ほど支援してもらい、それで小学校の教員たちの給料の一部を払う。
さらに、その学校に通う子供達のノートや鉛筆などを支給する費用にもなるのだ。つまり里親たちで村の教育を支えるのである。
ようするに里親たちに援助してもらうのは、居酒屋に行く程度、またはそれ以下の費用で済む。
また里親は、三カ月に一回、里子からの手紙を受け取ることになっている。
日本から僕らが行く時には、里親からの手紙を預かって行く。
そして、現地メンバーである、ラカイン人のラジョーさんに、僕らが読みあげる手紙を通訳してもらう。
3)
さて今回も、里親からの手紙を持って村を巡った。
僕は、読み上げてもらう手紙の通訳を聞いている時の、里子の顔が見るのが好きだ。
とっても嬉しそうな顔をするからだ。
<里親からの手紙に、赤ちゃんのいる家族写真が入っていた。里子の彼は、
「この子は、僕の日本の妹っていうことだよね」と言った>
読み聞かせてもらった後、彼らは読めない日本語の手紙を大事そうに、持って帰る。
こういう時、“慈しみ”と言う言葉が、その空間に漂っているような気がして、
僕はその空気の粒子に見とれているような気がする。
それは、”誰が誰を慈しむ”と言うのではなく、関係性そのものに漂う空気である。
<里親からの手紙を聞かせてもらっているところ>
<真剣なまなざしで聴いている>
<そして、恥ずかしそうに、嬉しそうに、大事そうに手紙を持っていく>
<こんな顔も>
<こんな顔もある>
<どの子も嬉しそうである>
こんな笑顔が原動力になっているのかは不明だが、さらに学校を増やそうとして動いている。だが、いかんせん里親の数がまだまだ足りない。
だから、予算はオーバーしている。でもこの地域に、通常、国際団体の支援は届かない。(ごく稀にあっても、一定期間後にはストップしてしまう)
僕らNPOアースキャラバンがやらなければ、全部で17あるラカイン村に、彼ら独自の小学校が開校することはないのだ。
それで毎年、新しい村の調査をし続ける。
そして孤児などに会って「必ず里親を見つけるからね」と約束する。
手紙を読んでもらっている時の嬉しそうな顔が見たくなるから。
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いずれは、村々の学校を回る里親ツアーのようなものや国際ワークキャンプを企画したい。
もっといろんな人に、この里親プロジェクトのことを知らせたい。
そして、このゾクゾクするような面白さを、
ぜひ皆さんに味わってもらいたい。
、、、と、本気でそう思う。
<驚くかもしれないけど、これが学校(ザフカリ村)。ここはまだようやく1年目。
NPOアースキャラバン・ラカイン子供センター ”ザフカリ校”の看板はこれから設置の予定>
<こちらは、3年かけて話し合い、これからようやく開校にこぎつける新たな村のリーダー>
<驚くけど、ここを整理して学校にすることになった>
<ザフカリ村の優しそうな村長さんが、父親が病気で困窮している家庭の女の子に会わせてくれた>
<”じゃあ、あなたにも里親探しましょうね。”というと嬉しそうな顔で笑った>
<この子にもそう伝えると”えっ?”と言って驚く>
<”じゃあ、ちゃんと写真撮ろうね”と言ってポーズ。”きっと誰かに里親になってもらえると祈りながらシャッターを切る>
<「2017年の開校目指して頑張りましょう」と村長に言って、僕らは移動する>