やがて沈みゆく夕日に追われながら、誰もいない湖畔の道を一人自転車を走らせている。
人間でいるということは、何かの罰ゲームなんだろうか、とふと思った。
それほど僕の心は苦しかった。
毎年、この季節になると、こうして僕は精神を病む。
胸に十数本もの針が射し込まれたかのように胸が痛くなるのだ。
思考だってまともではなくなる。つい、人間関係だって破壊したくなる。
かなり前までは、きっとこれは自分に原因があるのだろうと思い、自分の修行の拙さを指摘されているような気がして、恥ずかしかった。
だが最近になって思った。
毎年、この季節になると、世の中の悲しみが自分の心のどこかに入って来てしまうんだ。
だから、わけもなく苦しんでいる人に対して、僕は言って上げたくなる。
あなたの苦しみの原因は、あなた自身にあるのではない。世の中の苦しみが入って来ているせいなんだよ、と。
「衆生病むが故に我病む」というのは、維摩経に出て来る維摩居士の言葉。
だが、これは、維摩居士のような立派な人でなくても、とても身近なところで、みんなに起こっていることなんだ、と思った。
もっとも、だからと言って、胸の痛みが収まるわけではないし、理由なく辛い想いの中にいる自分を卑下する心がなくなる、というわけではない。
なにしろ、“他のみんなと同じようではない”というのは、心にどこか引け目を感じるものなんだ。
きっと子供の頃からなんだと思う。僕は毎年この季節に、この世やあの世に住む霊たちの悲しみが、心のどこかに入って来てしまうようだった。
そして今。気がついたら、まるで17歳の秋から一瞬にして今にタイムスリップしたかのような感覚にとらわれた。最近までの記憶は曖昧なままだ。
悲しみに耐え、風に向って自転車を走らせながら、「まっすぐな道でさみしい」と歌った山頭火は、こんな気持に駆り立てられて、独り、旅を続けていたのだろうか、と思った。
注:山頭火(1882〜1939) 放浪の俳人。
「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」山頭火は晩年の日記にそう記した。その時には、すでに無一文の乞食であった。その境遇は山頭火自らが望んだものだったが、乞食に落ちぶれた後、克明な日記をつけ続けた。しかし山頭火は、いかに親しい友人にもその胸中は見せなかった」(ウイキペディアより)
さらにふっと気づいたことがある。それは僕の極端なまでの楽天性や、それこそ、あっ!と言うまに歓喜あふれたような状態になる能天気さは、毎年秋になってやって来る、この胸の痛みに支えられているのだ、と。
きっと、この苦しさが毎年ある限り、僕の人生は青春なんだろう、とそんなことを思った。