(1)
ピースサイクルで出発し、台風の中をくぐり抜け、3日後に浜松に到着。
アースキャラバン浜松で、ステージを務めた。
その後、ピースサイクルは、東京から来た、司令塔のミクさん、ユッキー、コアラさんの3人に任せた。
そして2日後には、アースキャラバン東京である。金曜日から準備を手伝う。
土日2日間の大きなイベントである。
朝早くから準備をし、その後は一日中、ずーっと会場内でワーク。
(と言っても、基本ウロウロしているだけ。あっ、スタッフのおにぎりとか買いに行ったりはしていたな、、、)
<アミナダブで、ステージを勤めた>
翌日は、後片付け(これは大仕事!)を手伝ってから京都に帰る。
すると何と! その日にはイスラエルから来たアビが関空に到着したではないか!
なぜなら、10月6日から何と!20日間に亘って、世界各地からタオサンガ・メンバーが日本での修行に集まってくることになっているのだ。ああ、無情!
(2)
僕はすっかり「時間」の概念を含む、諸々の状況を舐めていたことに気づいた。
“アースキャラバン東京から「海外メンバー修行講習」が開始までは数日あるから、その間休めば良いだろう、、、”なんて思っていたのだ。
しかしそれは、全くの希望的観測に過ぎなかったのだ。開始の数日前から、“日本、初めてでーす”の人たちが、続々とやって来たのである。> <)
そしてみんな、“センターまで来れば、後はなんとかなる”と思っている。(こっちもそう思っていたので文句も言えない、、、)
僕は何度も、センターのドアの前で待っているメンバーを迎えに行かなければならなかった。
「せめて数日、いや一日だけで良いから休暇を、、、」という僕のはかない夢は、こうして完全に打ち砕かれたのである。
これはまゆさんという人も同じようなものだった。
というのは、「のべ20数名の人たちを全部センターに泊めるのは、かわいそうだ」と彼女はそう主張し、何とかしようとしていたからである。
なので、家をどうしよう?と考えていた。
そうしたら救世主が現れた。一人はえい子さん。広い自宅をみんなのために解放してくれたのだ。
これは感謝の他に、言葉がなかった。
もう一人は、ゆあさん。
彼女の口ききで、一ヶ月間の短期契約で、大きな一軒家(通称・五条ハウス)が借りられることになり、基本的には誰もセンターに泊まらずに過ごせることになった。
ただし五条ハウスは、大掃除を一日がかりで3、4日間もの間、行わなければならかった。
これは、京都メンバーの4人(ほうき、しゅんやさん、みおさん、あすなさん)に手伝ってもらったのだが、みんなの食事をどうするか?とか等、様々なことをクリアする必要があった。
その辺の采配は僕にはとても無理だったので、これらもまゆさんという人にやってもらった。
イスラエルのアビを皮切りに、アメリカからカナダから、オーストリアから、イタリアから、イスラエルからと、続々世界各地からメンバーたちは到着し、僕は次々と2軒の家に振っては送り届けていった。
(カナダのジニーなどは、えいこさんが京都駅まで迎えに行ってくれた)
なので、予定のワークショップは始まっていなくても、みんな夕方にはセンターにやって来る。
まゆさんからは「センターにみんな来て待っているわよ」と電話がかかって来る。
「“みんな待っているわよ”と言われたって、どうしたら良いんだよ、、、。」
結局、僕もセンターに行って、念仏ワークショップらしきものをしたり、食事に連れて行ったりしていた。
なので始まる前日、すでに僕は疲労困憊していた。あっちゃー!
(3)
こんな状態の中で、「タオサンガ・京都国際ワークショップ」(と呼んで良いのかどうかはわからないが)は10月6日に始まった。
朝から一日中、念仏の行法に関するワークショップで、夜にはみんなを湯豆腐の店に連れて行った。
もはや、疲労だのナンダのと言っている場合ではない。
一瞬たりとも手抜きしない。
こうなったら、もう全力でやるっきゃないのだ。
翌日からのスケジュールは、みんなで4日間、長野県の山寺に籠ることになっている。
一日12時間ぶっ通しで音楽念仏を唱える「念仏ハイ!」である。
しかし参加人数を考えると卒倒ものだった。
日本各地から来るメンバーを加えると全部で60名以上になり、完全に寺のキャパを超えていたのだ。
ここまで来ると、さすがにもう笑うしかない。
“えーい、もう、とことんやってやろうじゃないか!”という感じの僕でもあった。
現地との折衝や宿泊などの諸々は、まさとさんがやってくれて(これも僕には無理)、食事の采配はまゆさんで、さんのさんがバックアップという布陣である。
そして翌日の10月7日。一行は、長野県の山寺へと向かった。マジカルミステリー・ツアーの始まりである。
<ビバ! 念仏ハイ!> (←一体、なんのこっちゃ?)
<続く>