アースキャラバンの準備のための中東での活動報告が、すっかり途中でストップしてしまい、申し訳なく思っている次第。^ ^;) とにかく写真を使って、レポートを進めていくことにしよう。
前の晩は、ガザからのロケット弾を撃ち落とす音をBGMに夕食を食べ終えた。その次に僕らが向かったのは、ハイファの田舎の村。アラブ人とユダヤ人の子供達が一緒に通う幼稚園である。
今振り返ってみると、手当たり次第、いろんなところにアースキャラバンの話をもちかけていたのだなあ、とつくづく思う。
この幼稚園もその1つだった。“子供達にエルサレムのイベントに参加してもらい一緒に歌ってもらおうか”なんて、オリバー、ローレンスと僕の3人で話し合った上での訪問だった。
何せ田舎でバスが不便な上、さんざん迷ったあげくようやくたどり着いた。
幼稚園は、子供達が快適に過ごせるように造られていた。
子供達は、アラビア語の歌もヘブライ語の歌もみんなで一緒に歌う。
ギターを持っていた僕は、“何か歌ってよ”と言われ、、、、。ビートルズか何かを弾いて歌ったんだけど、この時の経験は、僕にアースキャラバンのテーマ曲を創らせることになった側因の1つになったと思う。
園長先生。アースキャラバンのバスが来ると思っていたらしい。 ^ ^;)
一体、この幼稚園の訪問で何が成果だったのかはわからない。キャラバンへの協力を要請し、OKと言われても、じゃあ具体的な話が何か生まれたというわけではない。
でも僕たちは結果は考えない。タオサンガ主催のアースキャラバンが潜在的に持っている意味を直感的に理解し、責任を持ってワークを担ってくれる無私の人たちと出会うために、僕らは中東を動いているのだ。
無私の行動が取れる人は、日本や欧米などセンターのあるところにだって、そうおいそれといるわけではない。
もしいたとすれば、それは千年に1度花開く白連のように希有で尊い存在だと僕は思っている。なぜなら、そういう人たちこそが世界の希望だからである。
この幼稚園の先生の1人は、テルアビブで行うことになっている念仏ワークショップに来ると言っていた。(実際に来られた)
このハイファからエルサレムまで直通のバス(2、3時間)があると聞いた。園長先生が停留所まで送ってくれるという。エルサレムには夕方着くことになる。カナダからローレンスもその頃、着くことになっているのでちょうど良い。
エルサレムのヤッフォ通りに着き、ホステルに向かう。
ここからわずか40kmしか離れていないガザでは、連日の空襲で人々が命を落としているのだけど、、、。
僕が、ユダヤ教原理主義と呼んでいる黒づくめの人々。彼らもストリート音楽やるんだぁ、、とちょっと驚いた。
ホステルにチェックインして、ローレンスの置き手紙を発見。「空港で携帯電話をレンタルしたから、この番号に電話してくれ」と書いてあった。
さすがユダヤ人! ローレンスは、こういうところは実に賢いのである。日本の携帯を持っていた僕は、空港でSIMカードの交換ができず断念。オリバーはそんなことを思いつきもしなかった、と言う。(2人とも後で、目が飛び出るような請求書を受け取ることになる。うぅ、、、)
ローレンスに電話をかけ、いるというカフェを探しに行く。
僕は会うなり、” おい、ローレンス。幼稚園も行ったし、もう仕事は大半終わっちまったぜ”、と時差ぼけのローレンスをからかう。けなげに引っかかって、ちょっと焦ったりするところがカワイイ奴なのである。
ローレンスは、心理ワークショップか何かをやっているというエルサレム在住の友人に、アースキャラバンの実行委員になるように、必死に説得中だった。
後でローレンスに、“結果はどうだった?”と聞くと、「“もちろん、興味はあるわよ。でもね、、、。” だって、、、。」とのこと。
うーん、日本でも北米でもヨーロッパでも、耳にたこができるほど山ほど慣れ親しんで来た反応である。だから僕はまるで驚かない。このような反応にあうたびに、ヘレンケラーの「大勢の人が他の人の福祉に責任を持つようにならないと世界は変わらない」という言葉を、僕は思い出す。
僕らは、希有な存在を探しに中東に来たのである。これが簡単に見つかるようなら、ヨーロッパ、日本、北米の三方から、わざわざガザ空爆中の中東にまで3人で雁首そろえて来ることもないのである。
本当は、夕方からでもパレスチナに入りたかった、それもいろいろと検討したのだが、まずはローレンスも無事に着いたことだし、夕食ということになった。
今後の活動の進め方について、3人で話し合っておくことは山ほどあったし、パレスチナ側に連絡しておくなどの準備もある。それでパレスチナには翌朝向かうことになった。
ホステルに入ってからは、ミーティングのアポイントを取るために電話をかけまくる。
現場では率先して動かなければならない僕だけど、電話だと自分の直接つながりのある関係以外は、“オレ、自分の英語通じるか自信ないしさー”とか言って頼めるので、ちょっと助かるな。
明朝は、テルアビブのデモで知り合った人が紹介してくれた、タメルというイスラエル人とパレスチナ人合同の平和団体の合宿に寄ってから、ヘブロンに向かう予定を立てた。
いよいよ、パレスチナ側に向かうことができる!
果たして僕たちは、白蓮のように希有な人たちと出会うことができるのだろうか?