(1)
バンコクの最初の3日間。午前中は、プールに入ったりしてゆっくりと過ごせた。街から離れた川沿いのアイビス・ホテル。午後は、現地で合流する2人と連絡を取り合うことや、現地の活動家に連絡を取ることなどで、けっこう忙しかった。
<つかの間の休憩地、バンコク>
入国の際の注意点のレクチャーをローレンスからSkype電話で受ける。ムスッとせずにニコニコして、愛想よく「シャローム!」(ヘブライ語で、こんにちわ)と挨拶すること。係員の質問に対しては、決して躊躇するそぶりは見せない、など。
こりゃ、一世一代の演技をしなくちゃならないな、と1日に何度も笑い顔の練習までする僕であった。(ウソ笑いがばれないか心配。僕は、ウソをつくのが下手なんだ)
すでに連絡先を聞いていた現地の活動家には、自己紹介とキャラバンについて説明を書き、ついては現地で会いたい旨をメールでしたためる。
兵役拒否グループ、人権ラビなど、様々な人にメールを送る。また、たとえ紹介がなくても、Facebookで「これは!」と思った人にはメッセージを送って、やり取りした。
<ガザの人にイスラエル人として謝罪し、”どうか安全でいて欲しい”と呼びかけるナオミ>
不思議に思うかどうかわからないが、イスラエルはかなりの右傾化した社会である。そして、そんな中で人権を奪われているパレスチナ人のことを想って活動している人などは、ごく少数派なのである。(例えば日本に兵役があって隣国を不当に占領し、国民の70%近くが右翼で、ヘイトスピーチまみれの状態、を想像してみて欲しい。いやー、想像しただけでも息苦しくて死にそうになる、、、)
そんな中で、「パレスチナ人を苦しめることになるから」と言って、兵役を拒否して刑務所に入ったり、ガザの人に向けてyou-tubeで、「私は恥じています。申し訳なく想っています。」と、顔出しで放送したりするのは、相当勇気のいることなのだ。
(2)
僕はホテルの部屋で、荷物のまとめをしていた。大したものはないが、デモに参加して催涙弾を撃たれたときの防止用に、とゴーグルは買っておいた。(目が痛くなるもんな)そして何気にネットを開けると、現地で落ち合う予定のオリバーから連絡が入っている。
何と! テルアビブの空港に向かう欧米のいくつかの航空会社が、欠航になったという、、、。空港近くにハマスのロケット弾が着弾したのがその理由。空港近くで、引き返した飛行機もあったそうだ。
でも、僕の乗るトルコ航空は飛ぶ、と。
おお良かった!
また、やはり現地で落ち合うカナダのローレンスからも、「そっちは行けそう?」と問い合わせが来た。僕は、「トルコ航空は勇敢だからね」と自慢げに返信。
するとローレンスからは、「カナダ航空は弱虫! 」 と返信が来た。どうやら欠航になったらしい。実はローレンスに、「中東に行くのは危ないと思ったらキャンセルしなよ」とメールしようと思っていた矢先のことだった。人を危険に巻き込む気はない。
<右がローレンス・ユダヤ系念仏者である>
一応、トルコ航空のホームページをチェック。すると、「テルアビブ行きは、飛行停止」と書いてあるではないか!
冗談じゃないぜ! オレは現地の人間たちとさんざん連絡取り合って準備して来たんだぜ。飛べや、おいこら!と、思わず心の中で毒づいてしまう。まるでヤンキーの兄ちゃんだな、こりゃ。
空がダメなら、陸路や船で行くことまで考える。でも、電話でそんな話をオリバーとしても、お互い力なく笑うだけであった。
いや! まだ希望を捨ててはいけない。明日ちゃんと飛べよな、トルコ航空!と、僕は念をかける。(その瞬間、”大丈夫!”という声が心の中で聞こえたにも関わらず、アホな僕はその後も心配を引きずり続けた。)
<飛べ! トルコ航空よ、、、>
(3)
夜、オリバーと再び連絡を取り合う。彼は、フランクフルトまで行けば、翌朝発のエルアル機(イスラエルの航空会社)が出るから、深夜の電車で7時間かけて行き、それに乗るという。
僕はそのオリバーの決意に感動した!「あんたはエラい! 僕はあなたを尊敬するぞ!」と言ったら照れてたが、うーん、熱いぞオリバー!
僕は1人で行くことになる覚悟を決めていたが、オリバーの決意を聞いて「おお! おまえもか!」と闘志が湧いた。そして、彼のスピリットを讃えた。
<近くの空港から出る飛行機がキャンセルになったため、電車で7時間かけて、遠くフランクフルトの空港に向かうことになったオリバー>
(4)
なんせ“地球ヒーリングキャラバン”のプロジェクトがかかっているんだ、と僕は必死だった。
タオサンガのプロジェクトは、人の人生やいのちが豊かになるものだから、プロジェクトが成就しないことは、自分にとっていのちを失うに等しいことなのである。
僕は、念仏やタオ指圧だけでなく、また音楽活動もGAMEチャリティックスの普及も、ムキになってやっているが、それは、全部がタオサンガのプロジェクトだからに他ならない。
(この辺の僕の心情については、タイ大会について記したブログの後半部分をお読み頂ければ、あるいはわかって頂ける人もいらっしゃるかも知れない。それで一応アドレスを、、、。http://endo-ryokyu.com/past_blog/?m=201308 )
(5)
夜、オースリアのエージェントと連絡がつく。トルコ航空は飛ぶかも知れない、と朗報。
“おお! そうこなくちゃ。こっちは念をかけたんだ、何がなんでも飛んでもらうぜ、トルコ航空!”。
でもたとえ飛んだとしても、「こんな状況の中で来るなんて、どうも怪しい奴だ、、、」と、テルアビブの空港保安員に思われないだろうか?と、一方で心配になったりもする。
、、、そんな緊迫の中、僕は浅い眠りについた。