いよいよイスラエル、パレスチナ向けて出発する。向こうに行ってしまったら、ものを書く時間は全く取れない。だから今のうちに書いておこう、と思った。
実はここに至るまでが大変だった。
広島からヨーロッパ経由でエルサレムに往く、地球のためのワールド・ツアー・キャラバンなどという、夢物語としか思えないようなプロジェクト、、、。
これは、普通に考えたら、ものの1秒で「あっ、ムリ!」と結論を出しそうな話である。それどころか、考えもしないに違いない。
それなのに、常識的な思考回路のない僕たちタオサンガは、何も考えずに、まるで闇のなかを手探りで家を建てるようにプロジェクトを始めた。後で考えると、つくづく能天気な僕らであった。
まずは、ここにまで至ったことは、奇跡みたいだと思った。が、それすらまだ序の口であった。
、、、まあ、その辺については後で書くことにして、まずは、どんな「すごろく」(僕は自分が動き回っての活動を“すごろく”と呼んでいる)だったか、と言うと…、。
まずは、五年前にパレスチナのナブルス難民キャンプで出会った、田中さんに会いに岐阜に日帰りした。
パレスチナでキャラバンのイベントを行う場所としてどこが良いかについての意見を聞くためである。
<パレスチナの旗と、イスラエルの核兵器製造に携わった後で、それを世界に告発したバヌヌ氏の写真をかかげてデモをしている田中博さん。
僕も2、3度メールでやり取りしたことがあるが、バヌヌ氏は25年後の今も、イスラエル当局によって、未だ半軟禁状態に置かれている。>
翌日は、沖縄に行った。(←忙しい話だなー) 沖縄に行ったのは、うる文化協会の依頼である。戦時写真の返還式を行い、慰霊祭で導師を務めた。
30年ぐらい前に住んでいた名護にも行ったりしたので、沖縄には2泊3日した。このプロジェクトが始まったときの記事は、http://npouni.net/category/aid-activity/japan/httpnpouni-netpage_id10783previewtrue/
<返還式>
京都に帰らず、そのまま九州に飛んだ。浄土宗平和協会の川副春海さんに、このキャラバンの企画について相談するためである。
いろいろとポジティブに相談に乗ってくれ、実にありがたいと感謝した。(さとしさんが創ってくれた初期のチラシができていたのも、説明し易くて良かった)
<川副春海さん・浄土宗平和協会で活動する専称寺の住職>
<早くウエブサイトを立ち上げないとな、、、>
京都に帰り、カナダから来たアレックスを迎え、島根県の和田寺に行った。
これは毎年恒例の村の人たちとの法要と、カナダに念仏道場を建てたアレックスの得度式のためである。
二泊三日。この間も様々なワークあり。
<和田寺のご本尊>
<10畳しかないのに、総勢30人もよく入ったもんだ〜。フランス在住のちとせさんも子どもたちを連れて参加>
<台風という予報だったが、見事晴れてくれた>
<さて、これは何をやっている写真でしょうか? 大人も子どもも入り乱れての「ゴム飛ばし戦争ごっこ」である>
<ホフク前進で進み、顔に当たったら、ぎゃーと声を出して、撤退する。相手の旗をゴムで倒したら側が勝ち!>
<お寺の集まりでこんなことをやっているなんて、、、。常識的な人をお誘いする勇気は、とても僕にはありません、はい。
子どもたちも4人ぐらいいたので、花火大会やすいか割りもやったけど>
<アレックス太音(たいおん)。うん、なかなか、かっこいいな>
島根の帰りは、そのまま広島。プロジェクトを実現するため、いろいろな人に会いに行ったのである。
まずは、憲法九条のプラカードを持って、ねずみ男の格好で、九州から広島まで歩いたという福崎さん。
<福崎・ねずみ男氏http://kyujyou.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%81%AD%E3%81%9A%E3%81%BF%E7%94%B7_610
福崎さんの紹介で被曝二世で活動家の牧師さん、大月純子さんとも会った。
<牧師であり活動家である大月純子さん>
そして、原爆ドームの対岸で、地球ハーモニーという音楽祭を17年間開催されて来た梶川さん。
<梶川さんは、フルートプレイヤーでもある>http://blog.goo.ne.jp/kazeno-ie/e/e958c96e06a4cf9d84649546eaf3e99b 梶川さんにも貴重なアドバイスを頂き、また他の方も紹介して下さった。
広島では様々な出会いがあり、とてもありがたい気持ちになった。
次の日は、広島でのステージ実現のため県庁まで出向き、元自衛官のヒデさんという広島在住のメンバーと打ち合わせをしてから京都に帰った。
<ヒデさん。元自衛官なので、戦争ごっこ遊びではサマになっていて、実にかっこ良い。
しかし彼の撃つ輪ゴムは全然当たらないので、今では僕に戦力外プレイヤーと見なされている。ははは。
それにしても国と国が戦争で決着つけるなら、輪ゴムにしたら良いのにな、と思うよ。>
翌日からは、いよいよ中東に向けての出発準備だった。これがまた、、、まあ簡単な話というわけでもないのだ。
ー続くー