また1つドジを踏んだ
ロッブリーからバンコクに戻っても、あまりのんびりする余裕はなさそうだった。
僕は、一向に追いつかないブログ作業に取り組まなくてはならなかった。活動とブログの両立は、そうそうできるものではなかったのだ。
ところで、ドジをまた1つ踏んだ。僕は22日が帰国日だと思っていた。ところが、だ。何気なくチェックしたら、それは21日の間違いだった。チェックしなければ、22日に空港に行くところだった。
困ったことに、21日はウドンラチャタニで出会った3人と再会を約束していた日だったのだ。
旅の途中で会った3人とバンコクで再会できないのは残念だった。4人で行くチャオプラヤ河のディナークルーズがふいになるのも惜しかった。
仕方ない、とランサンに電話した。電話で彼も、しきりに残念がっていたが、僕が黙って帰らずに、ちゃんと彼に電話で伝えたことを喜んでもいた。
フランス人の日本のマンガ好きの2人にはメール送った。ところが、“それはあまりに残念だ〜、明日の20日に会えないの?”という返事が来た。
結局、翌日僕のホテルのロビーで、6時に彼らと待ち合わせることになった。(この日ランサンは、まだ地方から帰っていない)
お誘いの電話
僕はホテルで、せっせとブログ原稿を書いていた。すると、夕方5時半に電話がかかって来た。なんだ、早く着いたのかな? そう思って受話器を取る。
すると、ボリスが言うには、彼らは今、タイ人の家に泊めてもらっているのだけど、今日は仏教儀式の日で、大勢親戚が集まっている。それでこの家の人が言うには、これからみんなで夕食するから、僕にもこっちへ来ないか、と言っている。だから良かったらこちらに来ない? と、言わばお誘いの電話であった。
これも何かの縁。面白そうなことは見逃さない。これは、僕の人生の指針でもある。僕は、了解、と答え、ほどなくタクシーに乗った。
着いたら、やたら大きな家だった。部屋はたくさんあり過ぎてよくわかないほど。外国人も6人宿泊中で、ドイツ人、アメリカ人などもいた。
<宿泊滞在中の外国人たち>
<アメリカから来たという2人。お互い、近所で育ったそうだ。この他にもドイツ人の女の子がいた>
午前11時から食事が出て、ずっと食べ続け、これからまた夕食だという。
誘ってくれたのは、アイスという大学生の女の子だった。今年は日本に行って、富士山に登りたいそうだ。何だか、タイで知り合いがどんどん増えて来た。僕は、楽しいことはいつでも大歓迎である。
あっちこっちの部屋で、何やらかにやら、やっている。僕らも、あっちこっちの部屋で、いろいろと食べさせてもらった。気のいい両親や、親戚一族の人たちだった。
<アイス。日本に来たいそうだ。イギリスにも語学留学したという>
<ボリスによれば、アイスは優秀な大学生らしい。(タイの東大みたいな所で、さらに優等生)もしかしたら、Tシャツの表情を真似しているのかな? と思ったけど、そんなことないよね>
<みんなで料理できる、大きな台所>
<次々と料理が運ばれてくる>
バングラデッシュから始まって、いくつものミッションをこなして来た。1ヶ月に及ぶ旅だった。
やっと旅が終わった、というよりも、ああもう終わりか、という感じだった。実は、いつまでも続けたかった。いつまでも漂泊していたかった。
もし叶うことなら、「利他の悲しみ」(下記の注を参照)など、味あわずに済む人生を歩みたい、とそんな気にもかられた。
僕には屋台で風に吹かれて食べる食事と、一杯のビール、そして楽しい人たちとの出会いがあれば、それで良かった。
、、、本当は、いつまでも旅人でいたかった。 、、、。
ーーー(旅ブログ篇、終わり)ーーー
注:「利他の悲しみ」は先月書いたブログです。あれから加筆修正しているので、今一度ご参照頂けたら僕はとても嬉しいです。