人生を芸術にすることがタオサンガの目的である。
なぜなら、念仏と如来の大愛を分かち合うために生きることで、心も生き方も生活も、クリエイティブでエキサイティングなものになるからだ。
いや念仏云々の前に、むしろこう言おう。もし人生が、クリエイティブでもエキサイティングでもなかったら?
私たちは、色あせた日常の中に埋没し、年々老いて朽ちていくだけだろう。そもそも人間存在などそんなものだ。
もし念仏がなかったら? 僕に言わせれば、人は永遠の世界につながるすべもなく、ただ生き、老い、そして死んでいくだけだ。
多くの人は、人生なんてそんなもんだと思っている。永遠の幸福と喜びの世界があるなんて、予感していないから、、、。
もっともそんな人でも、内心、無意識は不安にかられていている。本当はその心の砂漠に耐えられない。
そこで、テレビや映画を見たり、小説を読んだり、買い物をしたりする。あるいは、来年の旅行の計画を立てたり、友人たちと飲んだりする。そうして日常を忘れることに努める。
あるいは、親戚や仕事のことをあれこれ考えたり、日々の雑多な問題について悩んだり、日常の多忙に逃げたりして、生老病死の現実を見ないようにする。
人生なんてそんなものだ、それ以外に何があるんだ、社会で生きることは大変なんだ、そう思って一生を終えるのも、また人生。有限の時間をどう使って、どう人生を終えるかは自由だし、人それぞれだ。
しかし一方ではそうでない人もいる。どうしても、世の中に合わせて生きているだけでは耐えられない、ただ日常に埋没したまま終わるような人生では耐えられない、そう感じて焦燥感にかられている人だっている。
せっかく生きているんだから、有限な人生を芸術にしたい。クリエイティブでエキサイティングなものにしたい。そう切望する人もいるのだ。
そして恐らく、タオサンガでの念仏修行に向いているのは、そのような人だろう。その他、世間では、当たり前のように行われている、無責任な大人のウソになじめない人、また思いやりあるが故に、人生で傷ついて来た人も、またそうだろう。
ならば、こうして出会ったのも何かの縁だ、と思いたい。共に人生を芸術にしようじゃないか。心も、生き方も、生活もアートにしようじゃないか。
シャガールのように美麗に、モーツアルトのように美しく。そして、いつでも全てを捨てる覚悟で、あるいは捨てて生きた、一遍上人のようにかっこ良く。
<一遍上人像>
※朝昼晩と大変密度の濃いーときを、一ヶ月近く過ごしていました。その間、まったくブログが書けませんでした。何をやっていたかは、次回のブログで。(あまり期待されても困るけど)