目に見えない霊的存在によって起こる、
様々な心身の不調を取り去る方法。
これを、いかにメソッドとして体系づけ、
他の人々と分かち合うかを、人生をかけて研究して来た。
目に見えない霊的存在というのは、
救われない霊や魔と呼ばれる邪霊だ。
多くの人々の症状が、
それらが原因で起こっていることを、
タオ指圧臨床で散々、体験した結果、
これに踏み切ることにしたのだ。
しかしそれは、いつ終わるとも知れない、
果てしなく時間のかかる作業だった。
結局、これまでの人生のほとんどを使ってしまった。
原因の一つは、かつて師匠に言われた封印を
解かなければならなかったことだ。
正直言って、それには崖から飛び降りるほどの
向こうみずな勇気が必要だったのだ。
霊的世界と向き合う上で最も問題だったのは、
大乗仏教の基本である「空思想」を土台とするかどうか、
という問題。
仏教との整合性をどう取るかは、
先にも述べたこの課題を与えられた僕にとっては死活問題だった。
一般の人は、効果さえあれば、
そんなことはどうでも良いことかも知れない。
でも、一応、述べておくことにする。
まず、霊的回向の行法は、
対象化することで諸霊を認識する。
これは、空思想を真逆に捉えなけば成立しない。
そして、この問題をクリアしなければ、先に進めなかった。
しかし、散々悩んだ末に気づいたのである。
空思想を大乗仏教とは真逆に捉えているのは、
密教も同じだった。
外から見たら滑稽な話かも知れないが、
こんな、コロンブスの卵みたいに簡単な解決方法を見つけるために
永年、悪戦苦闘したのである。
諸霊を救済する
先にも述べたように、目に見えない霊的な存在は、
私たちの心身に対して様々な形で働きかけて来る。
その中心となるのは、救済を求めて来る諸精霊である。
そのサインは、先にも述べたが、
身の違和感や不快さとして体感されることだ。
(睡眠の妨げになったり、頭痛が起こったりもする)
本来、心身は、宇宙と融合した快い状態であるべきものだ。
しかし諸霊が救いを求めて来ることによって、
心身の一部に不快さや重さなどを感じるのである。
その辺りの事情を知らないと、
心身の不快さや重さを、
自分の一部だと認識し、
つい自らに取り込んで、カルマとして背負ってしまう。
霊的資質がある人には、諸霊が救いを求めて来る
霊的資質のある人に諸霊が救いを求めて来るのは、
ある意味、当然である。
救われない諸霊は、心身にもたれて来る。
そして、諸霊が溜まって来ると心身が重くなり、
やがて不調になっていく。病気になることもまれではない。
しかし、霊的回向の行法メソッドによって、
救いを求めて来る諸霊を諸仏菩薩、
諸天善神に救済して頂くことができる。
それだけではない。
天上界以上の世界に救済された諸霊は、
今度は、回向修行者の守護神になってくれるのだ。
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