自分が諦めない限り、可能性はある(風ブログ)

生きていると、時々がっかりすることが起きる。

 

実はその時は一瞬、いっそ全てを諦めて、

全部放り出してしまおうか、とさえ思いかける。

 

「自分さえ諦めれば、全て丸く収まるのだ。

 

この道は厳しい。

 

だから、この道を真摯に歩む他の人にしても、

自分が諦めれば、もう葛藤しなくて済むようになるのではないか。

 

そうして自分は安い所を旅して巡るか、

のんびりビーチなどで過ごせば良いのだ」

等々を考える。

 

しかし…….だ。

 

次に生まれ変わったら自分は何をするかと言えば、

きっと現在やっていることの延長だろう。

 

”前回の人生では、あまりにも大変で諦めたから、

今度は最初からやめておこう”とは、ならないだろう…..。

 

となると、人類に可能性がある限り、

挑戦しないわけには行かないのだ。

 

今はどうか? 

もう人類に可能性はないのか? 

わずかでも、まだ可能性はあるのか?

 

自分としては、可能性を認めないわけには行かない。

 

ややこしい言い方だが、

それなら、まだこの道を続けないわけには行かない。

 

少なくとも自分が諦めない限り、可能性はあるのだから。

 

「神への献身」という実話を元にした映画で、

”神様、私を自由にお使いください!”

と祈るシーンがある。(上の写真)

 

そんな気持ちである。

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