出版社の法蔵館編集部に行った。新刊の打ち合わせのためである。
法蔵館は、「タオ、気のからだを癒す」を出してくれたところ。
そういえば、あの原稿は、英語、イタリア語、スペイン語、

ヘブライ語、ドイツ語、フランス語では出ていたけど、法蔵館から出版されるまでは、日本語では出ていなかったのだ。
この日の打ち合わせは、「気の幸福力」の紙版の書籍について。
僕が、どうでも良いジョークを飛ばしながら打ち合わせしたら、笑いながらノってくれた。
ストレートなノリは、編集長代理の田中夕子さん(写真右)。笑いをかみ殺すように(?)ノってくれたのが、満田みすずさん(写真左)である。




また、写真には写らなかったが、販促部長の木村恭子さんも社長の西村明高さんも途中に同席。みんな、打てば響くようにノリが良かった。音楽もそうだけど、何でもノリが大事である。(特にジョークのノリは、ね)
、、、と、まあ、ここまで書いてから、ふと思った。
もしこれが、実はみんなで、適当に僕に合わせてくれていただけだったとしたら、どうしよう〜。
僕が勝手に満足して「何でもノリが大事である」などとノタマワっているとしたら、これは相当おマヌケな話ではないか、、、。
うーん、“恐るべし法蔵館”なのか? それとも僕が、“思春期的自意識過剰症候群”なのか?
なーんちゃってね。



<追伸>

法蔵館のブログにも載っていた、、、。
http://hozokan.blog67.fc2.com/blog-date-201106-2.html
うーん。写真に写った自分の顔を見て、やはりちょっとマヌケっぽいなーと思った。”
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7、8年前だったと思うが、”よし、今年一年は、休むことを仕事にしよう”と思ったことがあった。でも残念ながら、思っただけで終わってしまった。(その後、次々とプロジェクト立ち上げちゃって)

でも、そもそもの動機は何だったかのだろう?
文化はヒマから生まれる、なんて思ったからだったかも知れない。

なんせ江戸時代の日本人は、今と違って、あんまり働かないで、おしゃべりしたり将棋さしたりして遊んでいたらしい。完全リサイクル社会だったし、、、。だから江戸文化が花咲いたのかな?

そんなことを思って、何年も前のことだけど、近所の将棋センターに行っていたことがあった。昼間からおじさんたちがビールなんか飲んで、将棋さして遊んでいて、良い雰囲気だった。
”やっぱりこうでなくちゃな”なんて思って、僕も混ぜてもらっていた。20歳の頃に住んでいた清和荘という伝説のアパートは、住人が皆こんな感じだった。そんな中で、僕は、STRAXE(ストララグゼ)という戦略ゲームを発明したのだった。

それから、インドをバックパッカーとして貧乏旅行した人ならわかるだろうけど、
インドにいると、一日一つのことしかしない。例えば、今日は銀行で両替するとか。駅に切符を買いに行くとか。

それは例えば、銀行員がチャイを飲んでおしゃべりしながら時々仕事をする、というペースなので、行列が長くなって時間もかかるからでもあるが。

カーリー寺院を見に行ったとかになれば、それは大仕事である。後は、何もやらない。
カレーを食べるのとチャイを飲むのと、、、せいぜい、安宿で他のバックパッカーと旅の話を咲かせるぐらいである。

この時、旅をしている長さで、旅人同士のヒエラルキーが決まるというのが、何とも、、、、。まあそれは、病院の待合室に集まる老人たちのヒエラルキーが、病気の重さだったりするのと同じようなもんである。
きっと最近では、日数や支援の大きさで、被災地ボランティアのヒエラルキーなんかも生まれているだろうなあ、、、。ああ、人間って。

それはともかく、再挑戦。レベンジである。
いろいろとプロジェクトがあっても、とにかく少しでもインド旅行っぽいノリで休めば、自分を誉めて、”よしよし、よく休んだぞ。” と思うことにしよう。

ということで写真は、僕が休む喫茶店「茶夢」のマスター。
ご夫婦でノラ猫の世話をされている、優しい人たちである。
ここでマンガや週刊誌を読みながら、気分をインドの旅へ。



カルカッタのマザーテレサのセンターも、皆ハードワーカーだったことは、今は忘れることにしよう。お釈迦さまが50年間、一日も休まなかったことも、弁栄上人もまたそうだったことも、忘れることにしよう。、、、休むときには。

 

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イベントの三日間は、まさに疾風怒濤だった。
タオ指圧の専用ルームは、いつも受療者で混み合っていた。
受療者全員が、タオ指圧によって必ず症状が取れるという体験をしてもらう方針で臨んだ結果は、思った以上だった。
“ミラクル!”(奇跡だ!)とかの様々な賛嘆が患者さん達の口から漏れたそうだ。

部屋全体に喜びと驚きの“気”が 満ちていた。 
施術費は定めなかった代わりに寄付箱を置き、「全額東北被災者の支援のために使います」とだけしたためた。そんなタオ指圧イタリアの心意気が来訪者にも伝わったのだろう。部屋には明るく温かい気が漂っており、それが僕を幸せな気分にした。

一方、治療デモンストレーションやワークショップも思った以上にうまく行き、僕はホッと胸をなで降ろすことができた。 
しかし今回のイベントで、僕が本当に驚いたことは別のことだった。
それは、集まったメンバーの全員が、何一つ自分の利益を求めて参加していなかったことだ。
彼らは三日間というもの、朝9時から夜の9時まで、まるで休むことなく献身的に、それこそ汗水垂らしてワークに従事した。
ここまで無私無欲の行為を、忍耐強く一日中続ける彼らの謙虚な姿を見て、“やっとタオ指圧に、このような生き方をする人たちが集まって来るようになったのだ”と、僕は深い感動ともに思ったのだった。

タオ指圧の、これまでの長い長い道のりを思うと、僕はそう考えずにはおれなかったのだ。   さて、三日間のワークを終えたタオ指圧ルームで、輪になって一人づつ感想を述べ合った。
その時、ダビテという人が語った。
“このイベントには数多くのブースが出店していましたが、ほとんどがビジネスのためでした。しかしタオ指圧だけは違った。私利私欲がなく、何—つビジネスの匂いがしなかった。私はそれが本当に素晴らしいと思ったし、来訪者の皆さんも、それを感じたのではないでしょうか”
またローマから応援に来た野宮さんは、“今まで自分は、痛みの2、3割も取れたら良しとしてしまっていました。
けれども、そうではなかった。タオ指圧では、一回の施術で、ちゃんと症状が取れるということが体験できて良かった”と述べた。
アルフレッドは、“イベントでのタオ指圧ルームに、間違いなく、阿弥陀如来が臨在されているのを感じた”と語った。
さすがは、ウィーン阿弥陀センター代表の発言である。
そして僕の番になった。
「今、野宮さんが語られたように、タオ指圧で症状が取れることは当たり前のことなんです。何と言っても、患者さんの潜在意識に働きかけるのがタオ指圧なんですから。
でもタオ指圧臨床の真の目的は、症状が取れるという、そんな“タオ指圧にとって当たり前のこと”にあるのではありません。実は、真のタオ指圧の目的は、受け手の運命を良きものに変えることなのです。 そして、そんなことすら可能となる治療家になるカギはどこにあるのか? それは今、アルフレッドが述べたことと関係する、念仏修行なんです。」
こんなこと、知らない人もきっと多いことだろう。
これらのことは、今後もっと明らかにして行かなければならないな、と思った。

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イタリアの代替医療イベントが始まる前のミーティングで僕は提案した。

「施術を受けに来た全員に、症状が取れた状態で帰ってもらうことにしましょう。そしてタオ指圧が、どんなに他の療法とは異なり、治療効果のあるものであるかを、はっきりと体験してもらいましょう。」

このため、全体の施術の時間は45分。前半と後半を二人で行う。すなわち、基本手技スタッフは20分で終え、その後は、症状を取る治療専門スタッフに任せる、という体制にしたのである。

治療専門スタッフは、ロリダナ、アルフレッド、オリバーといった面々。いずれもタオ療法の治療者である。また彼らは、プライベートな生活よりも、仏道の弘通を人生の根本目的として置いている。

実はタオ療法の劇的な治療効果は、そんな生き方から生まれるのだ。もっとも、こればかりは、実際にその心境になってみないとピンと来ないことなので、説明の仕様がないのだけれど。



受付や来訪者への説明は、アントニオ、アンドレア、アレキサンドラ、ダビテなどが行う。

僕が彼らに、「この部屋に来た人は、どんな人でも温かく迎えられるようにして下さい。その人が施術を受ける受けないに関わらず、“タオサンガの部屋で、自分は大切な存在として扱ってもらった”という気持だけは、必ず持って帰ってもらうように」と、必死で強く訴えた。

これは、僕はどこのセンターでも、いつも気にしていることだ。人が集まると、仲間内だけで話してしまうことがある。あるいは、自分が話している相手だけにしか、気を向けなかったりしがちだ。

僕は、センターに初めて来た人が、少しでも気遣われなかったり、また、大切に扱われなかったりするのを見たりしたら、本当につらく悲しい気持になるのだ。

さて、まゆさんには、治療専門スタッフだけでなく、部屋全体の采配を頼んだ。僕は僕で、治療デモンストレーションの一回一回をこなしていかなくてはならない。

三日目は、何と、ワークショップと治療デモンストレーションの時間が30分重なっている、、、。どうしよう? 僕は、11時40分から2時までワークショップをやっている。しかし治療デモンストレーションは、1時半から始まるのだ。

そこで、一計を案じた。まず、何人かのイタリア人スタッフで、1時半からの治療デモンストレーション見学者たちを相手に、気のテストなどをやっていてもらう。

2時にワークショップを終えた僕は、すぐに中庭にかけつけ、2時半まで30分の治療デモンストレーションを行う、という段取りである。休めんな〜、などとは言っていられない。

イベントは、金曜日こそ2時から始まるというものの、土日は10時から始まり、終わるのは何と夜の9時だ。ヨーロッパの夏は、8時でもまだ明るい。だから、まあこんなものか。夏のヨーロッパは、1日が長い。

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「イベントの疲れは取れましたか?」というメールをイタリアで受け取り、思わず机からずり落ちそうになってしまった。
イタリアでのこちらは、大変な重圧を感じる中で代替医療のイベントが始まるところだったからである。

タイ経由でベローナにやっと着いて、午前中は、湖畔のホテルで朝食をゆっくりと頂いた。
しかし優雅な時間は、そこまで。
午後からは、もうイベントの準備に取りかからなければならなかった。

金土日と3日間続くこのイベントでは、手技療法やヨガ、アユルベーダ(インドの伝統的な薬草医学)の他、様々なヒーリンググッズが展示販売を行う。
伝統的な建物に、庭まである広い会場で行われる、フェスティバルなのだ。

その中で、タオ指圧イタリアは、チャリティ施術を行う部屋を一つ取るだけでない。
ガーデンでは日に何度も治療デモンストレーションを行う他、日曜日には2時間半の無料ワークショップまでこなさなくてはならない。
フェスでもけっこう重要な位置を占めているのである。
チャリティ施術には、ローマから絹子さんや野宮さんがサポートに来るだけでなく、オーストリアからもアルフレッドやオリバーも応援にやって来る。総勢で13人だ。


「準備でごった返す会場」

施術の部屋については、まゆさんに任せることができる。
しかし治療デモンストレーションやワークショップは、僕がやることになっている。(イベントのパンフレットに、名前まで書いてあるんですよ?。)
治療デモンストレーションというのは何かというと、「どこか痛みなどの症状がある人はいませんか?」と会場で呼びかけて、出てきた人の症状を数分の治療で取っていくというものだ。
やる前は、“一体、治んなかったらどうすんだよ。恥かくだけじゃねーか”と、実は内心自分にぼやきながらの技である。
しかも会場では、「痛みなどの症状がある人は集まって下さい。日本から来たマエストロ遠藤喨及が、タオ指圧でどのように症状が取れるかの治療デモンストレーションを行います」などと、毎回放送までされてしまう。
そんなのを3日間で6回もこなさなくてはならない。しかも2時間30分のワークショップまであるというのだから、”ああ、無情!”。重圧以外何ものでもないのである。(リングに上がる前のボクサーとまでは言わないけどさ。うぅっ。)
そんな”ああ、どうしよう~。早くモードを切り替えなきゃ”なんて内心思っている中で、「イベントの疲れは取れましたか??」なんていうメールをもらったので、ものの見事にずっこけたのであった。
そう言えば何日か前に、京都でUNIチャリティイベントなんていうものがあったんだっけ?。

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過去はなるべく振り返らないようにとは思うのだが、何分、まだ三日前のことなので、報告がてら記しておきたい。
で、三日前に何があったか。UNIチャリティ・フェスティバルをNPOユニ主催で開催したのである。
なにせ、開催すると決めたのが、一ヶ月前というのだから、われながらあきれてしまう。しかも、NPOユニでこんなイベントを主催するなんて初めてのこと。
当日取材に来た毎日新聞の記者に「30団体近くが集まって、ずい分と規模が大きいですが、いつもこのようなイベントを開催しているんですか?」と聞かれたぐらいである。
実は開催すると決めた時は、出演者も講演者も出店者も用意していなかった。だから最初の1、2週間は、内心ヒヤヒヤものであった。あとは開催に向かって、UNIの皆んなで、疾風怒濤の勢いで動いたのだった。

意識の上ではヒヤヒヤものであったが、しかし実は、「大丈夫、うまく行く」という、あちら(何て表現して良いかわからないから、とりあえず“あちら”と呼んでおくが)からの声は、心の深いところで聞いていた。それでも、開催に向けて、あらゆる努力は怠らなかった。
さて当日は、朝からどしゃぶりの雨になった。それで、“どうすんですか、一体!?”なんていう、出店者の方からは電話があった。
それでも僕は、“やりますよー、もちろん!”なんて、100%明るい声で応えたのは、「大丈夫、うまく行く」という内面からの声を聞いており、これに支えられてのことだった。

そして結果は、すべてオーライだった。朝の雨のために館内にも店が出せたし、午後からは晴れて来て、大勢の人が来て下さった。
ライブ演奏の時は、何と太陽の光までさして来て、シチュエーションとしては素晴らしいものになった。仏さまのご加護やアレンジメントは、最後までドラマティックだった。

UNIチャリティフェスティバルの様子

そして翌日は、関西国際空港からフライト。バンコクで一泊した後、ローマ経由で、ベローナにたどり着く。金曜日から行われる、イタリア代替医療全国大会でデモンストレーション等を行うためだ。
こちらでタオサンガの普及に頑張っている、ロリダナとアントニオの助人のためなので友情出演というやつである。
われわれは、走れメロスの気分で、イベントの翌日出発したのだった。写真は、ベローナの湖畔での朝食。

ベローナの湖畔での朝食

 

 

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以下、5月22日に京都国際交流会館で行ったUNIチャリティフェスティバルの写真です。

 

アイリーン・スミス
長年の友人であるアイリーンスミスさんの講演

岡野 弘幹
ー昨年、天河神社で共演した、天空オーケストラの岡野弘幹さんの演奏

遠藤りょうきゅう&lamani
遠藤りょうきゅう&lamaniのライブ演奏

風力発電で遊ぶこども
風力発電で遊ぶこどもたち


会館内 飲食店


会館内 フリーマーケット

自転車発電
自転車発電で音楽を流す

遠藤りょうきゅう&LAMANI ライブ後
ライブが終わってほっと一息

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実を言うと、ブログを書くのがちょっと面倒になって来た。
なぜか? 外的な行動のことばかり書いているからである。

確かに、一風変わった、面白いことばかりやっているかも知れない。
だけど、写真はいつも撮り忘れるしなあ、、、。
きっと、一生懸命過ぎて、写真どころではないのだろう。

なるべく読者サービスと思って、面白かったできことを書こうと、思いはする。
だけど、心から自分が人と分かち合いたいと思うのは、本当は内面生活の気づきなんだ。

例えば、今日僕が何を気づいたかというと、「自分とは何か?」である。
これがわかってしまったかも。(←ホントかよ。)

例えば、Aさんは、Aさんとして顕われた自分である。
BさんはBさんとして顕われた自分である。
この実感が、ふいに湧いた。
すると、心が広がって、楽になった。

良き人も悪い人も自分として顕われた良き人、あるいは悪い人。

これは、あらゆる人がお互いにそうである。
だから、自分と思っている自分は、本当はいないのである。

これを頭で考えないでね。
哲学じゃないから、頭で考えないで頂けたらうれしいんだけど、、、。

ところで、これを事実として認識する心のことを、
仏教では「妙観察智」(みょうかんさっち)とも言う。
諸法無我という言い方もあるなあ。

こんなことに気づいて、何か得することあるのか? 
そう聞かれるかも知れない。

事実、得をする。
人生における心の自由性が、かなり広がるのだ。

心が自由であればあるほど、人生は楽しくなる。
楽しそうな人って、心が自由そうでしょ。

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昨日は、一日の動きのことを書いたので、今日は、
一日の最後あたりのことを書いてみる。
ブライアン・ウイリアムズさんという画家がいる。



彼は、20年ぐらい前に、膝の故障でタオ指圧のクリニックに来られた。
つまり、かつて僕の患者さんだった 人だ。
膝が治ったことをいたく喜んでくれて、リトグラフを下さった。また、その後も、CDの推薦文を書いてくれたりし た。
ご家族みんなでCDを聴いてくれているそうだ。
ブライアンさんは、何かの節目ごとに出会う人である。

さてブライアンさんは、清水寺をライトアップして行う、一 夜だけの展覧会を開いた。
それに招待して下さったので、夜出かけて行ったのである。
実 は、夕方からのブライアンさんを囲む、特別な会もあった。だが、それに気がついたのが、何と今日のこと。
出席か欠席かの 返事すら出せなかった。申し訳なさで、うわごと言うほど後悔したが、もう遅い、、、。
清水寺は、たくさんの人でごった返していた。ブライアンさんの人気のほどがわかる。そして、テ レビの取材らしきものが行われていた。
その後、人ごみの中でようやくブライアンさんと話すことができた。

その後、ビックリしたのは、精華大の先生で、京都ジャーナルの編集長である、ケン・ロジャースさんと奥さんのユリさんがいたことであ る。
ケンとは、ここ数日、何とか会ってフライヤーを渡そうとしていたので、この偶然にも感謝である。

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一日の行動をブログに少し書いてみようと思った。
チャリティイベントまで、あと何日だろう?

午前中、家でメールのワーク。
そ の後センターで、スー(イギリス人施術者)が患者さんを診るのを少し手伝う。


<12:45 pm   京都のイスラム文化センター>
UNIチャリティフェスティバルでは、パレ スチナコーナーが出店する。僕がパレスチナの難民キャンプで 会った、日本アラブ未来協会 の田中さんによるものだ。

そんな関係で、昼過ぎに、京都のイスラム教寺院へ行った。あらかじめ、モスクリーダーのセレムさんとは、金曜日の礼拝後とい うことで ア ポイントを取っておいた。

セレムさんはトルコ人。トルコ料理の店に卸す材料の会社をやっているそうだ。
セ レムさんとのアポイントを取りつけた時点では、僕はアラブ料理の出店を提案するつもりだった。しかし、すでに出店希望の方も多く なって来たので、イベントの説明をしたり、フライヤーを置かせてもらったりするにとどめた。

イスラム教は、布施もまた大切な要素だ。そのためだろうか、話していたら、セレムさんの会社でトルコ料理の提供もしてくれそ うな雰囲 気だった。
それにしても、こうして被災者支援というチャリティイベントを通して、いろいろな人と繋がって行くこと に、とても楽しさを感じる。
これがビジネスだったら、こんな楽しさはないだろうなぁ、と思う。
もっとも僕は、ビジネスをやった ことがないから、まあこれは勝手な推測である。

イスラム寺院を出てしばらくしたら、ブログのための写真を撮るのを忘れていたことに気づいた。しかし、後の祭りである。
京都 のイスラム文化センター。日本なのに、イスラム系の人たちでごった返している。僕も始めて見た光景だ。思わず、「マサレ ミ!」(うろ覚えのアラビア語で、”こんにちわ”だったような気がする)なんて言ってしまった。
ここの光景。写真で、皆さんにお見せし た かったなあ、と思った。
帰り際に、僕がセレムさんに言ったトルコ語の「ありがとう!」(ティシュクレ
エドリム)は、間違っていなかったようだ。喜んで笑顔でしてくれた握手が、とても力強いものだったから。
実は、「ティッシュをくれ、エ ドリム」で覚えていたのだ。

<2:30pm  オレンジの会>
以前からつながりのあった、引きこもりの人の支援をして いるNPOオレンジの会とお話ししに行く。そこで理事長の稲垣さんと、初めて お会いする。
バザーを出店し、10人がイベン ト当日のお手伝いして下さるという。
これは、ありがたい助っ人である。
そして僕は、ここでも写真を撮るのを忘れる。

<7:30pm チャンドリカ>
「今度こそ写真を撮ろう」と思いながら、ハー ブティー出店の申し込みをされた、チャンドリカという人に会いに行く。ここ数日、メー
ルと電話だけでコミュニケートしていたから、顔は 知らない。
しかし会うなり、「どこかで会いませんでしたか!?」という言葉が、僕の口をついて出た。何だか、前から知ってい るような気がしたか らである。
次に、日本語と英語のどちらで話すのが良いかを聞き、英語で話すことになってから、会話がスタートし た。聞けば、昨年のビーガンアース デイで僕らのバンドのステージを見てくれたと言う。
ところがどっこい。それだけではなかった。
タオ指圧のことは、イスラエルやらインドやらで聞いていて、タオサンガセンターで、チャリ ティ施術も何度か受けたとのこと。それにサ
ンガメンバーの磨弘さんのことも知っているというではないか。な〜んだ。やっぱり どこかで繋がっていた人だったのね、という感じであ る。
喫茶店を出てしばらくしてから、また写真を撮らなかったことに気づ いた、と言いたいところだが、事実は違う。今、書いていて気づいた
のである。結局、今日一回も写真を撮らなかったな、、、。

<8:30pm ペーター/ドイツ料理店>
「きっと普通に探したので は、絶対に見つからないだろうな」というのが、イベントに出店し、ミートボールを出してくれるという、ペー ターさんのドイツ料理店の場所である。たまたま、そこの近所の旅行代理店KRKで、いつも僕は航空券を買っていた。そこの山本さんに 聞いてみたら、連れて行ってくれたのである。

夕食時に行ったけど、店は閉まっていた。
電話番号をメモして来なかったので、フライヤーを郵便ポストに入れて帰る。
自転車をこぎながら、ペーターにイベントのことを 紹介してくれたドイツ人、ベッティーナに電話。ペーターさんには、僕がフ ライヤーをポストに入れておいたことを伝えるようにと頼む。ド イツ料理店は、イベントでミートボールを出し
てくれるそうだ。

これが今日のスケジュールの一部。
もっとも合間 (4pm−6pm)には、
ウィーンメンバーのハイケから入って来たメールの返事があった。
ウィーンで製作中のDVD「気心道とタオ指圧」の訳についての
質問。メールでーつーつ答えなければならなかったのですよ。ヒィー。

ウィー ンで制作しているのは、英語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語版。
向こうの製作所の関係で、イタリアでは今日が締め切りだと言う。そ れは、僕らも行くことになっている、5月27日からイタリアで開催
される代替医療のイベントに間に合わせるためだ。イタリア のロリダナたちをサポートするため、ヨーロッパ各地のタオ指圧メンバーも集まることになっている。要は友情ですよ。
ちょっと遠いけど、「走れメロス」の気分で僕らも行くのである。
だからイベントの翌朝に、関空か らフライトである。

ところで先ほどのハイケは、念仏で不思議な体験をした人。7月が出産予定である。きっと、でかい腹を抱えな がら、がんばっているのだ ろうなあ。
赤ちゃんにミドルネームを付けてくれというので、文殊の智慧のMonjyuにしたら? と言ったら、本当にそうするという。責任感じるなー。
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実は僕は、妙にええかっこしいのところがあって、それは”必死に努力してる姿なんか人に見られたくない”というものである。
それで、ブログを書けなかったというわけ。今、何やっているかというと、UNIチャリティイベントの準備です。

http://npouni.net/event

ところがだ。今日の午後、ぽっと数時間空けることができた。
その理由の1つは、チラシが届くのが明日になったこと。もう1つは、パレスチナで会った京大で英語を教えているTinaさんという人と、イベントの件で会うことになっていた。
しかし昨夜、車をぶつけられたとかで、予定が変更になったからである。

それにしても縁というものは、不思議ですな。
2年ほど前に、キリストの生誕地ベツレヘム近郊の、イスラエル/パレスチナ平和教育会議に参加して、ワークショップをやった。
講師も、自分の出番以外には、他の講師のワークショップにお互い参加するというシステムである。

また分科会だから、いくつものワークショップや講義が同時進行で行われている。
それで僕は、「イスラエルが建設する分離壁(アパルトヘイト壁とも言う)の問題」という講義にも出席した。
その時、Tinaさんもいたのである。

参加者がお互いにまず自己紹介するところから分科会が始まったら、二人の人間が京都から参加していた。それで、その時、両者から出た言葉が、「世界は狭い!(Small World!)」であった。

ガザから来ている人もいた。彼は、お相撲さんみたいに体格が良くて、何だかとても頭も良い人。ガザにどれほど経済発展の可能性があるかという彼の話も、興味深かった。分離壁よ、なくなれ!

 

 

パレスチナでの活動レポートはこちら

 

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