‘ゲームCHATRANGA’

大ごとだった!大学でのゲーム大会

2014/02/23 Categories: ゲームCHATRANGA バングラデッシュ支援

  こんなに大ごとになるとは思っていなかった、というのが最初の僕の感想である。会場には何百人といる上、花や壇上まで用意されている。

そして学長、教頭先生など主だった大学関係者たちと一緒に、僕は壇上に上げられた。その上、スピーチまで求められたのだ。

 

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<来賓の祝辞>

 

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<学生たち>

 

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<学長のあいさつ>

 

これでは、“ねぇ、面白いからみんなで遊ぼうよ〜”なんて、言ってられない。

さて、開会式が始まり、来賓は次々と祝辞を述べる。

 

学部主任は、“これはかつてないイベントです”というようなことを英語でスピーチした。さらに、“GAMEチャリティックスは数理をイメージ化するゲームであり、これの哲学的な世界云々”と語る。    

僕を、“そこまでチャリティックスについての理解が進んでいるのか!”と驚いた。 

それにしても、冷や汗どころの騒ぎではない。いつまでも終わらないのは、カリムの延々と続くチャリティックス論の演説だった。    

そしてそれに耐えている自分は、何だかインドのコメディ映画の役者にでもなったような気分になって来た。今にもダンサーたちがまぎれ込んで来て、みんなで一緒に踊り出すのではないか、と思ったほどである。

 

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<チャリティックスとは〜、というカリム氏の演説が止まらない>

 

やがて指名を受け、僕がしたスピーチは、カリムの100分の1にも満たない短いものだが、それは以下のようなものだった。

 

“人生は目標に向かって戦略を立て、選択を決断していくことで成り立っています。僕が、このゲームを創ったのは、人々に、人生で成功するための戦略や決断のスキルを磨いて欲しいと思ったからです。さらに人と人が、国境を超えて友だちになって欲しいと思ったからです。

 

僕は皆さんに、このゲームを通して、国境を超えてたくさんの人と友だちになって欲しいと思います。また、自己実現に必要な、戦略や決断力を磨き、ぜひ良き未来を創って頂きたい。そう心から思っています。今日は参加してくれてありがとう”

 

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<ラジョーさんがベンガル語に通訳>

 

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<開会式に立ち上がって拍手する人>

 

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<さあ、いよいよか?>

 

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<始まるぞ〜!>

 

いやはや大変な1日になった。300人以上もの学生たちが入り乱れての対戦である。勝った回数での順位戦なので、誰が勝ったかなどの統計も取らなくてはならない。もう、“わいわい、ガヤガヤ”どころの音量ではない。

 

講堂の半分は、もはやマイクの声だって聴こえやしない。にも関わらず、マイクを使って演説をがなり立てているカリムと、その部下。講堂は、僕たちに“バングラデシュの選挙って、きっとこんな感じなんじゃないかな〜”と思わせるほどの騒然ぶりであった。

 

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<講堂全体が熱気に包まれている>

 

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<女子学生も負けていない>

 

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<一見地味だが熱気はすごい>

 

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<数理をイメージ化しての読み合い>

 

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<哲学的理解をしていそうな女子学生>

 

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<真剣である>

 

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<まず一勝したわ!>

 

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<緊迫感と楽しさが入り混じった空気>

 

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<やったー!>

 

勝敗の統計は、モングやナイナイなど、ラカイン人(NPOユニが支援している少数民族仏教徒)のボランティアたち数人で走り回って行っている。しかし、300人以上もの人数が相手では、とても人手が足りない。

 

また中にはルールを間違えて憶えている人もいて、僕らも走り回って、直したりした。(英語が通じない人もいて、そうなると怒鳴ってボランティア・スタッフを呼ばなければならない。しかし講堂は、カリムの演説とみんなのガヤガヤ声の音量のため、それも聞こえない)

 

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<汗だくで走り回る、ラカイン人ボランティアのナイナイ>

 

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<僕らも大声でどなりながら(講堂全体が大音量のため)、必死にルールを訂正して回った>

 

1時間後、先生が走り回ってストップをかけた。そして勝敗を計算し、4位までの入賞者が決まった。

しかし、すったもんだが始まったのはこの後である。なんと発表後に、勝敗統計の見落としが見つかったのだ。あっちゃー!

 

そこで壇上で、先生が発表を訂正した。ところが、女学生を含めて何人もが手を上げて、「先生! 統計の発表に間違いがあったのなら、私はもう一度、最後のトーナメントを行うべきだと思います!」などの主張が次々と繰り広げられた。

僕は驚いた。と いうのは、僕はてっきりイスラム教の女性は、「慎み深く、男性の先生に反対意見を言うことなんてない」と、思っていたからだ。

しかしこれは、「日本の女性 がみな大和撫子である」とイメージする、西洋人男性の精神構造と同じ勝手な思い込みだった、と気づいた。(東西変わらず、男性というのは自分好みのイメー ジを女性に投影するものなのだ)

 

まあ結局、感じの良い熱血先生がうまく話をまとめてくれた。そして最短の時間で、最後のトーナメントを、やっと終えることができたのである。

 

またその頃には、学長たちなど主賓が再び壇上に登り、授賞式が行われた。11時から始まったイベントは、かくて無事終了したのである。時間は、すでに昼の3時ごろであった。

 

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<“上位入賞者を発表します!”>

 

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<学長から賞状の授与>

 

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<優勝者の授賞式>

 

大学からラジョー家に戻った僕たちは、ボーッとあまりものも言わずにお昼を食べた。そして、各自しばらく昼寝して休んだ。ナイナイなどのボランティアたちも、センターで寝ていたらしい。

そりゃそうだろう。無理もないな、と思った。300人以上がガヤガヤと騒然とし、その上マイクががなり立てている中で、ずーっと走り回っていたのだから。

 

夜には、翌日から回る、ラカインの学校や村についてのミーティングを行った。朝昼夜、バングラデッシュ滞在中はフルに活動するのである。

 

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ああ、人よ。笑わば笑え

2012/09/17 Categories: ゲームCHATRANGA

「むかしある所に、一人の孤独な少年がおりました。なぜか彼は、将棋などの、戦争を模したゲームが好きでした。そして、ずっと長い間、自分が一人で考えて来たゲームを、心の中で温めておりました。どれくらい長い間かというと、、、(何と驚くなかれ)その最初の発想が、幼稚園児の頃というほど。

彼が20才を過ぎた頃、かねてより考えて来たボードゲームを、手製で作りました。(ようするにお絵描きね)やがて、彼と同じアパートに住む人たちが、毎晩のようにこのゲームで遊ぶまでになっていました。

そのアパートとは、今や伝説と化している清和荘。ここには、アングラ演劇の役者たちやミュージシャン(彼もその一人)、また世の中からドロップアウトして自由に暮らす多くの若者たちが多く住んでいました。

<清和荘の住人たちの一部。「金はないけど、心は自由」。旧中野スパイ学校の元校舎というウワサだった、ボロアパート>

清和荘は、三畳一間しかないのに、どこかの部屋で毎晩のように宴会が行われていました。自由に暮らす若者たちは、時間だけは贅沢にありました。そして、みんなこのゲームをするか観戦して遊んでいたのです。

やがてこのアパートには、インドなどを旅する西洋人ヒッピーたちの間でも有名になりました。そして、彼ら西洋人たちも交えて、このゲームは日々改良され、ルールが整備されていったのです。

<後に西洋人たちも住むようになった。左下のビッキーは、このゲーム大好き。最近、パキスタンに住む彼女とフェイスブックでつながった>

その後もルールの研究は続きました。ゲーム内容は深化し、ついにはベーシック、アドバンス、ファイナルと三種が完成するまでになりました。それは、手製のボードゲームを作った時から、10年後のことでした。

ゲームは一時、自ら製品化して、東京のおもちゃ屋などでも販売したり、2、3のゲーム雑誌でも紹介されていたこともありました。また、任天堂の先代社長に、「テレビゲームが流行る前だったら、一世を風靡しただろう」(個人的にちょっと知っていたので)と言わしめたほどでした。しかし、再び自分の心の片隅にしまわれるようになり、いつしか日の目を見る時を待っていました。

<ゲーム雑誌で紹介されたり、都内のおもちゃ屋、数店で販売していたこともあった>

現在このゲームは、Chara-TX(チャラティックス)と名付けられ、オンラインで遊べるように、プログラムが進められています。」                          一応、物語はここまで。

こんな歴史の果てに、このところ急増しているのが、Chara-TXプレイヤー(チャトランガーと呼ぶ)である。そして東京でも、第一回のミニ大会があった。(昨日、第二回があった)

<楽しそうなのがいいなー>

<この最後の一振りで勝つかも!>

<右が、元清和荘の住人の一人。今やププスの名で有名な、ヨーシンさん。左は、25年前にカトマンズの安宿で友だちになったクライブ。彼は一時、香港の伝説的な安宿、チョンキンマンチョンに住んでおり(現在は東京在住)、夜な夜ないろんな人にこのゲームを教えて、やりまくっていたという。>

多くの人が、僕が考案したゲームで遊んでくれるなんて、長年、自分の心にしまって来たことが実現しているようで、まるで夢のようである。

 パレスチナ映画イベントの夜、東京センターで音楽念仏の修行会や法話後には、夜遅くまでホームページのミーティングがあった。

そして遅い夕食をサンガの皆さんと居酒屋で取ったが、チャラテックス・ゲーム話で盛り上がったのは、僕には垂涎ものの喜びであった。

「ああ、人よ。笑わば、笑え」

<ミニ大会で最高勝率賞を取ったゆうすけ(左)と、「かませ犬賞」と呼ばれる最高負け率賞を取っただいすけさん(右)。堂々としているだいすけさんが、とっても大人(たいじん)に見えた。

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心の友が一気に増えた夜

2012/08/28 Categories: ゲームCHATRANGA

                                   
京都タオサンガセンターの近くでのライブがあった。
その後は、最近お友だちになった、われらが孫さんの焼き肉屋
「いちなん」の屋上で、バーベキューパーティを兼ねたゲーム大会。
ゲームは僕が10年がかりで体系化したChara-TX(チャラティックス)
という戦略ゲームである。(サイトは http://www.strat-x.net

今、オンラインゲームで遊べるようにプロジェクトが進んでいるのだが、http://holtschool.com/headshrinker/DragableObject5_0.swf
それと呼応するかのように、ゲームにはまる愛好者が増えてきた。
へへへ、僕としては心の友が一気に増えたようで、実にうれしい限り
なのである。

<マイケル・ジャクソンやYMOの作詞をしてきた作詞家のクリス。
ふふふ、実はこのときの僕は、手加減せずに彼を叩きのめして
しまった。ごめんねー。
彼は今は娘の出産でアメリカにいるが、早く京都に帰りたいとのこと。
“打倒RYOKYUに燃えている”とは、アメリカから届いた彼のメッセージ>

 

さて、ゲーム大会/パーティでの僕は、ホストとして、みなさんが
楽しく遊べるように動き回って過ごしていた。
あっ、誤解のないように述べておくと、ここで言う“ホスト”は、
いわゆる女性相手の男性接客業ではなく、英語のHOSTの意味である。


 <“えいや!” 今回の「いちなん杯」の優勝者、しんじ君。
大会に備えて毎日特訓してきたという。>
                            

<勝って喜ぶ、Chara-TX棋士あぼじさん。
子ども相手に「世の中甘くねえんだぞ」とか説教しながらゲームする
のが彼の棋風だが、田舎のおっさん風で実に面白い>
 

<東京から駆けつけた、Chara-TX名誉会長のたかちゃん
(正面に向かって右から2番目)。
その左隣が、しんじ君のお父さんでソウル出身の李さん、
あだなは王子さま(説明はまた次回に)>
                               

<勝利の笑顔。西山大学の島袋さん。Chara-TX同好会ができそう>

<島袋さんのアイリッシュ・フィドル風の演奏で、
これまたアイリッシュ風のダンスを激しく踊るしんじくん。
優勝者として店主の孫さんから賞状を授与されたときの
彼の一言「この夏、一番の思い出にする」>
                               

<ゲームやったのは20人ぐらいで、やらない人もたくさんいたけど、
みんな楽しそうだった>
                                

※次回のいちなん杯も、京都市左京区一乗寺、「焼き肉屋いちなん」
屋上にて、9月16日に開催します
。参加ご希望の方は、stratix@hotmail.com  までご一報を。
いちなん杯のポスターのコピーは「オニクの為にタタカイます」。
(優勝者は焼き肉代が無料になるので)                             

 

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