やっとまたーつ、大きなプロジェクトが終わった!

タオサンガ道場では、音楽念仏を中心に独自のスタイルで修行をしているのだが、そのお勤めの三部合唱全篇のレコーディングが終了したのである。詳しい内容をご存知でない方には、ピンを来ない話だということは、百も承知で書いている。でも、期間だけ言うと、思えば最初に始めたのは、去年の夏だったから、延々1年半もかかってしまったのである。

でも問題は期間ではない。音楽と仏教の修行を融合させるという新しい仏教の地平。それが、京都の片すみにある音楽スタジオで、生まれたのである。きっと、どんな新しい歴史の1ページも、そんな風に人に知られることなく、ひっそりと始まるものなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西洋音階だが、琴が入る。その最後の音入れ。琴は中国音階にしてある。

長調(メイジャー)短調(マイナー)どちらの音階にも適合するところが特徴。

音楽般若心経、音楽念仏のパートで入れる。

 

 

 

 

    われわれの注文に必死で応えようと懸命な作業のレコーディングエンジニアの坂本氏。

 音のバランスなどを調整しているところ。

結局、まる一日かかって終了。

 レコーディング時の神経集中って、ホントに独特です。

 

 

 僕のCD評に、”最後の曲では、リラックスして演奏している”なんて、書いてくれた音楽評論家の方がいらした。僕は、”へぇー、そんな風に聴こえるんだ”とびっくりした。実は極度の神経集中っすよー。

、、、さて、明けて翌日の土曜日。facebook 上のお友達、北山侑美さんという方が、タオサンガセンターの念仏修行と法話ライブにいらした。リアルでお会いするのは初めてだが、何といってもネット上では、お友だち登録されている人なのだ。僕としては、”友、遠方より来たる。またうれしからずや”の心境である。これもまた、新たな地平。facebookって、こんなこともあるんですね〜。

 

 

 

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 イスラム教国のバングラディシュだが、ごくわずかに仏教徒がいる。その内の一つがラカイン人だ。彼らが信仰のシンボルとしている 仏舎利塔。それが、NPOユニ現地事務所所在のコックスバザールにある。

 ラカインの人々が大切にしてきた仏舎利塔は、国民の大多数であるイスラム系の人たちに、一部を不法占拠されたり、壊されたり、また汚されるなどの扱いを受けて来た。
 僕は、初めてコックスバザールに行った4年前から、いつかこの仏舎利塔の修復に力を貸したいと切実に思って来た。そして、とうとうその念願がかなうことになった。世界各地のユニで、力を合わせて費用を支援することになり、工事が始まったのだ。(詳しくは、NPOユニのサイトをご覧下さい。)

<コックスバザールの仏舎利塔>

<この仏舎利塔群は、丘の上にあって見晴らしもよい>
 計画としては、周囲にお花畑を造り、中の道場も整備する。ようするに、ここを「ラカイン仏舎利塔公園」のような、聖地にしようという計画だ。ここで仏式結婚式をやったら、きっと、とても良い思い出になるだろうなあ、と思わせるようなところである。
 現地スタッフのラジョーさんが、念仏道場にすると張り切っている。完成の1月には、また出かけていくつもり。
<ラジョーさん/なぜか、浄土宗のT シャツを着ているところが面白い>
 修復工事費の捻出については、ヨーロッパや北米のタオサンガとの調整がいろいろと必要だった。
また、東福寺/天得院のライトアップLIVEに念仏ゴスペルが出るので、その練習もあり、また本番もあった。

<練習風景>
<本番前。緊張のあまり、引きつった笑いを見せるイギリス人のスー>
そう言えば、国民文化祭、京都駅前での念仏ゴスペルの公演をyou-tube にアップして下さった観客の方がいた。
(他の映像は、サンガのウエブで近い内にアップされる予定)
 金曜日は、京都の新京極にある、「誓願寺」という浄土宗西山派の本山で、「気の幸福力」というミニワークショップを行った。
 気でどのように幸福な人生を創造することができるのかを、身体で実感的に体験してもらうワークショップだ。
 最後の感想では、「最初は、一体、どんな講義を聞くことになるのだろう?」と思って来たが、こんなに面白いと思わなかった」と言われた人がいた。また、「1時間半、笑いの絶えないワークショップなんて、はじめて」と言った人も。
<何人か、お坊さんの参加もあったミニワークショップ。写真は、最後のシェアリングの場面>
 その後、新幹線に飛び乗り、東京へ。土曜日は、午後から雑誌のインタビュー。夕方からは、センターで音楽念仏と、その後の法話ライブ。さらに、海外向けの英語放送、ミーティングと続き、終わったのは午前1時。東京でも、さすがに電車はなく、30分かけて歩いて帰る。東京来てもこんなスケジュールだから、こっちの友だちともなかなか会えんな。
 ところで、ツイッターというのを始めてみた。(ryokyu_endo)日常的なことは一切書かず(というか、書けず)、哲学的、宗教的なことしか書かな い。非日常世界からのメッセージということで、ご容赦願えればと思う。また、そんなTwitter があってもいいのではないかと思ってもみたりして、、、。
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僕は、どちらかと言えば、非日常に生きている、と思う。だけど、その非日常が”日常”と化してしまうこともある。ほら、東南アジアのバックパッカー旅行なんか始めて、1か月も経つと、だんだん旅が日常化してしまうことってあるでしょう。(←あるんですよ、これが)

いろんなハプニングはあるにせよ、もはや写真を撮ったりすることも、観光地に行くこともなくなっていくわけです。この所、少しそんな感じだった。

最近の出来事と言えば、東福寺/天得院、夜のライトアップLIVEがあり、僕らのバンドも数回演奏した。また、東京から竹中あこさん/大森俊之さんというミュージシャン夫婦を呼んで、演奏もしてもらった。

あこさんは、澄んだ美声をライトアップされた庭に響かせ、エバンゲリオンの編曲者でもある大森俊之さんは、見事な伴奏をしてくれた。

大森俊之さんとは、26歳ぐらいの頃に六本木で一緒に演奏した。要するに古い友人、音楽仲間である。一昨年、天河神社での奉納ライブで一緒に演奏しないか、と誘ってくれた。そして、天空オーケストラの岡野さんらとも含めて一緒に演奏した。

今回の僕は、裏方としての支援。ビデオなんか回していたので、写真を撮りそこねた。思えば、ブログをサボりだしたのは、それがきっかけだったような気もする。(ナンチャってね)

<天得院ライブの一コマ。ピアノのなむさんが、ソロで演奏した時のものである>

 

<音楽念仏や音楽般若心経、その他、もろもろをレコーディングしているところ。三部合唱になるので、時間が延々とかかっている>

 僕が非日常に生きているのはなぜか? もしかしたら、人生の目的が、念仏を広めるためだからかも知れないなあ。あっ、でもこの表現、ちょっと誤解されそうなので、説明を加えます。

人や自分の意識の変容、つまり自他の心の向上を人生の目的とすると、日常から少し離れたところで生きざるを得ないところがある。でも、見知らぬ世界を旅しているみたいに、わくわくするような新たな発見の連続でもあるのだ。

念仏三昧に入ると、こんな気持良いものがあったのかと思うぐらい気持が良くなる。身体もスカーッと脱けてしまう。また、タオサンガでは、「念仏ハイ!」という一日12時間以上の音楽念仏を、何日間もぶっ通しでやることがある。

参加者の皆さん誰もが、そんな神秘的な体験を味わうのだ。いやなに、古来から念仏者の世界とは、そんなもんだったのだ。

ようするに、その空間で、人はみな、しがらみある世間を超えて、お浄土をかいま見る体験をするのだ。音楽が聴こえたり、光に出会ったり、神秘的な声が聞こえたり、、、。そして、仏さまの聖霊と出会って、人生も性格もがらっと明るくなってしまうことだって、ままあることだ。こんな素敵な体験は、人生で滅多にできることって、ないんじゃないかな?

僕にしたって、そうだ。絶望的だった僕の人生が、根こそぎ楽になったのだ。明るいものになった。念仏に出会ったおかげで。だから、人には明るく楽になってもらいたい。僕のように根こそぎ救われてもらいたい。そう思うからこそ、今こんなことをやっているのだ。そして僕は、そのために坊さんにまでなった。

繰り返すけれど、僕は、人の心が解放されて自由になってもらいたいから、念仏を勧めているのであって、他の目的は、ーつもない。(同時進行でいろんなことをやっている僕に、とても他の目的を入れる時間的余裕などないのです)

誤解のないようにと述べたのは、正確に言えば、”誤解を恐れずに言えば、、、”だ。というのは、ようするに念仏そのものが目的ですらない。人が自由になること、人が楽しくなること、喜びある人生を送ってもらうことが目的なのだ。

そして僕の知っているそのための最高の手段(方便)が念仏三昧だからこそ、これを勧めているのである。さらに誤解を恐れずに言えば、念仏より効果的な道があれば、僕は、これまでやって来たすべてを捨てて、ためらうことなくそちらを選ぶ。そんな覚悟でやっているのである。

それから、東京にも行っていた。向こうで、法話ライブの日本語と英語の配信を遅くまでした。また、タオサンガのことで、深夜までミーテングもした。それから何があったっけ?

ああ、そうだ。「気の不思議世界と音楽念仏による癒しと神秘体験」の無料ワークショップが、二日間に亘って京都タオサンガセンターであったんだ。僕がプロデゥースしたワークショップだが、講師には、北海道から中川りみさんと、東京から後藤りゅうさんに来てもらった。

参加者の中には、感激で泣き出した人も複数いらしたそうだ。僕が直接お誘いしたMさんには、「あまりにも深い内容に圧倒された。フラフラになったが感動した」という後日談をもらった。かつて禅の師匠に印可証明(悟りを開いたという証明書)をもらったという人だが、ワークショップには、相当のインパクがあったようだ。

 

<京都タオサンガセンターで行われた「幸福力と仏教」という二日間のワークショップ>

 

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この所、ブログ書けないほど、めまぐるしい日々が続いていたということもある。でも、facebookとか twitter とかをやり始めたら、不慣れなせいもあって、ずい分、時間取られてしまっていた。むしろ、それが原因ではないかと、僕はにらんでいる。 (ところで、ブログを読んで下さっている方なら、喜んでfacebook 承認させて頂きますので、もしよろしければ、いつでもリクエスト下さい)

それで、この一週間の動きを追ってみよう。
まず先週の水曜日は、センターの皆さんと、京都駅前で無料チャリティ指圧を行っていた。(僕はチラシ配ったり、その他、結構さぼりながらなんだけど)

 

 これは、今京都で行われている国民文化祭の企画のーつ。タオ指圧として参加提供したのである。

そして金曜日。朝から晩まで、一日中スタジオで練習である。曲の中に聖霊が宿るように、バンドの音を創り上げて行くという、普通ではない練習のやり方をやっている。(ようするにまあ、バンドの練習と言っても、念仏修行みたいなもんである)

土曜日は、考えたら(考えなくても)けっこうハードなスケジュールである。
まず午前中は、センターで音楽念仏の修行。午後からは、僕がギターの伴奏を勤める、念仏ゴスペルの練習がずっとあった。

念仏ゴスペルは、僕がつけた曲に仏教的な歌詞で歌うという、キリスト教会でよくやっているゴスペルの仏教版である。演奏しているのは、最近創った曲もあるけど、20代の頃に創った曲も少なくないから、何だか不思議な感じがする。

というのは、あの頃は「いつか将来、気のおけない念仏の仲間ができて、みんなで歌えたらな、、、」などと思っていたからだ。
想い続けていれば、いつか必ず実現するということなんだろうな。だから、さらに明るい未来を夢想していることにしよう。結局は、夢想家が世界を創っている のだから。

人間が空を飛べると夢想した人が飛行機を創ったし、月に行けると夢想した人がロケットを創った。遠くの人と話ができると夢想した人が電話を 創ったのだ。

さて、その後、夕方から再び念仏修行。そして8時からは法話ライブ。弁栄上人という方の本をもとにして、ほとんど脱線しながら話す。(これは、U-streamで配信されている。アドレスは、下記)

そして9時半からは、これもまた、 U-stream で放送する 海外向けの法話ライブ。英語で、般若心経の解説を行う。カナダやアメリカは朝9時頃で、ヨーロッパは午後2時頃である。
カナダもウィーンも、なんとセンターでみんなが見ているという。それで、「とにかく、まあがんばろう」と、、、。

実際に目の前は、スーというイギリス人が、一人いるだけである。だから、ヨーッロパと北米で同時に見ているなんて、あまり実感湧きませんな。実感湧かないまま、ジョークを飛ばしたりしているが、ウケているかすべっているかも、わからん。

ということで翌日の日曜日は、LIVE。国民文化祭、京都駅前のステージである。まずLAMANIが、次いで念仏ゴスペルが公演した。念仏ゴスペルは、東京からも九州からも岡山からも集まった総勢14人のメンバーである。

ところで、LAMANIの前にも出演バンドがあった。そのバンドのファンの女の子が、LAMANIの演奏を見て、「わっ! めっちゃいい!!」と言ってい たと、あとからゆかさんに聞いた。僕は、つい「やった!」と、喜んでしまった。(←相変わらず、人間できとらんな)
会場では、念仏ゴスペルに、興味津々の人も多かったと聞く。(いやー、ホッとしましたね)

<写真は、講演後に被災地でのボランティア指圧を体験してもらっている所>

そして水曜日は、NPOユニの活動を展示している京都府庁のNPOネットワークセンターで、ミニ講演会を行った。現在行っている、バングラデッシュ、パレスチナ、また東北被災地での支援活動ついての話をした。

その後、センターの皆さんで、参加者に被災地で行っているボランティア指圧を体験してもらったら、とても喜ばれた。
展示と講演をコーディネイトして下さった、京都府庁の古澤さんに、感謝である。

ところで、今日もまた一日中スタジオで練習だった。それで我ながら驚いたのだが、なんと明日からしばらく、東福寺の塔頭寺院、天得院/夜のライトアップでのLIVEが始まるのだ。

 

 

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結婚式と言えば、“教会か神社だ。寺はおよびでない”という感じがあります。だとすると、寺は死んだ人のためだけのものでしょうか? それはとんでもない誤解なのです。

実を言うと、先週の土曜日に結婚式を執り行ったのです。僕が住職をしている(と言っても住んでいるわけではないけど)島根県の匹見町という田舎のお寺で、です。

こんなに田舎なんですが。地元の人がみな親切で、自然が美しいところです。

さて、この時行った仏式結婚式というのは、こんな感じでした。

まず、新郎新婦の入堂から始まります。おおっ! まさとさんとまひろさんの二人がまぶしい、、、。

 

で、まあ、みんなでお経を上げたりします。(音楽的なお経をやってます)

 

式では、新郎が新婦から華をもらって、仏さまに捧げたり。数珠を交換したり。

 

とにかく、雰囲気ありましたね〜。

 

実は、この日のために創った、”結婚おめでとうソング”をサプライズで披露。

結婚1

 

秋の匹見で夕暮れどきの、ほんわかで、ほのぼのとした結婚式でした。

 

 

その後は、総勢14名の宴会。ナンとピンクレディの踊りまで登場するほど昭和のノリ。えらく盛り上がりました。

宿泊したのは「タウンホール」という、ナンと匹見の町役場の一部のような不思議な宿。

お湯も温泉で、とっても親切にしてもらいました。感謝、感謝でした!

翌日、法要を行うと、集落の人が10人ほどお参り下さいました。皆さん、喜んで下さいました。僕らも嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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知っている人は知っていて、知らない人は知らないが(←あたりまえだ)、タオサンガ/NPOユニではチャリティ施術というのをやっている。フェスティバルなんかにも出店して、タオ療法の簡易的な施術を施し、その収益を東北震災や海外援助に役立てようというものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

仏光寺で行われたベジタリアン・フェスティバルにも出店して、連動するかのように、バンドLamani も出演した。ステージで、タオサンガ/NPOユニの出店のお知らせもできるというのはありがたいことだが、ーつ問題がある。

というのは、僕はステージでは頭が空回りして、挨拶以上の話ができない。ただでさえ、自分の法話ライブのU-Streamの録画を見て、”われながら、語尾不明瞭な奴だなあ”と思うのだから、この上、演奏の合間にしゃべろうものなら、意味不明なことを言うだけである。僕は、音楽演奏と話す時とでは、使う脳の部分が違うのだ。

なんと言っても、今のところステージでは、目も開けられないぐらいの状態である。(なるべく目を開けようと努力している)このときの気持を何と説明して良いのかわからないが、ちょっと想像して頂きたい。もし自分、が仏さまや神さまに必死に祈っているところを、人々に見られている状況だったら、、、。どうです、恥ずかしくてたまらないでしょう?

それで、ステージで話をするなんていう芸当が、どうにもこうにもできないんですよね。せいぜい感謝の言葉を述べるのが、
今のところ精一杯である。
演奏後にやっっと水と食事にありついた後は、タオサンガの皆さんの懸命な働きに、”なんか手伝わないでワリーな、、、”とかも思いつつ、お寺の門の日陰で、放心してしまった。皆さんに感謝である。

ベジタリアンフェスティバルは、動物の生きる権利などのことを考えたり、食の安全や自然との共生に関する活動をするなど、意識の高い人たちが開催している。友人のアイリーン・スミスさんも招かれて、脱原発について講演していた。

また、例によって僕は客席を見れないのでわからなかったが、どうやらステージでの演奏は受けたらしい。おかげさまでCDも完売して、持ってきた枚数では足りなかったそうだ。

また演奏後に求められてCDにサインしていたら、”目を閉じて聴いていたら、まるで異界に連れていかれるかのようでした” と言って下さった方がいた。”演奏中の祈りが通じたのかな?”と思って、 とても嬉しかったな。
翌日、バンドを演奏に招いて下さったベジフェス主催者側の倉田志樹さんが、下記のようなメールを下さった。本当に感謝である。

「今年もご出演して下さって本当にありがとうございました。
素晴らしいステージ、特にillusion trainの盛り上がりは、
とても感動的で、ウルルときました。
遠藤りょうきゅう&ラマニさんのような、
表現力が高く、レベルの高いアーティストがご厚意で出演して下さるので、
京都ベジフェスが続けていけます。」

ベジタリアン・フェスティバルのウエブ
http://www.vegetarianfestival.jp/

 

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昨日は、1日スタジオに籠って練習。朝10時から夕方6時まで。一時間の休憩の後は、「音楽念仏/音楽法要」のレコーディング。深夜0時までやったが、未だ終わらず。お経を音楽的にやるという、仏教の新しい試みだ。

<写真:だんだんキツくなっていく録音作業だが、どこでも明るいサンガだった>

帰って機材をしまって、すでに1時。でも、すぐ眠れるわけではない。そこで、パーカッションの自由さんと、おでんの屋台に行ってしまった。

3時近くなって家に帰って来た。しかし帰るなり、パソコンを開けて原稿の校正をはじめてしまう。結局、寝たのは4時だった。このところ、こんなスケジュールが続いているなあ。

<写真:うぅ、深夜になるにつれて眠気が、、、>

明日は、仏光寺のビーガンフェスティバルで、昼頃にはライブ演奏。気合い入れないと・・・。

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2011/10/03

「タオ指圧、東洋医学の革命」を上梓した。(正式な発売日は、10月15日)版元はヒューマンワールド。東洋医学専門の出版社である。http://www.human-world.co.jp/books/book013.html

<カッコ良かった増永先生>

文庫本みたいに、何百円とかでは買って頂けないけど、”DVD付きだから勘弁してくれい”という感じが、実はちょっとある。というのは、このDVD映像は、7年ぐらい前に、タオ指圧の教材ビデオシリーズを作る目的で、相当の予算と時間をかけて撮影したものだったからだ。

この映像データは、7年間未編集のままニュージランド→日本→カナダ→ウィーン→再び日本へと旅をした。そして、なぜかどこでも編集が成就しなかった。そして今回7年越しで、初めて京都で1部の編集が完了し、本書に提供したのである。

7年前の機材で画質はちょっと落ちるけど、経絡走向がわかるように、身体にテープを貼って施術したりなどの涙ぐましい努力をして撮影したものである。一方、本文は、生涯最後の指圧の本として書いた原稿の片割れである。

苦心して書いた原稿だが、本文の評価は読者に委ねたい。あとがきの最後の行には、以下の文を書いた。「本書を、経絡指圧の生みの親、増永静人師に捧げます・・・。」、と。

僕と増永先生とは、個人的なつながりはなく、当時23歳だった僕は、週1回3ヶ月に亘って講習会に通っただけである。(それは、先生が講習をお辞めになる直前のことだった。)言葉だって、師とは、たったの一言しか交わしたことがなかった。

しかし、この時の3ヶ月が、後の僕の人生を変えることになったのだ。(これは、人生の不思議としか言いようがない。)本が届いて、さっそく仏壇にお供えした。いつもお祀りしている先生の写真の前に本をお供えして写真撮影。先生の奥様にも送らせて頂こうと思う。

<百年の伝統を誇る法蔵館>

さて、本の話ばかりで恐縮だが、今日は「気の幸福力」という、別の本の出版の打ち合わせで、法蔵館という出版社に行った。「できるだけ安い価格にして下さい」と僕がしきりに提案したため、今の原稿から、さらに40ページも減らすことになった。

というわけで、法蔵館の一室にしばし閉じこもって、「明日のジョー」みたいに大減量作戦を開始。しかし、うなってばかりで、削れたのは、やっと20数ページである。”矢吹ジョーは、最後は下剤までかけてたな〜”とか思ってみたりして、頑張ったのだが。

上山さんという、担当女性編集者の方が、「とっても面白い内容なので、共感する読者は多いと思います」と、お誉めの言葉を下さり、まことに恐縮である。

・・・が、注文通りに原稿が削れなかったため、気後れして、編集部で写真は撮影できなかった。そこで帰り際に、看板だけをパチリ。(いったい、なにやってんだか) でも、法蔵館編集部の皆さんは、優しかった。

原稿を削るのって、どの部分もそれぞれ思い入れがあって、なかなかつらいもの。まさに減量の苦しみである。まだジョーみたいに、真っ白い灰にはなってないけど。

 

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やっと少し、この世に着地できたかも知れない、と思った。

夏の終わりになって、遠くの空に流れる雲に目が行くようになると、僕の身体が予感し始める。じきに自分が、この世との接点を失い始めることを。

一体何のことを言っているのか、意味が不明と思われることだろう。

実は僕は最近では、2年に一度ぐらいの割合で、この世との接点を失う。すると僕は、この世のすべてに興味を失う。そして、自分の存在が苦痛になる。以前は1年に一度だった。もっと前は、1年に二度だったから大変だった。

そんな時は、自分の身体がこの世を拒否している。願いは、すべてを捨てて、ただ旅に出ることだけ。“ここでない別のどこか”に行くことだけが、唯一の願いになる。そして、遠くに流れる雲を見ていることになる。

そうなると、社会生活の継続は不可能。そんなことが起こって僕は、高校を二つもやめたし、サラリーマンもできなかった。(そりゃ、そうでしょうよ)そして、付き合っていたガールフレンドとも別れて来たのだった(念のために書いておきますが、これは20代の頃の話です。それから、そんなにしょっちゅうガールフレンドがいたわけではありません。)

そんな時に、どこかの念仏道場で一日12時間とかの修行が何日間か行われていたりしたら、迷わず飛び込んで行く。そりゃ、そうだろう。この世の何をもってしても心が救われないんだから、そっち方面に行くしかないではないか。

息子の結万(ゆうま)が、まだ赤ちゃんだったころ、長野県に家族で旅行した。何日かして帰りかけた時、近くの寺で一週間集中修行の念仏が行われるのを知った。それで家族だけ帰ってもらい、自分はそのまま道場に一週間入ってしまった。(結万、すまん)。

いやー、でもスケジュールを見てびっくり。朝3時半起床ですよ。「家の電気消し忘れたから帰ります、とでも言おうかな」なんて思ってしまった。でも、一週間、山の中で朝3時半から夜9時まで念仏したら、妙に元気になった。終わってから、 山を走って駆け下りたのと、幻覚見ているみたいに、何でもキラキラと光って見えたのを憶えている。

2年前は、なぜかそれ(この世との接点の消失)が、タイを旅していた時に突然起きた。驚いたね。どうしようかと思ったよ。旅が唯一の救いのはずだったのに、旅している最中に陥ったのでは、どうにもならないではないか。これでは、まるでマンガである。

この時は、ホテルで、何曲も創ってパソコンに録音して、やっと救われたのだった。ギターと録音できるパソコン持っていて助かった〜。しかし、あの時は、無限に曲が出てきそうだったな。その後、僕はパレスチナに向かったのだった。ギターを持って。

しかし、まあ宗教や芸術なんて、僕みたいにこの世に深入りできない人間がするものなのかも知れないな。社会とうまく折り合つけて、バリバリやるような人が必要とするのは、僕のように念仏や音楽ではなく、日経平均株価情報かも知れないし、、、。この世との折り合いに悩む人よ、念仏サンガに来たれ、ナンチャってね。

さて実は、今回も、空高く雲が流れているのを見ていたら、この世のどこにも、自分の居場所が見出せなくなってしまっていた。すべてを捨てたいのを、必死で我慢しているようなところがありましてね。白状すると、東北被災地ツアーの最中も、そんな状態だったのです。

松尾芭蕉に、「旅に病んで、夢は枯野を駆け巡る」とかいうのがあった。芭蕉なんかも、けっこう晩年になってから旅出ちゃうし、山頭火も、やっと安定した場が与えられたと思ったら、寺を捨てて旅に出てしまう。

太宰治は、作家として認められ、井伏鱒二の媒酌でお見合い結婚までした。普通の生活しようと思ったんだろうなあ。で、いよいよ、これから安定して仕事をしていくという矢先に、破滅的な生活をし始める。まったく、やれやれだが、そんな彼らの気持わかるよなー。

先日、「何ひとつ不自由のない生活をしていたシッタルダ王子さま(お釈迦さま)も、この世の何をもってしても救われない気持だったのだろうか?」 なんて、ふと思った。タハハ。お釈迦さまを自分と引き比べるという、実に罰当たりな自分でした〜。

さてこんな状態の僕だが、けなげにもブログの写真を撮りました。この秋、京都の国民文化祭に念仏ゴスペルで出演する、タオサンガの皆さんの練習です。音源をお聞きになりたい方は、http://taosangha.com/ja/music/ ダウンロードも可能です。

 

 

 

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かつて400人の避難者を抱えていたという石巻の洞原院。先月、紹介してもらってご住職の小野崎さんに電話した。その時、“半年目の9月11日の法要の前に、追悼の奉納演奏をお願いしたい”と言われた。それでLiveが実現することになった。

マスコミにも有名なお寺とは聞いていた。お寺の追悼法要は、NHKのニュースでも流すらしい。われわれは、朝から音響機材などをセットし、午後になってから、切ないような想いで演奏をスタートさせた。

音楽が、場にいる人々の心に染み入っていくのを感じた。

後で聞いたら、涙を流しながら聴いて下さっていた、お年寄りの方々もいらしたという。

演奏終了後。義援金の配布のため、東北一帯を巡っているという、台湾の仏教団体の方々が会いたいという。行くと、“素晴らしい演奏だった。東北全体の法要を企画したら、ぜひまた来て演奏して欲しい”とおっしゃられた。

長居はできず、定禅寺ジャズフェスティバル出演のため、仙台にダッシュで向かう僕たちだった。帰りは、洞源院の皆さんが、“演奏のお礼に”と言って、南こうせつさんの歌で送って下さった。法要に出れなくて申し訳ない、というようなことを僕が言ったら、”いや、演奏で十分に供養して頂きましたから”とおしゃって下さった。

果たして間に合うのかと、少し心配したが、仙台での演奏も無事修了。演奏中、人々が喜んで下さるのがこちらにも伝わった。

演奏後に、“こんな音楽は、今まで聴いたことがなかったです”とか、“胸に滲みて、素晴らしかったです!”などの言葉を聞くと、「大変だったけど、がんばって来て良かったな、、、」と思う。演奏を通して、仏さまの心が伝わればありがたいなと、寺のバンドとしては、そうも思う、、、。

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