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東日本大震災支援 « Blog

‘東日本大震災支援’

クリスマスは東北で、、、

2014/01/05 Categories: 東日本大震災支援

群馬のハンセン病サナトリウムを後にした僕は、大宮を経て東京に寄り、荷物を取って東北に向かった。(前号からの続き)

クリスマスの頃には、タオサンガの皆さんが現地に、ボランティア指圧などで詰めており、そのお手伝いをするためだ。

NPOユニは、震災直後から今も尚、気仙沼に定期的に野菜を送り続けて来ているので、そこと関連のある仮設住宅での活動である。

仙台に着いたら、すでに夕方遅くだった。それで、まずは仙台で一泊した。震災以来、訪れるのは3回目なのだが、今回も、なぜか胸か締めつけられてつらかった。

仙台で一度足を止めたのは、震災直後に被災地に入ったときの経験から、”気仙沼に行くには、仙台からバス”というイメージができ上がっていたからだ。(新幹線で、一の関まで行ける。そこからバスという手があるのを知ったのは、3日後の帰るときだった〜)

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 <仮設住宅>

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<少し前には雪が、、、>

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<“ミスター仮設”と呼ばれている、現地活動家の村上充氏>

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<タオサンガのボランティア指圧>

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<施術する長谷川森さん。東京センターの臨床スタッフ>

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<透央(すなお)さん&天規子(あきこ)さん>

タオサンガからは、十名以上のボランティアが参加した。タオサンガに限らないが、こうして自らの身体やお金を使って、被災地にボランティアに来ている人たちに対して、僕は心から頭が下がる想いがする。

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<オランダ・タオサンガの美和さん>

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<中央が小野さん。右端は、美和さんのご主人の“ビッグマスター”。彼は、クリスマスに、60人分の夕食を用意した>

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<世界各地のタオサンガから、455通のクリスマス・カードが気仙沼に届けられた。その中には、イタリア・日本人学校の子どもたちからビデオ・メッセージもあった>

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<仮設のクリスマス・パーティでの中国楽器、奏琴(しんきん)の演奏>

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<実はこの後、僕も2曲ほど演奏した>

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<僕が考案したチャリティックス・Gameにはまった、けいと君。見事大人を打ち負かした!>

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<けいと君は、次の日も、朝からさっそくチャリティックスを持って来て、大人を相手に対戦>

最近うれしいことに、子どもの友だちが、あっちこっちにできた。それに一役買っているのがチャリティックス・ゲームである。

実は、今まで出会った小学生で、チャリティックス・ゲームにはまらない子どもには、あまり会ったことがない。本当に不思議だし、うれしい。

僕としては、「子どもが僕を、大人として認識しないような関係になれたら成功!」と思っている。だから完全に同じ目線で付き合う。エラそーにはしないわけ。

ところで、このチャリティックス・ゲームを、僕はライフ・ワークとして創作して来た。実はこのところ僕は、チャリティックスを創らせた自分の無意識を言語化する作業に、ほとんど取り憑かれたように没頭していた。

そして、それの第1章とも言うべき部分が、月刊タオサンガ1月号の「住職に聴く」に掲載された。

このブログを読んで下さった皆さまには、ぜひぜひ、ご覧頂きたいと思います。http://taosangha.com/

何て言ったって、取り憑かれていたほどなんだから、、、。(←われながら意味不明)

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<「雪だるま」の阿弥陀さま/ Snow  Amida Sama と書いてある>

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<おお! 久しぶりに京都に帰ったら、アメリカのマイルス君からクリスマス・カードが届いていた! マイルス君、ありがとー ^ ^) 僕には、最高のご褒美でした>

京都に帰ったら、すでに年末。恒例の「年越し念仏ギャザリング」が待っている。

僕は今年のタイトルに、“光明爆発”とネーミングした。それは、タオサンガのビッグバンが始まる年だからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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被災地ツアー(4)

2011/09/17 Categories: 東日本大震災支援 音楽

かつて400人の避難者を抱えていたという石巻の洞原院。先月、紹介してもらってご住職の小野崎さんに電話した。その時、“半年目の9月11日の法要の前に、追悼の奉納演奏をお願いしたい”と言われた。それでLiveが実現することになった。

マスコミにも有名なお寺とは聞いていた。お寺の追悼法要は、NHKのニュースでも流すらしい。われわれは、朝から音響機材などをセットし、午後になってから、切ないような想いで演奏をスタートさせた。

音楽が、場にいる人々の心に染み入っていくのを感じた。

後で聞いたら、涙を流しながら聴いて下さっていた、お年寄りの方々もいらしたという。

演奏終了後。義援金の配布のため、東北一帯を巡っているという、台湾の仏教団体の方々が会いたいという。行くと、“素晴らしい演奏だった。東北全体の法要を企画したら、ぜひまた来て演奏して欲しい”とおっしゃられた。

長居はできず、定禅寺ジャズフェスティバル出演のため、仙台にダッシュで向かう僕たちだった。帰りは、洞源院の皆さんが、“演奏のお礼に”と言って、南こうせつさんの歌で送って下さった。法要に出れなくて申し訳ない、というようなことを僕が言ったら、”いや、演奏で十分に供養して頂きましたから”とおしゃって下さった。

果たして間に合うのかと、少し心配したが、仙台での演奏も無事修了。演奏中、人々が喜んで下さるのがこちらにも伝わった。

演奏後に、“こんな音楽は、今まで聴いたことがなかったです”とか、“胸に滲みて、素晴らしかったです!”などの言葉を聞くと、「大変だったけど、がんばって来て良かったな、、、」と思う。演奏を通して、仏さまの心が伝わればありがたいなと、寺のバンドとしては、そうも思う、、、。

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被災地ツアー(3)

2011/09/16 Categories: 東日本大震災支援

三日目。夕方までボランティア施術。
その後、ライブハウスにて演奏。

最前列、車椅子から見てくれているのは、ライブハウスのオーナーご子息、由太さん17歳。

彼は、出演ミュージシャンに対して、とても厳しい採点をするとのことだった。

しかしどうやら、彼から合格点を頂いたようだ。場も盛り上がったみたいで、アンコール演奏も行った。

実を言うと、僕は演奏中、音楽以外は周囲の状況がまったくわからない。多分、あまりにも自己の内面に集中して入っているためだと思う。(念仏瞑想中の人を想像して下さい)先に、“場も盛り上がったみたいで”と書いたのは、自分には、場がどうなっているか、全然見えていないからである。

演奏後、夕食を頂いた後に、慌ただしく車に乗り、石巻に向けて出発。11時半頃、何とか薄暗い宿に着く。

石巻の宿泊所は、ほとんどが未だ再開できないでいる状態のようだ。今夜の宿、トイレは壊れていて、近くの公園まで行かなければならない。まあ、公園で寝ることを思えば、どうということはないけど。

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被災地ツアー(2)

2011/09/14 Categories: 東日本大震災支援

石巻でのボランティア施術の翌日は、3時間かけてバンド一行全員と気仙沼のからくわ町へ。二カ所の仮設住宅に二手に別れ、総勢6人で一日ボランティア指圧する。

仮設所リーダーの方は、“なるべく休みながらして下さいね”と、こちらを気遣って言って下さったが、そうもしていられなかった。

写真は、脱臼していると連れて来られた幼稚園児の「こころちゃん」。”治ったよ”と、足を上げて見せてくれた。2、3日は、無理しない方がいいと言ったんだけど、治療の後、しばらくしたら、後輪付きの自転車で走り回っていた。

 

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被災地ツアー(1)

2011/09/13 Categories: 東日本大震災支援 音楽

被災地でボランティア指圧をしながら、音楽のLIVE ツアーをするというのは、かねてよりのアイデアだった。そしてそのアイデアは、不思議な経緯で実現したのだった。

まず、仙台の定禅寺Jazzフェスティバル http://www.j-streetjazz.com/ に出演することになった。

次に、石巻の洞源院というお寺でもライブをすることになった。古くからの友人で、クライブ(東京在住)というイギリス人ジャーナリストを通じて、である。洞源院は、さだまさしさんや南こうせつさんなんかもライブをした所だそうだ。

クライブは、7月2日に、僕らがアースガーデンという代々木公園の野外フェスで演奏した時に、初めてLiveを見に来てくれた。

<クライブ>

<クライブが撮った写真>

そうしたら何だかエラく興奮して、“俺が被災地でのライブをセッティングするから絶対行け”と、言い続けていた。(彼は、震災直後から救援物資を届けに、何度も石巻に車で通っていた)

CDアルバム「AMIRITA」も気に入ったようで、その夜は酔っぱらって、二度も絶賛の電話をかけて来た。(彼とは、いろいろと本気でケンカもしたが、この際、すべて水に流して許してやることにしよう。まあ、恐らく向こうも同じことを考えているに違いないが、、、)

最後に決まったライブは、気仙沼の唐桑(からくわ)町のライブハウスである。からくわ町には、震災当初からNPOユニとして様々生活物資や、洗濯機や冷蔵庫10台送るなどの支援をして来た。ご縁ある場所である。僕が3月下旬に、ボランティアに行った所である。

こうして、三カ所のライブツアーが実現することになった。それにしても強行軍である。バンド一行は、京都から車で12時間かけて仙台まで来て、一泊。

翌朝、三時間半かけて気仙沼へ行き、一日中ボランティア施術。(それにしても、バンド全員が指圧できるというのは、便利なものである)

さらに、その翌日も夕方まで施術し、夜はライブハウスで演奏した後、遅くに石巻に移動。

翌日の昼に石巻で演奏した後、夕方の出演に間に合うようにと、ダッシュで仙台に向かうのである。

石巻では演奏のみで、ボランティア施術する時間が取れない。それで、僕がバンド一行よりも一足先に東北に来て、石巻だけ前もって行っておくことにした。

というわけで、仙台に来た僕は、一人で、石巻の仮設住宅に向かった。ここは洞源院というお寺に避難していた人たちがいる所である。

午後、腰痛や膝関節痛のお年寄り等の施術をさせて頂いた。膝が曲がらなかったのが、曲がるようになった等で、喜ばれた。

ところで洞源院は、そんなに広いお寺というわけではない。でも、一時は400人もの避難者がいらしたそうである。

このスペースにどうやって、そんな人数でいられたのだろうか? と思った。 さぞかし、大変なことだっただろう。今は、全員が仮設住宅に入られた。

石巻は、広範囲で被災しているので、まだまだ津波の傷跡が、街のあちらこちらに残っている。

 

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UNIチャリティフェスティバル

2011/05/08 Categories: 東日本大震災支援

実は僕は、妙にええかっこしいのところがあって、それは”必死に努力してる姿なんか人に見られたくない”というものである。
それで、ブログを書けなかったというわけ。今、何やっているかというと、UNIチャリティイベントの準備です。

http://npouni.net/event

ところがだ。今日の午後、ぽっと数時間空けることができた。
その理由の1つは、チラシが届くのが明日になったこと。もう1つは、パレスチナで会った京大で英語を教えているTinaさんという人と、イベントの件で会うことになっていた。
しかし昨夜、車をぶつけられたとかで、予定が変更になったからである。

それにしても縁というものは、不思議ですな。
2年ほど前に、キリストの生誕地ベツレヘム近郊の、イスラエル/パレスチナ平和教育会議に参加して、ワークショップをやった。
講師も、自分の出番以外には、他の講師のワークショップにお互い参加するというシステムである。

また分科会だから、いくつものワークショップや講義が同時進行で行われている。
それで僕は、「イスラエルが建設する分離壁(アパルトヘイト壁とも言う)の問題」という講義にも出席した。
その時、Tinaさんもいたのである。

参加者がお互いにまず自己紹介するところから分科会が始まったら、二人の人間が京都から参加していた。それで、その時、両者から出た言葉が、「世界は狭い!(Small World!)」であった。

ガザから来ている人もいた。彼は、お相撲さんみたいに体格が良くて、何だかとても頭も良い人。ガザにどれほど経済発展の可能性があるかという彼の話も、興味深かった。分離壁よ、なくなれ!

 

 

パレスチナでの活動レポートはこちら

 

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深刻な避難所の野菜不足

2011/04/25 Categories: 東日本大震災支援

避難所の野菜不足は深刻である。聞けば、パンやお握りなどの炭水化物ばかりの食事だという。
僕は一ヶ月近く、米と醤油だけで暮らしたことがあった。家出していた17歳か18歳のころのこと。
だから、炭水化物だけの食事が、どんなに大変でつらいことか、よくわかるのだ。
身体がだるくなるし、無気力にもなるのだよ。栄養のある食事ができないのって、けっこう心にもダメージなんですよ。
一ヶ月近くぶりで肉野菜炒めを食べた時に、涙が出そうになったのを憶えている。

避難所の野菜不足についての情報は、昨日入った。
それで、何とか気仙沼近郊から配送する方法はないか、ハセさんも僕も探しまわった。
しかし、なかなか見つからない。
気仙沼まで、届くまで数日かかるかも知れないからと、
八百屋さんが配送をいやがるのだ。
まゆさん曰く、探している間に時間が経つから、とにかく京都から送ってしまいましょう、と。
そりゃ、そうだ。

ということで、今日は早速、まさとさんとまひろさんの三人で野菜問屋に行った。
その足で宅急便屋へ行き、気仙沼に野菜を送った。1日も早く、新鮮な内に届いてくれよ〜。頼むぜい。
野菜の内訳は、じゃがいも30kg  、タマネギ 20kg、  大根30kg, 人参10kg。大箱6つぐらいにはなった。
他にも被災地に野菜を送って下さる人が、もっと出て来て欲しいなあ。
宮城で配送ボランティアをしてくれる人も探し続けている。

 

唐桑町に野菜を送る

<写真は、宅急便屋さんの前。着いた時のことを無意識に想像したのか、ちょっと笑顔。>

 

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他サイト関連記事

長丁場の生活に必要なものは? / お寺がやってるNPO GUC

物資を送りました / お寺がやってるNPO GUC

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ありがたい各地からの支援

2011/04/17 Categories: 東日本大震災支援

カナダ在住の日本人に聞いたのだが、海外では、日本全体が放射能まみれみたいなイメージになっているそうだ。

日本では、福島を同じように思いかねないな、と思った。
<海外から見た日本→日本から見た福島>が相似形という図式である。

ところで、唐桑町の避難所に洗濯機が入ったという知らせが入った。
また、「おかげさまで指圧していただいた避難所は、雰囲気がとても明るくなりました」というメールも、アキラさんから入っていた。   それは良かった! 

その他、カナダのタオサンガがチャリティ指圧などで集めてくれた、2000ドル(約17万5000円)が届いたので銀行に行く。
明日センターから搬送する救援物資の購入費用に当てることができる。

一方、アメリカのサンガからは、ソーラー電気釜を10台送ると連絡があった。ハイチの地震では重宝したらしい。早速、送り先を調べ始める。

皆さんからの支援で、より大きな支援をできるのがありがたい。

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支援の役にたったブログ

2011/04/16 Categories: 東日本大震災支援

京都に帰ってから、「ブログを見ました。週末に洗濯機を気仙沼に持って行けます。他の救援物資を持っていくことも可能です」という知らない人からメールが入った。このブログのことか、あるいはNPOユニの方かは不明だ。でも僕は、とても嬉しくなった。人の利他心に触れることは一番うれしいことだ。

早速、いろいろな避難所に問い合わせの電話をかけるが、なかなか通じない。やっとクライブからの情報で、気仙沼の青果市場の避難所と連絡が取れた。

先方の担当の方は、洗濯機をとても喜んでくれたようだ。他にも必要なものは? と聞くと、缶詰、レトルト食品、炊き出し用の野菜とのことで、それらもメールの人にお願いした。

ところでクライブというのは、20数年前にネパールで知り合ったイギリス人。友人である。今はNPOユニの会員で、ラカインの子供の里親でもある。彼は今、毎週のように東北に行って救援物資を届けている。

http://www.ryokojin.co.jp/charity/clive.html

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被災地でM7.4の余震 

2011/04/15 Categories: 東日本大震災支援

<4月7日>

この日も朝から、施術が続く。コーディネィターは、有無を言わさず、こちらに患者さんを流してくる。相手は生身の傷を負った人たちだ。一人もおろそかにできない。丁寧に、悔いのないように、最大限できる治療をひたすら続ける。“悔いのないように”という意味は、与えたことで悔いを残すことはない。しかし、与えなかったことは人生の“悔い”として残るからだ。

 

気仙沼 災害対策本部前で義援金をお渡しする

 

夕方、被災した電気屋さんに10台分の洗濯機の代金(338000)渡す。(写真は、災害対策本部前/一番左がアキラさん)やがて夜になった。避難所に電気がついた。地震以来、三週間ぶりに電気が復旧したのである。一方、施術は続いた。今日も、十二、三診ただろうか・・・。

アキラさんの家に戻って、電気が復旧した安堵感に浸っていたら、11時30分頃、本格的な地鳴りがした。その後、激しく揺れる。せっかく復旧した電気が、再び停電し闇の世界になった。別棟の建物の方が丈夫とのことで、激しい揺れの中を移動。

アキラさんが懐中電灯を付け、ラジオのスイッチを入れる。地震と津波の情報を聞くためだ。ラジオでは、今の地震はマグニチュード7.4と言っている。アキラさんが、ふと“こりゃ、津波がまた来るかな”と漏らす。

再び津波が来たら、堤防が倒壊しているから、この家まで襲うかも知れないと、一瞬覚悟する。・・・しかし、津波は来なかった。
”こりゃ、眠るが勝ちだ”と思って寝たが、その後も、強い余震が断続的に来て、朝まで何度も揺れで目が覚めた。

翌日は、高速道路がストップ。停電で信号もつかない。仙台に帰りつくのに、7時間近くかかってしまった。翌日も、ずーっと身体が揺れている感じがして、最初は地震かと思った。これが地震酔いというものか。

 

遠藤喨及 避難所で指圧

気仙沼 避難所のおばあさん方

気仙沼 避難所

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